庭をつくる人

Healing




 

あのお、そこにある求人のを見て来たんですけど。

二十代後半だろうか、あるいは十代かもしれない、年齢だけでなく全体的にいろんな印象が判然としない女性が、おずおずといった感じで入って来た。ぼくはその様子から、もしかして、おやおやまたか、と思いながら腰掛けるよう促した。

履歴書はお持ちですか。

あっ、いえ、ついさっき張り紙を見て「これだ!」って思って。だから用意していません。ご、ごめんなさい、あの、出直して来ます。

まあまあいですよ。で、うちで働きたいということですね。

はい。わたし、お花を植えるお仕事とか、植物と関わることをやりたいなあって。

うん、つまり、癒されたいと。

はい、癒されたいし、癒したいし、そういうお仕事ができたらって。先生、あ、ごめんなさい間違えてしまいました。
あのお、店長さん、で、いいですか。


ええ、なんでもいいですよ、店長でも先生でもおっさんでもね。若い女性におっさんと呼ばれること、結構好きですから。

彼女はようやく、少し笑ってくれた。
その表情を合図として、ぼくは決められたセリフを言うように、こういう場面での何度目かの話を始めることにした。

あなたが花を植えることを仕事にしたとします。ポット苗をひとつ、丁寧に植え込むことであなたが得られる報酬はどのくらいでしょう。例えば10円だとするとですね、園芸農家でバイトをしたら多分それくらいだと思うから、時給1000円なら1時間に100鉢植えることになります。運搬して、土を整えて、植えて、水をやって片付けて。まあ、できない数じゃないですよね。春のいい日和だったら癒されるかもしれません。でも仕事として成立するにはそれを8時間、800鉢植えることになります。しかも来る日も来る日もね。果たしてそれで、あなやは癒されますかねえ。

あ、あ、いえ、そういうことじゃなくてわたし、庭の設計とかやってみたくて。

そうですか、庭の設計、ですね。造作もないことです。

ええっ、でもお、難しいんじゃないですか。

いやいや設計は難しくないですよ、考えるべきことを考え、セオリーに従って線を描いていけばいい。もちろん経験は重要なことだけど、それは時間が解決してくれることなので考える必要はないし、ぼくができるくらいだから誰にだってできます。設計は簡単なんだけど、お客様によろこんでもらうことが難しいんです。

それってわたしにできるでしょうか。

ぼくは「無理です」と言いそうになったのを飲み込んで、話題を変えることにした。そして出会い頭から気になっていたことを、わりとストレートに切り出した。何度かの前例における成功と失敗から、その切り出し方がベストなのだと知っていたので。

さっき、先生って、・・・通院されているんですか。

はい。だけど先生はもう大丈夫だからって。お薬は続けたほうがいいけど、それよりもモラトリアムを脱しなさいって言われて。あ、つまり働きなさいって。

そうですかあ。

さあて、と思ったが、堂々巡りとか、あまり話が混迷しないように次のセリフを続けることにした。

癒されたいって言ってたでしょ、さっき。この仕事ってね、っていうか仕事ってね、お客様を癒すものなんですよ。そのためにこちらはストレスまみれになることだってある、火だるまみたいに。そうやって出来上がった庭に癒されたお客様から「ありがとう」って言われた時にね、ようやくぼくらは少し癒される。最初から自分が癒されたくて仕事してたら、なかなかうまくいかないと思うんですけど、どう思われますか。

彼女の表情が危惧していたほどには崩れなかったので、台本のセリフを進めた。今度はもっと柔らかなトーンで、冬の朝にできた水たまりの氷を割らないように歩くみたいに。

もう一度、どんな仕事が可能なのか、先生によく相談したほうがいいかもしれません。もしもうまくいかないと辛くなるのはぼくではなく、他の誰でもなくて、あなただから。

先生、じゃなくておっさん、あ、ごめんなさい、おっさんさん、あらやだわたし、何を言っているのかしら。

構いませんよおっさんで、続けて。

わたし、本当は嘘を言っていました。先生はまだダメだって、無理だって。でもね・・・

やれやれ、泣き出してしまった。しかしその涙は何らか彼女の必要に応じて流れているのだと見て取れたので、そうだ、もっと泣け、もっと泣け、と思いながら続きを待った。

わたしね、親は不仲だったし。・・・お母さんはお酒がやめられなくて、お父さんはいつも怒ってばかりいたから、ずっと。それにいじめられっ子だったしね。でもおばあちゃんだけはやさしくて、いつもお花がいっぱい咲いてる縁側でね、お菓子とか、お話とか、とっても楽しかったの。でもね、おばあちゃん死んじゃった。そしたらね、わたし、わたし、そしたらいつもぼーっとしちゃって、頭が痛くなってね、こめかみが割れるくらい痛くて目を開けていられなくなってね、何回も通院したんだけど、お薬たくさん飲んで、飲みすぎて、本当に本当にどうしようもなく辛くて。

そうかあ、おばあちゃんだけがやさしかったんだ。

うん、はい、そうなんです。だからわたし、なんとかしなきゃって、だから・・・

だから?

・・・・

ぼくは一か八かと思いながら、医師ではないぼくが言える範囲で、しゃくり上げ続けている彼女に最良であろうとことを話した。

いいですか、少しむずかしい話をしますから、落ち着いて、聞いて。家に帰ったら思い出して考えてみてください。
ぼくらは本当のところ全員モラトリアムなんです、地球のね。自然と言ってもいいんだけど、そういう大きな流れの中でね、神様から大目にみられながら生息していて、そしてそれぞれに、その人に適した、その人にしかできない役割を与えられている。
あなたの役割って何でしょう。ぼくは、それはきっと、あなたが考えている「仕事」とは少し違う気がするのですが、何だと思いますか。


わたしの役割・・・・

あなたは広大な草原に、アフリカのサバンナとかね、そういうところにひとりきりで生息しているわけじゃない。両親や友人や病院の人たちや、大勢の中にいるでしょ。ぼくは思うんだけど、あなたはおばあちゃんの役を継げばいいんじゃないかな。あなたが楽しかったと記憶しているのと同じ楽しさをあなた以外の人たちに、遠くの人や大勢の人じゃないよ、その時目の前ににいる人に感じてもらえるようにね。花いっぱいの縁側で、どんな状況にある人にもやさしく楽しく接する、それがあなたの役割だと思うんだけど。そうそう、鏡の中の人にもね。

先生、あ、おっさんさん。あれ?

いいんですよ、先生で。

今泣いた烏が、もう笑っていた。

ありがとうございます。先生、わたし勇気を出してきてみて良かったです。本当はすごく怖くて、足が震えちゃってたし、でもよかった。なんと言ったらいいか・・・縁側にいるみたいな気持ちです。

入ってきたときに、いろんなことが判然としなかった彼女は別人に変身していた。とても美人だ。
「目の前にいる人、ですね」と言い、晴れやかに伸びた背中で帰って行った。

うちは特に人手不足じゃなくてもいつも求人の張り紙を出している。十数年来の慣わしとして。理由は「出会い」が楽しみだからで、実際それによって集った人たちによって会社は成り立っている。年に何度か労働志願者ではなく「癒されたい人」もやって来る。ウェルカム。ぼくも癒されたいから。癒しは癒すことで得られるのだから。

意識を高く持って、勇気を出して来てくれた彼女が、彼女を羽交い締めしにている過去から脱し、ぼくらのいる安楽なモラトリアムの世界に至るために、他の何よりも草花が有効であることを、ほくらがこの意識低い系世界の今日から脱して、明日にはもう少しだけでも真っ当な生きる喜びに浸れるために、他の何よりも庭が有効であることを、SNSや雑誌やテレビや、場合によっては家族や友人や、そういった人による外部刺激よりも、あなたが、ぼくが、本当の意味の癒しを得るために自然が有効であることをぼくは知っているし、信じているし、伝えたいし、だから本当の意味で庭を意識してほしいのです。そしてその庭を、あなたの手によって癒してください。あなたのために、本当の意味であなたの人生が、自然の流れの良き一部であるために。ぼくの話に折れなかった芯がしなやかな彼女の今後が、そのしなやかさを失うことなくぼくらと同等か、それ以上に崇高な、本当の意味で幸福な展開ができうる社会であるためにも。



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彼女との再会は突然やってきた。あの日から三年が経過していた。

こんにちは。おぼえていますか?

ぼくはうまく思い出せず、でもとても明るく好意的なその人の雰囲気から、ずっと前に庭をやらせていただいた方で、その庭にとても満足して楽しく暮らしていることを伝えに来てくださったんだと解釈し、「ああ、ええ、こんにちは」と不自然に笑った表情のまま、脳内では猛烈な速度で過去に設計した庭の住人たちの中から、その人を検索していた。

ふふ、あれからいわふちさんのブログ、毎日見ているんですよ。

あれから?

ええ、あれから。

検索範囲を顧客リストから来店者リストへ広げてすぐに、三年間がタイムスリップして、ぼくの顔は不自然から解放された。

いやあ、いやあ、いやあ久しぶり!えっ、その赤ちゃんは・・・

結婚をしてこの子を授かりました。

店の外ににこにこしながらこちらをうかがっている青年が立っていた。ぼくが軽く会釈をすると、彼はきちっとお辞儀をした。とてもいい印象だ。招き入れようかと思ったが、彼は彼女とぼくの再会を彼女の時間なのだと定義していて、それを少し離れたところから見守るというスタンスを選択しているのだと思えたのでやめた。

よかった、本当によかったですね。

はい、先生。

いやいや、先生はよしてよ。

ぼくが笑い、彼女も大笑いをした。ぼくは笑うと角膜に体液がにじみ出るという困った癖がある。どうやら彼女も同じ癖を持っているようだ。
今はまだ庭のない家に暮らしているが、いつか縁側のある庭を手に入れることが二人の目標になっていることを報告に来てくれたのだという。

お客様、その時にはぼくに設計させてくださいね。

もちろんです、絶対に。

目の端を指先でぬぐいながら、また二人で笑った。
その様子にやさしい視線を向けている青年へと目配せをして、テレパシーで「ありがとう。頑張れよ」と送ると、再び礼儀正しいお辞儀を返して来た。彼女の胸で眠っていた赤ちゃんがいつの間にか目覚めていて、不思議そうにぼくを見つめてから、歯のはない口で笑った。その顔が孫の美空とダブり、ぼくはまた目の端を指で拭った。

造園業、園芸店、お花屋さんには心に傷を負った人が集まってくる。このことは業界では常識として、同時に困ったこととして認識されている。心の傷はしばしば人間関係をややこしくするからだ。だがぼくの常識はまったく逆なのである。
傷ついた心が花を欲し、庭を欲し、自然を欲するのは当然のこと。ぼくらが目にしている花のほとんどが、傷負い人に癒しの効果を提供することで生存しているのだから。蜜の提供で受粉を成すのと同じように。そしてその効果がどれほど大きいかを、ぼくは日常的に目撃している。だから自信を持って言える。花、庭、自然の癒しはやがて希望の光の存在を知らしめる。その気づきによって元気と勇気が湧き上がってくる。すると人はもう、少々のことでは傷つかない強靭な心を手に入れ、それぞれの持ち場で他の人を癒す光の存在になるのだ。
ぼろぼろだった彼女は三年がかりでそういう人、癒す人になっていた。蝶の蛹が羽化するように、凍てつく霜柱が朝陽を受けて、輝きながら固体から気体に変化するように。壊れかけのRadioはジャストなチューニングを得て、ふるさとを流れる魚野川の支流、佐梨川の上流にある、岩魚が泳ぐ秘密の場所のせせらぎのごとき美しさで、バッハのアリアを奏でていた。

そうだ、ぼくは彼女の名前を知らない。まあいっか、とりあえずニックネームで。おっさんのぼくをおっさんさんと呼んだから、おっさんさんさんだ。
おっさんさんさん、またのご来店を。その日を心待ちにしています。






プリンシパル ⇄ プリンシプル

プリンシパル(主役)はプリンシプル(原則)に従っている。



バラ香る住宅地から里山の森に踏み入ると、
そこには別の劇場がありました。
静寂、清浄、心身のバランスを調整してくれるゆらぎ。
空気には梅雨の気配も。

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主役に必要なものは原理・原則だ。基本と言ってもいいし、型とも呼ばれている。
それが独自のものとなるまで高まっていて、周囲を魅了し他者の意識に流れが生じるだけの美しさを伴っていなければならない。



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そんなこととてもとても、と困難に感じる必要はありません。自然を見れば、そこにいるあらゆる生物が見事に主役を張っています。つまり自然の中にはありとあらゆる原則のパターンがあふれていて、誰でもいとも簡単に自分に最適な原則に行き当たり、自然体を会得できるというわけ。野生動物の端くれであるぼくらも、そのシステムから排除されているわけではないのでどうかご安心を。



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庭が好きになれていないあなた、庭にストレスを感じているあなた、も、もしかして、ご無理をなさっているのでは?不自然さに喘ぎながら頑張ることを鋼鉄の原則としている人はまま見受けられます。



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誰にでもそういうこと、そういう時期、そんな時代があるものです。でもね、それはきっとチューニングが少しだけずれているだけなのですよ。新潟での蛍雪時代、文化放送のセイヤングに微妙にかぶって大音量で飛び込んでくるスミダスミダの平壌放送が邪魔で邪魔で。でも小遣い貯めて微妙なチューニングができるラジオを手に入れてからは、そのイライラは嘘みたいに解消されました。



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もしも自分の不自然さに気づいたら、急ぎ自然の中に身を投じてください。例えば庭に出て、しばし時を過ごしてみてください。ほんの少しの時間で不自然な喘ぎが止み呼吸が整ってくるのを感じられると思うので。
だいじょうぶ マイ・フレンド、人はいつでもリカバリーできるし、人間関係は上書きできるし、気づきは過去の悔やみをエネルギーに変換できるものなのです。今日は倒れた旅人たちも、生まれ変わって歩き出すよとみゆき様も申しております。そんな時代もあったねと、いつか笑って話せる日が必ずやってきますから。



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メディテーション、リラクゼーション、ヒーリング、マインドフルネス、密教では阿字観、どれも自然体へと向かうメンタルのセンタリング。自然を感じてチューナーの性能をアップさせましょう。
おっとその前に、まずはプリンシプルを与えられないまま野放図なビオトープと化している、その庭の修正が先ですぞ。庭を整えればイッツ・オートマチック、あらゆることが整ってゆきます。これ、本当です。


 

4:6

伝えたいことは右脳にあふれ、それを左脳で形にする。ガーデンデザインは右脳と左脳が4:6。
恋は右脳と左脳が9:1。
結婚に踏み切る時、ぼくの場合は8:2くらいだったかな。
結婚生活は、たぶん、5:5が理想なのだと思う。だがこの頃では4:6、設計と同じ割合だ。
右を強化して、ついには10:0になりたい、というのは少々ロマンティシズムに過ぎるかもしれないが、魚座のA型なので仕方ない。



JSバッハは右脳と左脳が4:6。
設計作業にとても馴染むのです。



ぼくのちょっとしたマインドフルネス、
アリアの譜面を追っていると左右が整います。




撮影は6:4。

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今日は金沢文庫店で4:6。




 



 

Bottleneck

ボトルネックという考え方があります。どんなに大きな酒瓶も瓶の首の太さで出る量が決められてしまう。つまり内なる思いや能力を発揮するためには、瓶の口を広げる必要があるということです。



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ではどうしたら自分を広口瓶にすることができるでしょう。
その方法はたったひとつ、リラックスすること。瓶と自分の口を重ね合わせてイメージすればわかりやすくて、気合いを入れて力むと固くへの字に閉じるし、ゆったりしている状態では開いていて、笑えばさらに大きく広がります。



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庭ですよ、庭。庭で時を過ごしながらへの字口の人はいないものです。家族や道ゆく人と花の話題で盛り上がれば大口開けて笑います。



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連休初日の午後、湘南片瀬山の住宅地を歩いていたら、美しく育った芝生の一部をせっせと剥ぎ取っている 若いご夫婦を見かけました。目があったので「すっごく楽しそうですね」と声をかけたら、汗をぬぐいながら「ええっ」と、明るい返事が返ってきました。花壇を製作中だったようです。
夫婦で花咲く未来をイメージしながらの庭仕事、このふたり、幸せの絶頂にいますよね。数ヶ月後にこっそりと、共同作業の出来栄えを覗き見に来ようと思いました。



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ふたりともカッコよくて、雑誌湘南スタイルに登場しそうな雰囲気。ぼくらにもそんな時期があったよなあと、いつからなくなっちゃったんだっけなあと、しばし思案。おっといけねえ、夫いけねえ、瓶の口が狭まりました。続きは夜の庭で考えることにいたします。



こちらはボトルネック奏法。
と言えば、第一人者は憂歌団の内田勘太郎。



休日の午後に、
庭の寝椅子でビールを飲みながら聴きたい曲です。
ああ、たまらなく心地いい一陣の風。



相談会にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。今回もたくさんの方と出会えて充実の日々でした。
その庭に感じたワクワクする可能性を消すことなく、素晴らしい暮らしを組み立てていってくださいね。応援します。
次回の相談会はアジサイの時期に、金沢文庫店で。




今日は金沢文庫店にいます。



皮肉にも、手入れをすれば花咲かず。

レッドロビン(西洋ベニカナメ)は、在来品種のベニカナメモチが病気になりやすく、生産農家的には連作障害が起こるということもあったため、改良品種として誕生しました。ベニカナメモチよりも成長が旺盛で、葉っぱはツヤが強くやや大きめです。ちょうど今が花盛りです。



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植木屋さんはよく「手入れを怠ると花が咲く」と言い、木が弱ってしまった危機感から子孫を残すために咲くのだ。だから刈り込み作業をいたしましょうか、と営業トークを行います。ぼくも修行時代にそう教わったし、確かに手をかけずにぼうぼうに放ったらかしたものだけにが花が咲いています。
でもちょっと変だなあと、ずっと思っていました。弱ったから咲くにしては、その後に枯れてしまうのを見たことがありませんでしたから。それどころかさらに元気になってゆくような。



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調べてみたら謎が解けました。
レッドロビンの花芽は夏につきます。だから秋や冬に刈り込みをすると、花芽が切り取られてしまい咲かない、放置しておくと咲く、それだけのことだったのです。



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基本的には梅雨明けと秋の二回刈り込めば美しい生垣を維持できます。花がなく整ったレッドロビンに出会うと、その家からは、きちっと暮らしているんだなあという好印象を受けます。ただし、毎年繰り返し開花を妨げられている木の立場になれば、人と重ね合わせ、愚にもつかないことを考えてしまいますが。



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レッドロビン、三十年ほど前から出回り始め、今ではベニカナメに取って代わって生垣の代表的な樹種になりました。
ぼくも多くのプランに入れてきました。でも中にはこの燃えるような赤が好きではない、あるいはあまりに見かけるのでありきたりな感じがして、という方もいらっしゃって、そんな時には黄色から深緑への変化が美しいオウゴンマサキをお勧めしています。



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こちらは斑入りのキンマサキ。



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両方とも潮風に強いので、湘南方面でよく目にする初夏の色です。




 

Narcissism


晩秋から冬を越えて楽しませてくれたビオラも、
とうとうあと一週間でお終い。
引っこ抜くときに、ありがとね、と口に出る。


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春先からの暴風報道も止んできたので言っちゃいますけど、Bフェチのぼくはアッキーのファンなのです。いいんだなあ〜、あの神をも恐れぬ傍若無人にして野生動物的な天然さ。それとですね、ついでにアッキーの旦那さんも好きなのです。理由は、河口湖に住んでいる友人の愛犬が行方不明になって、ポスター貼ったりして探し回っていたときに、別荘に来ていた彼がそれを知ってSNSで拡散してくれたから。細やかな職業的パフォーマンスという見方もできますが、ぼくはその時、心から感謝しました。
彼の仕事ぶりについては云々しません。男はそれぞれの分野で懸命に働けばそれでいい。農家は農民として、商売人は商人として、公務員は公僕として、女房子どもに恥じぬ仕事をすればよし。
ところがここにきて、とんでもなく恥ずかしい官僚が話題になっていますよね。女性からしたら怒り心頭でしょうけど、きっとそれを通り越して「なんでここまでしらを切り続けられるの?」と不思議な生物のように見えていることと思います。でもぼくから見ると、あのお方は典型的なんですよ、典型的な出世&自滅タイプ。
今日はそういう男性の取説を記しておこうと思います。



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父は、怒りに震えて詰め寄る娘に言った。

ブルータス、お前もか。

はあっ?なにそれ。お父さんね、わかってんの?そりゃあお母さんは酒癖悪いし、料理も下手だし掃除も嫌いだし、口を開けば文句ばっか言っているし、だけどね、私たちのお母さんなのよ。私たちは家族でしょ、家族。なのになんであんな女と。なんで、キッショ!ああキッショ!なにあのケバケバオババ。アタシはねえ、よりによってあんなビッチにフラフラするお父さんに幻滅しているのよ。

おいおい、まあ落ち着いて。お前はわかってくれると思っていたんだけど。

父は投げつけられる言葉の意味よりも、自分の一部のように思っていた娘がちぎれて離れてゆく展開に動揺した。動揺しながら「ビッチ?なんだっけそれ。あとで検索・・・」などと思っているところに波状攻撃が。

はあっ?はあっ?はあっ?落ち着いて?一体全体なに言ってんの。落ち着いて考えたほうがいいのはお父さん、あんたの方でしょ。一丁目一番地のそもそも論ですけどね、売れない物書きでろくな稼ぎもねえくせに親父づらするんじゃないよ。男ってのは女子どもを養ってこそ男だろ。なに、あんたのやってきたことって。夢だのなんだの言っちゃって、外では家族が大事、やさしさが大事ってきれいごと並べてさ、もうねえそういうところがうんざりなんだよ。あんたなんて、腹のたるんだ加齢臭ビンビンの、無自覚無責任な怠け者じゃないか。ああ嫌だ嫌だ。

いや、・・・なんというか、ごめん。でもね、

でもねじゃねえ!あああああ人類史上最低最悪エロ親父!言っとくけどあんたは初犯じゃないし、ほとぼり冷めたらまた調子コイてこういうことしでかすから、ねえ、ホントもう、ああもうダメ、お願いですから地球から消滅していただきたいんですけど。 

そして娘は毅然として、呆然とする父に、一文字も無駄のない最後通告をした。

とっとと出てって。

反応を確認することなく踵を返し去って行く娘の背中は、清々した時に女性が見せる、軽やかにして颯爽としたものだった。



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さてお立ち会いの皆様、この男の行く末はどうなるでしょう。ぼくは、この男は裏切られた家族よりも幸せに暮らして行くのだろうと思うんです。
稼ぎが悪いのなんのと文句を言う家族よりも、夢を語る自分を優良誤認し褒め称えてくれる女郎蜘蛛の餌食になるというこの展開は、ナルシストによく見られる症状なんですよね。つまり入院に至らない程度の、薄っすらとしたレベルの病なわけです。
神様はどこまで慈悲深いお方なのかと敬服します。苦悩に負けて道を誤る弱き者には、真摯な努力によってそうならない健全な者以上の加護を与えます。その加護とは「他者の痛みを微塵も感じない」というもの。だから家族がどんなに苦しんでも、他人がどれほど忠告してもわれ関せずというかその意味を感知できないものだから、「なにが悪い、俺様の幸せが人類の幸せなんだ」くらいに思って、どこまで行っても、行けば行くほど傲慢な幸福感に包まれるという厚遇が得られます。



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このナル回路は生物全般としてはごく普通のことでありまして、そういう意味ではワイルドであるとも言えます。ただし脳が発達し社会を形成している種族においては悲劇の元凶となる悪魔の思考回路。日本人は古来より、この手の男に「つける薬はない」と、「死ななきゃ治らない」と言い伝えてきました。たしか、サンスクリット語でクルクルパーと言います。ああ悲しきかな、世に数多いる彷徨える雄ザルどもに、どうか気づきの日が訪れますように。



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そんなこととは無縁の健全なるパートナーをお持ちの皆様、ほぼ健全だと思っている皆様、かろうじて健全さを保っているように見える皆様、年に何度かちょいとヤバいかなと感じる皆様、日々、彼のメンタルケアを怠りなきようお願いします。特に慢性的に周囲への不満を抱いている、例えば夏には暑さを嘆き、冬には寒さに文句を言い、春は強風と花粉に苛立ち、秋は感傷的に落ち込んで身動きできなくなるというような、季節を敵に回している場合は危険信号ですから、くれぐれも、くれぐれも。あ、それとですね、いつもテレビに向かって不愉快な正論を並べ立てているというのも要注意。



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ならぬ、我が命令は覆らぬ。このシーザー、確固不動たること北極星の如しだ。

皇帝は、あえて苦言を呈する側近に向かって、財務官僚など及びもつかぬ迫力と威厳でそう言い放った。

どうかお考え直しを。権勢並ぶ者なき偉大なるシーザー閣下。

下がれ。おぬしはオリンポスの山を動かすつもりか。

んん・・・もはやこれまでか。自由万歳!共和制万歳!ドリャー!

な、何をする。気が違ったかキャシアス。

そこへ腹心の部下ブルータスが駆け寄ります。

親愛なるシーザー、今行くぞ!

おお我が守護神ブルータスよ、低俗週刊誌の記事に踊らせされているこの狂った男を切り捨てよ。

ブルータスは唸るように「自由万歳、ローマ万歳」と言い、キャシアスではなくシーザーの胸を突き刺したのです。

ドスッ!

ブ、ブルータス、お前もか。もはや英雄シーザーも、こ、こ、ま、で、か。バタッ。

許せシーザー、これもすべてローマのためなのだ。

そこに登場してくるのがシーザーに忠誠を誓って長く仕えてきたアンソニー。彼は民衆への巧妙な演説によってブルータスを退け、まんまと王の座に就きました。舞台はここから、アンソニーとクレオパトラによる悲劇の恋物語へと展開してゆくのです。



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暴君シーザー、進言者キャシアス、裏切り者ブルータス、知恵者アンソニー、全員が色濃くナルシスの亡霊に取り憑かれていました。つまり、全員が病的に自分本位で他者の痛みを知ることがない。しかるにこの頃の物語は総じて悲劇なのであります。
健全さを保っていたのは、自分に酔っては成功と破滅を繰り返す英雄たちのてん末を、面白おかしく歌劇に仕立てて、日々のから騒ぎのネタにしてきたローマの民衆なのでありました。めでたしめでたし。



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不運にしてナルシストと結ばれてしまった方は(失礼、不運とは言い切れませんね。成功する男の多くがナルシスト傾向を持っていますから。つまり程度問題、あるいは扱い方次第ということです)、家庭を壊さないために庭を夢の世界にしておくことをお勧めします。彼らは辛くなると非日常に逃走を図るという特性があるので、自宅にリゾートフルな庭があれば、オイタをせずにそこで機嫌よく遊んでいてくれますから。
それともうひとつ、毎日欠かさずほめちぎること。これは小学生並みに効果があります。逆に、けなされることには極端に弱いので、もしもほとほと愛想が尽きて見切りをつける場合には、けなしまくれば早々に問題行動を始めますから、沈着冷静にその愚行の証拠集めを。さすればあなたが主導権を握って、とても有利に別れられます。おっと、こういうことを勧めてはいけませんね。



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さて、かく言うぼくのナルシス度はいかほどか・・・
非日常への逃走、魅惑的な言葉ではあります。ぼくの場合ひなびた温泉場でボイラー炊きか山岳ガイドをやりながら、陶芸とか、創作活動に熱中したいという類いの逃避ですが。
多かれ少なかれ地球上の全男性が抱いているこの衝動は、女性には理解し難いかもしれません。でも、そのアホなナル男をコントロールできるかどうかが、奥様、あなたの人生を大きく左右するのだということを、どうかお忘れないきように。もしもあなたが歴女なら百も千もご存知の通り、男なんてのは扱いひとつであなたに命まで捧げる生き物なのですから、せいぜい賢く運用しない手はございませぬぞ。
そのスキルを身につけた時点で、あなたは巨万の富に匹敵する幸福の原資を手に入れたことになるのですから、心して、心して。




今日は港南台店にいます。

 

 

音読


ビルは空高くなったが 人の気は短くなり

高速道路は広くなったが 視野は狭くなり

お金を使ってはいるが 得るものは少なく 

たくさん物を買っているが 楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 家庭は小さくなり

より便利になったが 時間は前よりもない

たくさん学位を持っても センスはなく

知識は増えたが 決断することは少ない

専門家は大勢いるが 問題は増えている



玄関先の花は家庭円満の証し。
住宅地は幸せ大合戦の様相です。

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飲み過ぎ吸いすぎ浪費し 笑うことは少なく

猛スピードで運転し すぐ怒り 夜更かしをしすぎて 起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で テレビは長く見るが 祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 人生を学んではいない

長生きするようになったが 長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが より良いことはなしえていない



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空気を浄化し 魂を汚し

原子核を分裂させられるが 偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 待つことは覚えず

計画は増えたが 成し遂げられていない

たくさん書いているが 学びはせず

情報を手に入れ 多くのコンピューターを用意しているのに

コミュニケーションはどんどん減っている

ファースト・フードで消化は遅く

体は大きいが 人格は小さく

利益に没頭し 人間関係は希薄になっている

世界平和の時代と言われるのに 家族の争いはたえず

レジャーは増えても 楽しみは少なく

たくさん食べ物に恵まれても 栄養は少ない 

夫婦でかせいでも 離婚は増え

家は良くなったが 家庭は壊れている



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忘れないでほしい 愛するものと過ごす時間を

それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい すぐそばにいる人を抱きしめることを

あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 1円もかからない

忘れないでほしい あなたのパートナーや愛する者に 「愛している」と言うことを 心を込めて



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あなたの心からのキスと抱擁は傷を癒してくれるだろう

忘れないでほしい もう逢えないかもしれない人の手を握り その時間を慈しむことを

愛し 話し あなたの心の中にあるかけがえのない思いを分かち合おう

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない

どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ


「この時代に生きる 私たちの矛盾」ボム・ムーアヘッド 原作・佐々木圭一 訳




夜の庭で、佐々木圭一の例のベストセラーを読んでいたらこの詩に出くわしました。
出くわす・・・たまたまばったりと、偶然かのように遭遇するの意。偶然を必然にすべく、声に出して読んでみました。
よろしかったらあなたももう一度、ゆっくりと音読してみてください。これらの矛盾の解消は、案外簡単な気がするので。






 

Lucy in the Underground with Diamonds

ああ、それにしてもルーシーたちは、なぜ200万年も代をつなぐことができたのだろう。ぼくらの歴史がまだ20万年程度で、おそらくは21万年目はやって来ないであろう現状のことを思えば、それは驚愕の長さです。


700万年前、木から降りた猿の一派が、
生き残りをかけて森から草原へと旅立ちました。
その頃、植物の生態系は
今と同じようにまで進化を遂げていたので、
猿たちもきっと、葉の芽吹きを見上げて、
その色に希望を見出していたことでしょう。


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ひとつ明らかなことは、彼らは生態系の中でウサギやネズミと同じような弱い存在だったということ。そしてぼくらホモ属もついこないだまではそうだったんですけど、いつの間にかそうではなくなってしまいました。
大型肉食獣は仕留めた獲物を食べ、次に中型のジャッカルやハイエナの類が残り物を食べ満腹になってその場を去ってから、ようやく番が回ってくるが猿人です。だがすでに肉は残っておらず、やむなく骨を砕いて脊髄をちゅうちゅうと吸って栄養を得ていたことが化石から推測されています。そのような弱い存在でしたから、彼らは他の種に危機を及ぼすようなことなどしなかったし、できませんでした。多分これが200万年生息できた理由だと思われます。猿人が猿人のままでいたことが。



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種の存続に限らず、生物界には「やればやり返される」という鉄の掟があります。だから動植物は侵略せずに独自の狭い場所、ニッチを探し当ててそこに住み着くのです。トラもネズミもタンポポも、それぞれに狭いながらも楽しいわが家に住んでいます。
ぼくらもこのことに立ち返って、慎ましやかに土を耕し野菜を育てるような、そんな暮らしに穏やかで確かな幸福を見い出し、エアコンやパソコンやシネコンや合コン以上の価値を持たせることに成功できたら、もしかしたら奇跡が起こるかもしれないという気がします。あくまでも、もしかしたら、ですけど。 でももしかして、もしもそんな意識革命が成就したなら、今よりは大きな幸せを感じられるようになることは間違いないだろうと思うのです。庭を楽しむ人が経験する、感動と数々の奇跡に照らせば、「もし」の可能性が増します。だから絶望はまだ先延ばしにしておいていいのではないかと。未来はこれからやってくるのだからどうなるかわからないし、どうにでもできるのですから。



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このロジック、自分が本来的幸せに至ることが人類の存続につながる、というのは名案だと思うのですが、なかなか賛同は得られないかもしれません。なぜなら十数種類いたと言われる猿人の中で唯一生き残った現生人類は、さほど幸せについて考えないですから。安全と便利と蓄財のことは執念深く考えますが、それらが即、幸せと結びつくものではないことに気づくのは、随分と年老いて、目先よりも過去の方が膨大になってからのことだし、気づかないまま人生を終える人の方が多いとさえ言える状況です。だから多くの庭は荒れ果て、ついに心を病み、家庭が壊れたりしている。宗教的瞑想でもしないことには、本当の幸せを見出せない有様となっています。とても残酷ですけど、それが現実です。



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どうか気を落ち着けて、気を楽にして、あなたの庭を眺めてみてください。そこに出て、しばらく時を過ごしてください。その庭世界には、安全、便利、蓄財とは別次元の、他の猿たちも欲しがり、得ることができる種類の幸せがたくさん存在していることに気づくことだろうと思いますから。
20万年が21万年に伸び、やがて200万年になったとしても終わりはやってくるし、あと20年生きるかどうかもわからないぼくらには、そんなことはただの空想の世界にすぎません。でも今日はリアルです。明日のことも現実的にイメージすることができます。花を植えればその現実イメージが、数ヶ月後の花いっぱいの庭がある暮らしまで広がります。だから課題は、今日あなたが思い描く幸せが、哺乳類霊長目ヒト科ホモ属として的を射ているかどうかなのであります。



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ニッチ(分際をわきまえた狭い領分)、つまり家庭の充実を目指そうじゃないですか。人類の未来はさて置いても、あなたの幸せな残り時間のために。そのふたつの幸せはイコールで、でも成立させる順番は決まっています。個人が先。幸せな社会は幸せな個人の集合体であって、その逆にはまった場合は、いつも悲劇を招く結果に終わってきました。
「庭」がいいと思います。音楽も、絵画も、小説も、料理も、愛する人と語り合うことも、ニッチの充実には欠かせませんけど、それを楽しむ場所として美しい庭があったら完璧ですから。



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アファール猿人の化石が発見されたのは1974年のことでした。



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320万年ぶりに太陽光を浴びた骨は研究室に運び込まれ、さっそく入念な調査が開始されました。誰もが大発見の興奮を抑えながら慎重に作業に当たっていました。その時、研究室に備えてあるラジオから流れてきたのが、この神秘的にして不可思議な歌詞の曲だったといいます。





320万年前のアフリカから、地中のタイムマシンに乗って現代へとメッセージを運んできたその小柄な女性は、彼らによってルーシーと名付けられました。

 


 

For You

何度めの春になるだろうか、きみと出会って、暮らし始めて。年々春には花がたくさん咲くのだということを知るようになった。年々だ。出会う前は桜が咲くまで花は世界に存在せず、桜を春霞の憂鬱さ交じりに見上げて、少し嫌な気分になったりした。それはきみと出会う何年も前の春にとても嫌なことがあったから、その後遺症だったのかもしれない。その症状が去って、桜が散ると次々にいろんな花が咲くことは確認できていたが、それは祭りの後のようで、今ほど花に色を感じることはなかった。だからレンズを向けたことなど一度もなかったし、そういうことをするのは人生に飽き飽きして、他にも何もするこのない初老の男にありがちな時間つぶしだとさえ思っていた。ぼくには彼らが見つめている花水木も皐月も源平桃の花も、白黒写真のように見えていた気がする。



今年は穏やかな天気が続いて、とても長く楽しめました。

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何度めの春になるだろうか、きみと出会って、一緒に暮らすようになって。年々春に咲く花の美しさに気持が持ち上げられるようになった。以前は目を開けていることがつらくて、楽しそうに手を繋いで歩く家族や、無邪気な子供や、無邪気な女性たちや、無邪気なテレビ番組を見るのが嫌で嫌で、でもそれを誰にも悟られたくなかったから軽く微笑みながら目はできるだけ細めて、焦点をどこにも合わさないようにしていた。きみと暮らし始めてからは、春になると自分の目の細さ気づき、できるだけ大きく開いていたいと思うよになった。春の花と、きみの姿をもっとたくさん見ていたいと思ったからだ。



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何度めの春になるだろうか、きみと出会って、同じことに悩み、同じことに怒り、同じことに笑い、同じ音楽を聴きながら同じものを食べ、同じお酒に酔い、同じ夢を見るようになってから。それが何度めなのか、その一回一回を思い出そうとしてみたが、春と重ねるとどうもうまくいかない。浮かんでくるのはとても調子の悪そうなきみの顔と、とても不機嫌な様子と、その様子通りに不機嫌な、ぼくにぶつける思い出したくもない言葉ばかりなのだ。聡明なきみをそうさせている主な原因は、ぼくには見えも感じもしたことがない、森の木が撒き散らしている花粉の嵐らしいのだが、見えも感じもしたことがないのでぼくは「そんなの気のせいだよ」と、いつも言っては反論され、何度も言うから反論もされなくなり、言うこともやめてしまった。でもぼくは今でも、それは気のせいだと思っている。



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気は大事だ。気に白黒フィルムを装着していたぼくに、きみがポンとカラーフィルムを投げてよこしたことから始まった奇跡、色付きの世界がやってきたように、気の持ちよう、気のありようで世界は一変するのだから。不機嫌なきみに奇跡が起こらない理由をぼくは知っているのだが、バラが咲く季節になって嘘みたいに機嫌が回復しないことには、ぼくの言うことの全部とぼくの全存在を花粉の嵐と混同しているから、それを伝えたところで効力を発揮しないことだろうと思うのだが、きみがとてもよく知っているように、何であれ反論することは一時的に一次的元気を回復するために有効極まりない手段だ。その意味で伝えておこうと思う。



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あらゆることが気のせいなのだ。嫌な出来事も、世界が色を失って見えることも、きみとぼくが暮らしていることも、言葉も、音楽も、気によって喜にも怒にも哀にも楽にもなる。そしてきみの気の持ち方の選択権者はぼくではなく、政治家でも医者でもテレビ番組のプロデューサーでもなく、きみなのだ。アレグラを服用するのもいいのだが、あの手の抗ヒスタミン薬は仮想敵を作り出しておいてそこに駆けつける義勇軍だ。一時的に気を回復させるが、それはつまり気を病んだ者が愚痴を言うことによって、傾きかけている自分の均衡を保つのと同じで、ほとんど一瞬の効果にとどまる。しかも抵抗力を持つ身体は抗ヒスタミンに抗するようになってゆく。ことに抵抗する能力が強いきみの場合、事態は悪化に向かう可能性もある。だから、抵抗は止めることだ。おとなしく白旗を上げて自然に出てゆくことを勧める。この論の正当性をきみは勢い込んでやはり否定してかかるだろうが、よく考えて欲しい、きみが楽しいと思うことをしている時には症状は微塵も出ていないということを。ごく普通に暮らして欲しいのだ。自然を敵視するのをやめ、仮想敵を設定することもやめ、自然な気持ちで自然に振る舞い、当たり前のことを当たり前に行ってほしい。その病が「都会病」あるいは「現代病」と言われている通りで、不自然さ、不自然な思考と不自然な生活が原因していることは明らかなのだから。



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何度めの春になるだろうか、きみと出会って、暮らし始めて。次の春にはバラの季節を待たずとも、きみが春にふさわしく過ごしてくれることを願っている。きみ以上に頑なに、世の中にも自然にも抵抗していたぼくに、ポンとカラーフィルムを投げてよこした、あのときの顔で。


そうだ、いいことを思いついた。
気の持ちようで季節を先回りしたらどうだろう。


 

暗示をかけるのだ、今は真夏なんだと。
そこはきみが手に負えなく輝く季節だから。
 


 

ジャーマン・スピリット

1930年にドイツで空前のベストセラーとなった本がありました。発売の数年後には一部が理科の教科書として使われたほどのものでしたが、それは歴史上に起こった、現実ではなく悪夢であったと思いたい出来事の甘く危険なイントロダクションだったのです。内容は全編に渡って異様な説得力がありました。しかしタイムマシンに乗り2018年へとやってきた、事のてんまつを知る身としては冷静に読むことができます。刺激的な題名からなのか、かつて全共闘世代に悪魔のバイブル的にもてはやされていたこの本は、現在では研究熱心な歴史学者以外は読まない方がいい、というのが大方の評価になっています。
ただぼくとしては、一ヶ所だけ、そのように切って捨てるには惜しい数行があったのでご紹介します。



しゃがんだら春の香りが

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自然の法則と人類

あらゆる生き物が、冷酷無情な生存競争に否応なく参加している、というのが自然界に存在する至高の法則である。植物が縄張りを確保しようと争い、カブトムシは交尾相手を得ようと争っている。このように生存のための闘いは厳しく非常だが、それが生命を維持する唯一の方法なのだ。(中略) 生物学は動植物について教えてくれるばかりではなく、我々が自分の人生で従うべき法則も示し、この法則に即して生き闘うよう、我々の意思を強固にしてくれる。生命の意味は闘争にある。(中略)自然の鉄則に逆らおうと試みる者は、そうすることで、自分に人間としての生命を与えてくれたことに感謝すべき原理と闘うことになる。自然と闘うのは、自らの破滅をもたらすことに等しい。



今年のモンシロ第1号

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実に正しく見事な見解です。ただし、中略部分を除けばですが。もしも著者にサイコパス傾向がなかったら、きっと昆虫学者か戯作者か、あるいは人気の高いガーデンデザイナーになっていたかもしれません。彼が抱えていたコンプレックスや葛藤も、幼少期のある期間にごく当たり前の温かな家庭があり、周囲の大人たちが、花と笑顔が絶えない庭のある暮らしをしていたら、中略部分の言葉は絶対に出てこないだろうにと思いました(読むと気が滅入るので略しました)。



奥手のジンチョウゲ

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とことん愚かで哀れな彼にも公平を期するために、書き添えておきたいことがあります。それは、その後に起こった悲劇は彼単独によるものではないということです。彼は少々狂っていただけで、その程度の狂気ならぼくらの周囲でも普通に見かけることですから、本当の犯人は彼に心酔して正当な選挙で宰相に選出し、演説に熱狂した当時のドイツ国民だったのだと、ぼくは思っています。そしてぼくら日本人の気質がドイツ人と似ていることはしばしば指摘される点で、日本でも同じ種類の熱狂が招いた悲劇が起こりました。だから皆様、どうか心穏やかに、熱狂することなく庭を楽しむ暮らしをお送りください。熱狂はいけません(音楽やスポーツなどの娯楽と、恋は別として)。熱狂とは字の如くで、熱く狂うということなのですから。



春の里山風景に欠かせないナノハナ

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ドイツの人たちは悲劇を経験して変わりました。現在ドイツの人口は日本の66%で国土面積はほぼ同じなのに、ガーデン業界の売り上げ額を比較すると日本の倍あるといいます。それと犬の殺処分はゼロで、ペットショップが存在しない愛犬先進国になりました。そしてご存知のように、生真面目な国民性によって生産される工業製品のクオリティーは、ぼくらには太刀打ちできないレベルに達しています。ちなみに暴走女房が駆っている赤いスポーツカーはドイツ製で、犬たちもドイツの血統を継ぐ種類で、ぼくは特別な日には、ミュンヘンにあるレーベンブロイ社のビールと決めています。
ちょうどいま設計しているのはドイツに留学経験のある昆虫学者さんの庭でして、その時のことを、とても豊かで楽しい時間だったと話してくれました。その方もとても豊かで楽しい人で、そして愛犬家です。



ペンペングサと仏様

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空を霞ませている花粉に気持ちも霞んで、
もしかしたら少々苛立っているあなた、
思い切って里山へ行ってみてはいかがでしょう。
そこはフィトンチッドにより浄化された空気が満ちていますから、
イライラを増幅させている、そのマスクを外せると思うので。




あるきっかけでこの上下巻を読み始めまして、魔術のような知識と思想の展開に、当たり前ですけど賛同も共鳴もできないわけなので、途中からはディストピア小説を読んでいるつもりで、速読のようにして読み終えました。そして背表紙も見ていたくなかったからすぐに捨てました。よくもまああれほど身勝手なことを見事に正当化したものです。このようにアドルフに嫌気がさすのは、ぼくの中にも同種の狂気が存在しているからかもしれません。人とはそういうもので、嘘つきな人ほど「嘘はいけません」と主張し、離婚を踏みとどまった回数が多いほど離婚反対論者となり、内心はへべれけに酔っ払って本音をぶちまけてみたいと思う人は酔っ払いの醜態が許せない、つまり自己抑制の表出なわけです。人類は、その思考癖から来る倫理観や常識やお作法や文春砲によって、安定的に幸福感を得られる平和な暮らしを維持しているのでしょう。
ぼくの「我が闘争」は豊かで楽しい庭を思い描くことです。だからジャーマン・スピリット(社会の善いことについては喜んで賛同し、悪い面は力を合わせて改革する)に倣い、ドイツ人のように生真面目に、正常にして清浄なる人たちに向けて、健全な幸せを育んでゆける庭を思い描きます。

あなたの「我が闘争」とは何でしょう。その前に、まずは庭を花でいっぱいにして、ごく当たり前の幸せを感じられる暮らしの実現を。健闘を祈ります。





チャールズ・チャップリンの凄みを感じる名場面です。

チャーリーは言いました、
「笑いとはすなわち、アンチテーゼである」と。
ジョンは言いました、
「否定からは何も生まれない」と。
このふたつの異なる見解は同じことを言っています。
悲劇は信念無き者によってもたらされる。
しかしアドルフも強い信念を持っていました。
しかるに問題点は、正常であるか否かにあります。
では正常とは何でしょう。
ディランは「答えは風に舞っている」と歌いましたが
誰もそれをつかまえられずにいます。
そのことを、村上春樹は「風の歌を聴け」と回答しました。
ぼくは100点をつけます。

今夜の庭も江ノ島方向から、とても綺麗な緑色の風が吹いています。







今日は港南台店にいます。
 




 

大道芸

シッダールタの中二病は重症だった。彼は裕福な家庭にいて、内側から自分を突き破ろうと暴れる欲望について悩み、将来について悩み、世の中のことを悩み、ついにはあらゆる悩みのことを悩み、周囲の人々のやることなすことが嘘っぽく思えて悲しい目をしていても、暮らしの安泰が保証されていたことが症状を悪化させたのだ。何年か自室に引きこもって、ギターを掻き鳴らし反体制フォークソングをがなり、ヒンドゥーの行者が記した本を明け方まで読み、当時流行っていたヨガによるマインドフルネスを行ったりした。腹が減るとキッチンへ行って冷蔵庫に常備してある魚肉ソーセージをかじり、時々は料理に使う二級酒を盗み飲んでトリップを楽しんだ。



春のうつつは極楽浄土。
 
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シッダールタ、お前はいつまでそんな自堕落な生活をしておるのだ。

父さん、ぼくは宇宙の本質を知りたいのです。欲望と絶望の意味を、富と貧困の訳を、不条理な事象と信仰の関係性を、ガネーシャの真理である成功と幸福がいかなものであるのかを見極めたいのです。

はあ・・・シッダールタ、お前は本物のクルクルパーか。ああ、どうもならん。お前を甘やかしすぎたことを心底悔やんでおるぞ。そんなたわ言は飯の種にもクソの役にも立たん。

何度も繰り返されてきた父からの小言は、いつも「もう子供じゃないんだからちゃんと働いて、自分で食えるようになれ。わけのわからん理屈をこねるのはその後だ」でしめくくられた。
29歳のある夜、そんな小言に嫌気がさしたのか、あるいはそんな自分に嫌気がさしたのか、魔がさしたようにシッダールタは少しの着替えと当座のお金と数冊の宗教書を持って、裏の木戸を開けて家出をした。



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何のあてもなく、おぼっちゃま育ちで生活能力もない彼は、往来で物乞いをしながら暮らすみすぼらしい身なりでガリガリに痩せ、目だけが異様に強く光る自称修行者、ホームレスたちの仲間入りとなった。
人はどんな境遇にあっても、それを長く続ければそこに正当性と糧を見い出すものだ。6年が経過し、彼は育ちの良さからくる品のある印象と、読み漁ってきた書物のおかげで、道ゆく人々の興味を引く哲学を語り飯の種にすることができるようになっていた。

人々よ、苦しみは悪政や貧困や不遇や、そういった外部要因によってもたらさせるように思いがちだがさにあらず。あなたの内側、あなたの日々の思考と行動が苦しみを招き入れているのですぞ。さあさあお立ち会い、今から私がその苦しみを遠ざけ、あなたを解脱の境地へと導く魔法の言葉を授けよう。

彼の声はよく通った。引きこもりの時期に毎夜フォークソングを歌っていたからだ。聴衆に対して発声は重要な武器になる。ボブ・ディランのような、ボブ・マーリーのような、ボブ・ウェルチのような語りの調べは心地よくび響き、たちまち人だかりができ投げ銭が集まった。



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感じなさい。

彼は右手の指を天に向かって突き立て、左手は大地を指して叫んだ。クライマックスに使っていたお決まりのポーズだ。

ドント、シンク、フィール。悩むことをやめ、今ある幸福を感じ取るのです。幸せを数えたえら片手にさえ余るならなおのこと、それを大切に実感するのです。

チャリーン

では両手でも足りない不幸はどうするか。それも感じなさい。不幸から目をそらし中途半端に忘れてしまおうとするから、その不幸が魔物のごとく巨大化してあなたを襲うのだ。恐れることはない、そんなものはひとかけらも残さず受け入れて、噛み砕いて飲み込んでしまえばいい。さすればそれが栄養素となり幸福体質になってゆく。加藤諦三も申しておるではないか「あなたが認めたくないものは何ですか。どんなに辛くても、それを認めれば道は開けます」と。

チャリーン チャリーン

聴衆のひとりが言った。

じゃああなたの心に不幸はひとつもないのですか。そのようなみすぼらしい格好をして、粗末なものを食べて、それは不幸ではないのですか。

いい質問ですね。ふふ、幸不幸は自分でジャッジするものなり。私は幸も不幸もくまなく感じ取り受け入れている。だが白状すれば、たったひとつだけ大変にひどい不幸を抱えている。大好物の焼肉をもう何日も口にしていないのだ。もしもあなたが私に安楽亭で上カルビとシロコロホルモンとビールをご馳走してくれたなら、私はまごうことなきパーフェクトな幸福を得ることができ完璧なる神となる。さすればあなたは、その偉大な神を誕生させた最上位の神として、長く後世に語り継がれることだろう。

どっと笑いが起こった。
チャリーン チャリーン チャリーン・・・



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まだ涅槃(悟りの境地)への旅の途中なれば、今日はこの辺で失礼いたします。たくさんお布施に感謝感激雨あられ、これで明日も人々を苦しみから救う説法をすることができます。私のこの旅は、わが身に苦難を課し、感じ、受け入れ、その反作用で脳内に分泌されるドーパミンによって、心に満ちてくる幸福感を得る修行です。もしも私に同行して共に涅槃を目指したい方がいればどうぞご一緒に。真の幸福を目指して歩を進めるならば、いつか必ずたどり着けますから。ちょうど、理想の庭をイメージした者にのみそれが実現する現象と同じにね。さして幸福でもない庭から目を背けていないで、しっかりとその地を目指しましょう。そこに行けばどんなことも叶うと、ゴダイゴも歌っていたではあ〜りませんか。



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徐々に彼についてゆく者が増え、その者たちはシッダールタの大道芸である説法を身につけては独立し、全国に散って人気を博していった。その芸能の大前提として教祖の存在が必要だったため、やがてシッダールタは神格化され、ブッダ(悟りをひらいた者)と呼ばれるようになった。弟子たちはそれぞれにブッダの物語を感動的に仕上げてゆく。聴衆もまたシェアやいいねによってブームを拡散し、その過程で説法は万人によろこばれる哲学として体系化された。そしてブッダの化身である神々を生み出し適所に配していった。
このような経緯で、中二病のシッダールタが糧を得るために始めた大道芸は、世界有数の偉大な宗教となり、多くの人々を苦しみから救ったのでありました、とさ。めでたしめでたし。

かく言うわたくし、未だ中二病完治せず。









今日は金沢文庫店にいます。





 
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