『待つ』

季節は待ちわびていた人のところにやってきます。


庭にストーブを出して過ごした長い長い冬があり、
ようやくやって来た春に歓喜していたら、
もうモッコウバラは終わり、
菜の花も終わり、
エゴノキも咲き終わってしまいました。
春は一気に加速してぼくを追い抜いてゆきます。
気付けばもう麦の秋。
次の楽しみはアジサイと、
雨音を聴きながらの庭での読書。

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会いたい、会いたい、会いたいと思う気持ちに、庭の自然はいつも感動的に応えてくれます。



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その日を信じれば、じっと待っていられる。



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思いは待ち時間の中で愛情へと熟成されてゆくもの。



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「待っててよかった」と、庭は繰り返しそう思わせてくれる場所です。






何でもスピードアップして、便利になって、「お待たせしません」が普通になりましたが、庭はそうはいきません。
地球の時計に従った世界では時期が来なければ花は咲かないし、時間をかけなければ実は熟さないし。

思い起こせば昭和時代、みんなとても辛抱強く待ってましたよね。
コンビニもパソコンも携帯もなく、ご飯の時間を待ち、郵便屋さんが来るのを待ち、漫画の発売日を待ち、セメダインが乾くのを待ち、キュウリが漬かるのを待ち、井戸のスイカが冷えるのを待ち、正月や夏休みを指折り数えて待ちました。
まるで待つことが暮らしそのものだったような気さえします。

果報は寝て待て。
待つ間が花。
桃栗三年柿八年。

庭時間は今も昔のまま。

待つ人の思いが積み重なった庭は、味わい深いものです。