庭をつくる人

花の革命・愛ある庭

 ロングロングタイムアゴー、かつてこの地上はティラノサウルスなどの肉食恐竜を頂点とする爬虫類の楽園でした。その風景に生えていた、シダやイチョウやメタセコイアなどの裸子植物は草食恐竜の食糧で、恐竜が繁栄するにつれて食い荒らされ、とうとう絶滅の危機に。その危機は食べる側にも及ぶわけで、恐竜たちは飢えに喘ぎ、植物を求めて北へ北へと移動します。折り悪く泣きっ面に蜂で、氷河期が到来。さらには巨大隕石が落ちて、ついにほとんどの恐竜は地上から消えてしまいました。



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 一方植物たちはしぶとかった。散々食い荒らされることに耐えながら生存の道を探ります。耐えて凌いでいるうちに、奇跡の如き大革命が起こりました。それまで恐竜から一方的に虐げられてきた植物は、恐竜とは対極にある小さな小さな生き物、昆虫と手を組んだのです。花と蜜と香りで虫を魅了し受粉する被子植物へと進化を遂げました。さらには同盟を組んだ昆虫以外の動物から食べられないために、アルカロイド、ニコチン、コカイン、カフェイン、カプサイシンなどの毒を身に蓄えることまでも。



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 地上の覇者は恐竜から植物になりました。すると今度は植物同士で競争、レストラン同士の集客合戦が勃発します。お隣さんと咲く時期をずらし、お客様の好みに応じて色形を変え、蜜の味や花の香りも個性的にすることで爆発的に多様な花が生まれました。これで地球は酸素を供給する豊かな緑に覆われ、花咲き乱れ、哺乳類、魚類、爬虫類、昆虫、植物、微生物まで含めてたくさんの生物が調和し共存できる、まさしく生命の楽園になったのです。



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 こうして完成形となった奇跡の星、イーハトーブ。そのままだったら良かったのに、何と何と、500万年前に哺乳類の中からとんでもない猿が幅を利かせ始めます。あの傍若無人な恐竜ですら1億6千万年もの長きに渡って繁栄を続けました。さて、このタチの悪い猿族の運命やいかに。悪猿は滅びを前にして、かつて植物が行ったような革命的変化を起こせるか否か。それは小型化か、翼を生やすことか、昆虫と手を組むか、あるいはSF的に他の星への移住を果たすか。しかし何べん考えてもそんなことは無理っぽい。



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 ひとつだけ可能性があるとすればですよ、それは家族仲良く愛情を育みながら生きること。神様はそういう生き物が好きなのです。花も虫も小動物も、観察すればわかりますけど愛情に溢れ、愛情に基づいて闘い、愛情を育みながら生きている。悪猿だけにその資質が薄い。もうひとつ大事なことは、一億年の生存などを望むより、今日いち日を美しく過ごすことに集中する。悪猿以外の全員がそうしているように。悪猿の中には知恵者もおりまして、二千五百年ほど前に生きていた老子という猿は、「あらゆることの正解は自然の中にある」と言い残しています。無理矢理に我田引水と言う勿れ。やはり庭ですよ、庭。自然を感じながら、愛ある暮らしを送る場所が庭なのです。


 さてさて悪猿の運命やいかに。悟空みたいに、道すがらで三蔵法師に出会えれば良いのですが。





 マグノリア(コブシ 、モクレンなどの総称)は1億5千万年前に起こったその恐竜と植物の攻防戦によって出現し、ジュラ期から白亜紀に入ったあたりで広く地上に分布した花とのこと。それから現在に至るまでほとんど姿を変えずに代を繋いできたわけですから、この花の色形、香り、木の性質には神々しいレベルの正しさ、美しさがあると、毎年毎年そんなことを思いながら見上げて、息を整えシャッターを切っています。


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 ハスの花を大日々如来とするならば、マグノリアの姿は菩薩様、さしずめ観音菩薩でありましょうか。では、お手手の皺と皺を合わせて、弘法大師空海が唐より持ち帰ったガンダーラの真言を唱えましょう。オン・ア〜ビラ・ウンケン・ソ〜ワ〜カ〜〜〜。
 

反省猿・家族の庭

 前回の『ナチュラルな闘争・夜の庭』に補足します。庭を疎ましく思いカーテンを閉め切って暮らすことは病の初期症状である、というような書き方をしました。あ、いや、撤回するわけではなく言葉足らずだったかなあと。もしかしたら不快に思われた方もいたのではと、帰宅し庭で時を過ごしながら、ふとね、そう思ったものですから。



桜咲く。

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一昔前は、桜とはソメイヨシノのことでした。
コロナが去り、人々の感覚が広角レンズとなったのか、
今年はいろいろな桜のことが話題になっています。
ビートルズ解散後に次のビートルズを探し続けた70年代に似て。
サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、ロッド・スチュワート、
ミッシェル・ポルナレフ、ビリー・ジョエル。
結果は時代に君臨する唯一のアイドルではなく、地球人は多様な音楽を手に入れました。
日本では原田真二、喜納昌吉、高田渡、はっぴーえんど・・・。
抑圧の果てに起こる爆発は多様性に落ち着く。
桜は400種類もあるそうで、それがこれまではさほど話題に上らなかった。
花は世に連れ世は花に連れ、時の流れはいとをかし。



 カーテンを開けることなく暮らしている人たちのほとんどは、すいませんでした、直接的に病などではありません。ただカーテンを開けて屋外を感じながら暮らすことの心地よさをまだご存知ないか、知っていても庭に目隠しを施す手間を上回るだけの、庭という場所の魅力をお持ちではないのでしょう。驚くことに、と言うか、残念ながらと申しましょうか、日本には、今日の庭を有意義にイメージするのに役立つような種類の庭文化がなかったわけですから、さもありなん、それはやむを得ないことなのです。故に、カーテン閉め切り族の皆様におかれましては、どうかお気を悪くなさいませんように。いやはや、ぼくの直情傾向はしばしば極端で優しくない言い方をしてしまいます。反省猿で御座候。



ジュウガツザクラ

ジュウガツザクラ



 うちに来てくださるお客様の半数近くが、海外赴任経験をお持ちか、カジュアルに海外旅行を楽しんで来られた人たちです。アメリカ、中国、中東、オーストラリア、南米、ヨーロッパ、アフリカなど、各国の庭事情と、そこで経験した幸福な庭時間のことをお聞きするのが楽しくて、また大きな学びにもなっています。例えばオーストラリアでは、客人はリビングではなく庭に招く。アフリカ人はいい風が吹く場所に家を建てて庭を楽しむ。ガーデニングの本場イギリスは、実は気候が厳しく花を楽しめる期間がとても短い。だから反動で、チェルシーフラワーショーに歓喜するのだ、とか。



カワヅザクラ

カワズザクラ



 日本と同じほどの大きさであるドイツでは、庭関係の市場規模が日本の倍以上だそうです。多くの家に納屋があり、DIYと庭仕事はごく普通な暮らしのお作法のようなもので、土づくりや植物への農家レベルの知識は誰でも持っている(昭和初期までの日本人がそうだったように)とのこと。庭は健康な草花に囲まれて住人が食事をし、家事をし、友人を招いてティータイムを楽しむ場所。スペインではパティオ(中庭)が暮らしの中心にあり、シエスタ(昼寝・長い昼休み)を楽しむことが当たり前。路地の壁と窓際にはプランターの花が咲き誇って、街角の井戸端が地域住民共有の庭として機能している。アメリカ人は広い芝生でバーベキューができなければ庭ではないと思っているし、フランスの郊外では家と庭との境が曖昧なほど庭は暮らしの場所して使われている。各国それぞれに庶民レベルでの庭文化が存在しているのです。



サンバガワザクラ

サンバガワザクラ



 はてさて我が国ではどうでしょう。何も外国がああだからこうだから、真似をしなきゃということではありません。日本には日本の庭文化はあったわけで、縁側、畑、軒遊び、ええっと、ええっと、盆栽、鶏を飼う。洗濯物を干す。ん〜〜〜他に何かありましたっけか。やっぱり真似した方が良さそうですね、お得だし、楽しいし。日本の庭文化は平安時代の発祥から明治・大正あたりまで、お公家さんと武士とお坊さんの世界にのみ伝承され、庶民には縁遠いものでした。江戸時代にいくらか園芸趣味が流行ったものの、人々がイメージする庭はお寺や大名庭園のことであり、庶民の暮らしには無縁の場所。やがて西洋建築が入ってきて、洋館に似合う庭が求められます。芝生、池、花壇など。しかしその時点でも寺社仏閣の庭様式を切り取り自宅に再現するというのがせいぜいでして、そういう庭(文士の庭、雑木の庭、茶庭・坪庭など)を所有し池の鯉に餌を投げることが、豪商、政治家、文化人、成功者のステースになりました。ぼく自身、製糸工場で成功した祖父ご自慢の坪庭を眺める縁側で育ったので、50年前にはまだ庭は男社会のものであり、『家族の庭』というような概念は世の中に存在していなかったという実感があります。



オカメザクラ

オカメザクラ



 そのような日本の庭の現状に疑問を持った、当時30歳のぼくが、いかにして・・・。ここからは長編、大河ドラマになってしまうので、切れ切れに別の機会でということにします。とにかく日本には戸建て住宅での庭文化は育ってこなかった。だから憧れの庭付き一戸建てを手に入れた人たちが、引っ越しをし、庭スペースを前に呆然と立ち尽くすのは当然のこと。 誰だって同じで、とりあえずカーテンを閉めてから暮らしを始めるのはごくごく普通のことなのです。しか〜し、その後に待ち受けている家族にのしかかってくる課題の数々、子育てやら介護やら更年期やら。その課題を苦難ではなく幸福なる暮らしの営みにできるかどうか、という分かれ道。いち早くカーテンを開けて暮らせるように庭を整えるか、あるいは「なんでカーテン開けなきゃいけないの?人工芝敷いたから雑草は生えないし、庭に出てご飯を食べることなんてないし、夜庭で過ごすことなど絶対にあり得ないし」となってしまうのか。



オバコザクラ

オバコザクラ



 庭は建坪率の都合で発生する余剰の地面ではありません。その地面の上にある空中に、家族のための庭空間を生み出してください。どうすればいいのかは、昔と違ってインターネットでいくらでも海外の素晴らしい庭を観察できますから、じっくりと、しっかりと、家を建てる時の真剣さで勉強してください。その空間を、幸福な人生に欠かせない重要な外の部屋にまでイメージすることができたら、カーテンを閉めて過ごすことに嫌気がさすことでしょう。庭を含めた理想の住環境が整えば、カーテンなんぞはあってもなくてもいいような、その程度のものなのですから。



ミヤビザクラ

ミヤビザクラ



 毎朝テレビから報告される、狂った者が引き起こす嫌な事件、悲惨な事故と災害、紛争等々にうんざりしてきた数十年。数十年そうだったんだから今後も変わることなく続くのでしょう。事故と災害と紛争は避けようがないことながら、狂気だけは自分で防御も制御もできること。そしてもっと大事なのは子供を健やかに育て上げること。プーチン大統領は幼少期に父からの激しい暴力を受けて、思考が「強くなることが生きる意味である」という方向一本槍に固まってしまった人であるそうな。殴りかかってくる大嫌いな父を超えるために柔道を習い、国一番の強者となるためにKGBを目指し、素手で簡単に人を殺せる優秀なスパイとなった彼はエリツィン政権に参加。エリツィン引退時に指名されついに大統領になります。



ケイオウザクラ

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 その後もさらに強くなるために、尊敬するスターリンに倣って侵略をし、目障りな部下を平然と粛清し、国内外の人々の幸福を破壊し続けながら、哀れなことに自らは幸福な家庭を手に入れることができなかった。世界的な権力者として君臨している今でも手に入れていない。それは何故だと思います?お金も権力も有り余っているのに何ででしょう。不遇な少年だった彼は円満家庭に憧れたに違いないのですが、そこを目指したことがなかったからです。なぜあれほど有能な人の思考が幸福な家庭実現に向かわなかったのか。体感した経験がないから。知識ではなく体感したことがない世界を想像することは困難なもの。だから笑顔が溢れる家族の庭など到底イメージできない。イメージできないものは実現しない。きっとそういうことなのでしょう。



ソメイヨシノ

ソメイヨシノ



 ロシアvsウクライナは重大にして複雑な国際紛争でありながら、インターネットとNHKのプーチン関連番組で過去を辿ってみれば、とっても単純で些細な事柄に起因していることがわかります。レーニンも、スターリンも、当時ソビエトの敵国であったドイツの宰相アドルフ・ヒットラーも、全員が幸せからは程遠い過酷な家庭環境で育った。習近平もそう。ご存じ北の3代目も。つまりは家庭円満こそが世界平和の前提なのであります。家庭円満、まあるく幸せが満ちる家と庭。お若いご夫婦たちに祈るような気持ちでお伝えしたい。この先いろいろあるかもしれないけど、何が起ころうともとにかく夫婦仲良く、健やかに子育てをして、笑顔が溢れる庭のある暮らしを実現させてください。いやほんとに、世界平和のためにも。



ヤエザクラ

ヤエザクラ



 さあてと、世界を語っている場合ではなく、目の前に積み上がっている設計を、一つ一つ丁寧に、想いを込めて仕上げてまいります。首を長くしている皆様、今しばらく伸ばしっぱなしでご辛抱&ご容赦ご容赦。必ずお役に立てる庭空間を出現させますので。



13歳、中一のある日、夕方から深夜までラジオをつけっぱなしで油絵を描いていました。
驚いたことに、その数時間でこの曲が6回流れたことを覚えています。
衝撃的なヒット曲だったんですよね。


 
 
英語ですらおぼつかないぼくには、フランス語は100%意味不明。
今は便利に、パソコンから訳詞を引っ張ってこれるのでありがたし。


ホリデイ ああホリデイ
空から降りてゆくのは飛行機
その翼の影が
ひとつの街を通り過ぎる
地面はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ

ホリデイ ああホリデイ
教会や公団住宅
彼らが敬愛する神様は何をしている?
宇宙にいる神は
地面はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ

ホリデイ ああホリデイ
飛行機の影は海をとらえる
海面はまるで
砂漠の前兆のようだ
海はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ


見た目だけでなく、澄んだ高音とロマンティークなメロディーと、
わかるようなわからないような歌詞も、
井上陽水と酷似していますよね。
40年の時を超え、ポルナレフ・陽水いとをかし。



 

ナチュラルな闘争・夜の庭

 草原で暮らすか弱き草食動物トムソンガゼルは、群れて暮らし肉食獣から身を守っています。ただし、いくら群れたところでライオンはそれを恐れるはずもなく、逆に好物がまとまって草を食べているのですから、格好の食べ放題レストランを見つけたようなもので群れを襲わないわけがない。ではなぜガゼルは群れているのでしょうか。チコちゃんに教えていただきましょう。



見上げる星空は紛れもなく宇宙空間であり、
渡る風は地球の隅々までを何万回も巡ってきた空気の流れ。
夜の庭にいると、確かにそれが感じられます。


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 なぜガゼルは群れで暮らしているのか。それはね、犠牲者をひとりだけ置き去りにして、群れ全体は楽々と逃げられるから〜。ぼくらが考えると、身内を生贄にするようなその行為はとても残酷な事のように思えます。しかしガゼルたちは、そこに大きな悲しみなど感じていないことでしょう。群生動物にとってはその群れの存続こそが各自の幸福感の源で、少しの犠牲者は全体のために必要なのだという、遺伝子に刻まれた確固たる掟を持って生きている。これは弱者なりに培ってきたナチュラルな闘争手段、逃走のための闘争なのであります。



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 人もまた弱者。故に家族、仲間、社会、上手に群れる者は幸いなり。



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 とはいうものの、犠牲者は最小にしたいし、できるならそのような死に方をする者をゼロにしたいというのが、愛情豊かな我々猿の本意でしょう。ああそれなのにそれなのに、ガゼルに比べてむやみに不条理な死が多過ぎる人間社会の現実よ。不条理とは、「群れを守るため」ということとは無関係に、狂った猿によって突然奪われる命、という意味。ガゼルは狂わない。もしも狂ったとしたら即座に追放される。だから虐待したり殺したり、悪事に酔いしれて群れに迷惑をかけるような者などは、ただの1匹も存在しないのです。



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 昭和時代の悪い癖で、精神に異常をきたした者をを気狂い呼ばわりすることに抵抗がある我が世代。されば柔らかく、クルクルパーと称しましょう。クルクルパーは早々にとっ捕まえて、治療なり指導なりしないとえらいことになる。昭和の御代ではご近所さんが「一度お医者に診てもらったほうがいいですよ、ひどくならないうちに」と家族に指摘してくれたし、ご隠居や、お寺さんや、おばちゃん同士の井戸端会議で議題に乗せて、丁寧にクルクルパーを正常へと導いてくれたものです。今は残念ながらそれがない。最良の対処は「関わらない」こと。だから狂人は孤立し、愛情に基づく支援も拒絶し時には牙を剥き、ますます狂ってゆくばかり。



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 自然界の構成員として、ぼくらはいつの頃からか不自然な性質に陥っているのでしょう。草木であろうと虫ケラであろうと、自らの命を長らえるためには闘争を回避することはできない。生きるために、よりよく生きるために、敵とは対峙しなければならない。遠い国ウクライナのことは横に置いとくとして、身近では夫婦間で、親子で、家庭内であっても闘争を抜きにして平和は維持できないのです。闘争か、逃走か。知恵ある者は闘争を回避し逃走を選択する。しかしこれがなかなか厄介でありまして、逃げの一辺倒では幸福なる家庭は儚く崩れてゆく。夫にも、妻にも、子供にも、上手な闘争を展開する能力が必須なのです。



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 では上手な闘争手段とは如何なものであるか。それはですね、トムソンガゼルのように、ナチュラルであること。軸足を群れの掟、自然界のお作法から外さないで、愛情を持って闘うこと。困難に際して足元をすくわれ、不自然な領域に転げ落ちてしまった者は思考に障害を起こしてしまう。引きこもり、ゴミ屋敷、弱みにつけ込む宗教まがい、家庭不和、アルコールやギャンブルや各種依存症。不安に負けて、あるいは何かに深く傷ついて、カーテンを閉め切り膝を抱えてうずくまる人の哀れさよ。そう、心が病んでゆく入り口に必ずあるのが、庭を疎ましい場所であると認識してしまうことなのです。間違いない。本来であれば、健康と幸福の維持に不可欠な価値あるスペースなのに、それを見たくもない、出たくもない、雑草だらけの嫌いな場所にしてしまうことは、自然に背反する、症状とも言えること。ただしそういう家があまりに多いので、そこに危機が潜んでいるのだという声を上げる人など皆無なわけです。



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 庭に背を向ける人はガゼルが持つナチュラルさを失い、軸足が自然から離れ、やがて不自然な暮らしに喘いで愛情を見失う。当然のことながら諸問題に抗う気力など残っていようはずもなく、締め切った部屋で怯えて過ごすのみ。何度も目撃してきたカーテンを開けない人たちの叫びのような沈黙。かく言う我が家でも、これまでに何度かそういう場面がありました。実家でも、田舎の隣近所でも、お客様、庭を楽しむ賢者の方々であっても山あり谷ありで、やはりそんな時期を経験されているわけで、ぼくは例外を知りません。つまりは人類全員がクルクルパー予備軍であることは確かなようで、プーチンは狂っている、ルフィーとその一味は、ゴミ屋敷の偏屈爺さんは、などと言ってる場合ではなく、己が身と家族の健全さをキープすることが人生上の最重要課題なのであります。



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 こういうことというのは、他人事であるうちはピンとこない。ところが自分事となると、これほどキツいことはない。実際に我が身内がほんのりと軽く病んだだけで、ぼくにできることは少なかったのです。助けなければ、救わなければと四六時中その方策を考えても、クルクルパー側は抗ったり引きこもったりを繰り返すばかりで、しかしこっちは必死のパッチ。何日経っても、何ヶ月経過しても課題は解決することなく、手も足も出ないままに自分は疲弊してゆくばかり。唯一、必死でやり通したのが毎晩庭に出てひとりの時を過ごすことでした。ぼく自身の精神が自然から離れてクルクルパーに陥ってしまったら、結果として愛する家族を守ることができなくなってしまいますから。そんな思いで庭での時間を過ごし、それはすっかり習慣化して日々の大きな楽しみとなった頃に、ゆっくりとクルクル家族は回転を止め、危機の深みから浮き上がってきてくれました。その何度も何度も諦めるしかないのかとへたり込んだ経験が、面白いことに、その後の庭設計に変化をもたらしまして、こうして充実の提案が立て続いています。庭によって危機を切り抜けられたことと、その経験が仕事に活かされたこと、ぼくは幸運であった、太陽神アマテラスの思し召しなり、としか言いようがありません。



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 ナチュラルな闘争。苦難と闘わない者は、ベートーベンが第九で歌い上げている如くに去るしか道はない。愛情を失い闘い方を誤った者も、家族であっても家庭という群れから排除される運命を辿る。残酷なようでもそれはどうしようもないこと。群生動物ホモサピエンスに幸あれ。庭ですよ庭。庭があなたの正常性をキープしてくれる大切な場所。庭ごときで何を大袈裟な、と思うなかれ。今現在正常な精神で暮らしているあなたが、その健全な心のままで人生のゴールまで辿り着ける可能性が極めて少ないことを、年配の方ならご存知のこと。幼児には幼児期の、青年には青年期の、成人、中高年、老年、至る所にクルクルパーの落とし穴はある。最低限自分はそこに落っこちないように、軸足を自然に置いて暮らしましょうぞ。見事に、最後まで。 



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 久しぶりのアップがごんなエグい話で申し訳なし。大谷の活躍に感動し、感動した分、相も変わらぬ世の中の悲惨な事件やら、これまた絶えることなく持ち込まれる、庭にまつわる不愉快なご近所トラブルのことが脳内に浮き立ちまして、ここいらで一回クルクルパーへの見解を整理し書いておこうと思った次第。ついでにもうひと言、幸運にも本日精神が健やかで、侍ジャパンに感動した皆様へ。過ごすタイプの庭の場合、日中よりも夜の方が何倍も癒しを与えてもらえます。ほんの5分でいいから夜風と星空を楽しむことをお勧めします。けっこう真剣に、愛と平和な世界を実現するために。っと、「するために」は尊大にすぎるので、 世界が Love & Peace に向かうことを願いつつ、くらいで。


『 愛なき世界 』

16歳、少年ポールがジョンと知り合った頃に作った曲。

 

ポールは最初から、完成されたポール・マッカートニーだったことがわかる一曲。
だから今も少年のままなんでしょうね。
大谷も少年のままでいることが完成形という稀有なる人。
見当はずれかもしれない、穿ちすぎかも、と思いつつも、
大谷は、銀河鉄道の夜の主人公ジョバンニと、心根が同じ気がして。
曇りなく優しくて、ひたすらにまっすぐで。
 昨夜、庭の書斎で何度目かの一気読み。
宮沢賢治は軸足が自然の大地から生えているような人でありまして、
登場人物もまた、悪人であっても、狂人であっても、
不自然な者が存在しない。
いじめっ子も、世の不条理な死も、怪しい人物も、
何もかもが夜の庭で浴びる天空に溶け込む、雄大な営みから降る一欠片。
キラキラキラキラ、光っているのです。
イーハトーブを思い描いていた賢治さんの作品こそが、
現在ぼくらが触れることができる、
心象世界にある理想郷なのかもしれません。
ああ、カムパネルラの魂よ我に乗り移れ。
ほんとに、夜の庭時間を、たった5分で構わないからあなたもぜひ。
そうすることで何かが大きく変化するか、あるいは整うか、
いずれにしてもそこには、ジョバンニが目指していた、
すべての者が幸せに暮らす世界の入り口があるのです。
 


ご近所のミモザアカシア美しや

 自宅から少し離れた駐車場までの坂道を、早朝と夕方、毎日歩いています。横浜市港南区日野、狸が住み着いていたであろう丘陵を切り拓き、人類用に宅地造成されたのが4〜50年前でしょうか。住民の多くがぼくよりも年長の方なので、ゆったりとした空気感が漂う、いい具合に年季の入った住宅地。ご近所のお年寄りと立ち話をしていたら、売り出し当時は人気が高くて何十倍かの抽選だったとのこと。50年前とはつまり昭和40年代。35年生まれのぼく的には5歳から15歳、保育園から小学校中学校までの、いわば猿が人間に成長した期間です。



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 その頃に、イワフチ少年が存在すらイメージしていなかった、遥か遠い横浜の新興住宅地では、当選に歓喜して、ありったけのお金と組めるだけのローンを手続きして買った土地に、ワックワクで家を建てて暮らし始めた人たち。あれから幾星霜、所々にはお若いご夫婦が新築をして、公園では子供たちが賑やかにボールを蹴っている。きっとヒーローは三笘なのでしょう。ワールドカップ以降、男女を問わず、ちびっこたちの間にサッカーブームが起こっているようです。



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 昭和40年代、実家が家電屋だったために、カラーテレビ、電気洗濯機、冷蔵庫が飛ぶように売れていた活気を記憶しています。世は三種の神器にとどまらず、マイカーブーム、トリスを飲んでハワイに行こう、家具のようなデカいステレオコンポが鎮座した。そうそう、若者が自分たちの音楽を獲得したのも40年代でした。大人たちがコンポで『南太平洋』を流し、茶箪笥から取り出したジョニ赤をちびちび舐めているのに対して、ぼくらガキどもは与えられた自室に篭りまして、ラジカセでフォークソングとロックを聴き漁って、ギターをかき鳴らしていた。



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 核家族化は、まさしく核融合のように止めどなく広まりました。好景気が続いて、開発、発展、拡大も止めどなし。人々の究極的な夢は庭付き一戸建てを手に入れることとなったわけです。庭付き一戸建て、後にぼくはその時代の流れの中に浮かんだ『夢』を舞台として、庭を思い描き出現させてゆくことを生業とするわけで、見ようによっては時代に乗ったことの幸運に感謝せねばと思ったり、いやいや時代の開拓者だったのであ〜る、と、胸を張ってみたり。



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 しかし考えるべきは我がことではなく、坂道の途中にある一本のミモザの木のこと。ここ数日、その姿形に足を止めて感動しきり。美しいのです。これは植木屋が持つ剪定セオリーでは絶対に仕立てられない。時々奥様が通販で買ったのであろうと思われる高枝切り鋏を使い、チョンチョンやっている。声をかけたら「切らないと電線に届いちゃうから」と、徒長枝だけを切っています。専門知識など関係のない、丁寧な暮らしの積み重ねで仕上がった樹形で、故に下枝も揃ったダルマ型に満遍なく小枝が揃い、全体的に咲いている。



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 このお宅には他にも、ナニワイバラ、セイヨウニンジンボク、コニファー、数本の雑木の類が植っていて、玄関先には手作り風のプランターに季節の花がアレンジしてあります。どれもこれも幸福感が伝わってくる元気さと姿の良さで、これまたやはりプロにはできない、その奥様ならではの世界観。ぼくがいつも立ち止まって眺めるせいでしょうか、顔見知りとなりまして、しかし会話するほどではなく笑顔と笑顔で軽く頭を下げ合うだけの関係性ながら、朝に晩に、そのお宅の庭へを目を向けつつ「いい人生を歩んでこられたんだろうなあ。こなふうにう暮らさなきゃなあ」と思うのであります。



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 昭和は遠くなりにけり。しかし昭和人は、そろそろ人生の仕上げをする季節。終わりよければすべてよし。花咲く人生であったと振り返ることができるのは、今日の庭に花咲かせる、丁寧な暮らしを送っている人限定なのかもしれません。越し方にお風景込みで花咲かす、老いるとは、なんと豊かであることか。ご同輩、庭ですよ庭。素晴らしき人生は百花繚乱、四季折々に花咲かす暮らしぶりなり。




あ、今日は誕生日だ。
え〜っと、63歳、かな?
するってえと、今日の出囃子はこれですな。




ちなみに、ミモザアカシアの花言葉は
「優雅」「友情」「秘密の恋」。
豊かだなあ〜。



 

司祭ヴァレンティヌスの殉教

 古代ローマの後半期、帝政時代と呼ばれる内戦に明け暮れていた頃に、皇帝は兵士に里心がついて士気が下がる事を懸念し、恋愛禁止令を発布、若い兵士の結婚を禁じました。当時のローマはミトラス教という宗教が主流でキリスト教は異端の徒。異端でありながら、そこがクリスチャンの特色でありまして、しぶとい。江戸時代の隠れキリシタンがそうであったように、弾圧を受けても挫ける事なく信仰を続けます。ローマの隠れキリシタンたちを牽引していた司祭がヴァレンティヌス。彼は皇帝に抗いまして、信者には「大いに恋をせよ。恋愛し、結婚し、幸福な家庭を築きなさい」と説き、司祭として兵士の結婚式を執り行います。皇帝から度々警告を受けてもその信念を曲げることがなかったために、ついに死刑を言い渡されてしまいます。2月15日、豊穣祭の前日に処刑が行われ、信徒は泣き、司祭ヴァレンティヌスは聖人ヴァレンタインとなりましたとさ。



店で設計に没頭していたら、
突然 My Girl たちがチョコレートを届けに来てくれました。
昨日みんなで手作りしたそうな。
なんでも全部味が違うんだって。
ありがとね。


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 クリスチャンたちは、処刑が行われた2月14日を聖ヴァレンタイン殉教の日とし、婚姻生活の守護神である女神ルノーの祝日と定め、そのお祝いの意味には「男女が出会う日」というニュアンスが含まれていたとのこと。歴史上にあったそのささやかな逸話を、「女子が男子にチョコレートを贈って告白をする日」としたのは日本人。諸説ありますが、どうやら大田区大森のお菓子メーカー株式会社メリーチョコレートカムパニー、ご存じメリーチョコレートだそうです。諸説あるとは、他に神戸のモロゾフ製菓、森永製菓、ソニープラザなど、うちがバレンタインデーを広めたのであるとするお菓子屋さん多数だそうで、いずれにしても発端は、商売上の、売らんがために捻り出した苦し紛れのアイデアだったのです。



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 商売とはこういうことで、知恵を絞って、消費者に新たな幸福感を提案提供してゆくこと。素晴らしい。日本のお菓子メーカー各社は、競い合いながら新たな市場のフィールドを開拓し、結果、実に心和む風習を生み出してくれました。これはお菓子屋さんの理念に、ストレートに『幸福感の提供』があるからで、世の中にはなかなかそういう業種は少ない。お菓子屋と結婚式場とディズニーランドとグレースランドくらいじゃなかろうかと。弁護士をされているお客様から「イワフチさんはいい仕事をしていますね。グレースランドには幸せな人しかやって来ない。弁護士事務所に来るのは、不幸に喘いでいる人ばっかりですよ」と。はっとしたものです。そう言われればそうだなあと。心してかからねばと。



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 ちなみに、当たり前ですが、欧米にはチョコレートを贈る風習はなく、女子から男子へでもなく、大切な人へ想いを伝える日とされているそうです。フランス人は、恋人たちや夫婦が一緒に過ごす特別な日。アメリカは家族に加え、クラスメイト、先生、知り合いやペットに感謝を込めてプレゼントをする。フィンランドでは友達と友好を深める機会とされているとのこと。クリスマスと同様に、本日2月14日は世界に愛が満ちる日なんですね。こうして、そこに参加できることをありがたく思います。


ヴァレンタインデーと言えばこれ。
古典的な歌唱様式、レチタティーボを使っています。
レチタティーボとはオペラの
「歌っているような、話しているような」叙述的独唱を、
曲の冒頭に、前口上として持ってくる手法。
今はヴァース( Verse )と言うようです。
スターダスト、
ビートルズのThere and Everywhere、
ピンクレディーのウォンテッドも。

私の胸の鍵を 壊して逃げて行った
あいつはどこにいるのか
盗んだ心返せ
Wanted Wanted

本編へのワクワク感を高める前口上、
プレゼンテーションの度に結構考えるんですよ。
お客様を、
幸せに満ちた庭世界へとお連れしたい一心で。





Verse
ご覧なさい あの美しい鳥の姿を
誇らしげに美を競い合う姿を
あなたは自分の姿を見たことがないのね
バカな人

虚ろな顔つきが 乱れた髪が
あなたの良さを隠してしまう
あなたは気高く真っ直ぐで 誠実で 真実味にあふれ
そして ちょっと間抜けなやつ



CHorus
あなたは私の恋人
素敵で楽しいヴァレンタイン
私を心から笑わせてくれる
おかしな顔つきで写真向きじゃないけど
でも 私にとってはお気に入りの芸術品なの

姿はギリシャ彫刻より劣る
口元も弱々しいし
話し方だってスマートじゃない
でも 髪の毛一本だって変えないで
私のことが好きならそのままでいて
愛しのヴァレンタイン 変わらないで
毎日がヴァレンタイン・ディなの



 

閉じ蓋ではなく綴じ蓋

 ようやく、ついに、やっとこさ、コロナ騒動が終わるようですね。なんか変な言い方ですけど、離婚調停で揉めに揉めて双方ぼろぼろ、とうとう裁判にもつれ込んだ夫婦に、「はい、もういいでしょう。性格の不一致ということで」と、裁判長は通常業務で判定を下す、みたいな。エンディングはもっと華やかに、花火を打ち上げて、希望と歓喜に溢れたものとなると思ったのに、とほほの穂、現実は勝者無き終戦。それぞれが悔いと共に、次なる暮らしへの不安を背負って歩み出す。離婚ってそうですよねえ。他に方法はなかったわけで、なかったけど、どうにかならなかったのかなあって。ことにお子さんがいる場合、親の不出来が幼な子の無垢な心に傷をつけてしまう悲しさたるや。今時古い考えと知りつつも、子どもを授かった夫婦に絶対的に必要な任務は、家庭を円満に維持することなのです。後を絶たない酷い犯罪の遠因に幼少期の家庭不和があることは、あまり語られないことながら、周知のことですよね。



最強寒波襲来なれど、梅は嬉々として開花し春告げる。
平安時代、花見とは桜ではなく、梅を見上げることだったそうな。


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 おっといけねえ、話がコロナ終焉からスリップ。スリップついでに11年前へワープします。福島原発の爆発事故が連日報じられている最中に、正直な学者さんが「人間の技術では、壊れた原発から発生する放射能を抑えることなどできません。雨と地下水が海に運び、膨大な海水で無害のレベルまで希釈されるのを待つしかできないのです」と発言し、大パッシングを受けました。
 話をコロナに戻すと、騒動が始まってすぐに宮台真司が「我々はふるいにかけられます。すでに弱っている人、家族、お店や企業は潰されてしまう。それは仕方のないことで、それを凌いで生き残った人、家族、お店、企業がコロナ後の社会を構成するのです」と、宮台さんですからもっと強烈に、口汚く言いました。相手が相手なので、その言葉のプロレス技に反応する者はおらず、炎上することなく忘れ去られてゆきいました。このふたりの学者さんの言は身も蓋も無い、それを言っちゃあお終いよ、ってやつですよね。



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 それを言っちゃあおしまいながら、お二方の言い分は専門家として真っ当にして正解です。当時そう思ったし、現にそうなっちゃってますしね。コロナ終結までは3年かかります(山中伸弥教授)、マスクは科学的には効果ゼロ(多数の専門家)、飲食店を悪者にするのはおかしい(国立感染症研究所感染免疫学センターの専門チーム)など、早々に真実を語る人はいるんですから、ぼくらはそれを見極めながら、身も蓋も無い言葉の中に、破れ鍋に綴じ蓋で踏ん張るしかない。
 破れ鍋に綴じ蓋、『割れ鍋』ではなく『破れ鍋』。これは割れて使えなくなった鍋ではなく、ひびが入った不出来な鍋のこと。『閉じ蓋』ではなく『綴じ蓋』は、修理をして何とかかんとか使い続けている蓋のこと。少々出来が悪い夫には、いくらか出来が悪い女房がお似合いであろう。似通ったふたりが夫婦となって、互いに庇い合い、工夫し合いながらおいしいご飯を作り続けてゆく、故に破れ鍋に綴じ蓋なのであ〜る。い〜い言葉ですよねえ。傍目に完璧な夫婦の、なんと脆いことか。



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 さ、ぼろぼろの破れ鍋は、今日も円満家庭の綴じ蓋となる庭を、設計設計また設計。気象の専門家によれば、今週は今季最大の寒波がやってきて最低気温が底を打つとのこと。つまりは来週からは、春に向かってまっしぐらということ。庇い合って、工夫し合って、寒さを凌いで、花いっぱいの春に備えましょう。


淡々と幸せを刻み続けた高橋幸宏。
ドラマーは常にサブでありながら、
チームを支える屋台骨。
細野さんもコメントしていた通り、
目立たないが、実は彼が主役だったのです。
サディスティックスでも、YMOでも、
素晴らしき綴じ蓋だった幸宏さんに感謝の大拍手。
大変だったらしいですよ、調整役が。
坂本龍一と細野晴臣、
どちらも妥協を許さぬ天才ですから、
揉め事は日常的に。
すると坂本と細野は直接ぶつからずに、
高橋幸宏に文句を言う日々だったそうな。
ありがとう、幸宏さん。
そして美しき奥様、お疲れ様でした。
ありがとうございました。









 

Forever Young

 エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並んでロックの三大ギタリストと言われるジェフ・ベックは、何歳になっても気分を23歳にセットしていると語っています。23歳の彼は大病から復帰し、ロッド・スチュワートをボーカルに迎えて第1期ジェフ・ベック・グループを結成した頃。その時の意欲、希望、野望を人生の軸にしているのでしょう。嵐のようなギターテクを評価されつつも大きなヒット曲が出ないまま、それでも疾走を続ける孤高のロックギタリストは9年後、32歳の時に発売したアルバム『ワイアード』で、金字塔と言えるひとつのピークに達したのでした。





それから44年後、彼の意識は23歳のままでロック界の頂点に君臨し続け、ファンを魅了。




 

1944年生まれで今年79歳。ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、ロッド・スチュワートらと同世代。日本で彼らと同じくバリバリ若い気のままで演っているミュージシャンはというと、尾藤イサオ、小室等、加藤登紀子。小室等とおトキさんは昔から老成していた感がありますが、尾藤イサオの若々しさは物凄いです。先日もテレビで拝見し、動き、声、表情に一切老いを感じなくて、年齢を超越したような、若鮎のような、不思議で美しい生物に見えました。


バラの寿命は、一説には人と同じくらいあるそうな。
手入れを続ければ何年でも若々しく咲くのです。
冬のバラはエネルギーが濃厚で、殊更に、永久に思え、
寒さで勢いづく姿もまた、Forever Young 、人を励まし導くようで。

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 ぼくはよく周囲から若いと言われます。同級生や同年代の人と見比べて、自分でもそう思います。もちろんあちこち老朽化による不具合は感じつつも、頭の中身は20代のまま。ジェフ・ベックの「いつも自分を23歳にセットしている」というエピソードで、いつまでも若僧の感覚でいてもいいんだなあと思いました。



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 年明け早々、田舎の同級生が遠路遊びにやって来ました。取り留めもなく懐かしい話に花が咲き、ふと彼が「お前は本当に変わらねえなあ。カッコよく生きたいとか言っている同級生は一人もいないぜ」と言われ、え、別にそんなこと、カッコよく生きたいなんて言っていないのに・・・と思ったものの、きっとそのようなニュアンスを少年時代からのぼくに感じていて、その点の変化のなさに驚いてくれたのでしょう。



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 カッコよく生きたい、かあ。確かにその気持ちはいつも強めに存在していたし、ここまで来たらカッコよく締めくくらねば、という決意のようなものになっている気もします。最近でショックだったのが、村田兆治の終わり方。サンデー兆治、超絶カッコよかったのに、なぜあそこまで時代とズレてしまったのかと。あれほどの偉人が、何故家族との幸せな暮らしを築けなかったのかと、しばし呆然とした次第。人生とは、老いとは、あるいは神様とは残酷なものです。



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 多少の早い遅い、短い長いはあれど、イカした人生のままで終わる人の、何と偉大であることか。ジェフ・ベックよ、素晴らしいよ。昨年は盟友ロッド・スチュワートとの共演を果たし、少しも変わらず23歳のままで、「ロッド、悪いがちょいとお先に。あっちで待ってるぜ」とか言ってたんだろうなあ。言えてたらいいなあ。病に倒れてからは短かったらしい。幸福なラストステージだったと信じたいのです。



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 ぼくの場合、仕事的にはあの頃のままの情熱に経験が積み重なって、イマジネーションをカタチにする技術や仮想庭に遊ぶことは自由自在となりました。お爺さん役はどうかと言えば、幸いにも孫の美空くんがぼくのことを、お友達と同等に「ジイジくん」と呼んでくれるので、無理して老いを演じる必要はなし。あとは家族仲良く充実の最終章を組み立てて、ぼく去った世の中に、「理想の庭のつくり方」を示しておくことだ。
 いい人生だったなあって、そう思える地点までもう一息なり。


追悼なんぞはしてたらキリがない年齢になりまして、
でも彼の見事なエンディングに、アンコールということで、
これを。

 


みんな準備はいいか 列車が来るぜ
 ディーゼルが唸る音を信じるだけの旅立ちだ
切符はいらない 神に感謝するだけでいい

さあ 準備はいいかな
ヨルダン行きの列車が来る
俺たちを大陸の端から端まで運んでくれる
信じることが鍵なんだ
ドアを開けて乗り込むぜ
神に愛されている者なら 誰しも希望を抱いている

絶望的な罪人の席はない
彼らは自分が助かるためだけに 周囲を傷つけるから
救われることのない彼らに哀れみを与えよう
神々の玉座の前では 隠れる場所などないのだから

みんな準備はいいかい 列車が来る
荷物は持たなくていいから さあ乗るぜ
でもディーゼルの唸る音を信じる心は必要だ
切符はいらない 神に感謝するだけでいい

俺は準備万端整えた
今回ばかりは準備ができている




 

春雨じゃ

 年末から続いてた晴天に感謝しつつ、今朝はひっさしぶりの雨にホッとしました。潤い、やはりぼくらは植物に似て、湿気によって心身が整う生物なのでしょう。



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 空気は暖かで、うっかり入念な厚着をしてきた自分を「おいおい、天候とずれとるぞ」と笑いながら歩く。思わず口を衝いて出る歌詞の一説、春の雨はやさしいはずなのに。



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 『 春の雨はやさしいはずなのに 』 小椋佳

むなしさが 夕暮れと雨を連れてきて
寂しさが 夕空と街を闇にぬり
何だか涙も出やしない 出やしない
春の雨はやさしいはずなのに
全てがぼやけてくる
どってことないんかな
どってことないんかな

むなしさが 想い出も友も連れ去って
寂しさが 言葉も声も吸い取って
何だか涙も出やしない 出やしない
春の雨はやさしいはずなのに
全てがぼやけてくる
どってことないんかな
どってことないんかな

春の雨はやさしいはずなのに
全てがぼやけてくる
どってことないんかな
どってことないんかな

 小椋佳、好きだったなあ。当時はタモリ曰くの「ネクラ」の代表選手だったから、同級生とかには言わずに、でもLPを買い漁って、西陽が入る四畳半のアトリエ(自室)で聴きまくっていました。絵画と写真に夢中だったので、油絵具と現像液の匂いが濃厚に混ざり合い、今思うとあれは体に悪かったのでは。しかし懐かしい、濃密に自分と向き合った数年間でした。引きこもり?学校にも遊びにも行っていたので引きこもりではない。でも思考は完璧に、自己の世界に引きこもっていました。



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 男子にはあの時間が必要なのであります。上の世代は反社会的であることが時代的に価値を持っていて、反戦、反体制、常識を否定し革命を叫び、ゲバ棒、火炎瓶、シュプレヒコールの波通り過ぎてゆく。やがて自滅し消滅し、髪を切っていちご白書をもう一度。ネクラのぼくは「革命は自分が自分に仕掛けるべきであって、体制批判や実力行使などは意味がないのいだよ」と、加藤諦三が早稲田の学生に叫んだ「自己変革せよ!」の声に震えるほど共感し、自己変革、自分を高い壁の向こうにポーンと投げてみろ。そこは崖かもしれないし、お花畑かもしれない。青春の意義とは現状に争うことではなく、現状を捨て去り荒野を目指して旅立つことにあるのだ。



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 唐突に、ですが、リサが亡くなりましたなあ、リサ・マリー・プレスリー。悲しみとかじゃなく、何という報われない人生であったことかと。音楽で世界を変えた億万長者のひとり娘は、とうとう愛に満ちた家庭を築くことなく苦悩の日々を終えました。父と同じく若くして、偉大なる神に召されるようにして。何だかなあ、フランダースの犬のラストを見るようで、姪っ子みたいに思っていた人でしたから。
 とても遠くから無責任に客観視すればでありますが、空手トレーナーと浮気をし、幼いリサの手を引いて出て行ったプリシラの若い行いが、その後父と娘を史上最高の有名人にまで成長させ、後払いの代償であるかのように、神は父と娘に乗り越えられない苦悩をお与えになりました。アーロン、あんな女どうでもよかったのに。リサ、お父さんは死ぬ瞬間のその時まで君のことを愛し続けていたのだよ。アーメン。



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春の雨はやさしいはずなのに
全てがぼやけてくる
どってことないんかな
どってことないんかな

 取り留めもなく、春雨じゃ、濡れて行こう。
さ、設計設計。偉大なる神から召されるまでは、全力で。神の偉大さは、片手に奇跡の杖を持ち、もう片方の手には残酷な剣を持っているところにある。だから、どうしても心からは好きになれないのだよ。アーメン。アーメン。アーメンソーメン冷やそうめん。アメリカでもインドでも日本でも、神は不出来である。それは人が、逃れようもなく不出来な存在だからである。だったら意地でも自分の中に、幸福を追求し続ける神を見い出さなければなるまいて。ぼくは残り時間を一日たりとも無駄にせず、庭を通して奇跡を起こし続けるのだ。なーんてね。春の雨は、やさしく肩を揺さぶるものですなあ。
 エルヴィスは素直で真面目で、敬虔なクリスチャンでした。だから世界中の人を幸福へと導く、偉大なる人生を送りました。しかし、です。本人に幸福がもたらされることはなかった。幸福とはお金や名声ではなく、愛する家族と紡ぐ円満な家庭なのです。家と庭で家庭、庭ですよ庭。今は記念館となっているファンの聖地、テネシー州メンフィスにある自宅グレースランド(リサ・マリー・プレスリー所有)には、悲しいですねえ、プールも映画館も大きなパーティールームもあったのに、家族で過ごす庭がなかったのです。










 

ワープ

 横浜から一路、越後は魚沼の盆地へとひと馳り。運転手はきみだ、助手席はぼくだ。女房はこの頃ぼくの運転が当てにならないと、決してハンドルを譲りません。確かに、視力が落ちているし考え事が多くなって、自分でも昔のような颯爽としたドライビングができなくなっているという自覚はあります。いつの頃からか移動手段として惰性っぽくなっちゃて、運転に対してワクワクするゲーム感覚が失われている、そんな気もするのです。



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 まあいい。女房はお気に入りの新車が楽しいようで、拓郎と泉谷を大音量で流しながらの鼻歌まじり、隣りにいて安心感がある。現実として、還暦過ぎると男は老いてゆくが、女はパワーを増してゆくのです。それを甘んじて受け入れましょう。



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 後部座席の孫たちはひとしきりはしゃいでいたが、すぐに熟睡。懐かしき名作ゲーム『ぼくの夏休み』の舞台だった月夜野村を過ぎて目を覚まし、山が連なる風景に歓声を上げる。いよいよあのトンネルに突入だ。



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 国境の長いトンネルを抜けると、そこは紅葉の故郷。



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 何度通ってもこのトンネルの不思議さが楽しく思われます。国が違うように、季節が変わるように、数分で別世界へワープする。



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 途中パーキングに立ち寄ったら、ふたりは歩道の枯れ葉に興奮して踊り出しました。かっわいいなあ〜。いいぞいいぞ、色づいた葉っぱに興奮する健やかなる感性。



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 小出インターに到着。さっそく着替えて法事開始。快適に、安全に、とても見事な運転であった。何より楽しんでいる感じが伝わってきて嬉しかったのであ〜る。女房が喜んでいることが嬉しかった。お、嬉しいという字は女が喜ぶと書くんだ。なあるほど、この嬉しさは文字が生まれた頃から世の男たちが味わってきたことなのだなあ。


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 ちなみ『にすい』に『妻』で凄い。にすいとは氷の意、故に冷たい妻ほど凄まじいものはなし。『さんずい』に『女』で汝、目下の者や親しい人への二人称代名詞。太古の昔から、男どもは女の言動に怯え、尻を叩かれ糧を求めて懸命に働いてきたのだ、ということがわかります。現代では社会的立場が逆転しました。男は仕事に自主的な自己肯定感と誇りを持ち、ともすると「俺が食わしてやってんだ」ぐらいのことを言ってしまう。昭和時代にはよくあった家庭崩壊の引き金となる台詞でした。



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 そんな思い上がりもこの頃では『にすいの妻』たちの猛反撃によって沈静化され、年若い夫婦は最初から、人生の舵取りは奥様が担っているのであるという掟を身につけて、ぼくらから見るととても賢く平和な家庭を築いておられる。うちの子供らや甥っ子姪っ子もそれぞれに、見事にその今風のスタイル生きている。いちいち揉めてばかりだったぼくら昭和の夫婦を反面教師とした、素晴らしき生活感覚なのであります。



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 ワープする。コロナで間が空いてしまいましたが、時々はトンネルを抜けて、故郷の風景と人々に接し、我が根っこを元気づかせようと思いました。幸いにして元気に暮らす母の存在を軸として、越後三山、魚野川、広がる田んぼ。

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷

こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷

 こんな童謡が胸に来る、そういう年齢になったんだなあと。子や孫たちにも健康で美しき、田舎っぽい人生が巡りますように。
 翌日横浜へワープ。さてと、日常に、魚沼で吸い込んできた空気を追加して、新鮮な気持ちで幸福なる家族の庭を思い描きます。設計設計また設計。


運転中に我が『にすいの妻』が大声で歌っていた拓郎。
彼女が革命家を目指して奮闘していた頃の記憶が蘇り、
血がたぎり、パワーが漲るのでしょう。
これはこれで、かわいい婆さんです。








 

昔々のそのまた昔

 昔々のそのまた昔、4万年前のお話です。かつては十数種類いた人類の内、最後に残った二類はネアンデルタール人とホモ・サピエンスでした。骨格や遺跡から、どうやらネアンデルタール人の方が、ホモ族よりも遥かに優れた身体能力と知能を持っていたらしいと言われています。しかし強い彼らが滅び、弱っちい我々ホモ族が生き延びました。



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 いきなり人類史の話が浮かんだのは、ウクライナの民間人が耐えている悲しみや痛みを思う時、いつまで経っても身勝手に暴力を振るうプーチン側が、ネアンデルタール人みたいだなあと思ったが故。滅びますよ、どう考えたって。滅ばなきゃ歴史の筋道が立たない。そして滅ぶ時には指導者だけでなく、かわいそうだけど、多くのロシア人が相応の苦しみを体験することになるでしょう。かつての日本がそうだった。時代的な流れからの必然はあったにしろ、アジア諸国にさんざんひどいことを繰り返し、いい気になって、ついに勝てるはずもないアメリカに食ってかかり、とどのつまりは主要都市が空爆で破壊され、原爆ふたつ落とされて300万人の命が失われたんですから。それ以前には、ぼくらの親の親、その親の親世代から日本はロシアと戦争をしてきました。つまりは、ぼくらはロシアとウクライナと、双方の立場にいたことがある民族なのです。



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 弱い者には苦労がつきまとうわけで、行けども行けどもまとわりつく不幸と悲しみを、弱者は寡黙に忍耐で受け入れるしかない。親がサーベルタイガーにやられてしまったのか、あるいは子供を失ってしまったのか、洞窟の奥で体育座りをし、肩より低く首を垂れてしくしく泣いているヒトがいます。幾晩も幾晩も、他に何もできない鉛のような時間。泣いて泣いて泣いて、彼はようやくその忌まわしき運命を受け入れて、ついに「それでも、それでも生きにゃならんだろ」と呟いた時にはすでに日が昇っていました。暗い洞窟に、教会のステンドグラスみたいに差し込む光を感じ、もそもそ洞窟から這い出す。するとそこにはたくさんの花が風にそよいでいる。コスモスの群生。花はいつも希望を与えてくれるものです。彼はその花たちに促されて草原へと歩き始めます。狩りに行くのか、はたまた意を決して、新天地を求めての旅立ちなのかもしれません。そんなシーンが何万回も、何億回もあって、歩いて歩いて歩いた先にぼくらがいるのです。



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 人類だけでなく、進化の過程では弱い者が生き残ります。それは鉄則のようなもの。弱いから移動をし、弱いから知恵が付き、弱いから自分を変化させて生き残る。ダーウィン曰くの「強い者が生き残ったのではなく、賢い者が生き残るのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」を補足するなら、「弱いから、生きてゆくためには変化せざるを得ない。その『せざるを得ない』ところまで行けば、必ず進化という変化が起こるのだ」。



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 進化を遂げた者には、奇跡に次ぐ奇跡が用意されています。これも鉄則、自然界の慣しなのです。だからウクライナの人たちよ、逃げるにしろ、戦うにしろ、とにかく生き残ることを考えてほしい。ぼくには何もできないけど、こんな呟きが届くはずもないけど、どうか家族を大切に。国のためでも自分のためでもなく、家族のために生きてほしいのです。



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 ネアンデルタール人は、想像ではありますが、強者だったがゆえに家族意識が希薄だったのでしょう。だから危機に際して家族を守ろうという思いから生まれる知恵、撤退、縮小、忍耐、工夫、協力、そういう進化の種が芽吹かなかったのだと思います。なぜか、なぜそう思うのか。プーチンも、ヒットラーも、北のミサイルマンも、幸福な家庭を築けていないという共通点がありますから。



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 例えば茎が細くて弱いコスモスは、単独ではなく群生することで倒れない、という進化を遂げた植物。寄り添うというアイデアが今の繁栄につながりました。ヒトも同じく、寄り添い、支え合い、励まし合いながらじゃないとた立っていられない、弱っちいサルの亜種でしかない。2001年宇宙の旅の冒頭シーンから、支え合うという観点ではほとんど進化していない、これがホモ族の最大の弱点です。庭ですよ、庭。そして家と庭で家庭。家族で庭を楽しむサルは生き残れると、ぼくは本気で思っているのです。



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 災害に遭っても、戦争が起こっても、家族単位で強固な幸福を築けている人は何とかなります。庭を楽しむ家族が多数派になれば、災害は避けられないにしても、戦争の回避はごく普通にクリアできるはず。笑顔が溢れる庭があって家庭円満なら、政治がどうでも、国がどうなろうと、ミサイルが飛んできたとしても、戦う意味など1ミリも浮かんでこないんですから。繰り返します、庭ですよ庭。庭くらいさっさと理想の場所に仕立て上げて、今日を楽しむこと。音楽とお酒を用意して、庭を浴びて、『種の起源』でも読んで、最後の人類としての素敵な進化を目指しましょう。



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 何度でも繰り返します。庭ですよ、庭。いい庭があれば大丈夫。絶対に大丈夫。これ以上の絶対は存在しない。なぜならぼくらの弱点を補う要素は、すべて庭に用意されているのですから。







 

キンモクセイ

 港南区、栄区、磯子区、横浜のこっち側一帯ではキンモクセイの香りが冴えませんでした。理由はわかりません。とても夏らしい夏からいい具合に秋へと移行したのに、なぜなんでしょうかねえ。



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 木には例年通り、盛大に花が付いています。しかしすでに、見上げている自分に濃い香りは降ってきません。それよりも隣りに生えているイチョウから落ちたの実が踏み潰されて、そっちの匂いが満ちていました。キンモクセイ、キョウチクトウ、クチナシ、これら芳香植物は地域一帯である日一斉に開花し、咲き初めに華やかなるトップノートを発散するという性質があります。 その後は数日でミドルノートからベースノートの人には察知できない微香となってゆく。これらの花は比較的長く咲き続けて、常連客、リピーターの虫たちが受粉の手助けをしてくれるというシステムです。つまり最初の強烈な香りは、期間限定レストランのオープンセレモニーに鳴り響く、ファンファーレのようなものなのでしょう。



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  なぜ今年は、住宅地から公園から商店街の通りから、うちの店の中にまで入ってくる、あのうっとりとする香りが届かなかったのか。つらつら想像するに、開花のタイミングに水を差されたのかもしれません。たまたま気温が急降下して一斉開花できなかったのか、あるいは土砂降りが香り成分を洗い流してしまったのか。



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 まあそんな年もあります。果樹にしろ花木にしろ当たり外れはあるもので、大した問題ではない、というかそれは普通の出来事。植物の営みとは全くもってそういうことで、オープンセレモニーの失敗により集客率が落ちたら、きっとその経験が幹から根っこに記憶され、来年はより多くの花と強い香りが準備されます。運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、植物たちは危機に対して寡黙に、いつも運命を丸々受け入れひたすら次なる道を模索する生物。地球上で最も繁栄している彼らの対応から、ぼくらが学ぶべきことは限りなし。



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 当たりもあれば外れることもある。必ずいろいろ起こります。自然災害、戦、疫病、水不足、豪雪・豪雨、事故や事件も。有史以来ただの一度も平安な年などなかったわけで、その危機にどう対処しながら花咲く幸福を実現するかが暮らしなんですよと、教えられているような気がして。例えばですけど、安全に、安心に、波風立たない日々を送る家庭は幸せでしょうか。いやいや、そもそもそんな家族は実在するのでしょうか。NO ですよね。不安があるから頑張る。楽しみたいから笑顔で暮らす。家族を愛し、仕事に励み、エンドレスの人生ゲームを続ける者に花が咲くのだ。



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 と、ここで人生ゲームの必勝法を伝授いたしましょう。庭ですよ庭。庭で感じる自然の営みに従えば、大きく転けることなく上がりまで行けます。間違いない。これは逆に考えればわかることで、カーテンを開けずに、庭を楽しむことなく暮らしていたら、誰だってどっかしら具合が悪くなってきます。お天道様に背を向けた不自然な暮らしでは、犬も食わない出来事ですら、人生の崖っぷちにまで追い込まれてしまいます。庭なんてどうでもいいや、そこそこでいいや、などと思ってはいけない。ほんとに、庭は苦難を跳ね除け幸福へと至るために欠かせない、重大にして大切な場所なのです。


秋の夜長に庭で聴く定番アルバム。
もう蚊取り線香を焚く必要がなくなり、
飲み物はビールからワインに変わりました。



ツマミはバケットスライスにバター、
木の実とサラミ、
グリーンサラダにガーリックオイル。
少し温かいものが欲しくなって、
クラムチャウダーをレンジでチン。
これじゃツマミじゃなくて2度目の夕飯だ。
この頃食欲がすごくて・・・
夏の疲れはすでに回復しているので、
体が冬眠の準備に入っているのかもしれません。
まあいっか、冬は少々デブでも。
これも自然の成り行きなり。



 
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