じじいになったら本音を語れ。

おばあさんは知恵袋、おじいさんは堪忍袋を持っている。
男たちよ、戦い済んで日が暮れたら堪忍袋を紐解いて、思う存分小言幸兵衛の余生を送るのだ。
夕日を睨みつけながら、誰かが「本当に大切なこと」を言わねばならんのだ。
あらゆる方向から男について考えるに、それ以外にじいさんの役割などないのだ。



親を知らない蝶たちなのに、
なぜ親と同じ花の蜜を吸い
同じ木に産卵するのでしょう。

DSC09625

人は親からさんざん小言を言われても
一様に聞く耳を持たず、
結果、親と同じ失敗を繰り返し、
嘆きと痛みの末に、ようやくその言葉の意味を知る。
曰く「お客さんより贅沢をするんじゃない」。
曰く「お前が握りこぶして始めたことは
続いたためしがない」。
曰く「仕事をしていれば大丈夫だ」。
曰く「お前より母ちゃんの方が大事に決まってるだろ」。
曰く「食うための仕事をするな。
世間様に食わせてもらえる仕事をしろ」。
曰く「カラカラと音を立てて
トイレットペーパー引くんじゃない」。

DSC08746

既定路線通りもがき苦しみ、 
その後に母となった者の言葉は愛に満ち、
父の言葉は真実が重く輝くわけですが、
残念なことには
子はまだ親の言葉に込められた意味を
察知するだけの経験則を持っておらず、
痛みというものがどれほど痛いのかについては
まだ未知の領域なのです。


DSC06124

ああそれなのにそれなのに、
なぜこのように可憐な姿の蝶たちは、
親を知らない蝶たちは、
甘える相手もいない蝶たちは、
微細な遺伝子情報を頼りに生きることができるのでしょう。
そして見事なことに、
今日も満ち足りているのでしょうか。

DSC09952

ぼくらも自然体でいうられたら、
DNAに素直になり、
勤勉に蜜を探しては吸う活動によって、
細胞内でエネルギーを産生している
ミトコンドリアを活気付かせれながら、
きっと、要らぬ苦労に時を費やすことはなくなるのですが。
その原則を知っていたなら、
知らずとも庭のある暮らしを楽しんでいたなら、
そろそろ芸能的プロレス興行が終わりつつる松井某のように、
むやみに有り余るエネルギーを、見当違いにも
本来愛すべき人への依存的敵意に変換してしまって、
うすらみっともなく
惨めさへと落ちてゆくこともないと思うんですけどねえ。

DSC08618

ああ、わかっちゃいるけどやめられない愚かさよ。
クレンザーで擦っても微かにこびりついている、
怒りやら不安やら焦りやら甘えやらの頑固さよ。
今日も感情の煙幕が心を曇らせてしまう悲しさよ。

DSC00299

いっそ海を渡る蝶のように、
風に乗って旅に出ようかと、思ったり思わなかったり。
思うなら、
思いの丈を原動力に羽ばたけばいいとも思うのだが、
思いはその思いの重しとなって気分だけが重くなり、
面映ゆく無口になるばかりなりなり夜の庭。


DSC09350

「4月になれば彼女は」はS&G。
9月なればぼくは、おじいさんになるという。
このわが人生初のキャスティングに、
やや戸惑い、やや呆然とし、
パンパンになってきた娘の腹を前に多々緊張し、狼狽しつつ、
羽化してくる蝶に、
笑顔で的確なる小言をちりばめる
良き花咲か爺さんを演らねばと。
まだ小僧である金太郎が染五郎に、染五郎が幸四郎に、
ラ・マンチャの男ドン・ジョバンニは
世を偲ぶ仮の姿である幸四郎が
白鸚の名跡を継ぐことに匹敵する緊張感を持って、
何とも落ち着かない夏を過ごしているのです。

DSC00182

願わくば、要らぬ苦労をせぬように。
ささやかで、おだやかで、たおやかな庭のような、
感情よりも感動が勝る人生となるようにと。
そして母となる者には
いつも庭の花に思いを致しながら、
間違っても鬼子母のごとき狂気に陥ることのなきようにと。
そのためには君の両親を反面教師とする勤行を、
一日たりとも怠りなきようにと。
出産というありきたりでありながら命がけの難行を、
君が見事に果たすであろうことを、父は信じている。
ただ、重要なのはその後なのだということを・・・
いや、今は言うまい。
まだぼくはじじいではない。
詩織、
目に入れるのが楽しみなお嬢を、よろしく。





今日は「金沢文庫店」にいます。



本日の出囃子はこれ。
意識の全てがお腹に集中しているであろう
娘へのプレゼント。
ぼくが多感な季節を迎える直前、1971年の、
スカッと爽やかコカコーラのCMソングだ。




誕生も、愛情も、幸福も、
奇跡の命を消費する行為の何もかもに
恋するハーモニーが必要なのだ。
だから、大変だろうけど、
今こそ意識は旦那さんへ。
ここからひと月間の
男の思いを大事にすることが、
ここから数十年の君の幸福な財産を形成する
原資となるのだよ。





今日は「金沢文庫店」にいます。