店の前の園芸売り場では、毎日花苗や野菜苗を買い求め庭人たちの笑顔が溢れています。考えたらうちの店は最高の立地でありまして、それは集客ということ以上に、店から常にその幸福なる人たちが見えている、という点にあるのです。
アフォーダンス・ダンス・ダンス、だいたい物事は、インプットされる情報の総括によって方向づけされ、その先々に当然起こる事柄として出現する。玉石混交が正当にして正統なる政党に属さぬ民衆の憤怒の噴石雨霰となって降り続く日常にあって、イライラの石つぶてからは身をかわし、気味悪い連中の妄言は右から左へ受け流し、電波を使った悲観的予測という土石流からはコンセントがない高台へ逃げる。高台へ、高台へ。
そうやって美しき玉のみをキャッチする者には玉座が用意される。だいたいやねえ、テレビで喋ってる電波賢者のご意見なんぞはそのほとんどが呪いの警鐘ですからね、村の中央にある火の見櫓に登ったやんちゃ坊主がカンカンカンと、オオカミがくるぞ〜!ってんで、次は線状降水帯ですよ〜!ってんで(線状降水帯って、戦場交戦隊みたいでなかなかの名コピー、危機を煽るには打って付け)、村人たちが呆れて、また言ってるよ、狼なんてのはとうの昔に絶滅してんだから来るはずないだろってんで、点で、転で、天で、てんで見向きもしなくなると、坊主は上手に屏風に書いてある金言を持ち出し叫び出す。王様の耳はロバの耳〜!王様は裸だ〜!と。村人たちは足止め、火の見櫓に目をやり話し出す。そうだ、ロバの耳だ、裸だよ裸、坊主よく言ったとやんやの喝采。それで気がおさっまった坊主はスナフキンを気取ってギターを持ち出し歌い出す。曲目は谷川俊太郎訳によるアザーグースの「黒い王様」。
しばらく放ったらかしだった庭を、半日がかりでデトックス。
大汗かいて気分爽快。
そうかい?
そうですとも。
いつの間にやら溜まったドグマを取り除いたら、
さて秋に向けて何を植えるか意欲湧く。


Before

After

Before

After



その坊主によるウディ・ガスリーのごとき清廉なる歌声が村人たちの心を癒し、お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に、若者は首タオルで畑仕事を、子供たちは忍者に変身してスイカ泥棒を企むという夏の日常を取り戻したのでありました、とさ。めでたしめでたし。
この国はあなたの国
この国はわたしの国
沖縄から北方の島々まで
白神の森から四万十の清流まで
この国はあなたとわたしのために創られたんだ
子どものわたしが歩いていたときに見たものは
あのリボンのような高速道路の下に広がる
稲穂が輝く魚沼平野
この国はあなたとわたしのために創られたんだ
わたしは都会へ出て歩き回った
上落合 新井薬師 中野ブロードウェイ
浅草 渋谷 勝鬨 押上 高円寺あたりも
明け方の歌舞伎町でカラスの声が聞こえてきた
この国はあなたとわたしのために創られたんだよって
日照りに喘ぎながら歩き続けたら
あの稲穂が波打つ 雲が渦巻く風景から
懐かしい声の仕事歌みたいに聞こえてきたんだよ
この国はあなたとわたしのために創られたんだよって
歩いて歩いて歩いた先に警告看板
この先バブルにつき部外者の侵入を禁ず
でも他のところではバブルが弾けて行きたい放題
空き缶が散らばる路上で誰かが叫んでいる
この国はあなたとわたしのために創られたんだよ!
公園の広場で
ビル群の陰で
集団接種の長い列で
わたしはわたしを見ているようだ
ある者はぶつぶつと不平を言い
ある者は訳がわからず困っている
この国はあなたとわたしのために創られたものなのかな
誰もわたしが生きてゆくことを止められない
呪いの祝祭が執り行われようとも関係ない
誰もわたしの来た道を巻き戻すことはできない
稲藁を焼く煙の香りから続くこの道を
この国はあなたとわたしのために創られたんだから
ウディ・ガスリーのことは、かなりのフォーク好きでも霧の中の人影だと思います。息子であるアーロ・ガスリーの曲を何度か聞いたことがあり、ボブ・ディランが彼に心酔して曲にしたり、文章を書いたりしていることくらいで、遠い世界の過去の人。なれど、発掘するに値する偉人なのであります。彼はチリのビクトル・ハラと同じく革命家的放浪の歌歌いで、その人生物語は、出自も本編もエンディングも両者共に悲惨を極めている。今の世では庶民階級の者が本当のことを言ってもいい、歌ってもいい、少なくとも我が国ではそうなりましたので、本音を排除する世間とのズレによってガスリーみたく精神病になることも、ハラのように命を奪われることもない。なんて自由で平和な世の中になったことだろう。万歳、だ。バンザ〜イ君に会えてよかった!とだって左右からの攻撃を恐れることなく叫べる世の中にまでなった。本当のことを誰もが語り歌うことが許されるんだから、万々歳です。しかし困ったことに本当のことが見えない。でしょ?肝心の要がひた隠しにされていおるのか、いやいや要が存在しないのかもしれません。王様の耳はどんなだっけ?・・・そういえば王冠がデカくて見えないね。民の声を聞く耳なんかついていないのかも。でですね、仮設ですけど、何もかもが虚構で、ほら、あの惑星の砂浜に突き出た自由の女神のようなエンディングが来たとして、さて続編は。もしかしてだけど〜、もしかしてだけど〜、そこで心を打つ詩を歌い上げる才能を持っているのは、大谷翔平と池江璃花子かもしれないなあ、などと。陛下が侍従を使って絞り出すように小さく呟いた一言を、かつて万歳万歳を叫んでいた世代と、それを総括して自らまで総括した世代の残党たちはどう受け取ったのだろうか。あるいは右から左へ受け流したのでしょうか。こだまでしょうか。馬鹿と言うと馬鹿と言われるから口をつぐんでいるのでしょうか。それも仕方なし、これだけ言葉が原因で百叩きに合う自称賢者、実は他称変者が立て続けば当然の自主的箝口令なり。
つまりはこれは時代のデトックス。人心を操ることに熱心で人の心を失った者たちの首が180度回って緑の毒がどくどくと。きゃーこわいー!いやいやまだまだこれからですよ。出して出して全部出して、もう出汁もとれねえスカスカのガラになったらそこからが復興の始まり始まり〜。廃墟に鳩が飛ぶ〜。
まあいいや、こちとら仕事が溜まりに溜まってそれどころじゃねえ。それどころじゃねえけど、ひとつだけ、言わせておくんなまし女将さん。戦争って、いつもこうやって起きるんですよね。居並ぶ賢者がそれぞれの立場を正当化するうちに、何かが失われてダッチロールが始まって、誰のせいでもなく開戦となってしまう。登場人物全員が正義の人のままで。女将さん、何が失われてしまったのでしょう。さあ女将さん、決め台詞を。さあ、さあ、女将、あの決め台詞を。え、さすがに照れくさい。そうですか。
いよいよというか、やっとというか、本日日本のオリンピックが始まりますね。あー、あー、本日は晴天なり。灼熱もひと段落し、晴天に心地いいそよ風。台風は左に逸れたしアマテラスは祝福しているご様子なれば、愛と平和の祭典を電波越しに心ゆくまで楽しませていただきます。もちろん最大の、愛ある声援を送りながら。実際、選手たちが子供や孫みたいに思えて仕方ないんですよね。これは歳のせいかもしれませんが、だとしたら健全なる老人力なり。
項垂れていた民を見上げさせる、希望と感動の青い稲妻は準備万端らしいけど、鳩は飛ぶのかな?なんてね。
アフォーダンス・ダンス・ダンス、だいたい物事は、インプットされる情報の総括によって方向づけされ、その先々に当然起こる事柄として出現する。玉石混交が正当にして正統なる政党に属さぬ民衆の憤怒の噴石雨霰となって降り続く日常にあって、イライラの石つぶてからは身をかわし、気味悪い連中の妄言は右から左へ受け流し、電波を使った悲観的予測という土石流からはコンセントがない高台へ逃げる。高台へ、高台へ。
そうやって美しき玉のみをキャッチする者には玉座が用意される。だいたいやねえ、テレビで喋ってる電波賢者のご意見なんぞはそのほとんどが呪いの警鐘ですからね、村の中央にある火の見櫓に登ったやんちゃ坊主がカンカンカンと、オオカミがくるぞ〜!ってんで、次は線状降水帯ですよ〜!ってんで(線状降水帯って、戦場交戦隊みたいでなかなかの名コピー、危機を煽るには打って付け)、村人たちが呆れて、また言ってるよ、狼なんてのはとうの昔に絶滅してんだから来るはずないだろってんで、点で、転で、天で、てんで見向きもしなくなると、坊主は上手に屏風に書いてある金言を持ち出し叫び出す。王様の耳はロバの耳〜!王様は裸だ〜!と。村人たちは足止め、火の見櫓に目をやり話し出す。そうだ、ロバの耳だ、裸だよ裸、坊主よく言ったとやんやの喝采。それで気がおさっまった坊主はスナフキンを気取ってギターを持ち出し歌い出す。曲目は谷川俊太郎訳によるアザーグースの「黒い王様」。
おなかをすかせたこどもは
おなかがすいているのでかなしかった
おなかがいっぱいのおうさまは
おなかがいっぱいなのでかなしかった
こどもはかぜのおとをきいた
おうさまはおんがくをきいた
ふたりともめになみだをうかべて
おなじひとつほしのうえで
おなかがすいているのでかなしかった
おなかがいっぱいのおうさまは
おなかがいっぱいなのでかなしかった
こどもはかぜのおとをきいた
おうさまはおんがくをきいた
ふたりともめになみだをうかべて
おなじひとつほしのうえで
しばらく放ったらかしだった庭を、半日がかりでデトックス。
大汗かいて気分爽快。
そうかい?
そうですとも。
いつの間にやら溜まったドグマを取り除いたら、
さて秋に向けて何を植えるか意欲湧く。


Before

After

Before

After



この国はあなたの国
この国はわたしの国
沖縄から北方の島々まで
白神の森から四万十の清流まで
この国はあなたとわたしのために創られたんだ
子どものわたしが歩いていたときに見たものは
あのリボンのような高速道路の下に広がる
稲穂が輝く魚沼平野
この国はあなたとわたしのために創られたんだ
わたしは都会へ出て歩き回った
上落合 新井薬師 中野ブロードウェイ
浅草 渋谷 勝鬨 押上 高円寺あたりも
明け方の歌舞伎町でカラスの声が聞こえてきた
この国はあなたとわたしのために創られたんだよって
日照りに喘ぎながら歩き続けたら
あの稲穂が波打つ 雲が渦巻く風景から
懐かしい声の仕事歌みたいに聞こえてきたんだよ
この国はあなたとわたしのために創られたんだよって
歩いて歩いて歩いた先に警告看板
この先バブルにつき部外者の侵入を禁ず
でも他のところではバブルが弾けて行きたい放題
空き缶が散らばる路上で誰かが叫んでいる
この国はあなたとわたしのために創られたんだよ!
公園の広場で
ビル群の陰で
集団接種の長い列で
わたしはわたしを見ているようだ
ある者はぶつぶつと不平を言い
ある者は訳がわからず困っている
この国はあなたとわたしのために創られたものなのかな
誰もわたしが生きてゆくことを止められない
呪いの祝祭が執り行われようとも関係ない
誰もわたしの来た道を巻き戻すことはできない
稲藁を焼く煙の香りから続くこの道を
この国はあなたとわたしのために創られたんだから
ウディ・ガスリーのことは、かなりのフォーク好きでも霧の中の人影だと思います。息子であるアーロ・ガスリーの曲を何度か聞いたことがあり、ボブ・ディランが彼に心酔して曲にしたり、文章を書いたりしていることくらいで、遠い世界の過去の人。なれど、発掘するに値する偉人なのであります。彼はチリのビクトル・ハラと同じく革命家的放浪の歌歌いで、その人生物語は、出自も本編もエンディングも両者共に悲惨を極めている。今の世では庶民階級の者が本当のことを言ってもいい、歌ってもいい、少なくとも我が国ではそうなりましたので、本音を排除する世間とのズレによってガスリーみたく精神病になることも、ハラのように命を奪われることもない。なんて自由で平和な世の中になったことだろう。万歳、だ。バンザ〜イ君に会えてよかった!とだって左右からの攻撃を恐れることなく叫べる世の中にまでなった。本当のことを誰もが語り歌うことが許されるんだから、万々歳です。しかし困ったことに本当のことが見えない。でしょ?肝心の要がひた隠しにされていおるのか、いやいや要が存在しないのかもしれません。王様の耳はどんなだっけ?・・・そういえば王冠がデカくて見えないね。民の声を聞く耳なんかついていないのかも。でですね、仮設ですけど、何もかもが虚構で、ほら、あの惑星の砂浜に突き出た自由の女神のようなエンディングが来たとして、さて続編は。もしかしてだけど〜、もしかしてだけど〜、そこで心を打つ詩を歌い上げる才能を持っているのは、大谷翔平と池江璃花子かもしれないなあ、などと。陛下が侍従を使って絞り出すように小さく呟いた一言を、かつて万歳万歳を叫んでいた世代と、それを総括して自らまで総括した世代の残党たちはどう受け取ったのだろうか。あるいは右から左へ受け流したのでしょうか。こだまでしょうか。馬鹿と言うと馬鹿と言われるから口をつぐんでいるのでしょうか。それも仕方なし、これだけ言葉が原因で百叩きに合う自称賢者、実は他称変者が立て続けば当然の自主的箝口令なり。
まあいいや、こちとら仕事が溜まりに溜まってそれどころじゃねえ。それどころじゃねえけど、ひとつだけ、言わせておくんなまし女将さん。戦争って、いつもこうやって起きるんですよね。居並ぶ賢者がそれぞれの立場を正当化するうちに、何かが失われてダッチロールが始まって、誰のせいでもなく開戦となってしまう。登場人物全員が正義の人のままで。女将さん、何が失われてしまったのでしょう。さあ女将さん、決め台詞を。さあ、さあ、女将、あの決め台詞を。え、さすがに照れくさい。そうですか。
いよいよというか、やっとというか、本日日本のオリンピックが始まりますね。あー、あー、本日は晴天なり。灼熱もひと段落し、晴天に心地いいそよ風。台風は左に逸れたしアマテラスは祝福しているご様子なれば、愛と平和の祭典を電波越しに心ゆくまで楽しませていただきます。もちろん最大の、愛ある声援を送りながら。実際、選手たちが子供や孫みたいに思えて仕方ないんですよね。これは歳のせいかもしれませんが、だとしたら健全なる老人力なり。
項垂れていた民を見上げさせる、希望と感動の青い稲妻は準備万端らしいけど、鳩は飛ぶのかな?なんてね。