新築の外構&前庭です。
Before
プラン図のように、道路沿いに横入れしたクルマを縦入れのクルマが閉じ込めるカタチにすれば、正方形に近い庭スペースが確保できます。
もし常に2台とも出し入れしたいとなると2台を縦入れに並べるので、残った庭は2メートル50センチ×6メートルという長方形になります。
その余ったスペースを畑として使うなら問題ありませんが、ぼくが提案したい「過ごす庭」を設計するときにはかなり無理のある変則的な仕立てになるのです。
この配置によって壁の内部の「過ごす庭」のスペースが確保できました。
少々の不便さを受け入れていただいたことで、飯高さんご一家は「庭で過ごす暮らし」を手に入れたのです。
シエスタベンチのサイドテーブルはバーベキュー炉です。
反対側には木を植え、
お隣さんの窓の前には風通しよく、かつ目隠し効果のある木製パネルを設置。
水やりと洗車に便利なように、壁に2口の蛇口を取り付けました。
道路からでは想像もできない別世界が完成しました。
設計する敷地はクルマ3台を縦入れできる広さですから、ごくごく一般的に考えれば玄関前のクルマ1台分のスペースを駐車場兼玄関アプローチに使って他は庭にする、となります。しかしご要望は、クルマ2台を置けるようにしたいというものでした。
ぼくは瞬時に「できなくはないけど制約も出るなあ」と思い、一点お訊きしました。「クルマを2台停めたときに、1台は出られなくなってもいいでしょうか?」。
ぼくは瞬時に「できなくはないけど制約も出るなあ」と思い、一点お訊きしました。「クルマを2台停めたときに、1台は出られなくなってもいいでしょうか?」。
Plan A
プラン図のように、道路沿いに横入れしたクルマを縦入れのクルマが閉じ込めるカタチにすれば、正方形に近い庭スペースが確保できます。
もし常に2台とも出し入れしたいとなると2台を縦入れに並べるので、残った庭は2メートル50センチ×6メートルという長方形になります。
その余ったスペースを畑として使うなら問題ありませんが、ぼくが提案したい「過ごす庭」を設計するときにはかなり無理のある変則的な仕立てになるのです。
Plan B
駐車の利便性よりも「庭で過ごすことの楽しさ」を優先したいぼくとしては「1台は出られなくてもいいですよ」という返事を待っていました。
Plan C
期待通りの返事でした。いやあホッとしました。
というわけで、クルマ2台を縦と横に入れて、1台は閉じ込めて、目隠し塀で囲った庭スペースは「外の部屋」という、これまでいつも好評うを頂いているパターンでの提案となりました。
Plan C を右側から3分割します。
「クルマ2台分の駐車スペース」と「過ごす庭」という組み合わせで描いたプランを、とても気に入っていただけました。
ところが・・・。
3月11日、地震が起きました。翌日からテレビで伝えられる津波の映像、広がり続ける被害、そして原発事故。ぼくは呆然として、ただただ涙が流れる日々が続きました。
飯高さんのご主人から連絡が入り「こんな状況なので、ちょっと庭のことは時間を置こうと思うんですが」と。
・・・ぼくもそう思いました。
今考えるべきこと、判断しなければならないことが押し寄せてきて、それまでの平静な日常とは違う日々になっていました 。知り合いの安否確認、ガソリンの確保、計画停電、被災地への支援、放射能のことなど。不安はさらに広がって、これから日本はどうなってしまうのか、仕事は、食料は、家族は。
数ヶ月が経過して世の中がいくらか落ち着いてきた頃に「庭の打合せを再開したいんですけど」という連絡をいただきました。
うれしかったです。庭に意識が行くということは、震災のショックから立ち上がったということですからね。
直接の被災者でなくても、日本中の人が、みんな大きくダメージを受けました。
ぼくの心も揺れ続けていました。
そんな時に頂いた連絡で、救われた気持ちになりました。
「飯高さんご一家はたくましい」そう感じられたことは、同時に「うちのお客樣方は大丈夫、いち早く元気を取り戻してくれる」と感じ、庭がその役に立てるんだということを確信しました。
その日から設計作業に、火がついたように熱が入りました。
ところが・・・。
3月11日、地震が起きました。翌日からテレビで伝えられる津波の映像、広がり続ける被害、そして原発事故。ぼくは呆然として、ただただ涙が流れる日々が続きました。
飯高さんのご主人から連絡が入り「こんな状況なので、ちょっと庭のことは時間を置こうと思うんですが」と。
・・・ぼくもそう思いました。
今考えるべきこと、判断しなければならないことが押し寄せてきて、それまでの平静な日常とは違う日々になっていました 。知り合いの安否確認、ガソリンの確保、計画停電、被災地への支援、放射能のことなど。不安はさらに広がって、これから日本はどうなってしまうのか、仕事は、食料は、家族は。
数ヶ月が経過して世の中がいくらか落ち着いてきた頃に「庭の打合せを再開したいんですけど」という連絡をいただきました。
うれしかったです。庭に意識が行くということは、震災のショックから立ち上がったということですからね。
直接の被災者でなくても、日本中の人が、みんな大きくダメージを受けました。
ぼくの心も揺れ続けていました。
そんな時に頂いた連絡で、救われた気持ちになりました。
「飯高さんご一家はたくましい」そう感じられたことは、同時に「うちのお客樣方は大丈夫、いち早く元気を取り戻してくれる」と感じ、庭がその役に立てるんだということを確信しました。
その日から設計作業に、火がついたように熱が入りました。
Before 1
After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
縦入れのクルマが横入れのクルマの進路を塞ぐ配置、一見不便なようですが、常時2台のクルマが出入りするわけではなく、たまの来客時にだけの2台駐車なので大丈夫。お客様が来られる前に自分の車を横入れして、お客様にはバックで縦に入っていただけばいいのです。After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
この配置によって壁の内部の「過ごす庭」のスペースが確保できました。
少々の不便さを受け入れていただいたことで、飯高さんご一家は「庭で過ごす暮らし」を手に入れたのです。
Before 4
After 4
Before 5
After 5
After 4
Before 5
After 5
道路に面した庭スペースを「過ごす場所」にすることをあきらめてはいけません。
このうように目隠しをすることで、ちゃんとそこは「外の部屋」になります。
シエスタベンチのサイドテーブルはバーベキュー炉です。
この庭は、夜になるとさらなる別世界へと変身します。
またひとつ、素敵な庭が生まれました。地震で中断した庭への思いは消えませんでした
幸せを築くには強さが必要。
あきらめない強さ。ゆっくりとでも、ちゃんと立ち上がる強さ。
飯高さんご一家と出会えたことに感謝です。
幸せを築くには強さが必要。
あきらめない強さ。ゆっくりとでも、ちゃんと立ち上がる強さ。
飯高さんご一家と出会えたことに感謝です。
ぼくは飯高さんちの前を通るたびに、あの日のこと、あの日からのことを思い出しています。
それを書き留めておこうと思います。
それを書き留めておこうと思います。
地震が起こった直後、翌日の3月12日に驚くことが起こりました。
ただただ呆然としているぼくのところに、何組かの方が庭の相談、設計依頼に来られました。
テレビではすべてのチャンネルが津波と原発のことを流し続けていて、ガソリンスタンドには行列ができ、コンビニから食料が消えていたあのときに。
・・・お客様は日を追うごとに増え続けました。
日本中の人の気持が痛めつけられて、ちょっと触ると涙が流れるような辛いときに、庭に意識が行く人たちのことをあなたはどう捉えるでしょうか。
ぼくはその人たちに感動しました。
庭のことを考える時、人は笑顔になります。ご来店される人たちもみんな笑顔でした。
その笑顔の中に、ぼくはとてつもない強さ、心の底からの真剣さを感じ取りました。
その人たちはあの災害と対峙したときに、瞬時に「家族」を思ったのです。そしてすぐさま「暮らし」の防衛へと動きました。
防衛するのは食料や燃料ではなく「家族の幸せ」だったのです。
地震翌日に来られたご家族はおじいちゃんの在宅介護中でした。
若いお母さんには、はしゃぎまわるお子さんがいました。
福島の実家が心配で、早く両親を横浜に連れてきたいと話すご夫婦も来られました。
みんな、一時も早く、庭を「幸せな場所」として確保しておきたかったのです。
庭って・・・家族って・・・。
ただただ呆然としているぼくのところに、何組かの方が庭の相談、設計依頼に来られました。
テレビではすべてのチャンネルが津波と原発のことを流し続けていて、ガソリンスタンドには行列ができ、コンビニから食料が消えていたあのときに。
・・・お客様は日を追うごとに増え続けました。
日本中の人の気持が痛めつけられて、ちょっと触ると涙が流れるような辛いときに、庭に意識が行く人たちのことをあなたはどう捉えるでしょうか。
ぼくはその人たちに感動しました。
庭のことを考える時、人は笑顔になります。ご来店される人たちもみんな笑顔でした。
その笑顔の中に、ぼくはとてつもない強さ、心の底からの真剣さを感じ取りました。
その人たちはあの災害と対峙したときに、瞬時に「家族」を思ったのです。そしてすぐさま「暮らし」の防衛へと動きました。
防衛するのは食料や燃料ではなく「家族の幸せ」だったのです。
地震翌日に来られたご家族はおじいちゃんの在宅介護中でした。
若いお母さんには、はしゃぎまわるお子さんがいました。
福島の実家が心配で、早く両親を横浜に連れてきたいと話すご夫婦も来られました。
みんな、一時も早く、庭を「幸せな場所」として確保しておきたかったのです。
庭って・・・家族って・・・。
震災をきっかけにして、庭を単に植物を植える場所、眺める場所と捉える時代が終わり、庭に「家族の幸せ」という新たな価値を求めるようになるとすれば、それは日本人の進化です。・・・そうなってほしい。
日本中の庭から笑い声が聞こえてくる日が、いつかきっと。
ぼくは津波によって奪われたたくさんの命に、流されたたくさんの涙に、そんな明日を約束しました。
日本中の庭から笑い声が聞こえてくる日が、いつかきっと。
ぼくは津波によって奪われたたくさんの命に、流されたたくさんの涙に、そんな明日を約束しました。
人間は忘れやすい生き物です。それは生存のために備わった能力です。でも忘れたくないですね、あの時のこと。
あなたは誰のことを案じたでしょうか。あの日気付いた自分の掛け替えのない宝物を、大事に大事に抱えながら生きていきましょう。
飯高さんちの本編はこちら→飯高邸(2011年9月27日~10月23日)あなたは誰のことを案じたでしょうか。あの日気付いた自分の掛け替えのない宝物を、大事に大事に抱えながら生きていきましょう。
ブロック塀の高さは何センチくらいなんでしょうか?
仕上げ塗材はジョリパッドですか?
教えて頂けないでしょうか。