春はあけぼの やうやう白くなりゆく山際
少し明かりて 紫立ちたる雲の細くなびきたる


春は夜明けの頃がすばらしい。山際がだんだんと白くなってきて、ほんのりと明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている様子はいいものですね。
夏は夜がすばらしい。月が出ていればなおさらのこと、月の無い闇夜でもたくさんの蛍が飛び交っていたり、また一つ二つの蛍がほのかに光って飛んでいくのもいいし、雨もまた。
秋は夕暮れが素晴らしい。夕陽が差してきて今にも山の境に沈もうとする頃、寝所へと向かう鳥が三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐのも味わいがあります。
冬は早朝がいい。雪が降った時は言うまでもありません。霜がとても白いのも、またそうでなくても、寒い時に火など急いで起こして、炭を持って廊下を通っていくのも。



自然と歩調を合わせて暮らすことなど簡単至極。
植物たちがそうしているように、
昆虫たちがそうであるように、
太陽の位置を確認しながら過ごせばいいのです。

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日が昇った事に気付かず、
夕焼けにも気付かず暮らしたら
不調をきたすのは至極当然。

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快調とは自然であること。

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愛情、安らぎ、美しさ、
幸福とは自然であること。

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春はあけぼの。
まずは早起きをして庭に出ることから。



教科書でもおなじみの、たおやかにして優雅な枕草子の第一段。これを読んで、千年の時を経て、ぼくらの自然を感じる能力は退化してしまったのではないかと嘆く御仁もおありでしょうが、それは違います。千年前に、この清少納言によるリア充ツイートが人気を博して拡散されたのは、取りも直さず当時も「季節を感じ自然を愛でる」ことは憧れであり、つまりは多くの人が生活に追われていて、自然どころではなかったということなのですから。
平安時代、庭は庶民とは無縁の雅な世界でした。今は庶民が家を建てると、求めなくても庭スペースは付いてきます。千年かけて、せっかく、ようやく、そんな時代になったというのに、そこを扱いかねているようではもったいないのです。

思い起こせば平成時代最後のあの春に、この庭のある暮らしの新芽が吹き出したのだと回想できるかも。あなたにそんな日がくることのお手伝いができたらいいなと願いを込めて、今日も庭を思い描きます。