庭の相談をお受けしていて最も多いのが「雑草取りを楽にしたい」ということです。皆さん日々庭の雑草が気になり、雑草取りが苦労の種になっているんですよね。
「雑草を生やさないために庭をコンクリートで埋め尽くしたい」というご要望も多くあります。雑草だらけになった庭をため息ついながら眺めていると、そんなふうにしたら楽だろうなあと思うのでしょう。
まあそれでもいいんですけど、もうひとつ、逆転の発想での画期的方法がありますのでお教えしましょう。
庭を植物で埋め尽くしてしまえば、雑草が生える余地がなくなる。
自分が植えた植物がはびこって土が見えない状態にしてしまえばいいんです。
そこまで育てるのに多少の時間はかかりますが、いったんそうなってしまえば、この方法がいかに楽かが実感できると思いますよ。
今福さんちの庭はご覧の通り植物だらけです。
これでいいんです。
芝生はガッチリと育って雑草は見当たりません。散水と芝刈りを繰り返して根っこが密に絡むことで、雑草は生えることができなくなります。
草花も、踏み石にかぶさってくるほど成長しています。
こうなると草花が可愛くて雑草は小さいうちに引っこ抜くことになりますから、根も張っていないし、種が飛んで四方に広がることもありません。
この手法で庭を植物で埋め尽くしてしまえば雑草取りなど苦にならない、ほとんど意識に入らない程度のことになります。
一生懸命に雑草を取って土を露出させると、その日当りのいい好環境にまた雑草は生えてきます。雑草を抜きながら、実のところ次の雑草の生育環境を整えているわけです。
苦労(雑草)の種っていうのはそういうもので、それを排除してもまた次の種が発芽してくる。取っても取っても出てくる苦労なら、いっそそんなことは忘れて楽しいことに時間を使った方がいい。
雑草のことなんか気にしているよりも、次は何を植えて花咲かせようかと考えることに頭を使った方がいいんです。
気に病むと繰り返される、ということがあります。
かさぶたをはがし続けている限り傷は治りません。
もうひとつ、言葉の呪縛ってこともあります。
「雑草取りが大変で」と愚痴ったら、もうそれで庭は「雑草取りが大変な厄介な場所」としてインプットされてしまって、その自己判断の正当性を保持するために、あなたはさらにそう言い続けることなります。
無意識に、人は発した言葉に捕われの身になってしまうという思考のクセを持っています。
そうやってますます庭は厄介な場所にされてしまう。何気ない愚痴が現実になってしまうという悲しい展開が待っています。
どうせだったら夢を口にした方がいいですよね。理想の庭を思い描いて、その夢の世界を「こんな庭になったら幸せだろうなあ」と口にした方がいいのです。
だまされたと思ってやってみてください。驚くほど早く、その言葉が現実のものになりますから。
「雑草取りが嫌だから庭中コンクリートにしたい」というお客様にいつも話すことです。
雑草取りの苦労はマイナス域の事柄です。その苦労をなくすためにコンクリートの庭にしても楽しくなるわけじゃないでしょ。それはマイナスからプラマイゼロに近づくだけで、相変わらず庭はマイナス域のままなのです。
そんな庭、マイナスナだけの庭なんてない方がいいじゃないですか。そんななくてもいい場所にお金を使ってコンクリートを流し込むなんてもったい。
お金はプラス域のことにだけ使いましょう。
それに続けて、その庭をどうやったら雑草取りが楽になりつつ楽しい場所にできるのかを考え話します。
このプロセスを経て素敵な庭を実現したお客様は、数えきれないほどいらっしゃいます。
庭はプラス域の場所にならない限り価値を持ちません。
それに気付かずに庭を仕立ててしまうと、どんなにお金をかけてもその実態はマイナス域のままですから、庭に感動することもなく、庭があるから幸せだと感じることもないままで、やがて「雑草取りが大変な庭」になってしまうのです。
ああ、悲しい悲しい。
「自分が植えた植物で埋め尽くす」に加えて、「人は発した言葉と出会う」「庭はプラス域の場所にならないと価値を持たない」この3つのことを憶えておくと「雑草取りが大変で」という言葉は出なくなりますよ。
そもそもですね、雑草取りが大変って思うこと自体に問題があり。
庭がプラス域にあるとき、もっと言えばあなたの精神がプラス域のあるとき、雑草取りはこの上なく楽しい作業です。
これホント。ぼくは大好きですよ雑草取り。
早めに帰宅できた日にすぐに庭に出て、ビールをグビッとやって雑草を引っこ抜く、贅沢な時間です。
もしもあなたの庭がマイナス域にあって雑草取りが大変なら、取るべき行動はふたつ。
マンションに引っ越すか、あるいはぼくに連絡してください。
いやマジで。
庭をマイナス域の場所にしておくなんて、人生上の大きな損失ですからね。
まあそれでもいいんですけど、もうひとつ、逆転の発想での画期的方法がありますのでお教えしましょう。
庭を植物で埋め尽くしてしまえば、雑草が生える余地がなくなる。
自分が植えた植物がはびこって土が見えない状態にしてしまえばいいんです。
そこまで育てるのに多少の時間はかかりますが、いったんそうなってしまえば、この方法がいかに楽かが実感できると思いますよ。
過ごす場所以外、ほぼ植物に埋め尽くされています。
芝生はガッチリと育って雑草は見当たりません。散水と芝刈りを繰り返して根っこが密に絡むことで、雑草は生えることができなくなります。
草花も、踏み石にかぶさってくるほど成長しています。
この手法で庭を植物で埋め尽くしてしまえば雑草取りなど苦にならない、ほとんど意識に入らない程度のことになります。
苦労(雑草)の種っていうのはそういうもので、それを排除してもまた次の種が発芽してくる。取っても取っても出てくる苦労なら、いっそそんなことは忘れて楽しいことに時間を使った方がいい。
雑草のことなんか気にしているよりも、次は何を植えて花咲かせようかと考えることに頭を使った方がいいんです。
気に病むと繰り返される、ということがあります。
かさぶたをはがし続けている限り傷は治りません。
傷を気にすることをやめて他の楽しみに夢中になっているうちに、いつのまにか傷は消えているものです。
「雑草取りが大変で」と愚痴ったら、もうそれで庭は「雑草取りが大変な厄介な場所」としてインプットされてしまって、その自己判断の正当性を保持するために、あなたはさらにそう言い続けることなります。
無意識に、人は発した言葉に捕われの身になってしまうという思考のクセを持っています。
そうやってますます庭は厄介な場所にされてしまう。何気ない愚痴が現実になってしまうという悲しい展開が待っています。
人は自らが発した言葉と出会う。
アドガー・ケイシー
どうせだったら夢を口にした方がいいですよね。理想の庭を思い描いて、その夢の世界を「こんな庭になったら幸せだろうなあ」と口にした方がいいのです。
だまされたと思ってやってみてください。驚くほど早く、その言葉が現実のものになりますから。
雑草取りの苦労はマイナス域の事柄です。その苦労をなくすためにコンクリートの庭にしても楽しくなるわけじゃないでしょ。それはマイナスからプラマイゼロに近づくだけで、相変わらず庭はマイナス域のままなのです。
そんな庭、マイナスナだけの庭なんてない方がいいじゃないですか。そんななくてもいい場所にお金を使ってコンクリートを流し込むなんてもったい。
お金はプラス域のことにだけ使いましょう。
それに続けて、その庭をどうやったら雑草取りが楽になりつつ楽しい場所にできるのかを考え話します。
このプロセスを経て素敵な庭を実現したお客様は、数えきれないほどいらっしゃいます。
それに気付かずに庭を仕立ててしまうと、どんなにお金をかけてもその実態はマイナス域のままですから、庭に感動することもなく、庭があるから幸せだと感じることもないままで、やがて「雑草取りが大変な庭」になってしまうのです。
ああ、悲しい悲しい。
そもそもですね、雑草取りが大変って思うこと自体に問題があり。
庭がプラス域にあるとき、もっと言えばあなたの精神がプラス域のあるとき、雑草取りはこの上なく楽しい作業です。
これホント。ぼくは大好きですよ雑草取り。
早めに帰宅できた日にすぐに庭に出て、ビールをグビッとやって雑草を引っこ抜く、贅沢な時間です。
もしもあなたの庭がマイナス域にあって雑草取りが大変なら、取るべき行動はふたつ。
マンションに引っ越すか、あるいはぼくに連絡してください。
いやマジで。
庭をマイナス域の場所にしておくなんて、人生上の大きな損失ですからね。