今年話題になった言葉に「卒婚」がありました。



師走の雨に鎮火するモミジ葉。

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再会は入学式の頃でしょうか。

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年の瀬の卒業式ということでしみじみと、

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蛍の光窓の雪、開けてぞ今朝は別れゆく。



「卒婚?都合よくいろんな言い方するもんだなあ。要するに疲れちまったから試合放棄するってことだろ」とかぶつくさ思いつつ検索してみたら、最初に「加山雄三 卒婚」と。瞬時にして脳内でのその言葉の解釈が一変したのでありました(ウォルマートの創業者サム・ウォルトンは言った。1、若大将は常に正しい。2、正しくないと思ったら1に戻る)。
卒婚、趣があってなかなか素敵な概念ではないか。

何十年も記憶に引っかかりぶら下がっている映画「卒業」のラストシーン、その後エレインとベンジャミンはどんな人生を送ったのであろう。手漕ぎのトロッコで眩しく輝く二人の世界へ向かったトレーシー・ハイドとマーク・レスターは?奇跡の生存で再会を果たしたオリヴィア・ハッセーと草刈正雄はあれから・・・
舞浜にある夢の国で、今日もシンドバットが子トラのチャンドゥと共に声高らかに歌っている通りに、心の羅針盤を信じて帆を張り続けた夫婦の長い航海は、長い後悔に似ていとをかし、おっかしいなあ、こんなはずではなかったのに、と、ある時期に思うものなのだ。いつまでもほんわかと見つめ合うかわいいチッチとのっぽのサリーでいられるわけもなく、路上でジルバを披露するチャーミーグリーンの老夫婦に至るシーソーゲームを継続するためには、互いにいくつもの卒業を経ねばならないということなのだろう。


やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きるために計算高くなれと言うが
人を愛するまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きるためにすることの区別迷った

卒業して 一体何解るというのか
思い出の他に何が残るというのか
人は誰も縛られた か弱き子羊ならば
先生あなたは か弱き大人の代弁者なのか
俺たちの怒り どこへ向かうべきなのか
これからは何が俺を縛り付けるのだろう
あと何度 自分自身卒業すれば
本当の自分にたどりつけるだろう

仕組まれた自由に誰も気づかずに
あがいた日々も終わる
この支配からの卒業
闘いからの卒業 次は入学
卒業 入学 卒業 入学
卒婚 入婚 卒婚 入婚


ウンウン、なかなか知性的にして優れた選択ではないか、卒婚。いわんや幸いにしてまだ続く夫婦善哉、互いになすりつけ合う夫婦冤罪、舞台で熟練を増す夫婦漫才においてをや。 なかんずく、毎年何かしら単位不足で不本意なる留年を繰り返しているならなおのこと。年末年始を使ってゆっくり話し合い、あるいは顔の中央下側に位置する災いの元をきっちり閉じて見つめ合い、はたまた一方的にでも構わないので、っていうかそれが基本なので、卒婚&入婚を試みてはいかがかと。
え、そんな心配はご無用。でっすよねえ。では来年も仲睦まじく、ますます花咲く日々でありますように。