範囲を絞ると世界は広がる。

広い庭を隅々まで活かすには大きな意欲が必要です。それはなかなか困難なようで、大概は持て余してしまい、全体的にめりはりなく雑然としてしまうものです。
そんな時には居場所や見せ場を限定し、そこを見事に仕立て上げてください。範囲を狭めたその場所に楽しさや美しさが出現すれば、その他の場所は背景としての意味を持って庭全体に価値が生まれます。

もしもあなたが何らかの困難な課題を抱えてるなら、あるいは今後そのような局面に立たされた時には、全体を見て呆然とすることなく、最も重要と思われるワンポイント(あなたにとって本当に大切なこと)にフォーカスして、そこを中心とするほんのわずかな範囲にだけに額縁を設けて、その小さなカンヴァスにあなたが思う理想の世界を思い描いてください。



写真は無限に広い世界から
ある範囲を限って切り取る行為。
それをズームアップして
さらに範囲を狭めると、
不思議なことに心象世界が広がる。

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Yuming はファンのためでなく自分のために曲作りすると言い切ります。 これぞ範囲を狭める手法の究極。ぼくらはとかく SNS の「いいね」やフォロアー数を気にして、あたかもそこに生活の場があるかのように勘違いしてしまいがちですが、霊長類研究の山極寿一氏によれば、ヒトにとって適正な生活集団数は30〜50人(意思統一ができ、団体行動か取れる人数)で、社会構成は110人(名前と顔が一致する人数)だそうです。あまり帳場を広げ過ぎると、庭と同じく場を持て余し荒らしてしまう可能性がありますのでご注意を。

おこがましくも松任谷由実様に賛同します。お客様から「よくブログネタがつきませんねえ」と言われることがあり、たまに読み返せば自分でも驚くやら呆れるやら。でもなぜネタが尽きないかはわかっています。それは、体裁は広く間口を開けつつも、多くの場合はその都度のある個人に向けて、あるいは自分に向けて書いているのです。誰かに伝えたいこと、物申したいことは次々起こるし、自身への不満、要望、激励、注意喚起、動議発令となれば切りがなく出てきますから。
いち日の大半を庭の空想に費やしている者が夜の庭で綴る与太話の、一片でもあなたに届いて、光ったり震えたりすることがあれば、「これぞ音叉の共鳴」と無上の喜びでありまして、恐縮至極の有難き幸せなので御座候と姫路地下街懐かしく。常連ご贔屓筋の皆様、呆れることやら、異論・反論・オブジェクションやら、意味不明と首をかしげることもあろうと思いますが、そんな時には目を細めて薄ぼんやりとご覧いただくということで、どうぞ今後ともよろしくお付き合いのほどを。