濁れる水の流れつつ澄む 種田山頭火

出自は大地主の長男で、性格優しく頭脳は極めて明晰。父の女癖の悪さとそれを苦にした母の身投げから歯車が狂い出し、ありとあらゆる不幸を背負いこむような日々が続いたのです。泥沼でもがき続けた山頭火は五十四のある日、自らの意思で一文無しとなり、日記帳だけを懐に入れて猛然と歩き出しました。
歩いて歩いて、歩いて歩いて、歩いて歩いて、ようやく心に平安らしき光が感じられたのもつかの間、五十八歳で、その辛い生涯の幕は下りたのでした。
晩年の日記には「無駄に無駄を重ねたような一生だった。それに酒を注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と。
種田さん、来年五十八になるぼくには、まあ人生とはそういうものでしょうと、達観するでも卑下するでもなくそう思えるのです。無駄に無駄を重ねて酒を注ぐ、それ以外に何の楽しみがあるというのでしょう。
感じることと表現することが生きる価値であるという視点に立てば、あなたほどの高みに達するのは稀なこと。命のほとばしりが人生の価値であるとしても同様に。
そのうちそっちに行きますので、ご一献。あなたに土産話を語るにまだネタが乏しいので、もうしばらくは歩いて歩いて、まだまだ歩いて歩いて。
さてさてこの道どこまで行くのやら。



キュウリの花

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瑞々しさは命の証し。

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水分の循環が健康の証し。

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だから大いに飲んで、大いに汗を流しましょう。

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大いに働き、大いに励み、
大いに笑い、大いに泣いて。




冷やしキュウリをかじるとき、山頭火も、山下清も、木喰上人も、乾ききった夏の日には同じようにバリバリと食ったんだろうなあと、口の中で彼らに想いを馳せるのです。



へうへうとして水を味わう


笠にトンボとまらせてあるく


また見ることのない山が遠ざかる


すべってころんで山がひつそり


風の中おのれを責めつつあるく


悠然としてほろ酔えば雑草そよぐ


落ち着いて死ねそうな草萠ゆる


濁れる水の流れつつ澄む






今日は「港南台店」にいます。