突然ですが、今日は盲腸のお話です。
ぼくが子どものころ、盲腸は「無くてもいい蔵器」と言われていました。
でもそれって、どうやら違うらしいのです。



今日は赤い花で。
夏は他の季節にくらべて赤い花が多いのです。
熱いときには情熱的に生きよ!
というメッセージのように思えます。

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盲腸の中にはセルロースを分解する最近が住み着いています。
セルロースとは草の中にある分解されづらい繊維素で、それを分解して栄養素に変換してくれるその細菌のおかげで、パンダやマウンテンゴリラは笹を食べて生きていられるのだそうです。
ぼくらは笹を主食にしているわけではありませんが、きっといくらかは盲腸内のセルロース分解細菌が有効に機能しているに違いありません。

この世に何ひとつとして無駄なものは存在していない。

今後、草食系男子が増えて行くと、もしかしたら盲腸の重要性が増してゆくかもしれませんね。



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最近の研究で、盲腸のもうひとつの役割が明らかになりました。
盲腸内にはたちの悪い雑菌がつまっています(虫垂炎で破裂すると、それが体内に噴き出して命にかかわる事態を引き起こします)。
その悪の巣窟から極悪人たちが外に出ないように、アジトは毛布状のシートのような物質で覆われているのですが、なぜかそのシートには小さな穴があって、毎日その穴から数人の悪党が体内へと這い出しているのだそうです。
何で盲腸が、そんなセキュリティーが甘い状態のままで代々受け継がれ存続してきたのか。
そこにもちゃんと理由があるのです。
日々盲腸から抜け出してくる脱獄囚を取り押さえることが習慣化することで、全身の防犯体制が鍛えられ、緊急事態にも対応できる治安維持能力が身に付くのだそうです。いわば防犯訓練です。

少しの悪者がいることで、悪への対応力が養われる。



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サムシング・グレートは極小の世界と巨大な世界に同じプログラミングをしますから、細胞世界や人体の仕組みが、そのまま人間社会や自然界や地球運営システムにも当てはまります。
だから世の中には昔から悪人がいて、「浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」となっているわけです。



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ということは、つまり、「悪のない社会」などというのは幻であり、そんな幻想を追うのではなくて、「悪ある社会をそう生きるか」と考えるのが正しい立ち位置なんだということになります。

悪の根絶は幻想。

そもそも誰の心にも悪~い顔をした自分が同居していますし、法に触れない程度の悪事になら、ついつい手を染めてしまうこともあるわけですから。
そう思えば悪を根絶やしにしようというのは自滅行為ですし、潔癖な正義感や主張はあまり好ましいことではないのかもしれません。
原理主義のような極端な正義や、左右に振れた立ち位置から聞こえてくる正論などは、とかく大きな悲劇へと展開しがちですしね。



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神様は全体の幸福のために、適度に悪を用意している。

これは庭についても同じです。
多くの人が忌み嫌う雑草取りも、実はそれも含めたところに庭があることの幸せを感じられるものですし、病害虫や蚊がいることも、それが季節を感じさせてくれたり、自然との付き合い方を教えてくれるきっかけになります。



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悪との対峙の仕方が重要。

悪ある世界をどう生きるのか、いかにして悪の魔の手に捕われないようにするのか。
油断は禁物。


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盲腸の話から人生論に展開しました。
庭でもの思うと、なぜかいつもこうなっちゃうんだなあ(笑)。