庭の変化は止まらない。秋になれば夏の花は終わり、秋が深まれば芝生が茶色くなって落ち葉が積もる。年がら年中雑草が生えるし、庭仕事はエンドレスです。



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昭和の御代では「苦労は買ってでもしろ」と言いましたし、「右か左か進路に迷ったら苦労の多い方を選べ」とも言われました。今思うとそれはありがたい教えで、他には「バチが当たる」や「小人閑居して不全を成す」などの戒めによって、勤勉さ、地道な努力が暮らしの基本なのだと信じ込み、おかげで大小様々な苦難に耐えることができたと思っています。
そう思いつつも、ですけど、庭に関してはその昭和的な哲学みたいなことの後遺症なのか副作用なのか、昭和生まれの方の多くが庭仕事を苦労と捉える傾向があるようです。



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その方々にとっては苦労を積み重ねることが日々の暮らしのお作法であって、苦労の先には幸福が待っているというロジックで、苦労して苦労して、ついには苦労のための苦労を繰り返している苦労スパイラルから抜け出せなくなっている人も多い。だからひたすら我慢をしながら、つまりストレスを溜めながら雑草を抜き落ち葉を掃いている。そしてついに力尽き、もう歳だから、病気を抱えているから、主人が庭に見向きもしないから、介護が大変だから庭どころじゃないと、ゆえに草取りをしなくていい庭にしたいと。どうも違う気がするんですけどねえ。それじゃあ苦労の先には苦労が待っているのであるということを、身をもって子供や孫に証明しちゃってますよね。
苦労の先には苦労が待っているし庭は苦労の場所だ、若い人たちはこのことを親から学んでいます。だから基本、庭については楽な方を選びます。それもまた困ったもので、庭は人工芝を敷き詰めとけば楽なんだと、いかにも検索による回答を結論として庭の楽しみを失ってしまう。老いも若きも庭なんぞという厄介な場所は無用なのであるとなってしまう。いやはや、まったく、どこでこんな事態になってしまったのか。



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ただし、年齢に関係なく庭を楽しみ、幸福な庭空間を実現している人は存在するわけで、その人たちは「苦労の先に幸福が待っている」という呪縛に捉われてはいない。「幸福の前提は苦労ではなく幸福である」と思っている。正解ですよね、これ。苦労に苦労を重ねて幾星霜とうとう力及ばず、人生なんてこんなもんでしょ、と諦念の中に身を潜めて静かに終わりの時を待つ人のなんと多いことか。片や年齢が行くほどに嬉々として、感動を増す暮らしをしている。テレビ番組でポツンと一軒家ってあるでしょ。あそこに登場する老人の姿のフレッシュさ、ハツラツとした表情たるや。自分もかくありたしと、いつも羨望と尊敬の念が湧いてくるのです。



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ルビーピエールがいい感じに咲きました。
春は蕾のまま腐ることが多く、
なかなかうまいこと開いてくれなくて。
こいつは冬の花なのかもしれませんね。


幼い頃、毎週夜8時にジャンジャジャジャジャン、人生楽ありゃ苦もあるさ、涙の後には虹も出る。これを刷り込まれて育った皆様、ちょっと進路変更しませんか。そう、庭で進路変更。苦労がよろこびになる進路変更です。目指すははっきりと、きっぱりと『花咲く幸せな庭』であり、苦労が目的ではないのだと、進行方向をしっかりと幸福へ向ける。花咲く日々に向かって歩を進め始めれば、義務ではなく土もふくよかに耕すでしょうし種もまくでしょう。雑草取りなんぞは屁のかっぱ、お茶の子さいさいで、せっせと花を植えて育てる毎日となる。あれれ、おいおい、もう幸せな気持ちでいっぱいになっているって気付くことでしょう。
涙の後には虹も出る。でもね、俯いて、ぐちぐち言いながら雑草抜いている人は虹に気付くことはない。歩いてゆくんだしっかりと、自分の道を踏みしめて。その道がブレずに幸福に向いているなら、今日の一歩が実感を伴った幸せになるのです。





  ラジオ日本の番組『THE BEATLES10』で
「もしも生まれ変われるなら4人のうちの誰になりたいか」
というのがありまして、驚くことにジョージが1位でした。
昔だったらジョン、ポール、ジョージ、リンゴの順は不動だったのに。
フェンも長い人生を経て熟成されてきたのかもしれません。
『静かなビートル』と言われたジョージ・ハリスン、
彼といると、誰でも穏やかな気持ちになったそうな。