「家族の庭」をテーマに据えているぼくは、これまで何度か独り暮らしの方の庭も手がけてきました。
その場合もテーマは変わることなく、変える必要もなく。
凛とした笑顔の人たちはカーテンを開けて、庭に新たな楽しみを見つけ、暮らしは外へと広がってゆきました。

ひとりになりたくない、いつまでも家族と過ごしていたい、いつもつながって、触れ合って、喜怒哀楽を共有してたいという思いは誰にでもあるものです。
ぼくももちろんそうで、それが人一倍だからだと思うのですが、パソコン画面に見つけたこの一行が胸に響き、波紋が、今あるしあわせと覚悟みたいなものが脳内に満ちてゆきました。

豪華な孤独に初秋の陽が光を添えている。

これは山梨の山中にある工房で独り暮らしをしているゲージツ家のつぶやき。
単独で真っ直ぐに立っている人の、どっかりと腹の据わった日常が、山の秋空のように清々しく感じられました。

ぼくが拾い集めた、孤高のナチュラリストのつぶやきを並べます。

茶は独りがいい。
一話読み終えるたび、一服点てたくなる。


サブかった。サブい筈だ。十月のシチーではあっちこっちで発表会やらが行われているようだがオレは山岳にて幽閉中。今日もマイペースの地味をコツコツと。


サブいドングモリ。今日は日がな版画日。


十三夜を眺めていた真夜中、ワインを飲みたくなって、薪ストーブに火を入れた。〈ココ・ファーム〉の『月を待つ』をゆっくり。好物のホヤを刻んで wine ビギナーは、牝鹿の髑髏をなぞっているうちに一本空けてしまった。囲炉裏端でウトウト・・・。よく眠った。


土踏まずの山岳ジカン。当てのない木版を彫り、当てのない短編を書いているとたちまち暦がめくれ、久々に青空が占めていた。


日に日に気温下がって柿は色づいて。


昨夜の明け方の風はスゴかった。ベランダの肉厚植物の鉢類や箒、塵芥の類いまで飛ばされた。
台風一過の甲斐駒ケ岳絶景。


また無言ヒト断ちの日に戻って夕方の独りっ茶。ヒヨコマメを煮て一休み。また踏ん張る。


昼から鉄工所に入り浸り。十一月一日から『骨風』稽古入りだし、その前にオッカサンの骨壷も墓に納めに行かにゃならんし。
ついにオレの手が動き出した!



オッカサンの言いつけ通りに残り少ない家族で、お棺にはせめての〈華厳唯心偈〉の写経と、閉店間際の花屋で買った目一杯の花も納め祭壇もない最低限の葬式を済ませて火葬場へ。そして戒名も無い本名のままの骨壷をオヤジと旅行者だった弟が入っている墓へ無事に納めた。ドンヨリ肌サブいソラに線香の煙が溶け込んでいった。
サイナラ。



また来る。せめて富士山が見えた時は何処からでも手をあわせるから・・・暗くなった霊園を後にした。


打突台にて竹刀振りで汗をかき、まずは独りっ茶をゆっくり楽しんだ。今宵は〈光のデッサン〉を描く。


空気がいっそう澄んで秋晴れ。




四分一(しぶいち)カーブ、クロソイド曲線、
バーチカルカーブ、sin・cos・tan 。 
社会での出自が土木施工管理技士だったため
ぼくはカーブオタクなのです。
道路や護岸に素敵な曲線を見つけると
ひとりニヤニヤと。

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おかげで来し方のわが道も、
これでもか!と曲がっています。
けっこう美しい、長く曲がりくねった道。 



そろそろ見送ることが多い年齢になってきました。
同時に時々は、自分がおさらばするときの気の利いたセリフも考えたり。
そこに行くまでにもしも孤独になっても「それがどうした」と、ひたすらに庭を思い描く日々を送れたらと思っているのです。





今日は「港南台店」で、「家族の庭」をコツコツと。