あの頃、同級生の誰ひとり聴いていなかったし知らなかったであろう曲がある。年長(団塊)のロックマニアたちが集う喫茶店で流れていた、当時はちょっとかっこいいなとは思ったが、それほど沁みたわけでもない一曲が、この歳になって宝物になっているのです。





昨日は春の嵐。いち日中、脳内のターンテーブルでヘビーローテーション。

行くあてもなく 街角に立てば
空っぽの胸に風が吹いてゆく
昨日の夢は遠くに消えて
振り向いてみても お前はもう居ない

溢れる涙をこらえて
一人でいるのは辛い
おお春の嵐 連れてっておくれ
陽のあたるところへ

眠れないまま 朝が来てしまった
輝く星屑はむなしく消えてゆく

溢れる涙をこらえて
一人でいるのは辛い
おお春の嵐 連れてっておくれ
陽のあたるところへ
陽のあたるところへ



音楽も庭も、当事者の熟成が進むと別世界が展開するスペクタクル。



風を写してみました。

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辛抱強く、粘り強く生き延びていてよかったなあと思える瞬間がある。本当に、奇跡的に辿り着いたプロミストランド、約束の地なのだ。



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翻弄されて、倒れて、のたうって、それでも希望へと向かう叫び声を上げられることのありがたさよ。



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自称ガーデンデザイナー、ヘナチョコないわふち ひでとし、もうすぐ61歳。体と心は時々バグってしまいとても健康とは言えないが、なあにそんなのはこの曲を聴いていたあの時と同じこと。ふふ、歳のせいじゃない。精神はいたって健全ではある。そうじゃないと庭の設計などできないし、だからこの領域だけは死守する。



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ははは、これでいいのだ。これでいいのだバカボンボン。のたうちながら、今日も至高の庭世界を思い描くのだ。いいよいいよ、これで。痛みを前提とするならこれ以上楽しいことって、そうそうあるもんじゃないからね。イントロのベースとリードがいいんだよなあ。それとね、結論的に、今になってわかる孤高のユージシャン久保田真琴という人の脳内に吹く風が、うちの庭にも吹いている。



ミーとココは暴風音から逃れて部屋でまったり。
庭から避難することもできる自由がある、これが家庭なのです。


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人はメタモルフォーゼを繰り返しながら熟成する。変貌した現在の彼もなかなか、相変わらずでいいですよ。