世の男性の人生観には、ざっくりと2つのタイプがあります。
自分のために生きている人と、他の人のために生きている人です。
社会的なことで言うなら、自己実現とか自分の夢を追うことに生きがいを持っている人と、他者や世の中の役に立てることに生きがいを持っている人に分かれますし、家庭だと、暮らしの中心に自分を置いている人と、連れ合いや子どもや親のために暮らしている人に分かれます。



夏の到来を予感させるアガパンサスの花は、
梅雨明けとともに一斉に枯れてなくなります。
雨続きで塞ぎがちなたくさんの人を
晴れやかな気持にさせて、
見事に役割を終えて
消えて行く姿もすてきなものです。
かくありたし。
で、ぼくの役割は・・・

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ぼくはよく女房に「あなたのために生きている」と言います。言うだけでなくて、本心からそのように思っているというか、思うように決めているのです。
それに対して女房は、きっぱりと、「あらそうなの。私は犬たちのために働いて自分のために生きてるけど」と言い、言うだけでなく、まったくそのように行動しています。



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ぼくは女房を思い、女房は犬と自分を思う。女房 > 犬 > ぼく、わが家のヒエラルキーは明確です。
いいんですこれで。これがひとつの理想のカタチ。
なぜならうちの女房に限らず、女性というのは太古の昔の石器時代からそういうものであり、それにかしづいて奉仕することが男性の役回りだったのですから。
ちなみに、日本の総氏神である天照大神は女性です。

男女平等社会なんてとんでもない。
人類の歴史をたどると、女尊男卑こそが本来あるべき姿。




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ではぼくとは違う「自分のためタイプ」の男性がなぜ出現したのかというと、それは世の中が豊かになったからです(近代ではなく古代のお話ですけど)。
女房に尻を叩かれてはマンモスやら木の実やらの食料を確保に出かけていた男たちが、やがてスキルアップしていって、やたらに獲物が捕れるようになって、それを男同士で交換したり蓄えたり、貸したり返したりして、社会システムができ上がり、そんなにがむしゃらに働かなくても食料を持って帰れるようになりました。
そこに生まれた空き時間が、男たちに「夢を追う」とか「男のロマン」とか、そういう余裕の産物を芽生えさせたのでした。



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夢を追う男の姿っていいですよね。ぼくもそうありたいと思っています。
でも、でもです、最初に書いた2つのタイプのうちの、自分のために生きている方の男には、夢を追うことはできてもなかなかそれを実現させることは難しいのです。
希に夢が叶ったとしても、その先にはすぐに転落の道が用意されている。
プロスポーツ選手や歌手やお笑い芸人を見ていると、「ファンのため」「家族のため」「仲間のため」と思ってプレイしている人が栄光をつかみ、そうじゃない人は引退後も含めて茨の道を歩んでいるように思います。
一般の商売や会社経営でも同じです。

男が大きな夢を実現させるには、根源に「誰かのため」が必要。



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男性は女性のために生き、女性は自分のために生きる。
これから時代がどうのように変化しようとも、旧石器時代から200万年も受け継がれてきたこの掟に変更はないと思われます。 



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だからぼくは女房に「あなたのために生きている」と言っているのです。
それは男(オス)としての道を誤らないための宣言であり、我が身を護る安全策でもあるのです。
ぼくが自分勝手な夢に走って家族を不幸にしないために、稼ぎが悪くなったときに家から追い出されないために、女房がいつまでもぼくに興味を持って、ぼくを励まし、一緒においしいご飯を食べてくれることを願いながら、「あなたのために生きている」と、繰り返し繰り返し呪文のように唱えています。

この話、明日に続きます。
余裕の産物「男のロマン」に対して、女性たちが取った行動が凄い!
そんなことを書きます。