分子生物学者の福岡伸一がよく使う動的平衡という概念、生命とは、自然とは、絶え間なく入れ替わりながら平衡を保っているのだということを、庭にいると実感します。
草木の循環、大気の循環、気候の循環、枯れては咲き、嵐もあれば小春日和もあり、凍てついたり猛暑だったり、すべては移ろいながらも生命存続に過不足ないバランスのとえれた現状を、はるか何万年も続けている。それをぼくらはごく当たり前のことと捉えているので、とかくそこにある流動性を感じ取れなくなっているのではないかと思ったりもします。

酷暑の中、散歩コースには
へたることなく咲き続けたバラたちがいました。

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この動的平衡は思考(心)にも起こっていることで、例えば健康を失う、職を失う、長年抱いていた夢や希望を何らかの出来事で失うなどした時には、必ずその喪失に見合うだけの補填が行われます。それは優しさだったり、感動だったり、感謝だったり、主に心に出現するとても人間らしい感情。年寄りになるとやたらに涙もろくなる、というのはきっとそれで、たくさんの抜け落ちた心の穴を幸福感で埋めるために涙が必要なのです。そしてそれができる人、レジリエンス(復元力)の強い人は年齢を重ねるほどに笑顔も濃くなってゆく。


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打ち合わせで港北の住宅地を走っているときに、遠目にも輝いているバラがいっぱいの庭を見つけました。停車して、後部座席からカメラを取り出し歩いてゆくと、懐かしきかなモンペをはいた農家ルックのおばあちゃんがせっせと手入れをしています。「すっごく綺麗ですねえ。見事だなあ」と声をかけました。ぼくの声に腰を伸ばして「やってもやっても追いつかないよ」と笑い皺だ彼の顔で。


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花の写真を撮らせてもらってもいいでしょうか。


ああお兄ちゃん、どうぞどうぞ。よかったらあっちに木戸があるから中入って撮ったらいいよ。


ありがとうございます。でもここからで十分です、ははっ、道路にまでこんなに溢れちゃってるから。


でっかいカメラ持って、あんた写真屋さんかね。


いやいやただの趣味ですよ。花を見ると撮りたくなっちゃうんですよね。田舎育ちで、母が家の中から外から花だらけにしている人だったから。あ、だったからって、まだ元気で花だらけにしてますけどね、近所の人が呆れるくらい。


そうかい、それはいいお母さんだ。だからあんたもそうやって花が好きなんだねえ。遠慮しないでたくさん撮ってちょうだいな。この子たちの綺麗な時期はすぐに終わってしまうから。


しばし夢中でシャッターを切っていたら、おばあちゃんが冷たい缶コーヒーと、庭の花を数種類切って束ねてでっかい紙袋に入れたのを、フェンス越しに手渡してくれました。


ありがとうございますう。いいんですか、こんなにたくさん


どうぞどうぞ、よくみなさん声をかけてくれるからうれしいんですよ。まだ蕾のを入れといたから部屋に飾ってくださいな。


ぼくは深く深く頭を下げ(なんとなんと、突然涙が溢れてきて、それを悟られないためでした。母のことと同時に祖母の記憶が思い出されて)、「すっごくいいのが撮れたから、後で写真を届けますね」と伝えて打ち合わせへと向かいました。


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後日厳選してプリントアウトした10枚をパウチッコして、お留守だったのでポストに入れてきました。
あれから5年が経ち、おばあちゃんは元気で庭仕事をしているだろうかと、あの分厚い笑顔を思い出しています。あまり行かない地域なのでもうお会いすることはないかもしれないけど、ぼくの中では、ぼくが元気な限りおばあちゃんは元気なままです。宝物の出会いでした。


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夏を咲き続けて越えるバラは
赤系が多いという発見。
やはり情熱、なんでしょうね。


来し方の素敵な庭人たちによって、ぼくは今日も循環しています。それと幼い日の、花に囲まれて育った記憶によって。