パラダイムシフト、あなたも過去に何度か、ガラッと世界が変わったという経験があると思います。ぼくには大きくは3回、小さい規模なら100回ほどはあったと思います。普段仕事上では、庭をリフォームしたことで世界が一変したという声を多々頂戴しましたし、それが設計のひとつのテーマにもなっています。
大きかった3回の内容は長くなるので省略して、自分自身にもう一度、せめてもう一度デカいヤツがやってこないかなあと思っていて、還暦を過ぎたらさすがに、あのフレッシュに満ちた奇跡の現象を引き起こす原資はすでに尽きてしまったのか、とか、いやいやそんなはずはない、年齢や現状などに関係なく思いもよらない感動の瞬間はやってくるのだと、いつもそんなことが頭の隅っこにこびりついているのです。
どう変わりたいのかではありません。仕事と暮らし全般において夢、理想とする到達点は、そういう思考がガーデンデザインの中核ですからお作法のように常にイメージできていて、それはそれ、そっちに向かって帆を張り歩を進めるのみ。世界が変わるとはそのイマジネーションとは違う次元の、想像を超えた夢のまた夢みたいなことなので目標ではない。例えば「恋に落ちる」というような、予想や想定している日常の外側から、まさしく世界を一変させる現象が訪れるようなあの感じ、うん、あの感じ。自分の変化ではなく、突然吹いてきた風に翼を広げたら楽々と天空へと上昇するような。
そうそう、ウインドです、ウインドサーフィンのウォータースタート。沖合いで波に揉まれて立ち泳ぎをしているところに絶好の風が入ってくる。ボードに片足を掛け、海面からセールを少し上げたらそこに入ってくる空気のボリュームによって、ほぼ自動的に体が持ち上がってボードに立ち、スタートの体勢になれたあの感じ。水中から水上に、さっきまでの不自由さから解放された瞬間に訪れる感動です。



バラ自身は何も変わらない。
バックグラウンドの光で世界が一変する。


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ジャズジャイアントのひとりジョン・コルトレーンは、その欲求、「風を捕まえる感動」を求めて生きた人でした。
貧しい地区の貧困家庭で育ちながら幸運にもクラリネットとサックスを手に入れた少年は、夢中になってそれを練習をしました。青年期には軍隊へ行き軍の楽団で研鑽を積み、退役後は当時ビバップ革命の騎手であったチャーリー・パーカーに憧れてジャズの世界へ。ライブに通い詰めるうち、パーカーに師事していた駆け出しのマイルス・デイビスと知り合い、後に第1次のマイルスバンドへ招聘されます。そこからは世界を唸らせたマイルス&コルトレーンの黄金期の到来です。ところが好事魔多しで、麻薬にのめり込んでゆくコルトレーンに愛想を尽かしたマイルスが彼をぶん殴ってバンドから追放する。しかしすでにマイルスと並び称される名声を得ていたコルトレーンは、インド音楽やワールドミュージックの影響を受けながら進化を続け、数々の名盤を発表してゆきます。



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彼の人柄は基本的にジェントルな愛されキャラなれど、とにかく探究心というかこだわりが強烈で、自他共に認める練習の鬼。中古のオンボロサックスが宝物だった少年期からマイルスバンドの黄金期、そして孤高に至る晩年までそれは変わらず、時間さえあればエレベーターの中ででも吹いていたと言われています。その探究心の強さが災してか、変化を止めない彼の音楽スタイルはジャズ好きのうるさ方からは批判されることが多く、今でもマイルスと並べては、「バラードの頃のコルトレーンは最低だった」などと言われる始末。ぼく的にはコルトレーンを批判する資格を持つ人など地球上にひとりもいないよって思っていますが。
貧しかった出自の影響か、彼は生涯一貫して、音楽は人々の幸福のためにあるし自分はそのために吹いているのだという思いが、ほんの1ミリも揺るがない人でした。その信念が生前にどれだけ開花したのかについては、何せその頃、ひょっこりひょうたん島とエイトマンに夢中だったぼくには、ビートルズ出現以前のジャズ蜜月時代の目撃者となっていないため不明です。現在から辿った当時の評価では「音楽は人々の幸福のためにある」という観点でのものは見当たらないし、常にマイルスに次ぐ2番手として語られている。やれやれ、それが事実なんだろうけど、世の評価とは気まぐれにして表面的なものなんだなあと思ったり・・・。真実はわかりませんけど。絵画であれ、演劇であれ、政治家も、文学者も、科学者も、孤高とはそういうもので、死後何年か、あるいは時代背景がすっかり変化した何十年後かにようやく当人がニヤリとできる、正当な評価を受けるものなのでしょう。



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ジョン・コルトレーン( 英語: John William Coltrane, 1926年9月23日 - 1967年7月17日 )は、アメリカ、ノースカロライナ州生まれのモダンジャズを代表するサックスプレーヤー。愛称はトレーン( Trane )。
無名時代が長く、第一線で活躍した期間は10年余りであったが、自己の音楽に満足せずに絶えず前進を続け、20世紀ジャズの巨人の中の1人となった。




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問題は、生前の彼が幸福だったのだろうか、ということです。ストーリーを読むとそうは思えないのに音を聴くと、その答えは真逆になる。「生きてるのはそれだけで辛いことなのだ。だからそんなの気にしているのは時間の無駄だよ」という前提に立っているようで。だからぼくは、ついついくよくよして無駄遣いに陥りそうになった夜には、庭でカラヴァッジオの絵を見つめコルトレーンを聴く。まあ、年に一度とか、そんな程度ですけど。そうすると「生きているのはそれだけで・・・」の前提が鮮烈に光り出します。辛くて普通なんだからそんなの気にすることじゃないよ、と。
薬と酒と音楽へのストイックさから陥った病に侵され余命宣告を受けてからの3年間、彼はそのことを周囲にも家族にも明しませんでした。風を求めて精力的にアルバムを発表し続け、そして40歳で風と共に去りました。幸せだったのか否か、幸せの定義によりますが、きっと毎日クラクラするほど幸福だったんだと、残された音を夜の庭で聴いているとそう感じるのです。ありがとうコルトレーン、最高ですよ。
ジョン・ウイリアム・コルトレーン、40。ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ、38。チャーリー・パーカー Jr、34。ちなみにマイルス・デューイ・デイビス Ⅲ、65。早かろうと遅かろうと、短かかろうと、退屈でうんざりするほど長く感じているとしても、悔いなき人生を。その人生に気の利いた庭が必要ならお声がけを。
え、ぼく?今のところ61。あなたは?
A Love Supreme.    大いなる人生を。







タイトルが『 A Love Supreme Ⅱ 』、Ⅱ が付いているのは、昨年の今頃にやはりコルトレーンのことを書いてたことに気づいたからです。
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秋が深まると聴きたくなる、ということなんですかね。