昨年のちょうど今頃に
四季の森公園で撮った青い鳥。
来週あたりがコウテイダリアの見頃でもあるので、
早起きをして行ってみようと思います。

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アウトサイダーが居並ぶ1950年代のジャズ界にあって、ジェンダーレスなナルシストにして破滅型の悲しき悪童チェット・ベイカーは、その悪評とは真逆に青い鳥を探し求めた人でした。しかしその求め方が、あまりに不器用にして強引に過ぎたのです。
彼はそのイイ男ぶりと繊細な音楽センスで一時はマイルスを凌ぐ人気を得た時期もありましたが、それが彼に安らぎをもたらすことはありませんでした。名声が高まるほどに酒と麻薬に溺れ、近寄る者に手当たり次第に因縁をつける喧嘩上等の日々。とうとうマフィアに目をつけられ、見せしめに前歯を折られてしまったのです(ラッパ吹きには致命的)。その後は職を失い、日銭稼ぎのバイトも性格の悪さからクビになり、ついには生活保護を受け、裏町の吹き溜まりに捨てられたボロ雑巾のようにまで落ちぶれてしまいました。


 

Almost blue
幸せの青い鳥かと思いきや、
Tangled up in blue
ブルーにこんがらがってしまった。 


そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、かつてチャーリー・パーカーと共にビバップ革命(モダンジャズ)を起こした、大御所にして天使のハートを持つ男、ディジー・ガレスピー。
1976年にガレスピーの尽力によってファン待望の復活を果たし、彼の暗黒の人生にもようやく朝日のようにさわやかな光が射し込んできたかと思ったのもつかの間、薬物による錯乱か、あるいは泥酔時の事故だったのか、宿泊していたホテルの窓から転落して命を終えたのでした。

探し求めていた青い鳥が幾度も庭に飛んで来たのに、彼は捕まえようとしなかった。もしかしたらいつも束縛を嫌っていた彼は、その鳥の自由を奪いたくなかったのかもしれません。自己投影が引き起こす悲劇
というやつです。
いやいや、そんな心理学的なロジックではなくてですね、闇の世界に馴染んでしまったために光が苦手で、常にカーテンを閉め切って暮らしていたのでしょう。だから鳥の鳴き声は聞こえたものの、その姿を見つけることができなかったのだと。

そんな人生もある。ぼくは嫌だが、そんな人生も、あるのだ。
片道切符の旅の時間をどのように使うかという命題に、真っ当と極悪とを、自分と自分以外とを、常識と非常識とを、安らぎと闘争とを、安住と開拓とを、日常と非日常とを、夢と現実とを、白いわふちと黒いわふちとを行きつ戻りつする夜の庭に、寝そびれたか青い鳥がやって来て、懐かしのカサブランカの主題曲をさえずり始めました。




このことを心に留めておいてほしい

キスはキスであり ため息はため息

恋の基本はいつの時代でも当てはまる

いくら時が流れようとも


月の光とラブソング

すたれることなどない

人はいつも嫉妬と憎しみの激情に駆られる

女は男を求める

男は女を求める

誰も否定できない永遠の真理だ


いつの時代にも存在する物語

栄光と愛への戦い

生きるか死ぬかのせめぎ合い


恋する者たちを世界は受け入れる

いくら時が流れようとも



そうか、わかった。チェト・ベイカーは自分に恋をしたのだ。それはそれは強烈に恋をして、その求愛があまりにウザく強烈過ぎて振られてしまったのだ。
実像を上回る自己愛が自分を痛めつけ破滅へと向かう、ナルキッソスが辿る悲劇。酒に酔い、薬に逃げ込み、身近な人から片っ端に傷つけることも、実のところは水面に映る幻想の自分しか見えていないのだから仕方のないことだと、病と解釈するのがよいのだろう。だとすればだが、彼は自らの両手が翼となったことを確認して、窓の隙間から雄々しく自由の空へと飛び立ったのに違いない。周囲の不快と裏腹に、歓喜に包まれながら自らが青い鳥となって、今頃は千の風の中を飛び回っていることだろう。 

彼は見た目も中身も、生き方も結末も、ぼくらの時代で言えば尾崎豊にとても似ています。その人生をぼくは好きではありません。好きになってはいけない類のものなのです。ただ、彼が命と引き換えに残した青春臭い録音群を嫌うことができずにいるのです。っていうか、たまらなく好きなのです。「嫌いだけど好き。嫌いになりたいのに、あなたのことが好き」とは手練れな女性の伝家の宝刀。ユニセックスな声を持つ彼にそう言いたいぼくの中の女々しいぼくの存在を、まあ、別に打ち消す必要もないので、時々思い出しては引っ張り出して聴いています。

もう一曲。
彼が無残に歯を折られ、まだその痛みが残る頃に仮歯を入れて録音したのがこの曲です。





翼を折られた青い鳥の弱々しく痛々しいさえずりを聴いていると、いつもほとほとと泣けて来ます。そして自分の青い鳥の姿を再確認したくなるのです。失ってから気づくという、愚か者の常道に足を踏み入れてはいけないという、自分への強い戒めとともに。

そうそう、ところであなたはご存知ですよね、クッククックと鳴く鳥の居場所を。