共存すれば共栄する。
あらゆる植物は、とても慎重に周囲を気遣いながら暮らしていて、自分だけが栄えればいいという態度の者は見当たりません。地中では根の張り具合の間合いをはかり、地上では太陽光の受け方を調整しあっています。
時々は傍若無人に勢力を拡大しようとする乱暴者が出てきますが、興味深いことに、必ず何かしらの作用が働いて滅んでしまいます。
その様子は例外を許さない絶対的なもので、きっと神の差配なのでしょう。
3億5千万年前、地上が裸子植物(スギ、イチョウ、ソテツ、ヒノキなど)の森だった頃のことです。恐竜たちはその木々を片っぱしから食べ尽くしながら繁殖し、亜種を増やし、鎧をまとったり首が長かったり、翼を持つ者まで出現する多様な繁栄をしていき、地球は恐竜の星となりました。
食い荒らされて危機に瀕した植物は堪りかねて革命を起こしました。花を咲かせる被子植物へと変化することで受粉のサイクルを早めるとともに小型化し、森を草原化させて、ただただ貪り食われるだけの恐竜との縁を断ち切ったのです。
革命に勝利した植物たちは、受粉を手助けしてくれる昆虫(最初は花粉が好物のコガネムシ)との幸せな互助関係を築き、その蜜月は今も続いています。
一方、縁を切られた恐竜たちは、巨木の森が減るにつれ飢えて滅んでゆきました。細々と生き残った数種類は針葉樹の森が残る北方へと追いやられました。
そんな時期に、弱り目にたたり目。かつて繁栄にあぐらをかいた「恐竜ファースト」が過ぎたことへの天罰だったのか、直径10kmの隕石が、ドカーンと。衝撃で舞い上がった粉塵が空を覆い尽くして太陽光が遮断され、地上は氷河期のように凍てついて、1億6千万年続いた恐竜たちの歴史は幕を閉じたのでした。
今から4億年前、水の星に陸地が出現すると、
海中の藻は海岸に打ち上げられて
次第に陸地へと生息域を拡大してゆきます(シダ類)。
その後5千万年をかけて、シダは内陸へ進出するために、
胞子を水に乗せて運ぶのでははなく
風に舞わせる方法(風媒)をあみ出し、
やがて陸地は木々で覆われました。
裸子植物(ソテツやマツなど)の森です。
裸子植物は受粉に半年から1年もかかります。
裸子植物は恐竜たちに食い荒らされたこともあり、
もっと早く受粉する手段として
「花」を咲かせるという革命的な進化を遂げました。
それが被子植物です(数分から数時間で受粉します)。
花に集まる昆虫に食事を振舞って花粉を運んでもらう
そのシステムから、
動植物の世界に「互助」という概念が生まれました。
そしてその幸せな営みが知恵を育んでゆき、
姿形や性質が多様化しゆきました。
そして「他者の役に立つ者は生存を許される」
という自然界の絶対的な掟が生まれたのです。
ありとあらゆる生物がその掟に従い、
持ち場持ち場で懸命に働きながら進化を続けて、
この豊かで美しい生態系が出来上がりました。
海中の藻は海岸に打ち上げられて
次第に陸地へと生息域を拡大してゆきます(シダ類)。
その後5千万年をかけて、シダは内陸へ進出するために、
胞子を水に乗せて運ぶのでははなく
風に舞わせる方法(風媒)をあみ出し、
やがて陸地は木々で覆われました。
裸子植物(ソテツやマツなど)の森です。
裸子植物は受粉に半年から1年もかかります。
裸子植物は恐竜たちに食い荒らされたこともあり、
もっと早く受粉する手段として
「花」を咲かせるという革命的な進化を遂げました。
それが被子植物です(数分から数時間で受粉します)。
花に集まる昆虫に食事を振舞って花粉を運んでもらう
そのシステムから、
動植物の世界に「互助」という概念が生まれました。
そしてその幸せな営みが知恵を育んでゆき、
姿形や性質が多様化しゆきました。
そして「他者の役に立つ者は生存を許される」
という自然界の絶対的な掟が生まれたのです。
ありとあらゆる生物がその掟に従い、
持ち場持ち場で懸命に働きながら進化を続けて、
この豊かで美しい生態系が出来上がりました。
被子植物はコガネムシとの幸せな関係を謳歌しながら、もっとたくさんの虫を集めるために花の色や形を工夫し、さらに蜜によって鉢や蝶を呼び寄せ始めます。恐竜が滅んだ後に、こうして地球は草花と昆虫の楽園になりました。
自分を変化させることのよろこびを知った植物は、次に種子の周りに甘い果肉を添えて、それを食べた動物に遠くまで運んでもらうという戦略を立て、昆虫以外の新たなパートナーとして小さな哺乳類を指名しました。
その果物好きなネズミザルが、ぼくらの祖先というわけです。
花はギブ&テイクで成り立つ生態系の象徴であり、人間は植物の繁栄のために選ばれたことで生存を許された生物なのだ。
ぼくらが花に魅せられ特別な感情を抱くのは、花たちから昆虫と同じ役割を与えられた日から引き継がれてきたDNA内の記憶によるもの。だからぼくらが蜂や蝶と同じような暮らしをしているのもしごく当然のことなわけです。