昨日に続いて、今日もフェイスブックで見つけたネタです。



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以前、弘法大師空海が持ち帰った異色の経典「理趣経」の現代語訳を取り上げましたが、今日のはもっとメジャーな、たぶん最も良く知られているお経である「般若心経」です。
知られていると言っても、その中身を知る人は少ないですよね。
まかはんにゃはらみたしんぎょうかんじざいぼさつ・・・・しきそくぜくう くうそくぜしき ・・・・
ぼくもこれくらいしか知らず、内容については断片的な知識しか持ち合わせていませんでした。



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見つけたのは「般若心経 現代語訳」。
これが、おもしろいおもしろい。ただ、訳した人のウケ狙いが過ぎたのか、いささか文章が荒れていました。
そこで、ぼくがリライトしました。
内容が変質しないように注意を払いつつ書き直した、「超訳 般若心経」です。



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ものすごく楽になる方法を教えてあげようか。これを知れば、誰でも幸せに生きられる。
苦しみも辛さも全て幻なんだからさ、安心して、もっと力を抜くことだよ。

この世ってのは空しいもんだ。
空しいってわかる?痛みも悲しさも最初から空っぽだってことだ。
それとね、この世は変化し続けている。だから苦を楽に変えることもできる。
汚れることも、背負い込むこともあるけど、それを捨てることだってできるじゃないか。

この世がどれだけいい加減なもんか分かったかい?
だから苦しみとか病気とか、そんなもんにこだわるんじゃないよ。
雑音にいちいち心を奪われてはいけない。
味や香りだって感じ方は人それぞれ、何のあてにもならないもんだよ。
揺れる心に捕われちゃだめ。何ものにも捕われない心を「無」って言うんだ。
生きてりゃ色々あるから、辛いものを見ないようにするのは難しい。
でもね、そんなものはその場に捨てていけばいい。

先のことなんか誰にも見えないんだから、無理して先を見ることはない。
見えないことを楽しめばいい。それが生きてる実感ってもんだよ。
正しく生きるのは難しくても、明るく生きることだったら誰だってできるじゃない。
苦しんで生きる必要なんてない。楽しんで楽しんで、楽しみまくって生きることが菩薩への道。
少々不安はあるかもしれないけど、それだってね、楽しく生きるのに役立つことなのさ。

でも勘違いしちゃいけない、非情になれって言ってるんじゃないからね。
夢や空想や慈悲の心は忘れちゃいけない。それを持ってさえいれば、涅槃はどこにでもある。
生き方じゃなくて、受け止め方を変えればいいんだよ。
楽に楽しく、心に余裕を持っていれば、誰でもお釈迦様になれるんだ。

いいかい、次の短い言葉を覚えておきなさい。
意味がわからなくてもいい。そんな細かいことはいいから、とにかく覚えておきなさい。
そうすれば苦しみは小さくなる。
嘘だと思うかもしれないけど、いいじゃない、それで苦しみが消えるんなら。

いいかい、いくよ。

唱えよ
心は消え
魂は静まり
全てはここにあり
全てを越えたものなり

悟りはそのとき叶うだろう
全てはこの真言に成就する

前置きは忘れてもいいからさ、この般若(悟りの智慧)だけは覚えて唱えてくれよ。

心配しなくていい、大丈夫だから。




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こうして現代風に書いてみると、ブッダの時代の悩みとその解き方は、今と何も変わっていないんですよね。
いろんな苦悩に煩わされることなく、心軽やかに人生を楽しむことが大事。これが普遍的な理想の生き方だってことかもしれません。






昨日は54歳の誕生日でした。
たくさんの方からお祝いの言葉をいただき、うれしさを通り越した感動を味わいました。
新潟から出てきたときには誰も知り合いがいなくて、ひとりってのは本当にひとりなんだなあと感じたものです。
こうして誕生日を祝ってくれる友人たちに囲まれていることが、自分的には奇跡のように思われます。
これからも、ただひたすらに、幸せに寄与する庭を思い描き続けようと、あらためて決意することができました。
ああでもないこうでもないと迷いながら、ああだこうだと悩みながら書いているブログですが、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

いや〜ほんと、幸せな一日でした。
感謝!です。