奇跡など起こらないと思って生きるのか、あらゆるものが奇跡だと思って生きるのか。

これはアインシュタインの言葉です。
数ある彼の名言の中でもシンプルに、ストレートに心に迫ってくる言葉です。



猪俣邸
猪俣邸



「奇跡などそうやすやすとは起こらない」と、誰でもそう思っているわけです。だから奇跡が起こったときに驚き感動するわけです。
では「あらゆるものがすでに奇跡なんだ」というのはどういうことなのでしょうか。
「気の持ちようで何でもありがたく感じることができる」ということなのでしょうか。
そんなふうにも取れますけど、ぼくにはちょっと違う響き方をしています。



古澤邸
古澤邸



庭の相談に来られる方々に、ぼくは最善と思われる考え方や手法をアドバイスします。
プロですから、そのアドバイスはお客様を唸らせます。「庭をそんなふうには考えたこともなかった。すごいですねえ」と。
その後です、反応がふたつに分かれていきます。



曽我井邸
曽我井邸



スッゴ〜〜〜イ!ウッソみた〜〜〜い!と、話せば話すほどぼくの提案を奇跡に出くわしたように大はしゃぎしてくださる人がいます。もうワクワクが爆発して、目がウルウルして、その姿にこちらまで踊り出したくなるほどうれしくなります。



川村邸
川村邸



片や、噴き出しそうになるワクワク感を押さえ込もうと必死になる人がいます。表情が崩れそうになるのを頑にこらえて「そりゃあお金をかければ素敵になるでしょうけど・・・」「そこまで庭を楽しくするつもりはないんですけど・・・」「いいとは思うんだけど、でもなあ・・・」。



森邸
森邸



前者はぼくの提案(ぼくとの出会い)を奇跡的なことだと興奮し、後者は同じ提案を奇跡的だと思いたくないわけです。
後年幸せな暮らしを実現できるのは、明らかに前者ですよね。
実際にぼくの提案が奇跡と呼ぶに値するかは別として、物事の捉え方の問題なのです。



浅岡邸
浅岡邸



夕飯のおかずが冷や奴だけだったとします。
それを「すごいなあ、シンプルなチョイス。うん、この味は奇跡的に旨いよ!」と感動しながら味わうか、「エー、奴だけ?他に何かないの?」と不満に思うか。
不満に思った途端に、その人は豆腐の味わいを拒絶してしまうわけです。大豆のいい香りがする甘い豆腐に感動することができない人になってしまいます。
損でしょ。



高橋邸
高橋邸



宇宙や地球の歴史や、生物学を使って解説するまでもなく、今あなたがそこで息をしているのは奇跡です。
その奇跡は奇跡ですから、永遠に続くことはありません。ご存知ですよね。
奇跡の人であるあなたが人や物と出会うこともまた奇跡の出会いですし、それにワクワクすることも奇跡のワクワクです。そうそう起こることではありません。



天野邸
天野邸



永遠には続かない今を「奇跡的」と感じれば、出会いは泣けるほどうれしく、ワクワクは感動的にありがたく感じられます。

出会いを恐れる、ワクワクを押さえ込むのにはそれなりの理由、経緯があるものです。
でもそんなことは過去のお話、どうでもいいことです。やめちゃいましょそんなこと。損するだけですから。



和泉邸
和泉邸



「奇跡など起こらないと思って生きるのか、あらゆるものが奇跡だと思って生きるのか」
ぼくはそれを「気の持ちよう」というようなゆる〜い話ではなくて、覚悟の言葉だと思っています。

与えられた命をどう生きるのか。
文句を言いながら生きるのか、感謝しながら生きるのか。
自分の人生を他者への恨みで塗りつぶすのか、祝福で満たすのか。




内田邸
内田邸



あなた自身が奇跡の存在なんですから、あらゆるものを奇跡だと捉えて、今日を奇跡の日だと思って暮らしましょう。
思いっきりワクワクして、感動して、出会いに感謝して。
奇跡の日は・・・そう長くは続かないのですから。



縄本邸
縄本邸



ついでに言うと、庭はあなたの生き方が現れる場所です。

覚悟も持って生きる人の庭は、美しく息づき輝いています。

これは庭屋の実感として。
庭に出て、自分の覚悟を確認してください。庭は息づいていますか?輝いていますか?
こう言っちゃ何ですけど、庭くらいはほんの序の口。あなたの今日を思いっきり輝かせてくださいね。



飯高邸
飯高邸



最後にもうひとつ、ガンジーの言葉を。

明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学びなさい。



わが家
わが家



何だか今日は、朝から炭火のように燃えています(笑)。こういう日もあります。

さっ、熱い思いを込めて、設計設計!感動的な庭を生み出しますよ!