こんにちは。わたし、庭という場所をどう捉えたらいいのかということを考えていて、家四六時中考えてたわけじゃなくて折に触れてというか時々というか、どう捉えたらいいのかっていうのはどうしたらいいのかじゃないんですけど、その前にというか別のこととしてどう捉えたらいいのかなあって。あらごめんなさいね、唐突な話し方で。とても勇気を出して、こんな話はおかしな人に思われるかもとか、こちらに伺ったらこんな話をしようとか、どう話したら伝わるのかしらとかあれこれ考えて、ブログをいつも読んでいて、いいなあ、すごいなあって思ったら、もしぽかんとされたら嫌だなあって、ああどうしましょ、だからお会いしたら一気にお話ししようと思って。



近所のお宅に咲いているロウバイの花。
そういえば昨年は雪を被っている写真でした。
今年は暖かい日が続いていて、
このまま春になりそうなお得感。

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まあまあ落ち着いてください。神様はぼくたちに有り余る対面の時間をお与えになっています。

あらやだ、いわふちさんってブログと同じ話し方なんですね。

あなたの小説的なアプローチに適応しました。さほど苦手な分野ではないし、どちらかというと好きです、こういうの。

よかったあ。わたしなかなか思っていることがうまく伝えられなくて。

いやいやすでにあなたが何をおっしゃりたいのかということと、それに対する最良の返事は導き出されています。

ああやっぱり、ブログと同じ。で、で、で、わたしは庭をどう捉えたらいいのでしょう。

ふふ、お聞きになりたいですか。なりたいですよね。

ええ。



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ではその前にいくつかの事柄をお教えください。
1、庭の現状。2、その庭への具体的な不満。3、あなたが思う理想の庭。


はい。1、庭の現状はですね、芝生とバラとハーブと、ハーブは実用的なものばかりで、あと野菜も少しだけですけど育てていて時々は朝ごはんを庭で食べてます。カーテンはもちろん開いてますよ。ええっと次は2、何でしたっけ。

2、その庭への具体的な不満、です。

2、不満、不満、不満・・・あれ、不満はないです。すっごく気に入ってます。
えええっと、3は何でしたっけ。そうそう理想の庭でしたね。欲を言ったらきりがないけど今の庭が理想かな。


やっぱりね、そうだと思いましたよ。あなたのように探究心をお持ちでエネルギー値が高く物事の本質を探ろうとする人は楽々と理想の庭を実現するのです。
それで、不満のない理想的な庭があるのになぜ庭の捉え方についてお悩みなのでしょう。


あ、ずるーい、わたしは質問に答えたんだからわたしの質問にも答えてください。最良の回答は導き出されているって言ってたじゃないですかあ。

そうでしたそうでした。ではお答えします。
風の歌を聴け。

ん、村上春樹?昔読みました。その後の数冊も、羊をめぐる冒険あたりまで。ピンボールが好きです。あと短編の中国行きのスローボート。風の歌をもう一度読んだらいいのでしょうか、じゃないですよね、庭で風の歌を聴けばいいんですね。

です。あるいは寺山修司的に言うなら「書を捨てよ、庭へ出よう」でもいいんですけど、あなたはすでに庭に出て楽しんでいるのでこちらの方が適切でしょう。
つまりですね、庭はノンバーバル、言葉を必要としない世界なのです。言葉、あなたは、あなたも、と言った方がいいかもしれない、言葉を使って悩み、言葉によって傷つき、言葉でその傷を癒そうとするでしょ。でも考えてみてください。人類史において言葉はつい最近身についた能力であって、それ以前と以降を比較すれば言葉の功罪は明らかに罪の方が大きいのです。言わなくてもいいことを言い、言ってはいけないことを言い、論争し、ついには言葉によって意識を先導されて立ち入る必要のない迷宮へと歩を進めてしまい、とうとう悩みについて悩むようになってしまい、悩んでいる自分が常態化していることに気づかなくなってしまい、自然な合理性や自然な気持ち良さや自然な愛情行動ができなくなって、不自然な重い鎖に縛られてしまう。世の中の家族に繰り返し起こるもめ事の多くは、ほとんど言語を持たないゴリラには起こりえないことばかりです。


アイタタタ、そこですかあ。うっすらとは気づいていたんですけど、ああ、やっぱりそれ。

はい。あなたの庭は理想的なんでしょ。あとはそこで耳を澄まして風の音を聴き、光の温もりを肌で感じ、目を凝らして花が移ろってゆくテンポに自分を同期させること。その際に言葉で結論づけたがる癖をできるだけ遠ざけるようにして、寒さは寒さ、気持ち良さは気持ち良さ、幸福感は幸福感としてだけ受け取ればいい。マインドフルネス。さすれば庭をどう捉えたらいいのでしょうという問いは消滅します。すでに庭を最大限に捉えているのですから。

わたし横須賀の住宅展示場に勤めていて、営業さんとお客様のやりとりを聞きながら、いつも庭のことが宙ぶらりんなままなのがとても気になっていたんです。だから。

なあるほど、そういうことだったんですね。ふむふむ、とてもよくわかります。ぼくも30年前にそのことについて5分ほど悩んだ結果、チェ・いわふち、庭の革命家を志したのですから。

私は口を挟みませんよ、事務職ですから。でもいつの間にかそのことがストレスになっていたんだと思います。

今も変わらず日本中に、スタンダードとして存在する残念な現実ではありますけど、いつの世でもそういうもので、幸福な暮らしはそれを具体的にイメージした人にのみもたらされることであって、供給する側にできることはひとつの選択肢を用意して提示するだけ。選択権はぼくらにはない。ただ、住宅を売る側の営業マンが庭にまで意識を広げるだけの余裕のない暮らしをしていることは、なんとかならないのかなあって思ってますけど。それに、考えたら、何十年経っても変わることのないその現実があるからこそ、ぼくのような者が理想の庭を思い描くことで飯が食えているわけですしね。
そうだ、親しい営業さんにぼくのブログを紹介してみたらいかがでしょう。もしかしたらその人の成績は爆発的にアップするかも。人々は庭付き一戸建て、つまり庭のある暮らしに憧れて展示場へ行き、何社か回るうちに建物のこと、間取りのこと、価格のこと、ローンや引っ越しや子供の転校手続きなどの実務的なことで頭がいっぱいになって、庭どころではなくなってしまう。もしもそこに、庭のある暮らしという夢の世界を前面に出しながら新築実現をリードしてくれる営業マンが登場すれば、多くの人がその出会いをとても幸運なことと思うでしょう。


ですよね。やってみます。来てみてよかった、本当に。



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翌日からブログのクリック数が跳ね上がり、それはひと月ほど続いてからぱたっと止んだ。ぼくの知らない熱心な営業さんはきっと何かをつかんだのでしょう。何か・・・庭も生活空間であるということか、庭から感じる自然で不自然さを修正できるということか、家と庭で家庭なのだということか、はたまた花の数と幸せは比例するのだと気づき、その人自身ガーデングに目覚めて庭を花でいっぱいにしているのかもしれません。
昨年秋の相談会に来られた小説風に話す女性は、その後も何度か園芸コーナーの買い物ついでに店を覗き「読んでますよ」とだけ言い自然な笑顔で軽く手を振り去ってゆきます。ぼくは笑顔を返しつつ会釈、「あれえ、こんなにきれいな人だったっけ」とか思いながら。