人はどこで不自然を選択するようになってしまったのでしょう。
カーテンを開けて暮らすことを諦めてしまった理由は何だったのでしょう。
芝生の手入れを苦労と捉え始めたのはいつだったのでしょう。
虫が苦手、土に触りたくない、日焼けが嫌、いったいどんな悲劇に見舞われたというのでしょう。
きっかけとなったそれは正当なものだったのでしょうか。そのままでいていいのでしょうか。特に三番目は昭和の魚沼地方だったら自ら社会との決別宣言をしているようなもので、(いろんな事情があったとしても)口にしてはいけないことのひとつだったのですが。



昨年までほとんど意識したことがなかったホトケノザが、
今年はまるでアイドルのように思えました。

 
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とはいえそれを嘆いていても仕方のないことであり、ぼく自身も事と次第によっては便利に活用するわけでして。いやはや波に押され気味なわが現状。



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人工芝、人工木材、人工花の暮らしで夢を追う最先端人類に幸あれ。
旧人類の皆様はそんな世の風潮に抗って、庭で心地よく汗を流しながらの暮らしを心がけ、より大きな幸福を見事に実現し、新たな種族に「自然が幸福の分母なのだ」という事実を見せつけてあげましょう。



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庭との関係を修復すれば、いつでも自然な暮らしに戻れる。



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茂ってきた他の雑草に紛れる梅雨時期でも、
よくよく探すとホトケサマは座っています。



ぼくらの進化は、とりあえず退化を回復される局面に来ているようです。
庭が苦労の種、暮らしのお荷物になってしまっている現状は、北のあの人や、大陸のあの人の髪型みたいに著しく不自然なこと。
リストラされようが、病気になろうが、辛い別れがあろうが、老眼が進んで「妻」という字が「毒」に見えようが、「夫」という字が「末」に見えようが、不自然に陥らない限りあなたの幸せが消えることはありません。
庭ですよ、庭。いい庭があれば、庭が暮らしの場所になっていれば、人生は上々に展開します。
多分そのことを最先端人類たちも、遅かれ早かれ気づいてくれると思っています(ぼくら旧人類の生き方次第ではありますが)。