買い物上手は上機嫌。

物質を買おうとする人は安い物を探す。そしてどんなに安い物を手に入れても不満を残す。当たり前ですよね、物なんかすでに有り余っちゃてるんだし、本当に欲しかったものはきっと物じゃなかったんだから。
女房が園芸店でバラの肥料を買おうとしていた時、ぼくは「一番高いのにしときなよ」と言いました。B型女性がバラを美しく咲かせるために、それが最良の選択だと知っていたからです。

夢を値切ってはいけない。
北原照久 



植物の世界には通貨がない。
傲慢な駆け引きがない。
しかるに無駄がない。

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月末になるとため息をつくご機嫌斜めのジェニーたちよ、
森へ行け。
無駄なく命を使い切る者たちの循環に包まれよ。
そして本当は、何が欲しいのかを見極めよ。

 

「デパートに売っているのは、洋服にしろ、食料品にしろ、どれもこれもイマジネーション。物質的に必要な商品は風呂の栓くらいのものだ」とは村上春樹の言葉。本当に欲しいものは物質ではないのだと、早めに気づいた人は幸いなり。
庭はイマジネーションの賜物なり。だってほら、花を食えるわけでもないし、ぼくがこの寒空に何でわざわざストーブをつけてまで庭で本を読んでいるのか、説明がつかないでしょ。
何本かの木と、いくらかの花と、人工芝と、人口木と称するプラスチックのデッキ、そしてカーテンは閉まったまま。庭のコモディティー化現象だ。こんなところで飽和となって足踏みしてしまうのだろうかと思うこともしばしばだが、世の中の仕組みとはそういうものかも知れない。だから庭に限らず、経済的にしろ、精神面にしろ、幸せへと至る人の割合が数%に留まってるのだろう。
庭に関しては、まずは横浜・横須賀の数%を数十%に引き上げたいという意欲の炎が、ぼくの中でいよいよ勢いを増している。だから来年も、朝晩の庭時間で薪をくべ続けることにする。








『 天国への階段 』

彼女は幸せを買うために生きているようだ。だからお金がお金がと、どんなアドバイスにもお金がお金がから始まる否定を返してくる。どうやら貯め込んだ金で天国への階段を買おうと目論んでいるようだ。
こないだ買いに行った店は閉まっていたそうだ。だからうちに来て「階段を」 と。ぼくは希望に値する階段を提供しようとその説明をしたのだが、言葉はひとつも届かなかった。
彼女はそれが売っている店を探しに、また街をさまよい始めた。

壁には「ご注意を」という張り紙が、小川の脇の木では黒い鳥が「物事には裏があるのだ」と鳴いている。人など常に疑わしく、ああ、どうする、ああどうしたものか。
夕日の方角が燃えだした。森から上がる煙と、それを見上げている人たちの声がする。ああ、どうする、ああどうしたものか。
あの曲を、とリクエストすれば、似非ミュージシャンは啓示に満ちた詩を奏でてくれる。そうこうしているういちに夕暮れに立ち尽くしていた彼女にも朝がやって来て、森には笑い声が木霊する。
また店を探すさまよいが始まる。

彼女は庭の生垣がガサガサ音を立てていることにうんざりしているようだ。だれかが覗いている気がするのだという。その耳鳴りは、それが彼女を祭りに誘っている人たちの声なのだと気づくまで止むことはないだろう。
道は左右に分かれ、まだ選択することができるのだが。ガサガサが耳鳴りではなく風の音だとすれば、その庭に天国への階段を見つけ出せるのだが。

また彼女のさまよいが始まる。曲がりくねった道を進むにつれて、影は魂よりも長くなる。その向こうにいるのが女神様だ。白い光を放ちながら、どうすれば階段を手に入れられるのかを歌っている。
耳をすませば聞こえるほどの音量で、皆がひとつになり、ひとつが皆になり、さざれ石の巌となる歌声を聴くことができれば、彼女の望みは叶うのだが。

いつか彼女は、ついに天国への階段を買うことだろう。天国でも相変わらずお金がお金がと言っているのか、あるいは寂しがり屋の病を抜けて、天使となって駆け回っているのか。愛に満たされ、美味しい食事とイカした音楽に、感動という言葉の意味を知ってくれればいいのだが。

またお会いしましょう、来世で。





今日は港南台店にいます。