暗闇でこそ見えてくる光明。

気が滅入る出来事に見舞われた時、即座に、全力で、感情の瓦礫をどけて論理的対処法を導き出す。ただそれで気分が晴れるわけではない。
ではどうするか。
夜の庭に出て、気分よりも深い闇の空間に身を置くのです。
明暗とは対比ですから。



光と陰のコントラスト。
白から黒へのグラデーション。
あらゆるものは、色という感情を取り除くと
本質の美が残ります。

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例えばテレフォン人生相談の効用。
ああ、ぼくより辛い人がいる。
ぼく以上に愚かな人がいる。
迷路に迷い込みもがいている人がいる。
なんとか立ち上がろうと踏ん張っている人がいる。
そう思うと、
とりあえず「頑張ろう!」という気になります。



これは一昨日放送の神回。
加藤諦三氏、渾身の回答に聞き入りました。

78歳のこの女性は
ゴミ出しをするように、
洗濯をするように、
ただ日課となっている愚痴を言って
「大変でしたねえ。でももう忘れてしまいなさいよ」と
慰めて欲しかっただけなのに、
加藤心理学の根幹である「隠された敵意」を
踏んづけちゃったもんだから、
えらいことになってしまいました。
予想外の展開に茫然自失で「はい、はい」と返事をしていますが、
果たしてどこまでアドバイスの意味が通じたやら・・・

せめて庭の花に意識が行くような、
そんな時間を送ってほしいものです。
もしもぼくならひと通り聞き役になった後で、
家族や友人と時を過ごせる庭を提案するのですが。
あるいはひとり夜の庭で来し方を振り返り、
自分の人生を解き明かすことができる特別席を。
果たしてどこまで提案の意味が通じるかはわかりませんが。

若きフロイディストだった加藤諦三は、
早稲田の教授時代に、革命に燃える学生たち、並びに
ガチガチの保守である他の教授陣との激しい闘争の後に、
自らの苦悩の人生を経て
(一切公表していませんが、相当に辛い家庭生活だったようです)、
依存的敵意、ナルシシスト、劣等感、自己の投影などを柱とした
実践的な心理学で、
多くの悩める人に光明を与えている社会学者です。

もしも何かに悩み、壁にぶち当たって
自力では二進も三進もいかなくなったら、
加藤諦三の本を開いてください。
どの著作でも、どのページでもかまいません。
本流であれ支流であれ、
そこにある加藤テイストの水を喉を鳴らして飲み干せば、
大概の苦悩からは解放されることでしょう。

「困った時の加藤諦三」と、
記憶中枢の棚の隅っこに置いといてください。
その隣には、「庭のことならいわふち」ということも。
もしもあなたの人生に庭が必要な場面が来たら、
必ずぼくに声をかけてくださいね。



おまけ。
加藤諦三の言葉を並べます。

人はあなたの意識に反応するのではなく、無意識に反応するのです。

愚痴や惨めさの誇示は憎しみの表現。
 

困難には正面から向き合うこと。逃げると問題は大きくなるばかり。

病んだ集団は一番優しい人を犠牲にしてその集団を維持します。家庭においてはしばしば子どもが犠牲となります。

憎しみに囚われた時に人は生き方を間違える。

甘えの欲求が満たされずに育つと不機嫌な人生を送ります。

いじめられた時は戦うこと。

愚かな者は自然淘汰される。

周りにどういう人がいるかでその人がわかります。

愛されるより愛すること。

あなたが認めたくないことから逃げないこと。それを認めることですべては解決します。

最後に中2の秋に読んだ「愛すること」の中にあったこれを。ぼくの人生をこのような風変わりで幸せなものにした言葉です。

いつも自分を高い壁の向こうに投げ入れよ。そこはお花畑かもしれないし断崖絶壁かもしれないが、それが自己変革なのだ。





今日は「港南台店」にいます。