日食は太陽と地球の間に月が入り、月そのものが太陽を隠してしまう現象で、それに対して月食は、月と太陽の間に入った地球の影が月に落ちるものです。つまり月面からは、地球が太陽を隠す日食が見られるわけで、想像すると『ツァラトゥストラはかく語りき』が聞こえてきそうですよね。

昨夜はほぼ皆既な部分月食でした。そのピークは午後6時15分であるとのことで、昼間からワクワク。ところが仕事が長引き帰宅したのは6時で、すでに天体ショーは佳境に入っています。慌ててカメラを携え庭へ。何やらご近所が賑やかで、高台にある庭から見下ろしたら結構な人数がスマホや三脚装備のカメラを空に向けていて、ああいい感じ、「これが天体への正しい態度である」などと喜んだのもつかの間、薄雲が月を隠してしまいました。ご近所からは子どもたちの落胆の声が聞こえ、半分以上の人が帰ってゆきました。



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ふふふ、気が早いぜ子どもたちよ、この天気ならすぐに雲は切れるはず。案の定、数分でまた澄んだお月様が現れ、そこから数十分は後半のドラマです。輪郭の端っこだけだった月が徐々にボリュームを増してゆき満月に至る。その変化をファインダー越しに見つめつつ、思考は太古の人々の庭へワープしました。まだ地球は平らで、その上空に太陽と星と月が存在していると思っていたであろう縄文の人々は、突如満月が欠けてゆくという異変に心底怯えたんだろうなあと。不安がる大人たちの様子に泣き出す子どもの手を引き、洞穴に身を隠して震えていたかもしれない。しばらくしてまた光が増してゆき、元通りの満月に戻った時にはきっと安堵して、今度は大人が感謝の涙を流したことでしょう。



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夜空を見上げるって楽しいなあ。月も星も、南アフリカで猿が木から降り、未知なる草原へと旅立った頃と何も変わっていないわけで、ご先祖たちや、ぼくらが知る偉人たちは例外なく夜空の星や月を見つめては物思い、懐かしんだり、希望を抱いたり、泣き笑いして人生を過ごした。ジョンもマイケルもエルヴィスも、きっと。そういえばエルヴィスは後期のコンサートで、オープニングに必ず『ツァラトゥストラはかく語りき』を使っていたなあ。





140年ぶりという今回のような「ほぼ皆既の月食」が次に見られるのは、60年後だそうです。60年後・・・かあ・・・。