九十代の男性・・・雪椿は手に入りませんか?う〜ん雪椿かあ、懐かしいなあ。それはわが故郷新潟の県の花。ただしこっちに来てから一度も見たことがなく、そもそもあれは品種の名前なのか、雪国で咲いている椿の総称なのかもわからないことに気づきましてYahooで検索したところ、オクツバキ、サルイワツバキ、ハイツバキなどのことで、太平洋側で生息していた藪椿が、日本海側の雪国でも咲くように適応したものを言うとのこと。つまり品種と総称の中間的な呼び名なんですね。

入手は可能だと思いますけど、探してみましょうか。

普通には売っていないんですね。

ええ。それと雪国のように美しく咲くかどうか、日本海側の気候に適応した品種らしいので。

そうですよねえ、きっと無理がありますよねえ。

でも植えてみたらいいんじゃないですか。

いやいや、慣れない土地で無理やり育ててもかわいそうだし、枯れるかもしれないし、やめときますよ。新潟生まれなもので、急に郷愁というんですかねえ、懐かしい気持ちになりまして。気まぐれです。

そうですかあ。ぼくも新潟なんですよ。

そこからしばし越後の話に花を咲かせてから、その方は杖をつきながら帰って行きました。別に寂しそうでもなく、さりとて楽しそうでもなく。



冬の花というイメージがある椿は、じつは今が盛り。
他の花が盛大なため目立たない存在ながら、
見つけると、薔薇にも勝るその姿に見とれます。


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その方の来し方がどのようなものだったのか、今は横浜でどんな暮らしをされているのか知りません。初めてお会いして、多分もう会うこともないであろうその人の後ろ姿が、何年後かの自分に見えて。次の瞬間には一年以上会っていない父の背中に見えて。



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実家の妹によれば、ずいぶんとボケていい感じのおじいさんをやっているらしい。柔道八段の巨大な存在だった父なのに、耳は遠くなり、歩くことが不自由になり、何となく、会いたいような会いたくないような。多くの男子は父親という高い山を超えるという大命題を背負って(背負わされて)育ちます。そして多くの場合、その道半ばで親の方が標高を下げてしまう。それどころか、気がつけば自分も人生の下り坂を転ばぬように、足元に気をつけながら歩いていたりして。いやはや。



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郷愁、ノスタルジーというものはサプリメント的。そんな気持ちになった時、父は父として、息子は息子で精一杯頑張ったんだからそれでいいんじゃない、と、励ましとも慰めともつかない言葉をかけてくれるものなんですね。それが良いのかどうなのか、冗談はよしこさん、まだまだ勝負はこれからだと若かりし日の父をイメージしてみたり。いずれにしても自分の根っこは今でも越後の山河に生えているのです。



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気分を変えて、さ、がんばろがんばろ。誕生祝いに来てくれた孫の美空が、帰り際に「ジイジくんと会いたいんだ」とグズって大変でした。「会いたいんだ」とは「一緒にいたいんだ」という意味で、帰り道でもしばらく言い続けてご機嫌ななめだったらしく、娘から「なんかおじいちゃん子になってきた」とメールあり。孫からのその最高にうれしいお言葉を杖にして、転ばぬように、まだまだエッチラオッチラ行けるところまで、登り坂を選んで進むのだ。



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美空を連れて歩いていると、周囲からお父さん扱いされることがあります。で、さもありなんと良い気になる。ジイジくんはいつまでも、生き生きと、カッコいいジイジくんのままだよ美空くん。



還暦を過ぎ、けっこう無理してお爺さん役をやらなきゃって思うのは、
爺さん婆さんが活躍していた田舎の根っこが抜けないから。
でもですね、
正直に申せば頭はクルクルパーな高校生のままなのです。
まあいいんじゃないですかね、素顔のままで、
あの頃流れていた歌を聴きながら進んでゆけば。