25歳で東京に出てきて、最初に勤めた造園会社は皇居のお堀端、半蔵門の目の前にありました。そこは東京の中心、ぼく的には日本のど真ん中で働いているんだという感慨がありました。
まだスーツを一着しか持っていないような(それも浅草の出店で買った上下5千円のもの)正真正銘の田舎者のぼくには、もう見るものすべてがドキドキするような、夢の世界に迷い込んだような状態でした。



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入社して、いきなり仕事が忙しく、休日出勤した日のことです。
いつもとは違う閑散とした通りの歩道を、一組の外国人の老夫婦が歩いていました。逆光気味に、穏やかな春の日を浴びて、手をつないで顔を見合わせ話しながら歩くその姿が、まるで欧米の映画を観ているように素敵に思われました。
「ぼくもいつかこんなふうに、目を見合わせて歩くパートナーと巡り会いたい」と思ったものです。その美しいシーンは今でも鮮明に記憶しています。

時は経ち、すてきなパートナーと幸せに暮らすことができているわけですが、ふと思うと、ぼくは女房と目を合わせるということが少ないことに気づきました。あの日憧れた老夫婦の様子とはちょっと感じが違います。



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庭で読んでいた本に面白いことが書いてありました。それは「白目が大きく露出しているのは人間だけ」というものです。
人間だけが白目の中に黒目があって、つまりこれはその人がどっちに視線をやっているかが、他の人に明確にわかるということになります。
何で人間だけがこんな進化を遂げたのか、それは相手に自分の意志を明確に伝えることで成り立つ、高度なコミュニケーションを身につけた結果であるといえます。
他の動物にとって目が合うということは攻撃を予知させる緊急事態です。人に近いチンパンジーであってもそうです。すべての動物は極力目を合わせないように、視線を曖昧にしながら争い事を避けて暮らしています。

「相手の目を見て話しなさい」って言いますよね。あれ、どう思います?
面接のときや目上の人に教えを請うときなどには、しっかりと目を見て話しますけど、通常はあまりそういうことってないですよね。ジッと目を見るって、やっぱり攻撃的なんですよ。いやでしょ、コンビニの店員さんに、こっちの目から視線を外さずに応対されたら。



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白目が多くて視線の行く先が相手にわかるって、実はとても厄介なことなわけです。
若い人のコミュニケーション能力が低下しているということがよく言われます。ぼくはそんなことはなくて、年齢に関係なく、コミュニケーションは高度で難しい能力なんだと思っています。
もしも若い頃に「相手の目を見て話しなさい」と言われたことをずっと気にしているなら、それはたぶん間違い。
白目が多い三白眼は、人相学的には凶相とされていますよね。見つめられたときの印象が強すぎて、相手が不快に思うからでしょう。
逆に「黒めがちの美人」というように、白目の面積が少ない人は魅力的だと言われます。目が合ってもどこを見ているのかよくわからないので、不思議な神秘的な印象を与えるのです。
若い女性がさかんにカラーコンタクトで黒目を大きくしているのは、生物学的異性獲得戦略、というわけ。

つまり、良好なコミュニケーションをはかるために注意しなければならないのは、目を見すぎないようにすること。
会う人会う人の目を見る人がいたら、きっとすぐに災難に巻き込まれます。けんか売ってんのか!ってなりますからね。



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ではなぜ、人類が高度なコミュニケーションを持つに至ったことで出現したのが白目の多さなのに、そのことで際立つ相手の目への視線がコミュニケーションの弊害となるのか。
ふたつのことが言えます。
ひとつは相手の目を見続けるのではなくて、見たりそらしたり、足元へ視線を落としたり、遠くを見つめたりすることによって相手に好印象を与えるというのが、正しい視線の使い方であるということです。
もうひとつ、欧米人と日本人の違いがあります。
半蔵門で見た素敵な老夫婦のように、欧米人(狩猟民族系)は比較的ストレートにパートナーとの関係性をはかります。それはある意味闘争でもあるわけです。喧嘩じゃないけど、好きは人の心を獲物を狩るように我がものにしようとする。
日本人はというと、そうではありません。もっとナイーブです。農耕民族ですから、花を育てるように、あわてることなくジワジワと関係を構築していきます。だから目を見るなどということは、プロポーズとか、ここぞというときだけ。普段は横に並んで、見つめ合うよりも、ふたりで同じ夕焼けを眺めるみたいなスタンスなのです。

日本人同士は、相手の目を見て話してはいけない。

目を見なくても好意が伝わる視線の技術を身につけましょう。
これまで言われ続けた「ちゃんと目を見て話しなさい」という手法よりも、ずっと簡単で効果的だと思いますよ。



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というわけで、ぼくが女房とあまり視線を合わせないのは、良好なコミュニケーションのための日本人的能力ということになります。

決して、女房が怖いからではありません。

・・・決してそうではありません。