庭をつくる人

神のみぞ知る

 庭をお持ちの人の半数は、漠然と庭を眺めながら、そこをどう変化させれば素敵な場所になるのかを考えます。残りの人は、どうやったら雑草取りをせずに庭らしさを維持できるかを考えます。前者は庭の未来に希望を持っているのでいくつかのヒントをキャッチすれば、そこに驚くほど幸福な庭が出現し、後者はそもそも庭を厄介な場所と捉え、その厄介さを軽減しようという発想なので、何をどうやっても、そこは庭っぽい暮らしの余剰地以上になることはないのです。それはなぜか、なぜそのように言い切れるのかを解説いたしましょう。



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 そもそも、庭に対する発想がプラス域にあるのかマイナス域なのか、プラス域を目指すのか、マイナスを少なくしたいと思うにとどまるのかが問題なのです。現在がマイナス域だとして、そこをプラマイゼロに近づけようと思うのではなく、一気にその場所をプラス域の世界として想像できるかどうかが、その庭空間から安らぎや感動を得られるか否かの分岐点なのですから。どうか落ち着いて、自分は何のために庭を改良しようとしているのかを確認していただきたいなあと思う次第です。



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 では、マイナス域から脱することを考えたこともないお客様からの依頼があった場合、どうするか。もちろんお受けいたします。雑草対策大歓迎。まずは気を楽にしていただくために。そして完了後に必ず「もしよかったら、もっと庭を楽しむ仕立てを提案しますよ」と添えて立ち去ることにしています。数%の方が、後日、マイナスから脱してプラス域の庭をイメージすることに成功し、ご来店くださいます。そこからがぼくの本領発揮。夢中で考え設計し、夢の中へ、夢の中へ。



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 提案・設計プランの内容がどうであれ、お客様はその後一生、プラス域の庭がある暮らしを手に入れます。これは大きな出来事です。そしてその成果を生むのはぼくのデザイン力ではなく、お客様の意識が、それまで存在すら知らなかったプラス域の庭にたどり着いてくれたから。そうか、庭って幸福な場所なんだって、生まれて初めてイメージできたからなのです。



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 これは庭に限ったことではなく、仕事でも暮らしでも、プラス域をイメージできるかどうかがその人の行く末を決定する。プラス域で人生を送る人にとっては、呼吸をするくらい簡単で当たり前のことなのに、なぜかそこに高いハードルを設定する癖がついている人の何と多いことか。曰く「虫が苦手だから」、曰く「日に当たりたくないから」、曰く「家族の理解が得られないから」、曰く「お金が・・・」。これはもしかして、人間界のシステムなんですかねえ。椅子取りゲームみたいに、幸せの席数は限られているのであろうか。だから常に幸福から遠い世界で喘ぐ人が絶えないのか。どう思います?



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 ぼくははっきりと思っています、幸せの席は人数分以上に用意されていると。間違いないのです。どんなキツい境遇であっても、その人の性根が健康であれば人は夢を抱き、理想を思い描き、幸せな未来を願うはず。イメージすること、イメージすること、幸福な自分をイメージすること。オリンピックで金メダルを獲れる人は限られているわけですけど、自分の人生はオリンピックではない。勝ち上がりシステムはゲームの仕組みであって、個人の単位、ひとりの人の幸福はその人次第で頂点に辿り着ける。そのプロセスには驚くことに、努力とか、忍耐とか、一切関係ない。その人が思う、セルフイメージ次第なのです。



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 ああ、何だか一昔前の自己啓発みたいな怪しい話に展開してしまいました。しか〜し、これは日々庭を思い描き、理想の庭を出現させ、それによってクラクラするほどの幸福な暮らしを実現させているたくさんの人たちのことを知っているぼくには、怪しくも何ともない、呼吸をするように普通のことなのです。庭ですよ庭、手始めに。イメージすることですよ、幸福な暮らしを。いやほんとに、あなたにとっての理想の庭を、庭は抜きにしてもいいので、あなたの幸福な世界を思い描いてみてください。



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 さあ、どうですか?できましたか?できそうですか?これがですねえ、できない人がとっても多いのですよ。自分で自分の幸福を否定する癖がついてしまっているんですよね。いちいち自分に言い訳しながら、夢を打ち消すことに命がけみたいな。・・・椅子取りゲームで弾き出されて怪我をしたくない、という感覚でしょうか。失恋の痛手で、もう恋なんかしない、みたいな。・・・もしも庭がきっかけにして、そういう思考から脱したい、マイナス域に居続けることを止めにしたい、と、そんな気になったらぜひご来店を。ぼくが全力で、あなたをプラス域の世界へお連れしますので。



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 ああ、どうしたんだろう今日は、今時流行らないのにこんなことをつらつらと。ようやく風が秋めいてきたからかもしれませんね。おっといけねえ、つらつら話はこれくらいにして、設計設計!時間は有限、仕事で生み出す幸福感は無限大。神様、どうか1日でも長く呼吸をさせてください。この仕事が、庭づくりのこのロジックが、何らかの形で後世に受け継がれる、そんな成果が出来上がるまで。中途半端のままでは、自分自身が思う幸福な世界へ至れぬことになってしまいますので。イメージすること、理想の人生をイメージすること、イメージできたらできたも同然。ただひとつ、時間切れだけが心配なり。しかしですね、こればっかりは神のみぞ知ることだから、心配するより今日に集中するしかないわけですが。そういうもんでしょ、仕事って、きっと。


やめてけれ、やめてけれ、やめてけーれゲバゲバ。
1975年1月14日、ケルンのオペラハウス。 
この日、マネージャーのスケジュール調整のミスで、
キース・ジャレットは寝不足、体調は最悪だったそうな。
おまけに希望していたピアノは手配されておらず、
調律すらできていない。
キースは中止を申し出たもののなだめられ、
ピアノは数時間かけて調律され、渋々演奏に臨んだとのこと。
ジャズ史上最高と言われるこの奇跡の演奏は、そんな状況下で生まれました。
神様は気まぐれ、としか言いようがない。
でも神様、ぼくは、だからあなたが好きなのですよ。
オオ神様、神様、助けてパパーヤー。
そんな気持ちになったら必ずこれを聴いています。





この名盤中の名盤が、最近YouTubeで聴けるようになっていて、
いや〜ありがたい限り。
途中やたらに広告が入りますが、それくらいは我慢せねばなるまいて。
ちなみに、ニコニコ動画だとコマーシャルなしで全編聴けますよ。
ぼく、少なく見積もっても1000回以上は聴きました。
つまり1000回近くピンチがあったわけで、
よく倒れずにここまで来れたもんです。 




夏の終わりのハーモニー

 明け方にザッと降ったせいもあり、庭に出たら風が夏の終わりを告げているような気がしました。見上げれば青空半分、雲半分。待ちに待ったこの朝の空気を味わうべくキッチンへ行き、インスタントコーヒーでつくったアイスカフェラテを手に再び庭へ。



灼熱の夏、今朝終了いたしました。
い〜い夏だったなあ〜。


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 草むらで泣くコオロギかなにか、早起きな虫の音を聴きながらしばしのぼーっとタイム。そうか、故郷の魚沼では夏祭りだ。ということは、ヤバ!宿題が終わっていない。還暦過ぎても、こうしてお腹が痛くなるような焦燥感に襲われるのだから、いやはや。優等生たちがやっていたように、先に宿題を終わらせて夏を楽しみまくる戦法をなぜとれなかったのかね、イワフチくん。



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 まあいい、そんな些細な傷などは行く夏の情緒を彩るエディブルフラワーとなっている。それとですね、2023年の夏は、幼い日の感傷的な記憶を遥かに上回る情熱と感動の時間が続いたのだから、良しとしときましょう。いやほんとに、素晴らしい夏でした。よく頑張ったよ、俺。誰も褒めてはくれないので、得意技、自分で自分を褒めちぎる。



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 さあてと、次は素晴らしき秋を実現すべく段取りをする、切り替えの時。素晴らしき秋とは如何なものであるか。・・・素晴らしき夏と同じく、自分の燃焼が、誰かの喜びにつながるように。あ、つまり、自己満足でもいいから感動しつつ、その炎に感動していただける仕事をすることなのであります。そのためには秋を味わい尽くしながら、つまり、季節と並走することが大事。仕事であれ、家庭であれ、何かがうまくいかない時は、季節などどうでもよくなっている。あるいはどの季節であっても、暑いの寒いのと、自然の営みに背を向けて文句しか言わなくなっているものですから。



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 はしゃぎの時間からもの思う時間へ。大丈夫か?もの思うことは気分を沈ませるだけではないのか?ハハハ、そんなことはない。立ち止まるポイントで、きちっと立ち止まって、庭でゆったり腰掛けて、越し方と行く末に思いを致す、これが秋の扉を開ける人のお作法なのである。だからいつもこの曲を聴きたくなる。っていうか、聴こうと思う。中原中也をパーソナルカラー診断すれば、間違いなくオータム・ウィンターの人。目の前に現れた扉の錠前に、差し込む鍵は O・W 。



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大事ですよ、このダウナー感覚。なかなかにキツい人生だったわけで、30年の生涯とは、神様、あまりに短すぎるでしょうと文句のひとつも言いたくなりますが、まあ、故に突出した詩をいくつも紡いだのだから、それはそれで美しき燃焼だったのでしょう。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。宮沢賢治に似て、自然と歩調を合わせ、いち日いち日を刻むが如く、懸命に生きた人だったのしょう。







 暗いですか、こういう話。でもですね、自然とは明るいばかりではない。人はポジティブの鎧に閉じこもるだけでは不自然に陥ってしまう。不自然になってしまったら、庭の設計なんぞできっこないのだ。できっこないと困るので、僕は自然と歩調を合わせて進むのだ。青空半分、雲半分が夏の終わりのハーモニーなのだ。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。

 

バラを植える人

 20年前、バラはマニア向けの植物で、素人が手を出せない特別な花でした。10年前、園芸店やホームセンターで多様な品種が売られ、一般化しました。しかしまだ「バラって難しいでしょ、高くて手が出ないし」という声が聞かれ、まだまだ気軽に買って植えるものではなかった。そしてこの頃では価格も安価となり、四季咲きなどの一般ウケする品種がさらに増え、他の草花と同じ感覚で楽しめるようになったのです。



昨年ガーデンリフォームを行った丸岡さんちのバラ。
これは第一弾です。
連休明けに、さらに盛大に咲いたところで第二弾の撮影予定。
いや〜、バラってほんとにいいですねえ〜。


ブルーフォーユー

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ブルーフォーユー


ドルチェビータ

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ナエマ

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ナエマ



 こうなったら世の中の庭という庭すべてがバラ園になってもいいように思いながら、しか〜し、そうはならない。これはもはや好みの問題なのかもしれませんね。ぼく的にはバラがなければ庭が寂しすぎるし、バラほど人を感動させる花はないと思っているのですが、人それぞれ、というところに20年越しの庭の変遷を結論づけることとなりにけり。でもですね、どうしてもそこでピリオドを打てない気持ちが残るのです。



アンジェラ

アンジェラ

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ファンタン・ラトゥール

ファンタン・ラトゥール

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ダフネ

ダフネ



 なぜなら、こんなに人をいい気分にさせて、その効用で手入れも楽しくさせ、庭の波動が上がり、つられて人の心身も良好に引っ張り上げてくれる『お得な花』を、庭を持つ人全員が活用しないのかと、歯がゆいような気分が残るから。とはいえ、これはバラに限ったことではなく、庭自体の魅力に気づいていない人があまりに多いという、これまた20年越しのモヤモヤがありまして、それがこうしてブログを書き続けていることの源泉、エネルギーでもありますので。



ピエール・ド・ロンサール

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ギーサヴォア

ギーサヴォア


ヨハン・シュトラウス

ヨハン・シュトラウス


イエライシャン(夜来香)
柑橘系の香りがします。


イエライシャン(夜来香)

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 で、あれば、やはりすべての庭にバラの花が咲き香る日、というイマジネーションは消さないままでゴールまで走り続けることが、ぼくのライフワークってやつなのでしょう。こうして理想の世界を思い描き続ける者が、多分ですけど、必要なのです。その役をぼくに課した神様か何者かの意向に従い進む、ありがたい役回りと感謝して、今日もせっせと設計設計また設計。



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 神に与えられし役割、などと誇大妄想と思われるかもしれません。しかし、バラのことも、庭のことも、その魅力を多くの人に伝え具現化したいと願っている庭屋が、ぼくが見渡す限りほとんど存在しない現状ですから、自分をジョナサン・リヴィングストンとダブらせるというのが、自分が自分らしくあること、つまりはこれがアイデンティティってこと。故に、どうか、ええっと、なんと申しましょうか、そんな人もいるんだなあと放っといてください。時々はぼくの庭への思いが強すぎて、加えて伝え方が下手くそなものですから、訝しがられ、ムーンウォークで後ずさる方もいらっしゃる。楽園へお連れできなかったことが残念で、悔しくて、反省反省また反省。プレゼンテーション能力、コミュニケーション能力、言語能力、日々心身のコンディションをベストに保つ自己管理能力、鬼女房と賢く暮らす生活能力、いろんな能力が整わないと、ライフワークもへったくれもないわけで、研鑽研鑽また研鑽。



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 これをお読みのあなたに、今日はひとつだけ、イマジネーションを送ります。贈ります。あなたのご近所でいわゆるバラ屋敷があったら、遠くからでも観察してみてください。その庭にいる人は、必ずにこやかで、穏やかで、幸福そのものの表情をしています。その人の暮らしぶりがあなたよりも幸せそうだと感じたら、迷わずバラを植えて育ててみてください。話は簡単で、形から入れば案外すんなりとその世界に行けるのですから。バラはそれほど人を、暮らしを、理想へと引っ張り上げてくれるパワーを持った摩訶不思議なる花。繰り返しますが、『お得な花』なのであります。




ごめんなさい 安息の日々を約束したわけじゃないの
陽が差す日もあれば 雨の日もあるわ
ここで暮らすなら手に入れなければならない そうでないなら去るべきよ
ごめんなさい 安息の日々を約束したわけじゃないから

約束するわ 大きなダイヤの指輪に誓って
でもクローバーの茎から薔薇は咲かないから
よく考えて その甘い考えが本当に叶うなら
この世界を授けましょう
でも それが何になるわけ?

だから笑顔で ご機嫌で暮らしましょう
恋は憂鬱なんかじゃないから
一緒に楽しい時間を過ごしましょう

 ごめんなさい 安息の日々を約束したわけじゃないの
陽が差す日もあれば 雨の日もあるわ
ごめんなさい 安息の日々を約束したわけじゃないから

 私はあなたに歌を贈って 夢見心地を約束する
そうしてあなたが束縛と思うなら すぐに別れるわ
でもひとつ分かってほしい
飛び込む前によく見て! 静かな流れは底が深いの
そして いつもあなたを助けてくれる人が近くにいるとは限らないから 
ねえ 私の言っていること分かるでしょ

だから笑顔で ご機嫌で暮らしましょう
恋は憂鬱なんかじゃないから
一緒に楽しい時間を過ごしましょう

ごめんなさい 安息の日々を約束したわけじゃないの
陽が差す日もあれば 雨の日もあるわ



 

港南台にワイキキの風

 駅前通りの両サイドにツツジが咲くと、毎年不思議な感覚にはまります。論理的理由付けを抜きにして、ワイキキ郊外をドライブしているような錯覚が広がってくるのです。ツツジの新鮮な発色が南国を思わせるのか、はたまたこの時期の、爽やかな空気と光がそう思わせるのか。



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 記憶のどこかに、そんな場面が印画されているのでしょう。そのページのありかは不明ながら、いくつかの条件が揃うとハワイへワープする、このウキウキする感じを、今年もひとりニヤニヤしながら楽しみました。



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 ピンクパレスから海沿いの道をダイヤモンドヘッド方向へ。左にホノルル動物園、右にはワイキキ水族館。どちらもスルーして、山の麓で左折し住宅街へ。リゾートフルな平屋のエクステリアと庭を見学しながら、ゆったりと、行き当たりばったりに庭散策のドライブが続く。写真は撮らない。いちいち停車しシャッターを切っていたらきりがないし、カメラに納めずとも記憶できるほど、実にアメリカっぽい街並みだったから、あえて。アメリカ人にとっての庭は、芝生とハンモックとバーベキューなのだ。



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 右手に山を見ている限り目的地を見失うことはない。 ダイアモンドヘッドを反時計回りに迂回してカハラ・アベニューへ。さらに進んでカラニアナオレ・ハイウェイに入り、20分ほどで目的地のハナウマ・ベイ自然保護区へ到着。管理棟でレクチャーを受けてから、不自然なほど保護されたラグーンでのシュノーケリングを楽しんだ。自然とは、人がそこそこ気遣いをするだけでこれほどの楽園になるのかと、驚愕と感動のひと時。いやはや、魚と珊瑚と風景の、あまりの美しさにひれ伏したのでありました。



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 駅前通りの両サイドにツツジが咲くと、毎年このような記憶をリピート再生できるのです。ツツジとハワイ、摩訶不思議なるミスマッチ。そのズレから生じるメモリーに、脳内に漂うコパトーンと砂浜の香りが相まって、今日の設計の糧となる。こうして仕上げた図面から、ワイキキビーチの風よ吹け。日本的リゾートフルな庭を描き続けて30年、思えば、心地よい仕事を得たものだ。


  




 

桜散る

 桜が始まってから、連日の早朝散歩が楽しみになっています。夜明けが早くなり、6時前には朝日が入る遊歩道をカメラ担いでひと巡り。朝の光は格別に花を際立たせるのです。



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 この時分にいつも思うこと。人は開花に歓声を上げるのに、風景の何割かが桜色になる頃には感動が薄れるようで、公園や里山で満開となっている桜を、足を止めて見上げることもなく早足気味で歩いてゆく。それが、何となくですけど、偉人、有名人が亡くなった時に似ている気がして。



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 永六輔を、ぼくは脳内コントロールを駆使して、今もあの頃のままで生きている人に仕立て上げています。いつも身近に数冊の著作を置き、YouTubeで週に何度かは、名物番組であった土曜ワイドラジオ東京のアーカイブを流しながら、仕事をしたり家事をしたり。



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 永さん曰く「人は二度死ぬ。一度目は生物的な死で、二度目は人々の記憶からその人が消えた時」。だからぼくは、亡くなった永さんに二度目を生きてもうために、全くもって個人的な、そんな思いで永六輔を延命させ続けているのです。父と同じ昭和8年生まれの、放送作家であり、作詞家であり、芸能や地方に埋もれている些細な文化を掘り起こす旅人、永六輔。あのユーモラスでありながら芯がブレない語り口が大好きで、永さんのような人が、世の中には、っていうかぼくには必要なんだよなあという尊敬の念が強いものですから。



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 早朝のテレビで届いた坂本龍一の訃報。永六輔と同様に、我が人生から消すわけにいかない人ですから、即座に悲しみやお悔やみをすっ飛ばして、二度目の命を我が脳内にキープすべくマインドゲーム開始。桜の花を教授に見立ててシャッターを切り続けました。今回の一度目の死に関しては思いはひとつで、見事な人生であり散会であったと、年少のぼくからだとふさわしくない賛辞ながら、天晴れであったと、素晴らしき音楽家であり思想家だった教授にアンコールの拍手です。



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 キース・ジャレット、レッド・ガーランドと共に、設計時に繰り返し流してきた名曲の数々から、一番耳に馴染んで呼吸音のようになっている『 -Energy Flow 』を、一度目のレクイエムとして。報道によれば、どうやら亡くなる直前までペースを乱すことなく仕事を続けたらしく、きっとそういういち日が人生の全てであるという境地だったのではないかと思います。故に悔いとか、悲しさとか、そんなことを通り越して、その日の仕事に幸せを感じて旅立ったのであろうと思っている次第。とにかく仕事を愛している人でしたから、きっとそうですよ。永さんもそうだったし。ぼくのそのようにありたいし。 


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 散る桜、残る桜も散る桜。









  

花の革命・愛ある庭

 ロングロングタイムアゴー、かつてこの地上はティラノサウルスなどの肉食恐竜を頂点とする爬虫類の楽園でした。その風景に生えていた、シダやイチョウやメタセコイアなどの裸子植物は草食恐竜の食糧で、恐竜が繁栄するにつれて食い荒らされ、とうとう絶滅の危機に。その危機は食べる側にも及ぶわけで、恐竜たちは飢えに喘ぎ、植物を求めて北へ北へと移動します。折り悪く泣きっ面に蜂で、氷河期が到来。さらには巨大隕石が落ちて、ついにほとんどの恐竜は地上から消えてしまいました。



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 一方植物たちはしぶとかった。散々食い荒らされることに耐えながら生存の道を探ります。耐えて凌いでいるうちに、奇跡の如き大革命が起こりました。それまで恐竜から一方的に虐げられてきた植物は、恐竜とは対極にある小さな小さな生き物、昆虫と手を組んだのです。花と蜜と香りで虫を魅了し受粉する被子植物へと進化を遂げました。さらには同盟を組んだ昆虫以外の動物から食べられないために、アルカロイド、ニコチン、コカイン、カフェイン、カプサイシンなどの毒を身に蓄えることまでも。



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 地上の覇者は恐竜から植物になりました。すると今度は植物同士で競争、レストラン同士の集客合戦が勃発します。お隣さんと咲く時期をずらし、お客様の好みに応じて色形を変え、蜜の味や花の香りも個性的にすることで爆発的に多様な花が生まれました。これで地球は酸素を供給する豊かな緑に覆われ、花咲き乱れ、哺乳類、魚類、爬虫類、昆虫、植物、微生物まで含めてたくさんの生物が調和し共存できる、まさしく生命の楽園になったのです。



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 こうして完成形となった奇跡の星、イーハトーブ。そのままだったら良かったのに、何と何と、500万年前に哺乳類の中からとんでもない猿が幅を利かせ始めます。あの傍若無人な恐竜ですら1億6千万年もの長きに渡って繁栄を続けました。さて、このタチの悪い猿族の運命やいかに。悪猿は滅びを前にして、かつて植物が行ったような革命的変化を起こせるか否か。それは小型化か、翼を生やすことか、昆虫と手を組むか、あるいはSF的に他の星への移住を果たすか。しかし何べん考えてもそんなことは無理っぽい。



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 ひとつだけ可能性があるとすればですよ、それは家族仲良く愛情を育みながら生きること。神様はそういう生き物が好きなのです。花も虫も小動物も、観察すればわかりますけど愛情に溢れ、愛情に基づいて闘い、愛情を育みながら生きている。悪猿だけにその資質が薄い。もうひとつ大事なことは、一億年の生存などを望むより、今日いち日を美しく過ごすことに集中する。悪猿以外の全員がそうしているように。悪猿の中には知恵者もおりまして、二千五百年ほど前に生きていた老子という猿は、「あらゆることの正解は自然の中にある」と言い残しています。無理矢理に我田引水と言う勿れ。やはり庭ですよ、庭。自然を感じながら、愛ある暮らしを送る場所が庭なのです。


 さてさて悪猿の運命やいかに。悟空みたいに、道すがらで三蔵法師に出会えれば良いのですが。





 マグノリア(コブシ 、モクレンなどの総称)は1億5千万年前に起こったその恐竜と植物の攻防戦によって出現し、ジュラ期から白亜紀に入ったあたりで広く地上に分布した花とのこと。それから現在に至るまでほとんど姿を変えずに代を繋いできたわけですから、この花の色形、香り、木の性質には神々しいレベルの正しさ、美しさがあると、毎年毎年そんなことを思いながら見上げて、息を整えシャッターを切っています。


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 ハスの花を大日々如来とするならば、マグノリアの姿は菩薩様、さしずめ観音菩薩でありましょうか。では、お手手の皺と皺を合わせて、弘法大師空海が唐より持ち帰ったガンダーラの真言を唱えましょう。オン・ア〜ビラ・ウンケン・ソ〜ワ〜カ〜〜〜。
 

反省猿・家族の庭

 前回の『ナチュラルな闘争・夜の庭』に補足します。庭を疎ましく思いカーテンを閉め切って暮らすことは病の初期症状である、というような書き方をしました。あ、いや、撤回するわけではなく言葉足らずだったかなあと。もしかしたら不快に思われた方もいたのではと、帰宅し庭で時を過ごしながら、ふとね、そう思ったものですから。



桜咲く。

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一昔前は、桜とはソメイヨシノのことでした。
コロナが去り、人々の感覚が広角レンズとなったのか、
今年はいろいろな桜のことが話題になっています。
ビートルズ解散後に次のビートルズを探し続けた70年代に似て。
サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、ロッド・スチュワート、
ミッシェル・ポルナレフ、ビリー・ジョエル。
結果は時代に君臨する唯一のアイドルではなく、地球人は多様な音楽を手に入れました。
日本では原田真二、喜納昌吉、高田渡、はっぴーえんど・・・。
抑圧の果てに起こる爆発は多様性に落ち着く。
桜は400種類もあるそうで、それがこれまではさほど話題に上らなかった。
花は世に連れ世は花に連れ、時の流れはいとをかし。



 カーテンを開けることなく暮らしている人たちのほとんどは、すいませんでした、直接的に病などではありません。ただカーテンを開けて屋外を感じながら暮らすことの心地よさをまだご存知ないか、知っていても庭に目隠しを施す手間を上回るだけの、庭という場所の魅力をお持ちではないのでしょう。驚くことに、と言うか、残念ながらと申しましょうか、日本には、今日の庭を有意義にイメージするのに役立つような種類の庭文化がなかったわけですから、さもありなん、それはやむを得ないことなのです。故に、カーテン閉め切り族の皆様におかれましては、どうかお気を悪くなさいませんように。いやはや、ぼくの直情傾向はしばしば極端で優しくない言い方をしてしまいます。反省猿で御座候。



ジュウガツザクラ

ジュウガツザクラ



 うちに来てくださるお客様の半数近くが、海外赴任経験をお持ちか、カジュアルに海外旅行を楽しんで来られた人たちです。アメリカ、中国、中東、オーストラリア、南米、ヨーロッパ、アフリカなど、各国の庭事情と、そこで経験した幸福な庭時間のことをお聞きするのが楽しくて、また大きな学びにもなっています。例えばオーストラリアでは、客人はリビングではなく庭に招く。アフリカ人はいい風が吹く場所に家を建てて庭を楽しむ。ガーデニングの本場イギリスは、実は気候が厳しく花を楽しめる期間がとても短い。だから反動で、チェルシーフラワーショーに歓喜するのだ、とか。



カワヅザクラ

カワズザクラ



 日本と同じほどの大きさであるドイツでは、庭関係の市場規模が日本の倍以上だそうです。多くの家に納屋があり、DIYと庭仕事はごく普通な暮らしのお作法のようなもので、土づくりや植物への農家レベルの知識は誰でも持っている(昭和初期までの日本人がそうだったように)とのこと。庭は健康な草花に囲まれて住人が食事をし、家事をし、友人を招いてティータイムを楽しむ場所。スペインではパティオ(中庭)が暮らしの中心にあり、シエスタ(昼寝・長い昼休み)を楽しむことが当たり前。路地の壁と窓際にはプランターの花が咲き誇って、街角の井戸端が地域住民共有の庭として機能している。アメリカ人は広い芝生でバーベキューができなければ庭ではないと思っているし、フランスの郊外では家と庭との境が曖昧なほど庭は暮らしの場所して使われている。各国それぞれに庶民レベルでの庭文化が存在しているのです。



サンバガワザクラ

サンバガワザクラ



 はてさて我が国ではどうでしょう。何も外国がああだからこうだから、真似をしなきゃということではありません。日本には日本の庭文化はあったわけで、縁側、畑、軒遊び、ええっと、ええっと、盆栽、鶏を飼う。洗濯物を干す。ん〜〜〜他に何かありましたっけか。やっぱり真似した方が良さそうですね、お得だし、楽しいし。日本の庭文化は平安時代の発祥から明治・大正あたりまで、お公家さんと武士とお坊さんの世界にのみ伝承され、庶民には縁遠いものでした。江戸時代にいくらか園芸趣味が流行ったものの、人々がイメージする庭はお寺や大名庭園のことであり、庶民の暮らしには無縁の場所。やがて西洋建築が入ってきて、洋館に似合う庭が求められます。芝生、池、花壇など。しかしその時点でも寺社仏閣の庭様式を切り取り自宅に再現するというのがせいぜいでして、そういう庭(文士の庭、雑木の庭、茶庭・坪庭など)を所有し池の鯉に餌を投げることが、豪商、政治家、文化人、成功者のステースになりました。ぼく自身、製糸工場で成功した祖父ご自慢の坪庭を眺める縁側で育ったので、50年前にはまだ庭は男社会のものであり、『家族の庭』というような概念は世の中に存在していなかったという実感があります。



オカメザクラ

オカメザクラ



 そのような日本の庭の現状に疑問を持った、当時30歳のぼくが、いかにして・・・。ここからは長編、大河ドラマになってしまうので、切れ切れに別の機会でということにします。とにかく日本には戸建て住宅での庭文化は育ってこなかった。だから憧れの庭付き一戸建てを手に入れた人たちが、引っ越しをし、庭スペースを前に呆然と立ち尽くすのは当然のこと。 誰だって同じで、とりあえずカーテンを閉めてから暮らしを始めるのはごくごく普通のことなのです。しか〜し、その後に待ち受けている家族にのしかかってくる課題の数々、子育てやら介護やら更年期やら。その課題を苦難ではなく幸福なる暮らしの営みにできるかどうか、という分かれ道。いち早くカーテンを開けて暮らせるように庭を整えるか、あるいは「なんでカーテン開けなきゃいけないの?人工芝敷いたから雑草は生えないし、庭に出てご飯を食べることなんてないし、夜庭で過ごすことなど絶対にあり得ないし」となってしまうのか。



オバコザクラ

オバコザクラ



 庭は建坪率の都合で発生する余剰の地面ではありません。その地面の上にある空中に、家族のための庭空間を生み出してください。どうすればいいのかは、昔と違ってインターネットでいくらでも海外の素晴らしい庭を観察できますから、じっくりと、しっかりと、家を建てる時の真剣さで勉強してください。その空間を、幸福な人生に欠かせない重要な外の部屋にまでイメージすることができたら、カーテンを閉めて過ごすことに嫌気がさすことでしょう。庭を含めた理想の住環境が整えば、カーテンなんぞはあってもなくてもいいような、その程度のものなのですから。



ミヤビザクラ

ミヤビザクラ



 毎朝テレビから報告される、狂った者が引き起こす嫌な事件、悲惨な事故と災害、紛争等々にうんざりしてきた数十年。数十年そうだったんだから今後も変わることなく続くのでしょう。事故と災害と紛争は避けようがないことながら、狂気だけは自分で防御も制御もできること。そしてもっと大事なのは子供を健やかに育て上げること。プーチン大統領は幼少期に父からの激しい暴力を受けて、思考が「強くなることが生きる意味である」という方向一本槍に固まってしまった人であるそうな。殴りかかってくる大嫌いな父を超えるために柔道を習い、国一番の強者となるためにKGBを目指し、素手で簡単に人を殺せる優秀なスパイとなった彼はエリツィン政権に参加。エリツィン引退時に指名されついに大統領になります。



ケイオウザクラ

ケイオウザクラ



 その後もさらに強くなるために、尊敬するスターリンに倣って侵略をし、目障りな部下を平然と粛清し、国内外の人々の幸福を破壊し続けながら、哀れなことに自らは幸福な家庭を手に入れることができなかった。世界的な権力者として君臨している今でも手に入れていない。それは何故だと思います?お金も権力も有り余っているのに何ででしょう。不遇な少年だった彼は円満家庭に憧れたに違いないのですが、そこを目指したことがなかったからです。なぜあれほど有能な人の思考が幸福な家庭実現に向かわなかったのか。体感した経験がないから。知識ではなく体感したことがない世界を想像することは困難なもの。だから笑顔が溢れる家族の庭など到底イメージできない。イメージできないものは実現しない。きっとそういうことなのでしょう。



ソメイヨシノ

ソメイヨシノ



 ロシアvsウクライナは重大にして複雑な国際紛争でありながら、インターネットとNHKのプーチン関連番組で過去を辿ってみれば、とっても単純で些細な事柄に起因していることがわかります。レーニンも、スターリンも、当時ソビエトの敵国であったドイツの宰相アドルフ・ヒットラーも、全員が幸せからは程遠い過酷な家庭環境で育った。習近平もそう。ご存じ北の3代目も。つまりは家庭円満こそが世界平和の前提なのであります。家庭円満、まあるく幸せが満ちる家と庭。お若いご夫婦たちに祈るような気持ちでお伝えしたい。この先いろいろあるかもしれないけど、何が起ころうともとにかく夫婦仲良く、健やかに子育てをして、笑顔が溢れる庭のある暮らしを実現させてください。いやほんとに、世界平和のためにも。



ヤエザクラ

ヤエザクラ



 さあてと、世界を語っている場合ではなく、目の前に積み上がっている設計を、一つ一つ丁寧に、想いを込めて仕上げてまいります。首を長くしている皆様、今しばらく伸ばしっぱなしでご辛抱&ご容赦ご容赦。必ずお役に立てる庭空間を出現させますので。



13歳、中一のある日、夕方から深夜までラジオをつけっぱなしで油絵を描いていました。
驚いたことに、その数時間でこの曲が6回流れたことを覚えています。
衝撃的なヒット曲だったんですよね。


 
 
英語ですらおぼつかないぼくには、フランス語は100%意味不明。
今は便利に、パソコンから訳詞を引っ張ってこれるのでありがたし。


ホリデイ ああホリデイ
空から降りてゆくのは飛行機
その翼の影が
ひとつの街を通り過ぎる
地面はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ

ホリデイ ああホリデイ
教会や公団住宅
彼らが敬愛する神様は何をしている?
宇宙にいる神は
地面はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ

ホリデイ ああホリデイ
飛行機の影は海をとらえる
海面はまるで
砂漠の前兆のようだ
海はなんて下の方にあるんだろう
ホリデイ


見た目だけでなく、澄んだ高音とロマンティークなメロディーと、
わかるようなわからないような歌詞も、
井上陽水と酷似していますよね。
40年の時を超え、ポルナレフ・陽水いとをかし。



 

ナチュラルな闘争・夜の庭

 草原で暮らすか弱き草食動物トムソンガゼルは、群れて暮らし肉食獣から身を守っています。ただし、いくら群れたところでライオンはそれを恐れるはずもなく、逆に好物がまとまって草を食べているのですから、格好の食べ放題レストランを見つけたようなもので群れを襲わないわけがない。ではなぜガゼルは群れているのでしょうか。チコちゃんに教えていただきましょう。



見上げる星空は紛れもなく宇宙空間であり、
渡る風は地球の隅々までを何万回も巡ってきた空気の流れ。
夜の庭にいると、確かにそれが感じられます。


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 なぜガゼルは群れで暮らしているのか。それはね、犠牲者をひとりだけ置き去りにして、群れ全体は楽々と逃げられるから〜。ぼくらが考えると、身内を生贄にするようなその行為はとても残酷な事のように思えます。しかしガゼルたちは、そこに大きな悲しみなど感じていないことでしょう。群生動物にとってはその群れの存続こそが各自の幸福感の源で、少しの犠牲者は全体のために必要なのだという、遺伝子に刻まれた確固たる掟を持って生きている。これは弱者なりに培ってきたナチュラルな闘争手段、逃走のための闘争なのであります。



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 人もまた弱者。故に家族、仲間、社会、上手に群れる者は幸いなり。



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 とはいうものの、犠牲者は最小にしたいし、できるならそのような死に方をする者をゼロにしたいというのが、愛情豊かな我々猿の本意でしょう。ああそれなのにそれなのに、ガゼルに比べてむやみに不条理な死が多過ぎる人間社会の現実よ。不条理とは、「群れを守るため」ということとは無関係に、狂った猿によって突然奪われる命、という意味。ガゼルは狂わない。もしも狂ったとしたら即座に追放される。だから虐待したり殺したり、悪事に酔いしれて群れに迷惑をかけるような者などは、ただの1匹も存在しないのです。



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 昭和時代の悪い癖で、精神に異常をきたした者をを気狂い呼ばわりすることに抵抗がある我が世代。されば柔らかく、クルクルパーと称しましょう。クルクルパーは早々にとっ捕まえて、治療なり指導なりしないとえらいことになる。昭和の御代ではご近所さんが「一度お医者に診てもらったほうがいいですよ、ひどくならないうちに」と家族に指摘してくれたし、ご隠居や、お寺さんや、おばちゃん同士の井戸端会議で議題に乗せて、丁寧にクルクルパーを正常へと導いてくれたものです。今は残念ながらそれがない。最良の対処は「関わらない」こと。だから狂人は孤立し、愛情に基づく支援も拒絶し時には牙を剥き、ますます狂ってゆくばかり。



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 自然界の構成員として、ぼくらはいつの頃からか不自然な性質に陥っているのでしょう。草木であろうと虫ケラであろうと、自らの命を長らえるためには闘争を回避することはできない。生きるために、よりよく生きるために、敵とは対峙しなければならない。遠い国ウクライナのことは横に置いとくとして、身近では夫婦間で、親子で、家庭内であっても闘争を抜きにして平和は維持できないのです。闘争か、逃走か。知恵ある者は闘争を回避し逃走を選択する。しかしこれがなかなか厄介でありまして、逃げの一辺倒では幸福なる家庭は儚く崩れてゆく。夫にも、妻にも、子供にも、上手な闘争を展開する能力が必須なのです。



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 では上手な闘争手段とは如何なものであるか。それはですね、トムソンガゼルのように、ナチュラルであること。軸足を群れの掟、自然界のお作法から外さないで、愛情を持って闘うこと。困難に際して足元をすくわれ、不自然な領域に転げ落ちてしまった者は思考に障害を起こしてしまう。引きこもり、ゴミ屋敷、弱みにつけ込む宗教まがい、家庭不和、アルコールやギャンブルや各種依存症。不安に負けて、あるいは何かに深く傷ついて、カーテンを閉め切り膝を抱えてうずくまる人の哀れさよ。そう、心が病んでゆく入り口に必ずあるのが、庭を疎ましい場所であると認識してしまうことなのです。間違いない。本来であれば、健康と幸福の維持に不可欠な価値あるスペースなのに、それを見たくもない、出たくもない、雑草だらけの嫌いな場所にしてしまうことは、自然に背反する、症状とも言えること。ただしそういう家があまりに多いので、そこに危機が潜んでいるのだという声を上げる人など皆無なわけです。



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 庭に背を向ける人はガゼルが持つナチュラルさを失い、軸足が自然から離れ、やがて不自然な暮らしに喘いで愛情を見失う。当然のことながら諸問題に抗う気力など残っていようはずもなく、締め切った部屋で怯えて過ごすのみ。何度も目撃してきたカーテンを開けない人たちの叫びのような沈黙。かく言う我が家でも、これまでに何度かそういう場面がありました。実家でも、田舎の隣近所でも、お客様、庭を楽しむ賢者の方々であっても山あり谷ありで、やはりそんな時期を経験されているわけで、ぼくは例外を知りません。つまりは人類全員がクルクルパー予備軍であることは確かなようで、プーチンは狂っている、ルフィーとその一味は、ゴミ屋敷の偏屈爺さんは、などと言ってる場合ではなく、己が身と家族の健全さをキープすることが人生上の最重要課題なのであります。



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 こういうことというのは、他人事であるうちはピンとこない。ところが自分事となると、これほどキツいことはない。実際に我が身内がほんのりと軽く病んだだけで、ぼくにできることは少なかったのです。助けなければ、救わなければと四六時中その方策を考えても、クルクルパー側は抗ったり引きこもったりを繰り返すばかりで、しかしこっちは必死のパッチ。何日経っても、何ヶ月経過しても課題は解決することなく、手も足も出ないままに自分は疲弊してゆくばかり。唯一、必死でやり通したのが毎晩庭に出てひとりの時を過ごすことでした。ぼく自身の精神が自然から離れてクルクルパーに陥ってしまったら、結果として愛する家族を守ることができなくなってしまいますから。そんな思いで庭での時間を過ごし、それはすっかり習慣化して日々の大きな楽しみとなった頃に、ゆっくりとクルクル家族は回転を止め、危機の深みから浮き上がってきてくれました。その何度も何度も諦めるしかないのかとへたり込んだ経験が、面白いことに、その後の庭設計に変化をもたらしまして、こうして充実の提案が立て続いています。庭によって危機を切り抜けられたことと、その経験が仕事に活かされたこと、ぼくは幸運であった、太陽神アマテラスの思し召しなり、としか言いようがありません。



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 ナチュラルな闘争。苦難と闘わない者は、ベートーベンが第九で歌い上げている如くに去るしか道はない。愛情を失い闘い方を誤った者も、家族であっても家庭という群れから排除される運命を辿る。残酷なようでもそれはどうしようもないこと。群生動物ホモサピエンスに幸あれ。庭ですよ庭。庭があなたの正常性をキープしてくれる大切な場所。庭ごときで何を大袈裟な、と思うなかれ。今現在正常な精神で暮らしているあなたが、その健全な心のままで人生のゴールまで辿り着ける可能性が極めて少ないことを、年配の方ならご存知のこと。幼児には幼児期の、青年には青年期の、成人、中高年、老年、至る所にクルクルパーの落とし穴はある。最低限自分はそこに落っこちないように、軸足を自然に置いて暮らしましょうぞ。見事に、最後まで。 



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 久しぶりのアップがごんなエグい話で申し訳なし。大谷の活躍に感動し、感動した分、相も変わらぬ世の中の悲惨な事件やら、これまた絶えることなく持ち込まれる、庭にまつわる不愉快なご近所トラブルのことが脳内に浮き立ちまして、ここいらで一回クルクルパーへの見解を整理し書いておこうと思った次第。ついでにもうひと言、幸運にも本日精神が健やかで、侍ジャパンに感動した皆様へ。過ごすタイプの庭の場合、日中よりも夜の方が何倍も癒しを与えてもらえます。ほんの5分でいいから夜風と星空を楽しむことをお勧めします。けっこう真剣に、愛と平和な世界を実現するために。っと、「するために」は尊大にすぎるので、 世界が Love & Peace に向かうことを願いつつ、くらいで。


『 愛なき世界 』

16歳、少年ポールがジョンと知り合った頃に作った曲。

 

ポールは最初から、完成されたポール・マッカートニーだったことがわかる一曲。
だから今も少年のままなんでしょうね。
大谷も少年のままでいることが完成形という稀有なる人。
見当はずれかもしれない、穿ちすぎかも、と思いつつも、
大谷は、銀河鉄道の夜の主人公ジョバンニと、心根が同じ気がして。
曇りなく優しくて、ひたすらにまっすぐで。
 昨夜、庭の書斎で何度目かの一気読み。
宮沢賢治は軸足が自然の大地から生えているような人でありまして、
登場人物もまた、悪人であっても、狂人であっても、
不自然な者が存在しない。
いじめっ子も、世の不条理な死も、怪しい人物も、
何もかもが夜の庭で浴びる天空に溶け込む、雄大な営みから降る一欠片。
キラキラキラキラ、光っているのです。
イーハトーブを思い描いていた賢治さんの作品こそが、
現在ぼくらが触れることができる、
心象世界にある理想郷なのかもしれません。
ああ、カムパネルラの魂よ我に乗り移れ。
ほんとに、夜の庭時間を、たった5分で構わないからあなたもぜひ。
そうすることで何かが大きく変化するか、あるいは整うか、
いずれにしてもそこには、ジョバンニが目指していた、
すべての者が幸せに暮らす世界の入り口があるのです。
 


ご近所のミモザアカシア美しや

 自宅から少し離れた駐車場までの坂道を、早朝と夕方、毎日歩いています。横浜市港南区日野、狸が住み着いていたであろう丘陵を切り拓き、人類用に宅地造成されたのが4〜50年前でしょうか。住民の多くがぼくよりも年長の方なので、ゆったりとした空気感が漂う、いい具合に年季の入った住宅地。ご近所のお年寄りと立ち話をしていたら、売り出し当時は人気が高くて何十倍かの抽選だったとのこと。50年前とはつまり昭和40年代。35年生まれのぼく的には5歳から15歳、保育園から小学校中学校までの、いわば猿が人間に成長した期間です。



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 その頃に、イワフチ少年が存在すらイメージしていなかった、遥か遠い横浜の新興住宅地では、当選に歓喜して、ありったけのお金と組めるだけのローンを手続きして買った土地に、ワックワクで家を建てて暮らし始めた人たち。あれから幾星霜、所々にはお若いご夫婦が新築をして、公園では子供たちが賑やかにボールを蹴っている。きっとヒーローは三笘なのでしょう。ワールドカップ以降、男女を問わず、ちびっこたちの間にサッカーブームが起こっているようです。



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 昭和40年代、実家が家電屋だったために、カラーテレビ、電気洗濯機、冷蔵庫が飛ぶように売れていた活気を記憶しています。世は三種の神器にとどまらず、マイカーブーム、トリスを飲んでハワイに行こう、家具のようなデカいステレオコンポが鎮座した。そうそう、若者が自分たちの音楽を獲得したのも40年代でした。大人たちがコンポで『南太平洋』を流し、茶箪笥から取り出したジョニ赤をちびちび舐めているのに対して、ぼくらガキどもは与えられた自室に篭りまして、ラジカセでフォークソングとロックを聴き漁って、ギターをかき鳴らしていた。



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 核家族化は、まさしく核融合のように止めどなく広まりました。好景気が続いて、開発、発展、拡大も止めどなし。人々の究極的な夢は庭付き一戸建てを手に入れることとなったわけです。庭付き一戸建て、後にぼくはその時代の流れの中に浮かんだ『夢』を舞台として、庭を思い描き出現させてゆくことを生業とするわけで、見ようによっては時代に乗ったことの幸運に感謝せねばと思ったり、いやいや時代の開拓者だったのであ〜る、と、胸を張ってみたり。



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 しかし考えるべきは我がことではなく、坂道の途中にある一本のミモザの木のこと。ここ数日、その姿形に足を止めて感動しきり。美しいのです。これは植木屋が持つ剪定セオリーでは絶対に仕立てられない。時々奥様が通販で買ったのであろうと思われる高枝切り鋏を使い、チョンチョンやっている。声をかけたら「切らないと電線に届いちゃうから」と、徒長枝だけを切っています。専門知識など関係のない、丁寧な暮らしの積み重ねで仕上がった樹形で、故に下枝も揃ったダルマ型に満遍なく小枝が揃い、全体的に咲いている。



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 このお宅には他にも、ナニワイバラ、セイヨウニンジンボク、コニファー、数本の雑木の類が植っていて、玄関先には手作り風のプランターに季節の花がアレンジしてあります。どれもこれも幸福感が伝わってくる元気さと姿の良さで、これまたやはりプロにはできない、その奥様ならではの世界観。ぼくがいつも立ち止まって眺めるせいでしょうか、顔見知りとなりまして、しかし会話するほどではなく笑顔と笑顔で軽く頭を下げ合うだけの関係性ながら、朝に晩に、そのお宅の庭へを目を向けつつ「いい人生を歩んでこられたんだろうなあ。こなふうにう暮らさなきゃなあ」と思うのであります。



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 昭和は遠くなりにけり。しかし昭和人は、そろそろ人生の仕上げをする季節。終わりよければすべてよし。花咲く人生であったと振り返ることができるのは、今日の庭に花咲かせる、丁寧な暮らしを送っている人限定なのかもしれません。越し方にお風景込みで花咲かす、老いるとは、なんと豊かであることか。ご同輩、庭ですよ庭。素晴らしき人生は百花繚乱、四季折々に花咲かす暮らしぶりなり。




あ、今日は誕生日だ。
え〜っと、63歳、かな?
するってえと、今日の出囃子はこれですな。




ちなみに、ミモザアカシアの花言葉は
「優雅」「友情」「秘密の恋」。
豊かだなあ〜。



 

司祭ヴァレンティヌスの殉教

 古代ローマの後半期、帝政時代と呼ばれる内戦に明け暮れていた頃に、皇帝は兵士に里心がついて士気が下がる事を懸念し、恋愛禁止令を発布、若い兵士の結婚を禁じました。当時のローマはミトラス教という宗教が主流でキリスト教は異端の徒。異端でありながら、そこがクリスチャンの特色でありまして、しぶとい。江戸時代の隠れキリシタンがそうであったように、弾圧を受けても挫ける事なく信仰を続けます。ローマの隠れキリシタンたちを牽引していた司祭がヴァレンティヌス。彼は皇帝に抗いまして、信者には「大いに恋をせよ。恋愛し、結婚し、幸福な家庭を築きなさい」と説き、司祭として兵士の結婚式を執り行います。皇帝から度々警告を受けてもその信念を曲げることがなかったために、ついに死刑を言い渡されてしまいます。2月15日、豊穣祭の前日に処刑が行われ、信徒は泣き、司祭ヴァレンティヌスは聖人ヴァレンタインとなりましたとさ。



店で設計に没頭していたら、
突然 My Girl たちがチョコレートを届けに来てくれました。
昨日みんなで手作りしたそうな。
なんでも全部味が違うんだって。
ありがとね。


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 クリスチャンたちは、処刑が行われた2月14日を聖ヴァレンタイン殉教の日とし、婚姻生活の守護神である女神ルノーの祝日と定め、そのお祝いの意味には「男女が出会う日」というニュアンスが含まれていたとのこと。歴史上にあったそのささやかな逸話を、「女子が男子にチョコレートを贈って告白をする日」としたのは日本人。諸説ありますが、どうやら大田区大森のお菓子メーカー株式会社メリーチョコレートカムパニー、ご存じメリーチョコレートだそうです。諸説あるとは、他に神戸のモロゾフ製菓、森永製菓、ソニープラザなど、うちがバレンタインデーを広めたのであるとするお菓子屋さん多数だそうで、いずれにしても発端は、商売上の、売らんがために捻り出した苦し紛れのアイデアだったのです。



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 商売とはこういうことで、知恵を絞って、消費者に新たな幸福感を提案提供してゆくこと。素晴らしい。日本のお菓子メーカー各社は、競い合いながら新たな市場のフィールドを開拓し、結果、実に心和む風習を生み出してくれました。これはお菓子屋さんの理念に、ストレートに『幸福感の提供』があるからで、世の中にはなかなかそういう業種は少ない。お菓子屋と結婚式場とディズニーランドとグレースランドくらいじゃなかろうかと。弁護士をされているお客様から「イワフチさんはいい仕事をしていますね。グレースランドには幸せな人しかやって来ない。弁護士事務所に来るのは、不幸に喘いでいる人ばっかりですよ」と。はっとしたものです。そう言われればそうだなあと。心してかからねばと。



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 ちなみに、当たり前ですが、欧米にはチョコレートを贈る風習はなく、女子から男子へでもなく、大切な人へ想いを伝える日とされているそうです。フランス人は、恋人たちや夫婦が一緒に過ごす特別な日。アメリカは家族に加え、クラスメイト、先生、知り合いやペットに感謝を込めてプレゼントをする。フィンランドでは友達と友好を深める機会とされているとのこと。クリスマスと同様に、本日2月14日は世界に愛が満ちる日なんですね。こうして、そこに参加できることをありがたく思います。


ヴァレンタインデーと言えばこれ。
古典的な歌唱様式、レチタティーボを使っています。
レチタティーボとはオペラの
「歌っているような、話しているような」叙述的独唱を、
曲の冒頭に、前口上として持ってくる手法。
今はヴァース( Verse )と言うようです。
スターダスト、
ビートルズのThere and Everywhere、
ピンクレディーのウォンテッドも。

私の胸の鍵を 壊して逃げて行った
あいつはどこにいるのか
盗んだ心返せ
Wanted Wanted

本編へのワクワク感を高める前口上、
プレゼンテーションの度に結構考えるんですよ。
お客様を、
幸せに満ちた庭世界へとお連れしたい一心で。





Verse
ご覧なさい あの美しい鳥の姿を
誇らしげに美を競い合う姿を
あなたは自分の姿を見たことがないのね
バカな人

虚ろな顔つきが 乱れた髪が
あなたの良さを隠してしまう
あなたは気高く真っ直ぐで 誠実で 真実味にあふれ
そして ちょっと間抜けなやつ



CHorus
あなたは私の恋人
素敵で楽しいヴァレンタイン
私を心から笑わせてくれる
おかしな顔つきで写真向きじゃないけど
でも 私にとってはお気に入りの芸術品なの

姿はギリシャ彫刻より劣る
口元も弱々しいし
話し方だってスマートじゃない
でも 髪の毛一本だって変えないで
私のことが好きならそのままでいて
愛しのヴァレンタイン 変わらないで
毎日がヴァレンタイン・ディなの



 

閉じ蓋ではなく綴じ蓋

 ようやく、ついに、やっとこさ、コロナ騒動が終わるようですね。なんか変な言い方ですけど、離婚調停で揉めに揉めて双方ぼろぼろ、とうとう裁判にもつれ込んだ夫婦に、「はい、もういいでしょう。性格の不一致ということで」と、裁判長は通常業務で判定を下す、みたいな。エンディングはもっと華やかに、花火を打ち上げて、希望と歓喜に溢れたものとなると思ったのに、とほほの穂、現実は勝者無き終戦。それぞれが悔いと共に、次なる暮らしへの不安を背負って歩み出す。離婚ってそうですよねえ。他に方法はなかったわけで、なかったけど、どうにかならなかったのかなあって。ことにお子さんがいる場合、親の不出来が幼な子の無垢な心に傷をつけてしまう悲しさたるや。今時古い考えと知りつつも、子どもを授かった夫婦に絶対的に必要な任務は、家庭を円満に維持することなのです。後を絶たない酷い犯罪の遠因に幼少期の家庭不和があることは、あまり語られないことながら、周知のことですよね。



最強寒波襲来なれど、梅は嬉々として開花し春告げる。
平安時代、花見とは桜ではなく、梅を見上げることだったそうな。


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 おっといけねえ、話がコロナ終焉からスリップ。スリップついでに11年前へワープします。福島原発の爆発事故が連日報じられている最中に、正直な学者さんが「人間の技術では、壊れた原発から発生する放射能を抑えることなどできません。雨と地下水が海に運び、膨大な海水で無害のレベルまで希釈されるのを待つしかできないのです」と発言し、大パッシングを受けました。
 話をコロナに戻すと、騒動が始まってすぐに宮台真司が「我々はふるいにかけられます。すでに弱っている人、家族、お店や企業は潰されてしまう。それは仕方のないことで、それを凌いで生き残った人、家族、お店、企業がコロナ後の社会を構成するのです」と、宮台さんですからもっと強烈に、口汚く言いました。相手が相手なので、その言葉のプロレス技に反応する者はおらず、炎上することなく忘れ去られてゆきいました。このふたりの学者さんの言は身も蓋も無い、それを言っちゃあお終いよ、ってやつですよね。



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 それを言っちゃあおしまいながら、お二方の言い分は専門家として真っ当にして正解です。当時そう思ったし、現にそうなっちゃってますしね。コロナ終結までは3年かかります(山中伸弥教授)、マスクは科学的には効果ゼロ(多数の専門家)、飲食店を悪者にするのはおかしい(国立感染症研究所感染免疫学センターの専門チーム)など、早々に真実を語る人はいるんですから、ぼくらはそれを見極めながら、身も蓋も無い言葉の中に、破れ鍋に綴じ蓋で踏ん張るしかない。
 破れ鍋に綴じ蓋、『割れ鍋』ではなく『破れ鍋』。これは割れて使えなくなった鍋ではなく、ひびが入った不出来な鍋のこと。『閉じ蓋』ではなく『綴じ蓋』は、修理をして何とかかんとか使い続けている蓋のこと。少々出来が悪い夫には、いくらか出来が悪い女房がお似合いであろう。似通ったふたりが夫婦となって、互いに庇い合い、工夫し合いながらおいしいご飯を作り続けてゆく、故に破れ鍋に綴じ蓋なのであ〜る。い〜い言葉ですよねえ。傍目に完璧な夫婦の、なんと脆いことか。



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 さ、ぼろぼろの破れ鍋は、今日も円満家庭の綴じ蓋となる庭を、設計設計また設計。気象の専門家によれば、今週は今季最大の寒波がやってきて最低気温が底を打つとのこと。つまりは来週からは、春に向かってまっしぐらということ。庇い合って、工夫し合って、寒さを凌いで、花いっぱいの春に備えましょう。


淡々と幸せを刻み続けた高橋幸宏。
ドラマーは常にサブでありながら、
チームを支える屋台骨。
細野さんもコメントしていた通り、
目立たないが、実は彼が主役だったのです。
サディスティックスでも、YMOでも、
素晴らしき綴じ蓋だった幸宏さんに感謝の大拍手。
大変だったらしいですよ、調整役が。
坂本龍一と細野晴臣、
どちらも妥協を許さぬ天才ですから、
揉め事は日常的に。
すると坂本と細野は直接ぶつからずに、
高橋幸宏に文句を言う日々だったそうな。
ありがとう、幸宏さん。
そして美しき奥様、お疲れ様でした。
ありがとうございました。









 
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