気づけばテレビ報道はコロナ疲れと申しましょうか、グラフの解析とか、もう視聴者が飽き飽きしてきてきたんでしょうね、すっかり熱中症が危機の主役になりました。きっとこんなふうに、煽って煽って焚きつけて、ピークが過ぎたら次の話題に移行して、終息宣言を出す頃には誰も興味を持っていないから宣言もなし、というような展開なのでしょう。地下鉄サリンも、津波も、原発も、いつもそうだったし。まあそれでいいんですけど。



庭は実感の世界。
猛暑にへたらぬ花に肩を揺すられる日々。

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つまりは一連の騒動は吉本隆明言うところの共同幻想なり。あの難解なる全共闘のバイブルを読み解いた『100分 de 名著/吉本隆明著 共同幻想論』はとても面白くわかりやすかった。何がわかったか、それはですね、当時の時流の最先端に超難解という手法でニッチを開いた吉本(ばななさんのお父上)は、本論の趣旨よりも、ピント外れな論争青年たちを一刀両断に、反論の余地のない、難し過ぎて反論できない大ナタを振り下ろしたのだということ。論争青年たちは彼の迫力に父性を見たんでしょうね。それで崇め奉った。崇めたけれども共同幻想が持つ危うさということは何もな学ぶことができていなかった、ような気がして仕方ないのです。ジャック・ケルアックの『路上』、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』と同じく、本旨が読み解かれることなく、引き出しに後生大事にしまい込んだままになっている分厚い聖書みたいに。



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過ぎてみれば、一億総右往左往でどれだけ多くの人が職を失い、鬱々とし、ありふれた幸福なる日常を失ってしまったことか。じゃあどうしたらよかったのかと問われれば、お上の方針やら、女将さんの方針やらはあれで正解。問題は我らパンピーのスタンスです。両足を共同幻想に置いた人はとても辛かったと思います。でも、稀に、片足をしっかりと庭に置いていた人たちは、生活習慣は変われども、日常の幸福感に何の変化もないままに半年を過ごしてきた。その事実をぼくはお伝えしとかなきゃって思いつつ、でもねえなかなか上手いこと言えなくて、そこに NHK から降りてきたのが共同幻想論でした。



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吉本は幻覚まがいの共同幻想に翻弄されない手段、処方箋として、対極に個人幻想という言葉を置いてその願いを託しました。吉本先生、分かりますけど、いずれにしても幻想なのですね。先生、なぜ個人実感としなかったのか、そこいらが先生一流の、パンピーもパリピも煙に巻く毒霧殺法なり。なぜもっと簡単に「実感を持って自分の命を生きなさい」と言わなかったのか。ダメですか?ダメ、天下の大思想家に私如きがこんな戯言をとバッサリやらせれそうですけど、でも先生、私は譲りませんよ、個人幻想ではなく個人実感としておくべきだったと。それが何より証拠には、昨日の熱中症の死者数はコロナの三倍以上であるにもかかわらず、幻想の住人たちは、独居老人を訪問してエアコンのチェックをしましょうとか、隣近所で声がけをしましょうとか誰も言わないのです。危機の当事者である元全共闘世代は年老いて、気難しいお爺さんに成り果てているものの、さりとてどんなに可愛げのないへの字口の爺さんだって、頑張って頑張って生きてきたんだから、室内で干からびてしまってはああ無情、ヴィクトル・ユーゴー作じゃあアーリませんか。



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こないだとても嫌な報道がありました。浦安で、通りに面した軒先を使って盛大に育てているカサブランカを盗まれたと、防犯カメラの映像付きで、鬼の形相でカメラに訴えるお爺さんの姿。映っているその盗人は、持参のハサミで丁寧に一輪だけ切って持って行った。お爺さん曰く、去年も切っていきやがって、だからカメラをつけたんだよと杖を振り上げんばかりに怒っておられる。人が大切に育てている花を平気で持ってゆくとは日本も終わりだね、と。お爺さん、全共闘お爺さん、あなたを見ていると本当に日本が終わってしまう気がしますよ。せいぜい冷房スイッチの確認をしてから再度難解なる名著を書棚から取り出してお読みください。あなたの余生が周囲から祝福されるものであるために、ゲバ棒振り回して息巻いて「花盗人は風流のうち」という民族の風情を学んでこなかったことを、1ミリでもいいから悔いていただきたいと願うばかりです。さもなければ若き日の流儀のまま、反体制の造反有理、家族も含めて周囲はすべて敵だらけのままで終わってしまいますよ。あなたはそれで満足かもしれないけど、周りはたまったもんじゃないですから。葬儀の時に、ほっとしたなんて言われたくないでしょ。



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あれを放送したテレビ局はどういう意図だったのでしょう。犯人憎しの正義の報道だったのか、はたまた不幸な年寄りをスケープゴートに仕立て上げ、心の病にカンカンカンと警鐘を鳴らす確信犯だったなのか、いずれにしてもテレビでやるようなことじゃない気がするんですがねえ。おっと、これが衆愚の罠ですからくれぐれも、くれぐれもご注意あれ。



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日々実感を伴って自分の今日を生きること。庭の花を愛で、心の味覚の確認をお願いします。片足は共同幻想に、それがコモンセンス。もう片方を個人の実感から外さない人々によってのみヘリテージやカルチャーやアートが継承されてゆくのです。その役割に参加できるか否か、それがお爺さんと呼ばれる歳まで生き延びた者の価値じゃないですかねえ。勝ち組を目指して必死こいて戦ってきた団塊の方々、勝ち組よりも価値組になって終えることもイメージしてくださいね。とりあえず庭に出て、草でも抜いて、その苦渋に凝り固まった表情筋のストレッチから。お爺さん、マスクをしてると眉間が目立つんですよ。何が気に入らないのか、ほんと、しかめっ面のなんと多いことか。


え、今日はずいぶん暑苦しい話だって?そりゃあそうですよ、35度を実感しながら書いてんですから。
ちょっとこれ、バッハの賛美歌『目覚めよ、囚われに呼ばれる物見らの声』を聴いて、沸騰した頭をクールダウンしてから午後は設計に熱中症。