今年はどうも空が思うようにいかない。それは梅雨からだ。またもや空梅雨かと思えば、明けて夏が来たらしとしとと降り続いた。短い夏が終わり秋となれば、ぱっとした、葡萄棚の下でジンギスカンの煙を上げたいというような日が来ぬままで、随分と遅くになって台風が立て続くという有様。お楽しみの皇帝ダリアもあちこちで折れて倒れている始末だ。
コスモスが終わり巷から花が消えてしまった。と思いきや、雨に打たれる薔薇の花が住宅地のあちらこちらに。僕は傘の内よりその花を見上げながら、不意に肩を揺さぶられたような感慨に打たれて「ヴィヨンの妻だ」と呟き、何人かの女神のことを思った。



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なぜ、初めからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ。

女には、幸福も不幸もないものです。

そうなのお、それじゃあ男の人はどうなの。

男には不幸だけがあるんです。いつも恐怖と戦ってばかりいるのです。

わからないわ、私には。でもいつまでも私、こんな生活を続けていきとうございますわ。

僕はねえ、キザなようですけど、死にたくてしょうがないんですよ。生まれた時から死ぬことばかり考えていたんだ。それでいてなかなか死ねない。変な怖い神様みたいなものが、僕の死ぬのを引き止めるのです。

お仕事がおありですから。

仕事なんてものは何でもないんですよ。傑作も駄作もありやしません。人が良いといえば良くなるし、悪いと言えば悪くなるんです。ちょうど、吐く息と吸う息みたいなもんなんです。
恐ろしいのはねえ、この世の中のどこかに、神がいるということなんです。いるんでしょうねえ。

えっ。

いるんでしょうねえ。

私には、わかりませんわ。

そう。



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いやあ、また僕の悪口を書いている、エピキュリアンの偽貴族だってさ。こいつは当たっていない。「神に怯えるエピキュリアン」とでも書いたらいいのに。
さっちゃん、ご覧、ここには僕のことを人非人なんて書いていますよ。違うよねえ僕は。今だから言うけれども、去年の暮れにね、この店からお金を持って出たのは、さっちゃんと坊やにあのお金で久しぶりにいいお正月をさせたかったからです。人非人ではないから、あんなこともしでかすのです。

・・・・人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ。
生きていさえすれば、いいのよ。



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太宰さん、太宰さん、あながた描く男のどうしようもない駄目っぷりには愛想がつきます。アル中で、金にだらしなく、病的なナルシストの女好きで、ついにはみっとも悪い盗みまでとは。同性からすると許せない、天性の恥知らずな愛嬌を使って女性を渡り歩くやり口にも、ほとほと。
ただし、女性の魅力を描かせたらあなたは天下一品ですね。その見事さが僕自身の駄目男ぶりを贖罪してくれるようで、頭を下げるしかなくて。まったく、ひとりくらいはあなたのような作家がいてもよかろうと、神様が思われたのでしょう。
それとですね、あなたが去って幾星霜、この物語を読んだ昭和の作詞家、山川啓介が、僕や多くの男が懐く鬱憤とも逡巡ともつかぬ感情に決着をつける、見事な作品に仕立て上げてくれましたよ。僕は数年前よりその曲に、繰り返し繰り返しエネルギーを充填してもらっています。だからあなたに感謝します。
恋することはあらゆる矛盾を消し去ります。作詞家もまたヴィヨンの妻が軽やかに決心をする際の、雨に打たれる薔薇の微笑みに恋をしたのだろうと思います。僕と同じようにね。



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太宰が彼に冠したヴィヨンとは、ジャンヌ・ダークが火あぶりにされた年にパリに生まれた、無頼と放浪の詩人。やはり社会的には問題多き男なれど、後にはフランス文学の父と讃えられている。
そのフランソア・ヴィヨンの詩を添えます。


逆説のバラッド

世に飢えている時ほどの安心はなく 優しくしてくる者は敵ばかり
食い物はまぐさの如きなり
見張りは居眠りばかりし 寛大な者は無信心で
確かなのは臆病さだけ
信仰は異端の心に宿り 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

女が産気づくのは風呂桶の中
名声は罪人の背後にあり 殴られた後ほど笑いたくなる
借金を踏み倒す奴ほど評判が良く 本当の愛はおべっかの中
出会いは常に不運の始まり
嘘ほど誠実なものはなく 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

世に休息は不安の内にもたらされ 「ちぇ」と言っては面目を保つ
偽金の他に自慢の種はなく 健康体は水ぶくれ
高望みをすれば卑怯者となる
思案にはいつも怒りが付きまとわる
心から優しい女は尻軽で 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

本当のことを言おう 女と寝るのは病気の時だけだ
芝居の中に真実はなく 騎士気取りは総じて臆病者だ
旋律はどれも嫌な音ばかりだし 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ



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ヴィヨンの最期は誰も知らない。行きずりの女と心中したか、人知れずのたれ死んだというのがおおかたの見解だ。古今、エピキュリアンの末路とは、そういうものなのかも知れない。
荒野に向かう道より他に見えるものはなし。我も行く、心の命ずるままに。
フランソア・ヴィヨンに、太宰治に、山川啓介に、僕が知るヴィヨンの妻たちの人生に、感謝を込めて。



本年7月に幕を下ろした山川啓介氏の、
常にロマンに満ちて前向きに光り輝いている
膨大なるきら星の作品群の中から、
僕が思う、今夜の話にふさわしいと思う
ほんの数行を。




ありがとう。
僕もまた、
不器用であっても、異端であっても、
微塵も悔いなく、
と。
今日も渾身で、僕が思う理想の庭を思い描くことができます。





今日は「港南台店」にいます。