ぼくがかの同居人と暮らし始めてより幾星霜、当初から彼女の行いで気にくわない事柄がひとつありました。それは仕事やら何やらで彼女がパソコンを操る時に、いつもその脇にコーヒーカップを置く癖があること。もしもひっくり返したらとんでもない事態になると、その惨状を思い浮かべては肝を冷やしていたのです。
もちろん何度も嗜めました。だがしかし、そのような進言に耳を貸すような質の女ではなく、それどころか返事もせずに微かに鼻で笑いつつ、内心意地でもその習慣を崩すものかという反発の感情が湧いていることが、空気の振動で伝わってきます。
「まあいいか」と、そもそもはぼくが持ち合わせていないその豪放さ故の恋心でもあったので、仕方のないことであると諦めるに至り、そしていつしかそんな危惧も、平成なる暮らしに紛れて消え去っていたのでした。 



昨日、富士が雪化粧。
里はといえば晩秋から初冬へのバトンタッチで、
日増しに風が冷たくなり、空気は乾燥してゆきます。
散歩道の花も選手交代の時期で、
コウテイダリアが咲くまでの少しの間、
色づいた葉っぱが風景の主役です。

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昨晩のこと、いつものように読みかけの本とパソコンを携えて庭の書斎へと。厚着にビーサンというちぐはぐな格好なれど、よく歩いて火照った足に風が心地いいのです。その至福の演出のひとつとして、近頃お気に入りのバーボンを舐めるというのが通例となっているのでそれも用意して。もちろんグラスは用心深くパソコンから離して置いています。
事件というのは、いつも突然に襲いかかってくるものです。テーブルのかたわらでくつろいでいた猫のミーが、昆虫か鳥か、はたまた季節外れの幽霊か、何かに反応して跳ね動いた拍子にグラスを蹴倒し、狙い定めたごとくの見事さで、グラス一杯のウイスキーのほとんどがパソコンのキーボードに降ったのでした。



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瞬時に思ったことは「データが!」で、次にはパソコンの値段とデータ復旧にかかるであろう金額。危機に際してとっさにお金のことを考える小心な自分を追い越す素早さで登場したもうひとりの自分が 、アルコールでびしょ濡れになった物体を手に取り逆さに振って水分を払い、次いでテーブルに常備してあるティッシュボックスから素早く5回引き抜いて拭き取り作業をし、どうやらまだ正常に稼働しているようなので、急ぎシャットダウンの操作をしました。
その後、薄い機械箱の内部まで乾燥するようにと遠目からドライヤーを当てまして、不安なまま数時間放置してから恐る恐る起動。ぼくはよほど運が強いのか、はたまたマッキントッシュの構造が優れているのか、今のところ不具合は起こらずに動いてくれている次第です。



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誰が言ったのか、あるいはどの本に書いてあったのか、「何も心配することはありません。あなたが心配していることなど起こりません。不幸な出来事は、いつも予想だにしない時に、信じられない方向からやってくるのですから、心配しても仕方ないのです」という言葉が浮かびました。
豪放な妻は一度もカップをひっくり返したことがないわけで、ぼくが長年その光景に肝を冷やしていたことは全くの無駄であったわけで、それどころか苦言を呈していた自分の方がその憂き目にあったのですから、曰くやれやれとはこのことです。



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しかして今後はこれを教訓として細かいことは気にせずに、というわけにいかないところがA型の悲しさでありまして、「やれやれ」はため息混じりの「はてさて」に。 
流れる雲に見え隠れする月を見上げつつ、深慮遠謀、静止熟考を重ねた末に、まあ何事にもハンドルの遊びといいかますか、余裕といいますか、そういう意味での心配事のひとつやふたつを抱えていた方が、その重みで浮き足立たずに暮らせるであろうという結論に至った次第です。ただし、これからはほどほどにと。あまり細かいことにきちきちしていると互いに息苦しいし、というか、先方は意に介さずのスタイルであるからにして自分が息苦しくなるだけなので、だから今後は努めていい加減さや浅はかさの能力を開発しようと、つまりは鈍感力に秀でた与太郎な宿六でいようと、その点はA型ならではの生真面目さで、己を厳に戒めたのでした。



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いくらだい?

ええっと、具入りで十六文でごぜえやす。

銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、そこに手え出してくんねえ。

へい、これに願います。

十六文だったな。ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、今何時だい?

よつ(四刻)で。

いつ、むー、なな、やー、ここのつ・・・・