最近女房がとても穏やかです。ぼくへの当たりが柔らかく、ちょっとした気遣いも見せてくれます。



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恐ろしいのです。
頭の中に「嵐の前の静けさ」という言葉と、ありとあらゆる不安材料が渦巻きます。
いったい何があったんだろう、何を感づかれたのか(じゃなくて、何を誤解しているのか) 、何を企んでいるのか、もしかしたら何か腹をくくったのかもしれないと。



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数日が経過してもその穏やかな様子は変化せず、最初は緊張していたその空気に、徐々に安らぎを感じるようになってきました。



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庭に出て、ふと思いました。
もしかしたらぼくをあきらめてくれたのかもしれない。
いや、あの、具体的にどうこういうことではなく、ぼく全体に対する期待をあきらめが上回ったんじゃないかと。



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「あきらめ」というと悪いことのようですけど、そうではありません。ぼくはこれを待ち望んでいました。

期待が大きいほど失望も大きい。

ずうっと一緒に暮らして仕事も一緒なわけですから、そりゃあ失望もしますよ。
でもねえ、いくら尻を叩かれても・・・・ありがたいことではありますが。
それに期待はたびたび依存になりますしね。
お互いに、相手に寄りかからないと立っていられない状態の時に不満が爆発するのです。



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ぼくは庭を楽しむたくさんのご夫婦から学んだことの中で、大事に大事に、懐にしまい込んでいることがあります。

期待が打ち砕かれ、希望がかき消された後に、本物の愛情が育ち始める。

子どもが巣立った後、仕事をリタイアした後、双方の親を見送った後、どちらかが病に倒れた後、苦難の波を乗り越えて訪れた凪の日に、かすかに吹く風があります。
それは涼やかなあきらめの風。
楽しかったことも辛かったことも、後悔やしくじりや、悲しい出来事も全部受け入れて、「一緒にここまで来れてよかったよ」と思える風。
それを額に感じながら、二人三脚がへたくそなふたりが「あんたもおれも傷だらけだけど、おれたち、けっこうがんばったよなあ」と、遠くの空を見るとも無しに見て、そこには走馬灯のように思い出が流れてゆく。
ああ・・・・。



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おっといけねえ、果てしなく妄想してしまいました(笑)。
そうそう、女房が穏やかだという件です。
経験上たぶんそうは長くは続かないと思うんですけど、
でもそうじゃないとすると、これは彼女の中の進化なんですよね。
お互いに相当の進化を遂げて今に至っているので(最低の出来そこない夫婦は、一応世間並みの夫婦らしいところまで来れました)、その可能性がないとは言えません。
おっとっと、これがいけないわけです。期待は失望の元なので、平常心でこの事態を静観しなければ。
まあとにかく、ありがたいことではあります。

嵐もあれば凪もある。
また来る嵐も、きっと乗り越えられる。

自立が依存を上回ったとき、感謝が不満を上回った時に吹く涼やかな風。
いや〜、夫婦って、いいもんですね。



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今日は女房の誕生日。
ここまで一緒に歩いてくれたことを感謝して、これからもよろしくという思いを込めて、プレゼントを用意しようと思います。





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まだ看板がついていないんだけど、間に合うんだろうか(笑)