ひとりじゃないって すてきなことね
 
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私は此頃自ら省みて「私は砕けた瓦だ」としみじみと感ぜらるをえないようになった。私は瓦であった、自分から転げ落ちて砕けてしまう瓦であっだったのだ。
玉砕ということがあるが、私は瓦砕だ。それも他から砕かれたのではなくて、自ら砕いてしまったのだ。見よ、砕けた破片が白目に曝されてべそを掻いている。
既に砕けた瓦はこなごなに砕かれなければならない。木端微塵砕き尽くされなければならない。砕けた瓦が更に堅い瓦となるためには、一切の色彩を剥がれ、有らゆる外殻を破って、以前の粘土に帰らなければならない。そして他の新しい粘土が加えられなければならない。



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これは種田山頭火のエッセイ『砕けた瓦(或る男の手帳から)』に出てくる悔恨の文章だ。彼は職を失い、家を失い、家族を失い放浪の旅に出た。その失う経緯の背後か中心かは定かでないが、そこには常に嫌な酒の匂いがしていた。作品群から推測するに、いわゆるアル中だったことは間違いのないことだが、幸いにしてなのか不幸にしてなのか(アル中に幸いなどないのだが、後年こうして彼の自由句を味わっているぼくには幸運だ)、性格がとても女々しかったことによって、こうして後悔を噛み潰しながら歩けたのだから、牢獄暮らしか早々に病死することに比べたら増しだった言えるだろう。



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後年に天才と称される俳人に「女々しい」とはいささか失礼とは思うものの、別のエッセイ『雑記』を読めば、酒に対する考えのくだりから天才の女々しさを感じざるをえない。



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今年の私は山村庵居のよろこびに添えて、二つの望みがある。
好きなものは、と訊かれたら、躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。今年はその本を読みたい。まず俳書大系を通読したいと思う。これが一つの望み、そして二つは酒から茶へ転換することである。いいかえればアルコールを揚棄したい、飲まずにはいられない酒を、呑んでもよい酒としたいのです。前者は訳なく実現されましょうが、後者は自分ながらあぶない。そこでまあできるだけ割引して、せめて酒に茶を混ぜたいと念じている(そんな無分別な考えを起こすなという悪友もある。じっさい、私にもそんな気がしないでもないのですが)。 



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どうですこの煮え切らない女々しさ。しかも両文章共に、その続きには主観的が過ぎる文壇への評論と、自分勝手に過ぎる不遇の身に至った言い分やら、言い訳やら、言い逃れやらが続いていて、そして毎度のこととして不出来な自分からの逃避の旅に出るというパターン。もしも彼の俳句に酔うことが楽しみという方は、俳句以外の文章(主に手帳に書きつけた日記的なもの)には手を伸ばさない方が無難な気もしている。
ぼく自身がかつてそう思ったのだ。なのになぜ今、この愉快でもない文章を書棚から引っ張り出したのかと言えば、ここのところ連日、朝一番の OHA!4 から酒癖の悪い横綱の醜態が大事件として報じられているからだ。その勢いたるや政治や芸能の狂気やら不倫やらを跡形もなく吹き飛ばす勢いで、まあそのような事柄は吹き飛ばしたほうがよいのだが、次に吹き込んで来た風もまた爽やかさを感じぬ酒臭いものであるのが残念至極。しかも、先場所などは渦中の相撲取りを、ぼくは名指しで応援していたのだからなおのことだ。





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日馬富士よ、よかったじゃないか相手の怪我がこの程度で済んで。もしも鍛錬を積んでいない素人衆だったら殺人犯になっていたところだ。相撲取りの現役などは人生のほんの一時のことなのだから、十分に悔いて、自ら割った瓦のかけらを粘土にまで砕き尽くして出直せばいい。あまた報道の中には、君の一途さや情熱的な来し方を評価する声もあるが、そんなものは酒でのしくじりの前には全く意味を持たない。君は言い訳のできない狂気に、一瞬であっても飲み込まれてしまったのだ。
横綱まで登り詰めた君のその胆力があれば酒を断つことなど容易いと思うし、誰でもその程度のしくじりは通過しているのだから必要以上に恥じることはない。悪童ドルゴルスレン・ダルワドルジに倣って、大いに後悔しながら君はダワーニャミーン・ビャンバドルジに立ち返ればいい。今は持って行き場のないその意識を、はっきりと明日へと向けるのだ。人生の本番は、まだまだこれからなのだから。



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この際、世の酒飲みに告ぐ、というか宣言しておく。
あなたが身の破滅を招くことを誰も止められない。あなたが地獄へと落ちない唯一の方法は自覚しかないのだということを知っておいてほしい。これが前置きで、宣言とは次の通り。
酒飲みが狂い出したらぼくは即刻逃げる。瓦を叩き割るならどうぞご自由に、としか言いようがない。ぼくにできるのはその瓦のかけらで、自分と、自分が愛する者たちが傷を負わないようにすることだけだ。



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やめたいけどやめられない、というのが依存症。患者たちはきっと「もうお酒をやめなさい」と何度も言われながら、有難くもそう言ってくれる人に向かって、愚かにも、繰り返し狂気をぶつけてきたに違いない。いつもそうだ。それが症の典型的な症状なわけだが、自分の愚かさを許容してくれるであろう者と自分よりも弱い者に対してのみ狂う。どんなにベロンベロンでも、悪魔のような冷静さで相手の強弱を見極めながら狂っている。それは端から見たら卑劣極まりない姿なのだということを、頭の隅に置いといてほしいものだ。脳内にまだまともな余地が、雑草だらけであっても手付かずの庭スペースが残っていればの話だが。



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今日は不愉快な話題でしたが、これもまた幸せな家庭を維持するのに重要なことなので、あえて。
もしも家族との晩酌が楽しみな方は庭でやったらいいと思います。外にいるとすこぶる楽しく酔えるし、近所の手前もあり、穏やかに会話が進みますから。





以前お庭をやらせていただいたソーシャルワーカーの方から、アルコール依存症者とその家族向けに、断酒会などの組織的なサポートがあることを教わりました。そのひとつに AA(アルコホーリクス・アノニマス / 飲酒で問題を起こす人たち)という自助グループによる集団精神療法があり、そこに『 AA-12ステップ』という依存脱却プログラムがあることを知り、読んでみたらとても理に適った内容だと思いました。ただし AA の発祥がアメリカであるためか、文章が直訳的で分かりづらく幾分宗教っぽかったので、ぼくなりに一般の日本人に馴染むよう書き直してみました。
もしかして自分はアルコール依存の領域に入っているかもしれない、という方向けに添えておきます。


AA-12ステップ

1、もう飲んではいけない、飲んだら不本意な人生に終わってしまうと自覚した。

2、酒に病んだ自分は立ち直れると信じた。

3、指導に従いアルコールを断つと決心した。

4、これまでの反省点を表にまとめた。

5、自分の過ちを認めた。

6、改善すべきことをすべて具体的に並べた。

7、どうか立ち直らせてくださいと祈った。

8、これまでに迷惑をかけてきた人、傷つけた人をリストアップし、その人たちに謝りたいと思った。

9、機会があるたびにその人たちに謝罪し、埋め合わせをする行動をとった。

10、反省を続け、くじけそうになっても即座にそれを打ち消した。

11、静かに考える時間を作り、立ち直ることを繰り返し念じた。

12、その確信を他のアルコール依存症の人に伝え、日常のあらゆることを「断酒後の幸福な暮らしのために」という理由づけで行った。

 
酒飲みの皆さん、おたくの庭に花は咲いているでしょうか。荒れ果ててはいないでしょうか。その庭の状態が、あなたのご家族の心の状態を映し出しています。
もしも庭が殺伐としていたら断酒会や AA の前に、あなた自身の労力を使って、その庭を花で埋め尽くしてください(何かから立ち直ろうとするときにとての有効な方法です)。そんな気も起こらないようなら、先々周囲を苦しめないために専門医を受診してください。すでに家族の痛みをわが身に感じることもできなくなっているあなたの力だけでは、きっとその地獄の入り口から引き返すことは無理ですから。
どうかお早めに。あなたが愚かに酔っ払って叩き割る瓦のかけらで(暴力だけでなく、絡みや暴言や奇行も含めて)、家族の心を傷つけないために、ことに子どもたちに辛い傷を負わせないようにと、心からお願いします。
誰に何を言われても、何度失敗を重ねても、酒にすがって、苦しんだ挙句に寂しくのたれ死ぬ道を選ぶなら、
くれぐれも周囲の迷惑にならぬよう、どうかあなたおひとりでお願いします。あなたは、これもその病に特徴的に、地球は自分を中心として回転していると思っているのでしょうが、それは症状による幻想だということも付け加えておきます。
では健闘を祈ります。もしくは、さようなら。





今日は「港南台店」にいます。

ああ、晴れ晴れとした気持ちで設計に入るために、今朝は薄暗いうちに森へと向かうことにします。