日出ずる国に生まれ出ずる悩み。はてさて、この庭をいかにすべきかと。



咲くも実るも色づくも、今のうち。

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人は悩まない方法を心得ています、それはその対象を無視することです。視界に入れず、話題に上らせず、時々は思い出すものの、まあ私には関係のないことと思考を途切れさせる。それは平静を維持するための知恵であり優れた柔軟さであるとも言えます。 
ただ、庭くらいは真っ直ぐ見つめて、そこにユートピアを想像し創造足らしめるほどの積極的な胆力を持たないことには、人生の何もかもから軟弱に逃げ続けることとなりはしないかと。



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実際、散々と逃げ惑った末に自ら退場してゆく者は限りないわけです。自らでないにしても、立ち向かうという姿勢のないままに時間切れとなる人も少なからず。
訃報を受け取ることが増える年齢となり、その度に空行く雲か、地面に揺れる草か、どこかしらに焦点を合わせては「きみは、それで満足できたんだろうか」と、「あなたは大した悔いを残さず終えたんだろうか」と、強く口を結んだままで叫んでいます。



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明日ありと 思う心の仇紅葉
夜半に嵐の吹かぬものかは



庭くらいは真っ直ぐに見つめて、見据えて、そこにユートピアを想像し創造するほどの積極的な胆力を。庭ごときに怖気ているようでは、生まれ出ずる悩みからも逃げの一手以外なくなってしまいますから。
と、つらつらと、遠方で無念のエンドロールとなってしまった友の冥福を祈りながら、ご家族の未来が花いっぱいであることを願いながら、お悔やみに行けなかったことを詫びつつ、悩みなど微塵も持たぬ顔で、先になり後になりしながら越後の山の頂を目指し歩いたあの日のことを思っています。

あっけらかんと言う、ぼくはまだそっちへは行かないよ。まだまだだ。横浜で、おまえも知っての通りのわがまま振りのまま暮らしているので、悔いにまみれて終りたくはないという、最大のわがままを通すためにね。
それがすっかり済んだ後に、出会いや、別れや、武勇伝やら間抜けだったことやら、土産話を山ほど持っておまえを訪ねることを約束する。物知りの坊さんの話によれば、そっちの世界には悩みも痛みもないそうじゃないか。それをうらやむわけでなく、まだ悩み続け、痛みを感じていたいと願っているのだが、でもそっちのそういうシステムなら、おまえの早すぎたという悔いも消え去っていることだと思う。
どうだろう、これも坊さんの話によるものだが、そっちの世界にもしもそういう役回りがあるならだが、おれの背後霊をやってもらえないだろうか。そうすればいつでも、夜の庭で話ができるじゃないか。おれの背中にとりついて、残り時間のマネジメントと監視役をしてもらえないだろうか。たまにでいいから愚痴を聞いて欲しいし。家庭を持ってから人並みを超えて猛烈に働いたというおまえが、まだ仕事をしたいと思えばの話だが。
冗談だ。そんなことしていられないほど、きっとそっちは満ち足りているんだろうから、せいぜい楽しんで、その合間に、次もまたおれと同じ時空に生まれる段取りをしといてくれ。おまえが嫌じゃなかったらだが。じゃあ、また会う日まで。
おっと、言い忘れるところだった。いろいろと、ありがとな。





小説や詩には全体十割の一分ほどに当たる文字数にメッセージが込められ、他の九割九分の言葉がその補足というものがあります。それならばと、最初から前書きやエンディングや後書きから、その一分だけを探し出して読めばいいのかというとさにあらずで、補足にこそ物語があるのですから横着をしてはいけません。
昨晩、「若きウェルテルの悩み」を連想させる題名に惹かれて、有島武郎の「生まれ出ずる悩み」を読んでみました。九割九分は読まないよりは読んだ方がいいかなという内容で(ぽこっと空いた穴から吹く風を塞いでしまおうという、寂しさ紛れの動機だったせいかもしれません)、一分は時間を割いて読むに値するものだという感想。故に横着をして、一分に当たる二カ所を抜き出し書き留めておくことにします。ぼく経由のあなたへのメッセージとして。


君、君はこんな自分勝手な想像を、私が文学者であるということから許してくれるだろうか。私の想像はあとからあとからと引き続き湧いて来る。それがあたっていようがあたっていまいが、君は私がこうして筆取るそのもくろみに悪意のない事だけは信じてくれるだろう。そして無邪気な微笑みをもって、私の唯一の生命である空想が勝手次第に育ってゆくのを見守っていてくれるだろう。私はそれをたよってさらに書き続けてゆく。


そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。このせつなる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中にとこに激しく強まった。
本当に地球は生きている。生きて呼吸をしている。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み、それを僕はしみじみと君によって感ずる事ができる。それはわきいで跳ね踊り上がる強い力の感じをもって僕を涙ぐませる。
君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来たのだ。
君よ、春が来るのだ。冬の次には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし・・・・僕はただそう心から祈る。


ぼく経由のメッセージを受け取ってくれたあなたに、今度はぼくからとして繰り返します。
咲くも実るも色づくも、今のうち。今でしょ。今ですよ、今。