連日の感動感動また感動がうれしいやらありがたいやらで、いやあ〜スポーツって本当にいいものですね。
東京五輪でもそうでしたけど、新しい競技がすごくいい。まだそこに大人の思惑が入り込んでいない競技での雪国の子らの純粋な身体&感情表現に、ぼくらの世代にはなかった気がする真に平和的で、友情とか、情熱とか、全員の思考が豊かな家族愛に基づいているような、なんかたまらなく美しく頼もしい気がしています。
満開間近なウメを追って、カメラ担いでひと歩き。
なんとなんと、ウメを追い抜きカワヅザクラが満開でした。
やっぱりいいよ、この花の濃いピンク。
このまあひと月くらい鮮やかなまま咲き続けるし。
回る回るよ時代は回る、出会いと別れを繰り返し、
ソメイヨシノはそろそろ昭和ノスタルジーになるんでしょうね。
そして御伽噺となって、そんな時代もあったねと消えてゆく。
それでいいのだバカボンボン。

普段うちの子らに感じている「親はアホなのに、どうしてこんなにまともに育ってくれたんだろう。感謝だなあ」という感慨と似ているんですよね。片や大人たちはこの Love & Peace な祭典の最中にアフガン、ウクライナ、北朝鮮での戦争ごっこが止むことなし。雪国の子らよ、世界の子らよ、それでいいのだ。アホは死ななきゃ治らない。大丈夫大丈夫、皇帝も、将軍様も、裸の王様も、焼け木杭となった団塊親父も、老兵たちはあと数年で消えてなくなるから。すまなかったのお、子どもたち。そして、ありがとうね。
老兵たちよ、せめて老後は庭を充実させて、かつて新宿西口で叫び歌っていた Love & Peace な世界を家庭内に、子や孫に具現化させてから消えようではないか。いやマジで、それくらいはちゃんとしないと、我らを反面教師として健やかに育ってくれた若生のたちに、お詫びのしようもないですから。
とか思いながら、画面から尽きない泉の如くにもたらされる感動の場面を、せっかくですから今日の糧として、設計設計また設計。ありがたいありがたい。感動ですぐに泣けるのは老化である、と申しますが、考えたら若い頃からオリンピックに感涙は付きものでした。だから遠慮せず、思う存分泣かせていただきます。
中国の皆様、謝謝。なんか、ほんと、素晴らしい祭典ですね。 ぼくの一時的な幻想なのかな、もしかしたら『一帯一路』も悪くないなあ、などと思うポンコツ爺さんの独り言。それが Love & Peace の具現化となるならですが。その前に、家と庭で家庭ですから、愛と平和な庭のある暮らしが世界レベルで実現する、常識化する、それが前提ではありますが。
東京五輪でもそうでしたけど、新しい競技がすごくいい。まだそこに大人の思惑が入り込んでいない競技での雪国の子らの純粋な身体&感情表現に、ぼくらの世代にはなかった気がする真に平和的で、友情とか、情熱とか、全員の思考が豊かな家族愛に基づいているような、なんかたまらなく美しく頼もしい気がしています。
満開間近なウメを追って、カメラ担いでひと歩き。
なんとなんと、ウメを追い抜きカワヅザクラが満開でした。
やっぱりいいよ、この花の濃いピンク。
このまあひと月くらい鮮やかなまま咲き続けるし。
回る回るよ時代は回る、出会いと別れを繰り返し、
ソメイヨシノはそろそろ昭和ノスタルジーになるんでしょうね。
そして御伽噺となって、そんな時代もあったねと消えてゆく。
それでいいのだバカボンボン。

老兵たちよ、せめて老後は庭を充実させて、かつて新宿西口で叫び歌っていた Love & Peace な世界を家庭内に、子や孫に具現化させてから消えようではないか。いやマジで、それくらいはちゃんとしないと、我らを反面教師として健やかに育ってくれた若生のたちに、お詫びのしようもないですから。
とか思いながら、画面から尽きない泉の如くにもたらされる感動の場面を、せっかくですから今日の糧として、設計設計また設計。ありがたいありがたい。感動ですぐに泣けるのは老化である、と申しますが、考えたら若い頃からオリンピックに感涙は付きものでした。だから遠慮せず、思う存分泣かせていただきます。
中国の皆様、謝謝。なんか、ほんと、素晴らしい祭典ですね。 ぼくの一時的な幻想なのかな、もしかしたら『一帯一路』も悪くないなあ、などと思うポンコツ爺さんの独り言。それが Love & Peace の具現化となるならですが。その前に、家と庭で家庭ですから、愛と平和な庭のある暮らしが世界レベルで実現する、常識化する、それが前提ではありますが。
かつて風に舞っていた『答え』を、
ぼくらがまごまごしているうちに
若者たちが器用に掴んだ気がして。
滑降し、ジャンプし、回転し、
彼らの躍進的に進化した能力を、
指導し解説できる大人はもう存在しない。
彼らはぼくたちを追い抜いたのだ。
ただただ感動し、敬服しつつ称賛するお年頃。
ぼくらがまごまごしているうちに
若者たちが器用に掴んだ気がして。
滑降し、ジャンプし、回転し、
彼らの躍進的に進化した能力を、
指導し解説できる大人はもう存在しない。
彼らはぼくたちを追い抜いたのだ。
ただただ感動し、敬服しつつ称賛するお年頃。