血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。限りなく透明に近いブルーだ。

春先は小紅、では梅雨時期の色は?
ジューンブルー、6月に見る様々な青。

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1976年、16歳の梅雨時期に読んだ1冊の本によって、ぼくの肩甲骨辺りから翼が生えた。両腕が翼になったのならそれはセオリー通りの進化なので、ミュータント的に鳥か翼竜に変身したということで納得できないこともないのだが、両手はそのままで背中に生えたのだから、天使の仲間入りしたのだとしか考えられなかった。ただし天使といえども、大天使以外の天使は人と同じく苦難を経験し、未熟さに打ちのめされ、悩み、苦しみ、つまり人間と何も変わらない存在なのだということを、後に、わりと早々に知ることとなる。さらには妙にデカくて折れやすく、たやすくは飛べない両翼が邪魔で邪魔で。おまけに周囲からは奇異な目で見られるし、時々はこのへなちょこ天使に勘違いして悩み事を持ち込む者もあり、厄介に巻き込まれることも多々あった。まったく、なんなんだこれはと、天使などというロクでもない境遇にうんざりしていたあの頃。
やれやれ、庭の湿った空気を楽しんでいたら、不意に、あまり思い出さないでおこうと思っていた当時のページが開いてしまったので、今夜はそのことを。


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ぼくはそれまで、読書とは、文字を追って意味を受け取る行為なのだと思っていたのだが、村上龍著「限りなく透明に近いブルー」の文字は、驚くことに文字ではなかった。昭和中期の映画館の後方で、ジィーーーと音を立てながら回転するフィルムだったのだ。遅ればせながらのタイミングでアメリカン・ニューシネマ(卒業、俺たちに明日はない、イージー・ライダー、いちご白書、真夜中のカーボーイ、タクシードライバー、明日に向かって撃て!など。共通する特徴は反体制と衝撃のラストシーン)にどっぷりハマっていたせいかもしれないが、この衝撃的なデビュー作に発見したその手法というか現象から、ぼくは言葉や文章を脳内で映像化するという翼を得、へなちょこ天使となった。おかげで今でも図面に線を引きながらその仮想庭を映像化できる。その能力が仕事上とても助かっているのだから、奇異な姿ゆえの生きづらさを差し引いても、この神の気まぐれとしか言いようのない差配に感謝しておくべきであろう。


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ストーリーは抑揚なく淡々としていて、最初から終わりの直前まで混沌としたまま、基地の街、福生のアパートで、ドラッグに溺れた若者たちの荒廃した日常を描いている。そこから浮かぶ映像は、当時このことが不思議でならなかったが、モノクロームだった。しかもとても美しい。ゴキブリを捻り潰すシーンですら、まるでロバート・メイプルソープが写した蘭の花ように美しかった。


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その白黒映画文学のラストシーンに出てくるのが冒頭の一文。最後の最後に、そこで初めて道路に散らばっているガラスのかけらが朝日を受けて光る青色が出てくる。黒澤明の『天国と地獄』で、白黒映画なのに、犯人が身代金受け渡しのカバンを焼却処分した時に立ち上がる煙が赤く映像処理されていた、あの手法と同じである。
村上龍が意識的に全編を白黒で描いたことは間違いないことであろうと思っている。そのアイデアと、言葉で映像を見せる技量がこの小説を名作にしたのだと。その後の『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』と徐々に映像化手法は冴えを失ってゆき(これも意図的だったのかもしれない)、『だいじょうぶ マイ・フレンド』では、脳内スクリーンを必要としない一般的文学になっていた。その変化に目をつけたのか、東宝によって、なんと原作者を監督に起用した映画が作られることになった。ピーター・フォンダ演じる異星人と若者たちとのナンセンス・ファンタジーは見た者の記憶に刻まれ、主題曲はトノヴァン・加藤和彦の代表作になった。『限りなく・・・』も本の人気に乗じて映画化されたが、さして話題にもならずに消えてゆく。ページを繰りながら脳内に映し出される映像を、それ以上に美しく実写化するなどということは所詮無理なのだ。



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血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。

6月も終盤、湿度は涼しめの温度での極限まで上がり、夜の庭はブルーに深みを増す。たとえば本棚から青い背表紙を引っ張り出してきて、ジャック・マイヨールよろしく、湿った夜に素潜りしてゆくのも一興なり。



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BGMは音量小さめで、堕天使(悪行によって天界を追放され闇に落ちた者・悪魔)チェット・ベイカーの『 BORN TO BE BLUU 』なんかを流しながら。
わがアイドルにしてヒーローのジョナサン・リヴィングストンも、全員が翼を持つカモメ界の人々から見たら、その翼の使いかを誤った、神に背く狂った堕天使に見えたに違いない。カラヴァッジオ然り、ゴッホ然り、古くは頑固じじいソクラテスも。変革者とはそういうものなのだろうと思う。


 

梅雨には梅雨の庭遊び。つらつらと過ごしているうちに、ブルーにこんがらがった脳内にメラトニンが効き始め、庭から望む湿った夜景が限りなく透明に近くなってきて、そろそろ甘美なる意識不明の暗闇へと、深く深く沈んでゆく。


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でも、だいじょうぶマイ・フレンド。きっと何時間か後には、いつも通りに爽やかに目覚めると思うので、おおむね安心しながら深みへと。
では、今宵の庭時間はこの辺でお開きに。


 
 
良き夢を。そして素敵な明日となりますように。