店の近くにテニスコート2面ほどの広さの畑があります。時々お爺さんが作業をしていて、その姿に、遠くからしばし見惚れる冬の朝。土と馴染んだ身なりで、草取りでも収穫でも動作に全く力みがない。穏やかに、静かに。その淡々とした営みは、ひとりの世界を存分に楽しんでいるようで、間違いなく、この人は充実の人生を過ごしてきたんだなあと、偉大なことだなあと、深々とした感慨に浸るのです。



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 何が偉大って、そういう農民的な日々の積み重ねが、本人以上に家族を幸福へと導いてきたに違いなく、それこそが最も賢く尊い人生なのであると、年末だからか、あるいは加齢の症状なのか、そんなことを思うと胸が熱くなってくる。幸せとは、家族の幸せを願いながら土を耕すことなのだ。こんなことは若い頃には想像もしなかった思考で、あ、つまりは、妙に涙っぽくなってしまう、やはり老化現象ですな。



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 ただし、こういう老化は嬉しいことです。赤瀬川原平曰くの『老人力』とは、きっとこの領域に至ってようやく発見できる光なのでありましょう。人それぞれの生き方、歳の取り方、辿ったルートは千差万別でありながら、その道が真っ当なものであったと感じられる人を見かけるだけで、偉いよ!素晴らしいです!拍手喝采したくなる。裏を返せば、同じく頑張って生きてきたのに、あまり家族や周囲の人の幸福にリンクすることなく、勤め上げて定年になったら家族からはすでにそっぽを向かれており、安住の地どころか安らげる小部屋も見当たらず、口をへの字にして呆然とする爺さんの、なんと多いことか。



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 とはいえ命はまだまだ続くわけなので、修正は大いに可能なり。ご同輩、まずは鏡を見ることです。そこに萎びた不機嫌顔があったとすれば、口角を上げて、女房子供を笑わせることを仕事だと思って過ごしましょうぞ。あなたの人生が家庭に花を咲かせぬままに終わったとすれば、悔いが残らぬはずはない。だってそのために頑張ってきたんでしょ。ですよね。ただ必死すぎて仕事頭のままで老いてしまっただけのこと。よくあることです。



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 男は終生、少年のままのロマンチストである。爺さんになっても未熟なガキのまま。そして女は文句言いの現実主義者となって、老いてゆく不安を不満に変換しては男をなじることによって、鏡から目を逸らせるようになってゆく。これは古今東西変わらぬ夫婦像なれば、何も悩むことではない。生物学的な、それが老夫婦のスタンダードなのですから、いいのいいの気にせずなじりあっていれば。そんなこんなしているうちに終わりが来て、最後に三途の河原の渡り賃を握らせてもらえたら人生大成功ですよ。



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 数年前に話題になったドキュメンタリー映画、『ふたりの桃源郷』の老夫婦、素晴らしいですなあ。はるか昔の記憶から、祖父と祖母、近所の人たちが日常としていた、畑仕事に精を出す精を出す姿が蘇ってきて、胸が苦しいような、じわっと泣けてくるような。





 いち日いち日が自分と畑との対話で、そのいち日を淡々と積み重ねてゆく。気がつけば老人になっていて、しかし気持ちは一切老いてはおらず青年のまま。そのギャップに自ら戸惑いながらも、とにかく今日は収穫をせねばと動いているうちに、戸惑いなど消えた高僧の如き境地へ至っている。最後の年、お爺さんはお婆さんに決意を伝えます、「なあ、来年は米を作ろう」と。



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 庭で畑仕事をするのは大概男性です。奥様方はそれを眺めながら「あなた、随分と高価な野菜を育てていらしゃるのね。そのブロッコリー、業務スーパーに行けば150円で食べきれないくらい買えますわよ」などと嫌味を言ったりするわけです。でもね、奥様、違うんですよ。損得じゃない。ご主人は無口に野菜を育てながら、果てしなくあなたのことを考えている。愛情ですよ。それを伝える言葉が、どこをどう探しも見つからない。探し物は見つけにくく、カバンの中も机の中も探したけれど見つからないので、やむなく無口になって、夢の中へとワープして、ポツネンとして、自分と対峙しているのです。ジジイの愛情とは、寂しいけど、そういうものなのであります。


真田家の旗印は六文銭。
三途の川の渡し賃。
六文あれば極楽へ行けるんだから、
心置きなく戦えよ、という意味。

思い出します、真田丸。
幸村の父、昌幸(草刈正雄)、かっこよかったなあ。
あの戦い方は『復活の日』の草刈正雄と変わらない、っていうか、
印象がダブって、そのうちオリビア・ハッセーが出てくるのでは、
などとあり得ない妄想をしながら楽しんだものです。
草刈正雄は時空を超えて草刈正雄のまま、年齢不詳のかっこよさ。
あれは痛快な名作でしたねえ。



っと、こちらはフォークの六文銭。
小室等は渡し賃ではなく、
小説『月と6ペンス』の6ペンスを
六文銭と訳したのである、としています。

 月と6ペンスはゴーギャンをモデルにした物語。
確かに、戦国物よりこっちの方がしっくりきますね。
小室等、及川恒平、四角桂子。
西日の四畳半でギターをつまびいていたあの頃にワープする、
郷愁を誘う歌声です。
70年代は猫も杓子も、みんなフォークシンガーでしたなあ。