庭をつくる人

砕けた瓦

ひとりじゃないって すてきなことね
 
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私は此頃自ら省みて「私は砕けた瓦だ」としみじみと感ぜらるをえないようになった。私は瓦であった、自分から転げ落ちて砕けてしまう瓦であっだったのだ。
玉砕ということがあるが、私は瓦砕だ。それも他から砕かれたのではなくて、自ら砕いてしまったのだ。見よ、砕けた破片が白目に曝されてべそを掻いている。
既に砕けた瓦はこなごなに砕かれなければならない。木端微塵砕き尽くされなければならない。砕けた瓦が更に堅い瓦となるためには、一切の色彩を剥がれ、有らゆる外殻を破って、以前の粘土に帰らなければならない。そして他の新しい粘土が加えられなければならない。



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これは種田山頭火のエッセイ『砕けた瓦(或る男の手帳から)』に出てくる悔恨の文章だ。彼は職を失い、家を失い、家族を失い放浪の旅に出た。その失う経緯の背後か中心かは定かでないが、そこには常に嫌な酒の匂いがしていた。作品群から推測するに、いわゆるアル中だったことは間違いのないことだが、幸いにしてなのか不幸にしてなのか(アル中に幸いなどないのだが、後年こうして彼の自由句を味わっているぼくには幸運だ)、性格がとても女々しかったことによって、こうして後悔を噛み潰しながら歩けたのだから、牢獄暮らしか早々に病死することに比べたら増しだった言えるだろう。



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後年に天才と称される俳人に「女々しい」とはいささか失礼とは思うものの、別のエッセイ『雑記』を読めば、酒に対する考えのくだりから天才の女々しさを感じざるをえない。



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今年の私は山村庵居のよろこびに添えて、二つの望みがある。
好きなものは、と訊かれたら、躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。今年はその本を読みたい。まず俳書大系を通読したいと思う。これが一つの望み、そして二つは酒から茶へ転換することである。いいかえればアルコールを揚棄したい、飲まずにはいられない酒を、呑んでもよい酒としたいのです。前者は訳なく実現されましょうが、後者は自分ながらあぶない。そこでまあできるだけ割引して、せめて酒に茶を混ぜたいと念じている(そんな無分別な考えを起こすなという悪友もある。じっさい、私にもそんな気がしないでもないのですが)。 



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どうですこの煮え切らない女々しさ。しかも両文章共に、その続きには主観的が過ぎる文壇への評論と、自分勝手に過ぎる不遇の身に至った言い分やら、言い訳やら、言い逃れやらが続いていて、そして毎度のこととして不出来な自分からの逃避の旅に出るというパターン。もしも彼の俳句に酔うことが楽しみという方は、俳句以外の文章(主に手帳に書きつけた日記的なもの)には手を伸ばさない方が無難な気もしている。
ぼく自身がかつてそう思ったのだ。なのになぜ今、この愉快でもない文章を書棚から引っ張り出したのかと言えば、ここのところ連日、朝一番の OHA!4 から酒癖の悪い横綱の醜態が大事件として報じられているからだ。その勢いたるや政治や芸能の狂気やら不倫やらを跡形もなく吹き飛ばす勢いで、まあそのような事柄は吹き飛ばしたほうがよいのだが、次に吹き込んで来た風もまた爽やかさを感じぬ酒臭いものであるのが残念至極。しかも、先場所などは渦中の相撲取りを、ぼくは名指しで応援していたのだからなおのことだ。





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日馬富士よ、よかったじゃないか相手の怪我がこの程度で済んで。もしも鍛錬を積んでいない素人衆だったら殺人犯になっていたところだ。相撲取りの現役などは人生のほんの一時のことなのだから、十分に悔いて、自ら割った瓦のかけらを粘土にまで砕き尽くして出直せばいい。あまた報道の中には、君の一途さや情熱的な来し方を評価する声もあるが、そんなものは酒でのしくじりの前には全く意味を持たない。君は言い訳のできない狂気に、一瞬であっても飲み込まれてしまったのだ。
横綱まで登り詰めた君のその胆力があれば酒を断つことなど容易いと思うし、誰でもその程度のしくじりは通過しているのだから必要以上に恥じることはない。悪童ドルゴルスレン・ダルワドルジに倣って、大いに後悔しながら君はダワーニャミーン・ビャンバドルジに立ち返ればいい。今は持って行き場のないその意識を、はっきりと明日へと向けるのだ。人生の本番は、まだまだこれからなのだから。



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この際、世の酒飲みに告ぐ、というか宣言しておく。
あなたが身の破滅を招くことを誰も止められない。あなたが地獄へと落ちない唯一の方法は自覚しかないのだということを知っておいてほしい。これが前置きで、宣言とは次の通り。
酒飲みが狂い出したらぼくは即刻逃げる。瓦を叩き割るならどうぞご自由に、としか言いようがない。ぼくにできるのはその瓦のかけらで、自分と、自分が愛する者たちが傷を負わないようにすることだけだ。



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やめたいけどやめられない、というのが依存症。患者たちはきっと「もうお酒をやめなさい」と何度も言われながら、有難くもそう言ってくれる人に向かって、愚かにも、繰り返し狂気をぶつけてきたに違いない。いつもそうだ。それが症の典型的な症状なわけだが、自分の愚かさを許容してくれるであろう者と自分よりも弱い者に対してのみ狂う。どんなにベロンベロンでも、悪魔のような冷静さで相手の強弱を見極めながら狂っている。それは端から見たら卑劣極まりない姿なのだということを、頭の隅に置いといてほしいものだ。脳内にまだまともな余地が、雑草だらけであっても手付かずの庭スペースが残っていればの話だが。



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今日は不愉快な話題でしたが、これもまた幸せな家庭を維持するのに重要なことなので、あえて。
もしも家族との晩酌が楽しみな方は庭でやったらいいと思います。外にいるとすこぶる楽しく酔えるし、近所の手前もあり、穏やかに会話が進みますから。





以前お庭をやらせていただいたソーシャルワーカーの方から、アルコール依存症者とその家族向けに、断酒会などの組織的なサポートがあることを教わりました。そのひとつに AA(アルコホーリクス・アノニマス / 飲酒で問題を起こす人たち)という自助グループによる集団精神療法があり、そこに『 AA-12ステップ』という依存脱却プログラムがあることを知り、読んでみたらとても理に適った内容だと思いました。ただし AA の発祥がアメリカであるためか、文章が直訳的で分かりづらく幾分宗教っぽかったので、ぼくなりに一般の日本人に馴染むよう書き直してみました。
もしかして自分はアルコール依存の領域に入っているかもしれない、という方向けに添えておきます。


AA-12ステップ

1、もう飲んではいけない、飲んだら不本意な人生に終わってしまうと自覚した。

2、酒に病んだ自分は立ち直れると信じた。

3、指導に従いアルコールを断つと決心した。

4、これまでの反省点を表にまとめた。

5、自分の過ちを認めた。

6、改善すべきことをすべて具体的に並べた。

7、どうか立ち直らせてくださいと祈った。

8、これまでに迷惑をかけてきた人、傷つけた人をリストアップし、その人たちに謝りたいと思った。

9、機会があるたびにその人たちに謝罪し、埋め合わせをする行動をとった。

10、反省を続け、くじけそうになっても即座にそれを打ち消した。

11、静かに考える時間を作り、立ち直ることを繰り返し念じた。

12、その確信を他のアルコール依存症の人に伝え、日常のあらゆることを「断酒後の幸福な暮らしのために」という理由づけで行った。

 
酒飲みの皆さん、おたくの庭に花は咲いているでしょうか。荒れ果ててはいないでしょうか。その庭の状態が、あなたのご家族の心の状態を映し出しています。
もしも庭が殺伐としていたら断酒会や AA の前に、あなた自身の労力を使って、その庭を花で埋め尽くしてください(何かから立ち直ろうとするときにとての有効な方法です)。そんな気も起こらないようなら、先々周囲を苦しめないために専門医を受診してください。すでに家族の痛みをわが身に感じることもできなくなっているあなたの力だけでは、きっとその地獄の入り口から引き返すことは無理ですから。
どうかお早めに。あなたが愚かに酔っ払って叩き割る瓦のかけらで(暴力だけでなく、絡みや暴言や奇行も含めて)、家族の心を傷つけないために、ことに子どもたちに辛い傷を負わせないようにと、心からお願いします。
誰に何を言われても、何度失敗を重ねても、酒にすがって、苦しんだ挙句に寂しくのたれ死ぬ道を選ぶなら、
くれぐれも周囲の迷惑にならぬよう、どうかあなたおひとりでお願いします。あなたは、これもその病に特徴的に、地球は自分を中心として回転していると思っているのでしょうが、それは症状による幻想だということも付け加えておきます。
では健闘を祈ります。もしくは、さようなら。





今日は「港南台店」にいます。

ああ、晴れ晴れとした気持ちで設計に入るために、今朝は薄暗いうちに森へと向かうことにします。





 

エロイムエッサイム

いやあぁぁ・・・、これえぇぇ・・・、どうしよっかなあぁぁ・・・と、ずいぶんと長いこと、何年もですね、迷いに迷ってですね、でもやはり皆様にはお伝えしといた方がいいのではないかと思い至り、書くことにしました。



里山の田んぼに
悪魔のようなあいつが。

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ぼくはこれまで住宅地を歩き回りながら、数十万軒の外構と庭を、庭者としての感慨を持って見つめてきたわけです。それでですね、ポストにですね、あるでしょ玄関先に。そこに「ある言葉」を貼り付けているお宅が、そうですねえ千軒に一軒くらいの割合で存在するんです。でですね、そのお宅の庭が、ああ、何と言いますか、つまり、呪われている感が漂っているのです。庭だけじゃなくて家全体というか、敷地全体というか、色がないというか、活気が感じられないというか、息がつまるような。よそ様の家に対して適当ではない言い方になりますが、やや殺伐としているというか。いろんな意味で少々きつい暮らしをされているのかなあと、そんな感じがして仕方がないのです。



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その言葉というのは「チラシお断り」。
何ででしょうねえ、ほぼ例外なくそんな雰囲気が漂っちゃっていて。この現象に気づいているのはぼくだけではなく、訪問販売とか、訪問看護とか 、配達業務の人たちの間では知れ渡っていることなわけですが。
逆に「ご苦労様です」や「ありがとうござます」と貼ってある家からは、何が起こっても幸せ方向に展開するだろうなあという、有難い光明が発せられているように感じます。



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さあ、急いで、呪いの言葉が貼られていないかポストをご確認ください。
おっとその前に、悪霊から身を守るために全身にくまなく般若心経を書き付けてから。そうそう耳にもお忘れなきように。芳一みたいに耳を食いちぎられてはいけませんので。
アロイムエッサイム、エロイムエッサイム、悪霊退散!



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エロイムエッサイムとは悪魔払いの際にその悪魔を呼び寄せるための呪文(映画『魔界転生』で天草四郎役のジュリーが唱えていましたよね)。その正体を見極めたら勇気を振り絞って、喝!と、即刻縁を断ち切ってください。



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犯人の加門良は、
横浜山下町で小さなバーを営む元刑事で、
裏では男娼の顔を持つ悪魔。
群がる女たち、
三億円の現金、
時効間近の彼を追い詰めてゆく刑事。
自分の余命が少ないことを悟った悪魔は・・・
「悪魔のようなあいつ」、
「のような」、ということはつまり、
彼はほんの少しだけ悪魔になりきれなかったのです。
空前の視聴率をとったドラマの主題歌がこれでした。









今日、天使のようないわふちは「港南台店」にいます。「の、ような」ですが。 




 

日出ずる国に生まれ出ずる悩み

日出ずる国に生まれ出ずる悩み。はてさて、この庭をいかにすべきかと。



咲くも実るも色づくも、今のうち。

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人は悩まない方法を心得ています、それはその対象を無視することです。視界に入れず、話題に上らせず、時々は思い出すものの、まあ私には関係のないことと思考を途切れさせる。それは平静を維持するための知恵であり優れた柔軟さであるとも言えます。 
ただ、庭くらいは真っ直ぐ見つめて、そこにユートピアを想像し創造足らしめるほどの積極的な胆力を持たないことには、人生の何もかもから軟弱に逃げ続けることとなりはしないかと。



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実際、散々と逃げ惑った末に自ら退場してゆく者は限りないわけです。自らでないにしても、立ち向かうという姿勢のないままに時間切れとなる人も少なからず。
訃報を受け取ることが増える年齢となり、その度に空行く雲か、地面に揺れる草か、どこかしらに焦点を合わせては「きみは、それで満足できたんだろうか」と、「あなたは大した悔いを残さず終えたんだろうか」と、強く口を結んだままで叫んでいます。



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明日ありと 思う心の仇紅葉
夜半に嵐の吹かぬものかは



庭くらいは真っ直ぐに見つめて、見据えて、そこにユートピアを想像し創造するほどの積極的な胆力を。庭ごときに怖気ているようでは、生まれ出ずる悩みからも逃げの一手以外なくなってしまいますから。
と、つらつらと、遠方で無念のエンドロールとなってしまった友の冥福を祈りながら、ご家族の未来が花いっぱいであることを願いながら、お悔やみに行けなかったことを詫びつつ、悩みなど微塵も持たぬ顔で、先になり後になりしながら越後の山の頂を目指し歩いたあの日のことを思っています。

あっけらかんと言う、ぼくはまだそっちへは行かないよ。まだまだだ。横浜で、おまえも知っての通りのわがまま振りのまま暮らしているので、悔いにまみれて終りたくはないという、最大のわがままを通すためにね。
それがすっかり済んだ後に、出会いや、別れや、武勇伝やら間抜けだったことやら、土産話を山ほど持っておまえを訪ねることを約束する。物知りの坊さんの話によれば、そっちの世界には悩みも痛みもないそうじゃないか。それをうらやむわけでなく、まだ悩み続け、痛みを感じていたいと願っているのだが、でもそっちのそういうシステムなら、おまえの早すぎたという悔いも消え去っていることだと思う。
どうだろう、これも坊さんの話によるものだが、そっちの世界にもしもそういう役回りがあるならだが、おれの背後霊をやってもらえないだろうか。そうすればいつでも、夜の庭で話ができるじゃないか。おれの背中にとりついて、残り時間のマネジメントと監視役をしてもらえないだろうか。たまにでいいから愚痴を聞いて欲しいし。家庭を持ってから人並みを超えて猛烈に働いたというおまえが、まだ仕事をしたいと思えばの話だが。
冗談だ。そんなことしていられないほど、きっとそっちは満ち足りているんだろうから、せいぜい楽しんで、その合間に、次もまたおれと同じ時空に生まれる段取りをしといてくれ。おまえが嫌じゃなかったらだが。じゃあ、また会う日まで。
おっと、言い忘れるところだった。いろいろと、ありがとな。





小説や詩には全体十割の一分ほどに当たる文字数にメッセージが込められ、他の九割九分の言葉がその補足というものがあります。それならばと、最初から前書きやエンディングや後書きから、その一分だけを探し出して読めばいいのかというとさにあらずで、補足にこそ物語があるのですから横着をしてはいけません。
昨晩、「若きウェルテルの悩み」を連想させる題名に惹かれて、有島武郎の「生まれ出ずる悩み」を読んでみました。九割九分は読まないよりは読んだ方がいいかなという内容で(ぽこっと空いた穴から吹く風を塞いでしまおうという、寂しさ紛れの動機だったせいかもしれません)、一分は時間を割いて読むに値するものだという感想。故に横着をして、一分に当たる二カ所を抜き出し書き留めておくことにします。ぼく経由のあなたへのメッセージとして。


君、君はこんな自分勝手な想像を、私が文学者であるということから許してくれるだろうか。私の想像はあとからあとからと引き続き湧いて来る。それがあたっていようがあたっていまいが、君は私がこうして筆取るそのもくろみに悪意のない事だけは信じてくれるだろう。そして無邪気な微笑みをもって、私の唯一の生命である空想が勝手次第に育ってゆくのを見守っていてくれるだろう。私はそれをたよってさらに書き続けてゆく。


そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。このせつなる祈りの心は君の身の上を知るようになってから僕の心の中にとこに激しく強まった。
本当に地球は生きている。生きて呼吸をしている。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み、それを僕はしみじみと君によって感ずる事ができる。それはわきいで跳ね踊り上がる強い力の感じをもって僕を涙ぐませる。
君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来たのだ。
君よ、春が来るのだ。冬の次には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし・・・・僕はただそう心から祈る。


ぼく経由のメッセージを受け取ってくれたあなたに、今度はぼくからとして繰り返します。
咲くも実るも色づくも、今のうち。今でしょ。今ですよ、今。




 

与太郎

ぼくがかの同居人と暮らし始めてより幾星霜、当初から彼女の行いで気にくわない事柄がひとつありました。それは仕事やら何やらで彼女がパソコンを操る時に、いつもその脇にコーヒーカップを置く癖があること。もしもひっくり返したらとんでもない事態になると、その惨状を思い浮かべては肝を冷やしていたのです。
もちろん何度も嗜めました。だがしかし、そのような進言に耳を貸すような質の女ではなく、それどころか返事もせずに微かに鼻で笑いつつ、内心意地でもその習慣を崩すものかという反発の感情が湧いていることが、空気の振動で伝わってきます。
「まあいいか」と、そもそもはぼくが持ち合わせていないその豪放さ故の恋心でもあったので、仕方のないことであると諦めるに至り、そしていつしかそんな危惧も、平成なる暮らしに紛れて消え去っていたのでした。 



昨日、富士が雪化粧。
里はといえば晩秋から初冬へのバトンタッチで、
日増しに風が冷たくなり、空気は乾燥してゆきます。
散歩道の花も選手交代の時期で、
コウテイダリアが咲くまでの少しの間、
色づいた葉っぱが風景の主役です。

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昨晩のこと、いつものように読みかけの本とパソコンを携えて庭の書斎へと。厚着にビーサンというちぐはぐな格好なれど、よく歩いて火照った足に風が心地いいのです。その至福の演出のひとつとして、近頃お気に入りのバーボンを舐めるというのが通例となっているのでそれも用意して。もちろんグラスは用心深くパソコンから離して置いています。
事件というのは、いつも突然に襲いかかってくるものです。テーブルのかたわらでくつろいでいた猫のミーが、昆虫か鳥か、はたまた季節外れの幽霊か、何かに反応して跳ね動いた拍子にグラスを蹴倒し、狙い定めたごとくの見事さで、グラス一杯のウイスキーのほとんどがパソコンのキーボードに降ったのでした。



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瞬時に思ったことは「データが!」で、次にはパソコンの値段とデータ復旧にかかるであろう金額。危機に際してとっさにお金のことを考える小心な自分を追い越す素早さで登場したもうひとりの自分が 、アルコールでびしょ濡れになった物体を手に取り逆さに振って水分を払い、次いでテーブルに常備してあるティッシュボックスから素早く5回引き抜いて拭き取り作業をし、どうやらまだ正常に稼働しているようなので、急ぎシャットダウンの操作をしました。
その後、薄い機械箱の内部まで乾燥するようにと遠目からドライヤーを当てまして、不安なまま数時間放置してから恐る恐る起動。ぼくはよほど運が強いのか、はたまたマッキントッシュの構造が優れているのか、今のところ不具合は起こらずに動いてくれている次第です。



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誰が言ったのか、あるいはどの本に書いてあったのか、「何も心配することはありません。あなたが心配していることなど起こりません。不幸な出来事は、いつも予想だにしない時に、信じられない方向からやってくるのですから、心配しても仕方ないのです」という言葉が浮かびました。
豪放な妻は一度もカップをひっくり返したことがないわけで、ぼくが長年その光景に肝を冷やしていたことは全くの無駄であったわけで、それどころか苦言を呈していた自分の方がその憂き目にあったのですから、曰くやれやれとはこのことです。



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しかして今後はこれを教訓として細かいことは気にせずに、というわけにいかないところがA型の悲しさでありまして、「やれやれ」はため息混じりの「はてさて」に。 
流れる雲に見え隠れする月を見上げつつ、深慮遠謀、静止熟考を重ねた末に、まあ何事にもハンドルの遊びといいかますか、余裕といいますか、そういう意味での心配事のひとつやふたつを抱えていた方が、その重みで浮き足立たずに暮らせるであろうという結論に至った次第です。ただし、これからはほどほどにと。あまり細かいことにきちきちしていると互いに息苦しいし、というか、先方は意に介さずのスタイルであるからにして自分が息苦しくなるだけなので、だから今後は努めていい加減さや浅はかさの能力を開発しようと、つまりは鈍感力に秀でた与太郎な宿六でいようと、その点はA型ならではの生真面目さで、己を厳に戒めたのでした。



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いくらだい?

ええっと、具入りで十六文でごぜえやす。

銭が細けえんだ。お前さんの手に置くから、そこに手え出してくんねえ。

へい、これに願います。

十六文だったな。ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、今何時だい?

よつ(四刻)で。

いつ、むー、なな、やー、ここのつ・・・・




 

ランゲージ

芥川龍之介の「白」という物語がある。主人公の白という白い犬がある出来事から黒くなってしまい、その神様のいたずらを嘆きつつも、艱難辛苦の末に幸せな日常を取り戻すという、大人になって読み返すと随所の示唆が胸にしみて、油断すると嗚咽してしまうほどの、あなたも機会があれば是非にと思う心洗われる物語だ。



短かった今年の夏、
仕事仕事の中で半日だけ遊んだ、
おさびし山の小川での夢のような記憶。
二人とも健康でいてくれて、
神様仏様、八百万の神々に感謝感謝。
来年はもっと頻繁に行こうと思います。
こんなに楽しそうなんだから、
仕事を言い訳にしていたらバチが当たるなあと、
大いに反省反省。


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とおすすめしたからにはネタバラシを慎みつつ、その白が有する能力について少々。白は人の会話を解する犬だ。だが人には白の主張も訴えも、ただワンワンと聞こえるだけである。



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さて、わが家の犬たちはというと、最近とてもよく吠えるようになった。散歩が足りないのが原因だとは思うのだが、いわゆる要求吠えで、おやつをくれよワンワン、ドアを開けておくれよワンワン、ボールを投げてちょうだいワンワン、ベッドに上がりたいんだワンワンといった具合だ。



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物語とは違い、ぼくには彼らの主張はだいたい理解できる。内容によって吠えるリズムとボリュームが違うのだ。では彼らは白のように、ぼくの言葉が分かっているのかといえばさにあらずで、懸命に語りかけても、瞳を見つめてこんこんと畳み掛けても一向に言語を理解する様子はない。



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まあ現実は物語のようにはいかないとしても、愛する同居人たちとの意思の疎通はできるだけ良好にしたいものだと、あれやこれやと思案しながら暮らすうちに、彼らはぼくの手の動きと、表情と、声のトーンでこちらの意図を受け取っていることが判明した。



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特に声が重要だ。低い発声は注意喚起や強い指示、穏やかな声は信頼感の表明、ほめる時と遊びに誘う時は高い声で。それをきっちり使い分けると彼らは驚くほど親密に、ぼくの意思を理解してくれるようになった。ただしそこには主従関係はなく、ぼくが彼らの仲間に入れていただいたような関係性ではあるが、そうなってみれば、これこそ理想の家族関係ではないかと思うに至った。



帰宅してシャンプー完了。

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ランゲージはこれでいいのではないかと思う。言葉に意味を持たせるよりも、表情や仕草や発声のトーンでコミュニケートする方が、明らかにストレスが軽減される。



ミーは「どこいってたの?」と、
留守居役の不満顔。


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そんなわけで、この頃では女房から速射砲のように発せられる言葉から(一を聞いて十を知る、というのは賢者の証しであるが、一を言えば十返ってきては、いかな賢者もたまったものではない)、極力言語的意味を受けとらないように努めている。ことにご機嫌斜めでアルコールが入った時には。
これは艱難辛苦の末に見い出した、我が生きる知恵。この際こちらの意思表示は、ワンワンのバリエーションで伝えようかという、ポンと膝を叩く妙案も浮かんでいる。けだし名案だと思うんだワン、ワンワン!



今日もやってます。

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見慣れた庭を
劇的に楽しく幸せな場所に変身させる、
膝を叩く妙案をご伝授します。



というわけで本日の出囃子は、
非言語的にして雄弁極まりない、
つまりはインストゥルメンタルの超名演を。
メロディーに、いちいち自分なりの思いの丈の歌詞を
紡ぎたくなるのです。



それにしてもほんま、上質にイカしたおっさんたちやで。
ワンワンワンのワンダフルや!


 

 

花水木

花水木というポエティックな名の由来は次の通り。



花の季節に負けず劣らず
紅葉と実が美しい。

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ミズキ科の中でひときわ大きな花が目立つので花水木。では水木とは?それは春の芽吹きの頃に大量の水分を吸い上げる性質から来たものと言われています。



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花水木に限らずいわゆる雑木類の落葉樹は、その生息地を観察すると、木の根と長年降り積もった落ち葉によって土壌はスポンジ状態で グジュグジュに湿っているものです。その湿気で微生物が旺盛になり、ミミズが増えて土が肥え、草が茂って花が咲き、昆虫が集まり、それを追う小動物が集まり、活気ある森となっています。



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対して針葉樹の森はどうでしょう。例えばヒノキとアカマツの富士の樹海などはシーンとしていて、ぼくはその静寂が清々しくて好きな場所なんですが、多くの人は薄気味悪さを感じ、入ったら出られなくなる云々と。実際歩いてみるとその因縁もわかる気がするのですが。
つまりはたくさんの命がひしめく場所を、昆虫や動物たちと同じように人も好み、生物が少なく精霊が多く住むように思える領域には恐怖や畏怖を感じる、ということなのでしょう。



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落葉樹の人気者は、ハナミズキ、シャラ、アオダモ、カエデ、カツラ、ジューンベリーなど。庭木に落葉樹が好まれるのは、季節ごとに変化し、たくさんの他の生物集う賑やかな世界を欲するためと思われます。
管理としては、春から秋まで存分に土を湿らせてください。それと周辺にたくさんの種類の草花を育てて、土を元気にしてください。これからの季節は葉がないので水分はさほど必要ありません。ただし、根っこは春に向けて成長し続けますから肥料の鋤き込みを怠りなきように。微生物のための堆肥も。



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冬来りなば・・・・。
春の風景を思い描きながら過ごす長くて静かな時間も、庭の楽しみのひとつです。
昨日は木枯らしが吹き、庭用の防寒着と、テーブルには電気ストーブを出しました。






時間よ 時間よ 時間よ
僕はどうなってしまうのか
自分の可能性を探しているうちに
うまく見つけられないままに冬が来て
木の葉は茶色に 空は灰色になっちまった  

友よ 希望を見失ってはいけない
もしも希望が失せたとしても平気なふりをしろ
よく見れば草木の背は伸びているじゃないか
救世軍の音楽隊が近づいているのが聞こえるだろ
雪は消えるし 春は必ずやってくるのだから

 


ボクサー、旧友、そしてこの冬の散歩道、ポール・サイモンの曲は冬を連想させるものが多い。でもそれらは木枯らしに凍えるというものではなく、陽だまりや、雪解けや、いつも微かな温もりを漂わせている。きっと彼は冬の人で、いつも春を待ちわびていたのだろうと思う。
この曲の原題は A Hazy Shade of Winter 、冬の陽炎。
何十回も経験して来た冬の到来ごときで気が落ち込まぬように、入り口からさっそくこんなクリシェはそぐわないが、冬来りなば春遠からじ。とにかく心身が冬モードにシフトするまでは、心して、暖かくして。



 

晩秋の庭は浪漫的







今年はどうも空が思うようにいかない。それは梅雨からだ。またもや空梅雨かと思えば、明けて夏が来たらしとしとと降り続いた。短い夏が終わり秋となれば、ぱっとした、葡萄棚の下でジンギスカンの煙を上げたいというような日が来ぬままで、随分と遅くになって台風が立て続くという有様。お楽しみの皇帝ダリアもあちこちで折れて倒れている始末だ。
コスモスが終わり巷から花が消えてしまった。と思いきや、雨に打たれる薔薇の花が住宅地のあちらこちらに。僕は傘の内よりその花を見上げながら、不意に肩を揺さぶられたような感慨に打たれて「ヴィヨンの妻だ」と呟き、何人かの女神のことを思った。



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なぜ、初めからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ。

女には、幸福も不幸もないものです。

そうなのお、それじゃあ男の人はどうなの。

男には不幸だけがあるんです。いつも恐怖と戦ってばかりいるのです。

わからないわ、私には。でもいつまでも私、こんな生活を続けていきとうございますわ。

僕はねえ、キザなようですけど、死にたくてしょうがないんですよ。生まれた時から死ぬことばかり考えていたんだ。それでいてなかなか死ねない。変な怖い神様みたいなものが、僕の死ぬのを引き止めるのです。

お仕事がおありですから。

仕事なんてものは何でもないんですよ。傑作も駄作もありやしません。人が良いといえば良くなるし、悪いと言えば悪くなるんです。ちょうど、吐く息と吸う息みたいなもんなんです。
恐ろしいのはねえ、この世の中のどこかに、神がいるということなんです。いるんでしょうねえ。

えっ。

いるんでしょうねえ。

私には、わかりませんわ。

そう。



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いやあ、また僕の悪口を書いている、エピキュリアンの偽貴族だってさ。こいつは当たっていない。「神に怯えるエピキュリアン」とでも書いたらいいのに。
さっちゃん、ご覧、ここには僕のことを人非人なんて書いていますよ。違うよねえ僕は。今だから言うけれども、去年の暮れにね、この店からお金を持って出たのは、さっちゃんと坊やにあのお金で久しぶりにいいお正月をさせたかったからです。人非人ではないから、あんなこともしでかすのです。

・・・・人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ。
生きていさえすれば、いいのよ。



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太宰さん、太宰さん、あながた描く男のどうしようもない駄目っぷりには愛想がつきます。アル中で、金にだらしなく、病的なナルシストの女好きで、ついにはみっとも悪い盗みまでとは。同性からすると許せない、天性の恥知らずな愛嬌を使って女性を渡り歩くやり口にも、ほとほと。
ただし、女性の魅力を描かせたらあなたは天下一品ですね。その見事さが僕自身の駄目男ぶりを贖罪してくれるようで、頭を下げるしかなくて。まったく、ひとりくらいはあなたのような作家がいてもよかろうと、神様が思われたのでしょう。
それとですね、あなたが去って幾星霜、この物語を読んだ昭和の作詞家、山川啓介が、僕や多くの男が懐く鬱憤とも逡巡ともつかぬ感情に決着をつける、見事な作品に仕立て上げてくれましたよ。僕は数年前よりその曲に、繰り返し繰り返しエネルギーを充填してもらっています。だからあなたに感謝します。
恋することはあらゆる矛盾を消し去ります。作詞家もまたヴィヨンの妻が軽やかに決心をする際の、雨に打たれる薔薇の微笑みに恋をしたのだろうと思います。僕と同じようにね。



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太宰が彼に冠したヴィヨンとは、ジャンヌ・ダークが火あぶりにされた年にパリに生まれた、無頼と放浪の詩人。やはり社会的には問題多き男なれど、後にはフランス文学の父と讃えられている。
そのフランソア・ヴィヨンの詩を添えます。


逆説のバラッド

世に飢えている時ほどの安心はなく 優しくしてくる者は敵ばかり
食い物はまぐさの如きなり
見張りは居眠りばかりし 寛大な者は無信心で
確かなのは臆病さだけ
信仰は異端の心に宿り 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

女が産気づくのは風呂桶の中
名声は罪人の背後にあり 殴られた後ほど笑いたくなる
借金を踏み倒す奴ほど評判が良く 本当の愛はおべっかの中
出会いは常に不運の始まり
嘘ほど誠実なものはなく 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

世に休息は不安の内にもたらされ 「ちぇ」と言っては面目を保つ
偽金の他に自慢の種はなく 健康体は水ぶくれ
高望みをすれば卑怯者となる
思案にはいつも怒りが付きまとわる
心から優しい女は尻軽で 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

本当のことを言おう 女と寝るのは病気の時だけだ
芝居の中に真実はなく 騎士気取りは総じて臆病者だ
旋律はどれも嫌な音ばかりだし 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ



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ヴィヨンの最期は誰も知らない。行きずりの女と心中したか、人知れずのたれ死んだというのがおおかたの見解だ。古今、エピキュリアンの末路とは、そういうものなのかも知れない。
荒野に向かう道より他に見えるものはなし。我も行く、心の命ずるままに。
フランソア・ヴィヨンに、太宰治に、山川啓介に、僕が知るヴィヨンの妻たちの人生に、感謝を込めて。



本年7月に幕を下ろした山川啓介氏の、
常にロマンに満ちて前向きに光り輝いている
膨大なるきら星の作品群の中から、
僕が思う、今夜の話にふさわしいと思う
ほんの数行を。




ありがとう。
僕もまた、
不器用であっても、異端であっても、
微塵も悔いなく、
と。
今日も渾身で、僕が思う理想の庭を思い描くことができます。





今日は「港南台店」にいます。
  




 

冤罪・推定無罪

恥ずかしながら、ブタクサとセイタカアワダチソウを同じ草の別称だと思っていました。これはぼくだけでなく、数年前にはそう解説している文章がいくらでもあったし、現在でもブタクサの画像検索をすると出てくるのはほとんどがセイタカなので、地方によってとか、学会の見解としてとか、そういう何らかの推移があったのかもしれません。



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秋の花粉症の原因として最初に挙げられるのがブタクサ。ところがぼくはその姿を見たことがないのです。結構植物に意識が行く暮らしをしているぼくがそうなわけですから、たぶん相当に個体数が少ない種なのではないかと思われます。一方セイタカは、ススキと覇を競いながら今頃のどの風景にも咲いています。



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セイタカは虫媒花。虫によって受粉が行われるため花粉を風に舞わすことはなく、つまりは花粉症の原因にはなりません。対してブタクサは風媒花。



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ぼくは常々、コマーシャルで杉が煙のように花粉を飛ばす映像を見た途端にグズグズしだして鼻をかみ「あなたはいいわよね、鈍感で」と赤鼻の不機嫌顔になる女房に、「それって自己暗示でしょ」と「花粉症 気のせい説」を唱えてきました。この秋の花粉症も、想像するに、いかにも花粉を撒き散らしそうに揺れているセイタカとブタクサとを混同した、思い込みから発症しているのではないかと。



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花粉症は花粉が引き金になるが、本当の原因は汚染された空気にある、というのはこの頃の統一見解となっています。加えて花粉症薬の大半を占めるレセプターブロックの抗ヒスタミン薬を使い続けると、アレルゲンに対してより敏感な体質になってしまうということも。
病は気から。気を先に病んだばかりに重症化してしまわないように、ご注意ご注意。



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花粉症の皆様、気を落ち着けて、勘違いによる自己催眠に陥ることなかれ。
晩秋の風にそよいでいるセイタカはブタクサではなく、加えてブタクサはとても少ない植物。セイタカは冤罪で、ブタクサは推定無罪です。



これがブタクサ

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病気は気の病、元気は気が元、活気は気を活かすことから。いい気を取り入れて、プラシーボでもマジナイでも自己催眠でも何でもいいので、気力の充実を最優先にして過ごしましょう。
そうそう、ところで庭はどんなでしょう。住む人の気の状態は、そのまま庭に出ますんでね。ススキが原になっていませんように。





今日は「港南台店」にいます。



 

Metaphor





やや落ち込みつつも、これもまたいつものことであるというような心持ちの時期がある。大げさに言うなら人生とはまあこんなものであると、達観のような、諦めのような。しかしそれはまるっきりの諦めとは違っていて、彼がその時期にその位置にいることは、彼なりにしてみれば一応は前向きなことなのである。ただそのスタンのままだとどうにも世の中との整合が得られないために、常態的にやや落ち込んで過ごしているといった次第だ。



コスモスもそろそろ終わり。
また来年。


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その晩のこと、熟する前のトマトを持って三毛猫がやってきた。一悶着あって、猫は這々の体で逃げ帰った。
次の晩、灰色のカッコウがやってきて、またもや悶着して去っていった。
次の晩は子狸が、その次の晩は病んだ幼子を連れた野鼠が。



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人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に。明治生まれの哲学者、森信三の言葉である。
まだうだつが上がらない彼にもそれは起こったのだ。ただ、やってきたのが人ではなく獣たちだったのは、彼が生来備えていた深い情と裏腹の、どこか人嫌いな、臆病なタチだったからかもしれない。彼はいつもリスやイタチや夜鷹を友として、イーハトーブに暮らしているのだ。



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三毛猫は彼に「甘ちゃん、ひたすらに修練を積むんだよ」と告げにきた。灰色のカッコウは「シンプルに、清廉に、鳥たちのように喉から血が出るまで反復しなさい」と諭し、狸の子は「恐れずに励めば自ずと問題点が浮き上がってくるでしょう」と予言し、子連れの野鼠は「懸命に生きる者は、その懸命さによってすでに世の役に立っているのです」と、フランクル理論にも通ずる真理を彼に知らしめた。



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ある日突然思いもよらぬ出来事として、随分と長く才能を封じていた重い蓋が、あっけなくぱかっと開く瞬間がある。
彼は四種の小動物の来訪者によってその時を得てからというもの、感動を与えることの感動を知ったに違いなかろう。



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小学生の時分にこの物語を読んだ記憶はある。ただ、その粗筋すら忘れていて、さだまさしの曲と区別がつかなくなっていたほどだから、まだほとんどぼーっとすることで日がなを送っていた少年には意味を持たないことだったのだろう。それが今読み返すと、脳内に、全くもって新たな世界として展開されたのだ。
ただ、前述の解釈がいかにも表面的なものであることは、読んでいる最中からそう思っていた。一行ごとにそんな香りが詰まっている。だから習い性に従って三度読んでみたが、今のところはここ止まりだ。



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噛めば噛むほどのスルメのように、読めば読むほどの聖書や、読んだことはないがイスラムのクルアーンや、日本に伝わるアマテラスの物語のように、一年後に、五年後に、余命の幸運に恵まれたとすれば十年後に、二十年後にも読み返したいのだ。この隠喩に満ちた物語を書いた、内気にして不器用で、静かに頑固な銀河の彼方からの神の遣いが、果たして何を思いながらカサカサとペンを走らせていたのかを、その夜の彼の心情の間近にまでにじり寄って、手土産の酒を、セロにお似合いのオンザロックで舐めながら言葉を交わしてみたいのだ。言葉少なに一言二言であることは想像できるが、それでもその一言二言が、もしかしたら、星降る草むらから乗車した車両の別珍のベンチシートで、少年ジョバンニが、隣に行儀よく腰掛けているカンパネルラと天空に交わした「約束の地」を指し示すのではないかと。



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賢治さん、賢治さん、ゴーシュもまたきっとあなたですよね。あの時の、アンコールに突き出されてインドの虎狩りを弾いた時の感情が、こんちくしょうだったのか、あるいは静かな炎を上げる薪のようなものだったのかと。生意気な三毛猫がからかい気味に所望したロマチック・シューマン(ロマン派のシューマン)のトロメライ(トロイメライ)を、あなたのセロが奏でる日は訪れたのでしょうか、と、一言二言を。





 

選挙と芥川龍之介

選挙特番の放送開始10秒で、いつも決まって「やっぱりね」と「なんてこった」が混在する衝撃波に打ちのめされるこの感じ。一発逆転の場面で勢い込んで打席に立ったものの三球三振に終わって、とぼとぼとベンチに戻る選手の後ろ姿を見るようながっかり感と、そもそも何で野球なんか見てんだよと自分に突っ込む感じと。
ぼくごときが政治について云々するつもりもないわけですが、でも今回は、ある感慨があったので書き留めておこうと思います。 


短かった夏、
散歩道のハスがとても元気で、
ずいぶんと楽しませていただきました。

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お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっとも見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶらとお歩きになり始めました。自分ばかりが地獄から抜け出そうとするカンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、浅ましく思い召されたのでございましょう。



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10秒を過ぎて即座にテレビを消し、その後の10秒間で浮かんだのが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。 そして次には「羅生門」の修羅の世界が三船敏郎主演で駆け巡り、庭に出て腰掛けたら今度は「杜子春」が、いきなり記憶の棚の奥の方から飛び出してきて、もはや居並ぶ特殊公務員たちの泣き笑いなど雨音に溶けて消えてゆきました。そんなことよりも(ちゃんと投票には行きましたので、こんな言い方もお許しください)、それどころではなく、思考はわが人生の局面にシフトして「今日を、明日を、いかに過ごすべきか」となった次第です。



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「もしもお前が黙っていたなら・・・」と鉄冠子は急に厳か顔になって、じっと杜子春を見つめました。
「もしもお前が黙っていたなら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。お前はもう仙人になりたいという望みも持っていまい。大金持ちになることは、もとより愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら良いと思うか」
「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」
杜子春の声には、今までにない晴れ晴れとした調子がこもっていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遭わないから」
 鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急にまた足を止めて杜子春の方を振り返ると、「おお、幸いにして今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を庭ごとお前にやるから早速行って住まうが好い。今頃は丁度家の周りに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快げに付け加えました。



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続いて、「蜘蛛の糸」のエンディングです。

しかし極楽の蓮池は、少しもそんなことには頓着致しません。その玉のような白い花は、お釈迦様のお足元のまわりに、ゆらゆら蕚(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽も、もう午に近くになったのでございましょう。



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台風は午近くには行ってしまって(現在、静岡県上空)、その後は何事もなかったように、静かな日常が再開されることでございましょう。
では、今日も、脅されても打たれても頑なに沈黙を通した杜子春の心境で、極楽浄土の庭を思い描きます。最後の最後に、愛情を伝える一言を発する、その時までは。





 

雨の日は雨音に打たれて過ごす

閑かさや、岩にしみ入る・・・のように、静寂を感じさせる音がある。潮騒、風、雨、野鳥の声、虫の音。



こうも降り続くと
雨好きのぼくもさすがに。
この台風が天空をかき混ぜて
秋雨前線を一掃してくれることに期待。

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雨の日は庭の書斎に腰掛けて、ゴージャスな雨音に打たれながら、さて頁をめくるかパソコンを叩くか。いやいやこのまま目を閉じてうたた寝に入るとしよう。



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その寝入り端にやってくる一瞬か数分か定かではない、懐かしいような真新しいような、恋のようでもあり変のようでもあり、至福と堕落が危うく二層に分離しているアイスカフェオレにストローを入れる時みたいな、あの特別な時間を期待して。



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The Sound of Silence という摩訶不思議なタイトルの曲が流れる映画を、エスカレーターの導入からバスの後部座席のエンディングまでを超早回しで再生するような、あのシネマティークな時間に呑み込まれたくて。



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雨の日と月曜日は憂鬱になりがちだというあなた、庭の一部に屋根があるならそこに出て、ないなら窓辺に椅子を移動して、男子ならベン(ダスティン・ホフマン)に、女子ならエレーン(キャサリン・ロス)になった気分で雨音に打たれるというのはいかがでしょう。そんな日曜日も悪くないのでは。









今日は「港南台店」にいます。





 
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