ある寒い嵐の夜、売れない老画家ベアマンは壁にいち枚の葉っぱを描きました。それが世間からも、また自らも認める芸術の落伍者、四十年間描き続けてもミューズの衣に触れることさえ叶わなかった男の、最初にして最後の、見る者の心を震わせる傑作となりました。
ジョアンナは、病室の窓から見える壁を這う蔦の葉が日に日に少なくなってゆくのを数えながら、最後のひと葉ももうすぐ落ちてしまう自然の営みに、自分の絶望を重ねて、か弱く暗いため息を繰り返しています。
世間からまともに相手にされなくなっていた老画家は、惨めな世捨て人の顔をするしかなくなっていた自分に、いつも変わらず無邪気な笑顔で慕ってくれていたジョアンナの、元気だった頃とは別人となってしまったその哀れな姿に衝き動かされて、嵐の晩に絵筆を取りました。
彼は、最初こそは少女への溢れてくる思いから描き始めたものの、次第にその思いを超える創造の悦びに打ち震えながら筆を重ねていったに違いありません。激しい雷鳴と雨音に包まれて、「主よ、私の命と引き換えても構わないから、どうか、どうか、この葉っぱに命を与え給え」と、鬼神の笑みで叫びながら、明け方近くに意識を失うまで描き続けました。
西洋の神様は、持ち前のシンプルな思考に従い画家のその願いを聞き入れ、少女には落ちることのない希望の葉っぱを与え、なんということか、彼からは申し出通りに命を奪ってしまったのです(東洋の神様なら、少女だけでなく画家にも、その後の幸せな日々を用意したでしょうに)。
ぼくは設計に入る前に、依頼主とそのご家族の笑顔を思い浮かべることが習慣化しています。やや大げさに言えば、その都度ベアマンの心境になっているのです。だからいつか嵐の晩に無我夢中で描く場面がやって来たら、やはり思いが成就するよう、命と引き換えにと祈るやもしれません。ただ、祈る相手はお釈迦様か、日々ぼくを良き所へと導いてくださっている八百万の神々にしようと思っていますが。
オー・ヘンリーによれば、老画家の死因は寒さと疲労による急性肺炎だったとのこと。熱で混濁する意識の中には、いつまでも美しい葉っぱに希望を見出した少女の、あの日と変わらぬ笑顔が浮かんでことでしょう。世界的なシナリオライターとなったナザレの大工の息子は、いつもそういう結末を好みますから。そのことが、彼と同じく、ミューズからお声がかからないまま歳を重ねているぼくにはせめてもの救いです。
報われる創造とはなんぞや。そは自利利他公私一如なり。
今日は「金沢文庫店」で絵筆を取ります。
ジョアンナは、病室の窓から見える壁を這う蔦の葉が日に日に少なくなってゆくのを数えながら、最後のひと葉ももうすぐ落ちてしまう自然の営みに、自分の絶望を重ねて、か弱く暗いため息を繰り返しています。
世間からまともに相手にされなくなっていた老画家は、惨めな世捨て人の顔をするしかなくなっていた自分に、いつも変わらず無邪気な笑顔で慕ってくれていたジョアンナの、元気だった頃とは別人となってしまったその哀れな姿に衝き動かされて、嵐の晩に絵筆を取りました。
彼は、最初こそは少女への溢れてくる思いから描き始めたものの、次第にその思いを超える創造の悦びに打ち震えながら筆を重ねていったに違いありません。激しい雷鳴と雨音に包まれて、「主よ、私の命と引き換えても構わないから、どうか、どうか、この葉っぱに命を与え給え」と、鬼神の笑みで叫びながら、明け方近くに意識を失うまで描き続けました。
西洋の神様は、持ち前のシンプルな思考に従い画家のその願いを聞き入れ、少女には落ちることのない希望の葉っぱを与え、なんということか、彼からは申し出通りに命を奪ってしまったのです(東洋の神様なら、少女だけでなく画家にも、その後の幸せな日々を用意したでしょうに)。
ぼくは設計に入る前に、依頼主とそのご家族の笑顔を思い浮かべることが習慣化しています。やや大げさに言えば、その都度ベアマンの心境になっているのです。だからいつか嵐の晩に無我夢中で描く場面がやって来たら、やはり思いが成就するよう、命と引き換えにと祈るやもしれません。ただ、祈る相手はお釈迦様か、日々ぼくを良き所へと導いてくださっている八百万の神々にしようと思っていますが。
オー・ヘンリーによれば、老画家の死因は寒さと疲労による急性肺炎だったとのこと。熱で混濁する意識の中には、いつまでも美しい葉っぱに希望を見出した少女の、あの日と変わらぬ笑顔が浮かんでことでしょう。世界的なシナリオライターとなったナザレの大工の息子は、いつもそういう結末を好みますから。そのことが、彼と同じく、ミューズからお声がかからないまま歳を重ねているぼくにはせめてもの救いです。
報われる創造とはなんぞや。そは自利利他公私一如なり。
今日は「金沢文庫店」で絵筆を取ります。