楽園とは理想の庭のこと。

モネはなかなか世間からの賞賛が得られない人生でしたが、彼には、描き出す世界をいつも賛美し支えてくれる家族と数人の友人がいました。
50歳で購入したジヴェルニーの家の庭に溢れるほど花を植えて楽しみ、3年後に売りに出された隣家の土地を手に入れてからは、憑かれたようにそこに造園を始めるのです。「私が評価されないのは当然だ。なぜなら私が夢見ている世界のことを、まだこの世の誰も目にしたことがないのだから」と、それまで目を閉じて思い描いてきた理想郷をリアルに出現させて、それをカンヴァスに描こうという壮大な試み。水を引いてきて池を作り、橋をかけ、土を耕し、植物を配置し育ててゆく、夢を語りながら汗を流すその日々が、どれほど幸せに満ちたものであったろうかと想像するのです。



レンズを覗いていたら
一瞬 ルノワールが降りてきた気がした。

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全くもって気のせいなのだが、
顔を上げた時に、茂みの奥に消えていった老人が
モネだったことは、
気のせいと言い切れない。

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イーゼルを抱えて歩く
背中の丸まった大きなその後ろ姿を、
これまで何度も夢で見てきたので
間違うはずがないのだ。

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だからどうということではなく、
憑依や幻想や、そういうことじゃなくて、
ただ、ルノワールもモネも、
きっとこんな朝の光が
大好きだったんだろうなあと。

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その些細な感動を伝えたくて仕方ない、
愛する人に、愛して欲しい人に、
突き詰めれば彼らの尽きない創造欲求の源泉は、
そういうことだったのではないかと。

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ロートレック、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ・・・
彼らは世間的な不遇の代償として、
光を情動で感知する
至福の能力を得ていたのかもしれない。

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幸福感を命の理由とするなら、
確かに、その価値はある。

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些細な命は、朝のほんの一瞬の、
あるいは赤い夕暮れ時の、
あるいは夜の庭の遠くで光る江の島灯台の、
些細な光に導かれて咲くものなのだ。
これでいいのだ。





今日は「港南台店」にいます。

昨日と一転して、今日は夏日になるそうな。