体感気温とは面白いもので、気温計を手にしたリポーターが時たま数値化したりもしますが、数値化しきれない部分に体感があるわけです。陽射しは焼けるようでも日陰に入るとエアコンでは得られないエアコンの設定温度にはない涼風を感じる。よっこらしょっと、よっこいしょういちっと冷えたタイルの玄関ポーチに腰掛けて、水筒から氷水をごくごくと。ん〜〜〜甘露甘露。真夏は水が最高のご馳走なり。ん、この風は確かどこかで。どこかもここかもすぐに脳内のスクリーンには、夏休みの縁側風景が広がるのでありました。



芙蓉の花が目に涼しい。
酔芙蓉、不要の要は少年時代。
その心は。
傍目にボケーっとしている時間が少年の根っこを育てているのです。

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昨日大量に捕まえてきたサワガニが洗面器から脱走し、二匹しか残っていない。少年は残念さと安堵が半分半分。爺ちゃんご自慢の坪庭の先には畑があって、その向こうにはこないだまで蛍が飛んでいた小川がある。きっとそこで、大脱走に成功したカニたちも安堵していることだろう。逃亡犯の踏み台となって逃げ損なった二匹を、小川まで運んで放つ。



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友達と大川へ行って突き(カジカを突いて河原で焼いて食べる遊び)をする約束の時間まで、退屈とワクワクが半分半分のまま、宿題もしなきゃなあと面倒くささと責任感が半分半分で結局は先延ばしにする。毎日毎日先延ばし、不安とまだ平気だよという言い訳が半分半分。だいたい少年時代とはハーフ&ハーフで過ぎて行くものだ。 ただぼくの場合、ちょっと違っていたのは妄想癖。半々を繰り返す背後というか奥というかで、止むことのない蝉の声みたいに想像の世界が展開している。ゴジラやケムール人は常連で、アリが親友だったり、空が無限のカンヴァスだったり。



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その癖は少年が爺さんになっても変わらない。さてと、休憩終わり。庭の四隅に蚊取り線香を追加して、測量作業の再開だ。首タオルで顔を拭いつつ、現状を測りながら、脳内ではすでに仮想庭が仕上がってゆく。当たり前に過ぎる見解ながら、もう子供ではない。その証拠に、お客様の目から鱗がはらっと落ちる瞬間へのワクワクと、想像から湧き上がる創造欲求が半々ではなくひと塊で、金田正太郎くんが持つリモコンを操作して、まとわりつく体温よりも高い空気をかき分けかき分け、鉄人を動かしているのでありました。



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真夏日のひと休みは、脳が沸騰しているせいか濃厚にしてノスタルジックなり。つまり、だ、体感温度は記憶と癒着しているために、夏の日陰のそよ風はハックルベリーかスナフキンか、少年時代の幸福感。夏には夏の楽しみを。