恋ってなんだろう。愛ってなんだろう。愛と恋ってどう違うんだろう。恋愛の先に結婚があるなら、お見合い結婚はどうなんだろう。恋愛結婚の方が離婚しやすいのはなぜなんだろうか。などと小中学生はキャッキャと悩むわけです。
その後恋愛をし、失恋をし、またもや恋に落ちたり慣習に従って挙式して、3組に1組は離婚をし、離婚せずにいる2組は小中学生の頃には想像もできなかった悩み地獄を味わっていたり、何度も結婚離婚を繰り返しながら人生を深めて行ったり、もうこりごりだと頭を丸めて出家したり。
これは生物に雌雄の別ができてから、飽きもぜず、学習することもなく繰り返されてきたことなわけでして、なんでもう少し上手に、苦しむことなく呼吸をするみたいにくっついたり離れたりできないものかと思うのですが、きっとそこに、雄と雌がギクシャクすることに、何か生態系の維持に欠かせない重大事項が隠されているのでしょう。 



咲き急ぎのユキヤナギ

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咲き遅れたロウバイ

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満を持すモクレン

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その恋愛模様を見上げるニョロニョロたち


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「恋とはなんぞや」はさておいて、庭とはなんぞやということを日々考えているわけです。それは恋愛と同じで、生態系の維持に、人類の健全なる存続に欠かせない重大事項が隠されているということはわかっているものの、未だそれを誰をも納得させる言葉や、その他諸々の手段によって表現するに至っておりません。
ではここで、唐突ですが、ジョン・ケイジによる演奏を。近現代のあらゆる楽曲の中で、これぞ頂点であると(一部の好事家に)言わせしめている作品です。休日でもありますし、ゆったりした気分で心ゆくまでご堪能あれ。





あなたは何を聴いたでしょうか。退屈に思って早送りした人もいるでしょうし、瞑想にも似た時を楽しんだ人も、なんじゃこれはと思いながらも、やがて懐かしいアリアか幼い日の子守唄が流れてきたかもしれません。つまりですね、音楽とはあなたなのでありまして、庭もまた同じなのです。
もしも庭が荒れ放題なら、もしも庭が殺伐としてしていたなら、もしも、形は整っているのにそこから楽しさも意義も感じられなかったとしたら、さらに突っ込んで言うと、その庭から安らぎと感動と明日への意欲が得られていないとしたなら、それはあなた自身がそういう状態にあるということ、かもしれない、くらいの意識で庭を見つめ直してみてください。
「かもしれない」を挟んだのは、ぼくの言い方が強すぎるがために、反射的にそっぽを向いてしまう人も多いからです。だいじょうぶ、そんなことないよとおっしゃる方は、外してもう一度リピートアフタミー。もしも庭が荒れ放題なら・・・・

恋も庭も、その認識は不可解から始まるものなり。しかしその只中に身を置いてギクシャクしてみれば、誰も不可解とは思わないもの。当事者となれば、感情と欲望 vs 理想と理性の取っ組み合いが始まりそれどころではないわけでして、しらっと遠巻きに見ているから不可解に感じるのであります。
何年にも渡ってギクシャクしながら取っ組み合わない夫婦っているでしょ、体裁は何とか整えているんですけど、果たしてそれでいいのだろうかと気持ちに引っかかっちゃって、っていうか、時折しもあの気味の悪い微笑み外交みたいで、どうにもこうにも目障りで、すんなり感動に浸れずにいるのですよ。昨夜のメドベージェワの完璧なノクターンにすら。ああ、それにしてもですねぇ、艶姿ナミダ娘よ、どうせ勝負をかけるなら、もう少しマシな男はいなかったのだろうか。と、今日子に、強固に思う今日この頃。それとですね、西部先生、老いさらばえた、みっともない姿を見せるという、老兵の最後の任務を放棄したのが残念ですぜ。まあ憂国を気取る男のカッコマンブギはしかと聴きましたが、早い話が逃げの一手を指したわけで、グッとこなかったっす。その曲者な微笑みと相まって、チューニングが甘いコミックバンドみたいで、やっぱそれじゃあダメなのよ。まったくもって、どいつもこいつもカッコつければそれでよしとする風潮に、カッコ悪さのカッコ良さを誇った昭和なダンディズムは、もはや遠い日の花火なのだろうか。去って行った焼け跡派のイカした面々は、こういうのが大っ嫌いだったんだよなあ。
てなことをつらつらしつつ行く、カメラ担いで朝も早よから被写体探しの散歩道。右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガムと交換レンズと交換電池と財布と携帯が入っていて重いから、態勢が左にヨレちゃって、考え方も左に寄っちゃって、そんな自分に酔っちゃって、今日はちょいと左翼側に立ってみました。って、いつものことと言われればその通りなんですがね。これも家庭内左翼過激派と化したジャンヌ・ダークの影響か。





でね、私の望むものは、男は男たれということ。どうもねえ、カッコつけるばかりで腰引けて、女房に下手を踏む男が多い気がして。女性の皆様、今日びエエカッコしいよりも、腹に一物手に荷物、重き荷を背負いながら本気であなたと取っ組み合ってくれる益荒男を探しなはれや。そういうのが見当たらない場合は、なあに、男なんぞは必要ないのですよ。あなたとの関係性にまでカッコつけて逃げ回っているようなら、そんな雄ごときにでかいツラさせとかないで、取るもの取ってさっさと叩き出してしまいましょう。でないとね、北の美女軍団みたいなもので、自分の人生を失ったお面の造形美になりにけり。ああ嫌だ嫌だ、男がダメなこのご時世。何ですかねえ、右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い。どこに男の夢がある。ほんっとにね、この頃ね、ダメ男が目についちゃって、カッコマンブギが耳についちゃって、笑って笑って、今日もポジティブで行こうぜみたいなのが鼻についちゃって、ってことは、ぼくの男力水準がアップしたのかもしれませんが。・・・すいません冗談のつもりが、なかなか否定できなんですけど。今日子、ごめんね、ぼくには家庭があるから君を救いに行けないのだよ、と左側から与太飛ばす。

庭を楽しむ美女たちよ、面白きこともなき世を面白く、するかしないか問うならば、鏡の中のその人に。
テクマクマヤコンテクマクマヤコン。





今日は金沢文庫店にいます。