ハスは1億年以上も前から生息していた植物だと言われています。そこは白亜紀、ビルの高さに裸子植物が生い茂る陸地には恐竜がうろつき、大空には始祖鳥と翼竜に混ざって体長1メートルのトンボも飛び回っていました。
ぼくら人類の歴史はたった700万年。日本人が食用としてハスの栽培を始めたのはついこないだ、2000年前のことです。


広島は6日。
長崎は今日、9日。
迎え火は13日、送り火は16日。

終戦の日は15日。

夏は祈りの季節。
祈りとは感謝と願い、そして誓うこと。 


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それだけ圧倒的な歴史を持っているハスなので、仏教徒がこの花に神々しさを感じたのは当然のことだったでしょう。



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しかしお釈迦様も弟子たちも、そんなハスの由来も白亜紀のこともご存知なかったわけでして、ただ日常の中で泥沼から突き出て咲く摩訶不思議な姿の花に神秘を感じて信仰の象徴とした。ということはつまり、仏教は自然界におわす八百万の神を祀る、タオイストたちから発生した宗教だったのだということがわかります。



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空にうろこ雲が浮かんでいる。また、秋がやってきた。人間の思惑をよそに、式は堂々とめぐっている。その自然とわれとは一体だ!そう確信できた時の人間が一番強い。「平常心」そのものだからである。

尾関宗園著「平常心」最終頁の一文 。
中学一年の夏、中二病発症の前に腎臓病になりまして、一年間の運動禁止を言い渡されました。体育の授業は体育座りで見学し、部活は美術部へと転部。そこで出会った顧問の先生がなんだかとても気にかけてくれて、ある日「いわふち、これ読んどけ」と手渡されたのがこの本でした。
ページを開いてから読み終えて顔を上げるまでの一時間ほどの間に、地球の様子が一変したことを覚えています。慢性的な微熱と腹痛で、半分死んでいるような日々だった自分の中心に、とてつもないパワーが注入されたようで。立て続けに繰り返し読み、さらに写経方式で一冊を丸暗記したのでした。
その後は狂ったように絵を描き、美術書をこれまた狂ったように読み漁り、医者から止められていた運動も、夜中に家を抜け出して密かなジョギングを続けていたら病気は半年で全快となり、禁じられていた反動でむやみに動き回りたくなり越後の山を片っ端から制覇。イマジネーションを描き、山を歩きまわり、読を読むという今のぼくの原型となる金型は、多感な時期の病気と出会いでできたんだなあと思うと、これはなかなかしゃれたシナリオではないですか、神様仏様。 



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庭に出ましょう。
盛大に花を咲かせた庭で時を過ごし、その土で育てた野菜を食べ、雲に来し方を映し出し、風に行く末を問い、足元の芝生に意識を向けて。



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不自然に転けてしまわないように、自然の動きに歩調を合わせながら暮らしましょう。



ハスの古名はハチス(蜂の巣)。

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ドブに落ちても根のある奴は
いつかはハチスの花と咲く




車寅次郎という昭和の自然体。
不器用であっても、
ハチャメチャであっても、
自然体でいる人は周囲に愛されますよね。
自然に、自然に、自然に。
あなたの今日が、不自然の落し穴に足を取られることなく
健やかに暮れてゆきますようにと、
涼風の庭にてお祈りいたします。





今日は「港南台店」にいます。