庭をつくる人

幻想というニッチ

空を見上げることが癖になっている。
母川回帰する魚が水の匂いで生まれ故郷の川を察知するように、渡り鳥が地球の磁場によって方向感覚を得ているように、空がどんな色で、雲の様子がどうなっていて、太陽がどこにあるのか、それを把握していないと落ち着けないような、不安に似た気持ちになるのだ。



DSC00208



息子たちがまだ幼かった頃は、空模様を気にしたことなどなかった。その頃の、空がどうであろうと自分に何の関係もないと思っていた自分が、一体何を考えて、何に重きを置いて生きていたのだろうと不思議な気持ちがする。同時に、空が気にならなかったぼくは、とても下手くそだったことを思い出す。仕事も、子育ても、いろんなことがだ。だからいろんなことが下手くそで、遠回りや、迷い道に入り込んでいる人を見ると、ついお節介に「見上げてごらん」と言いたくなるのだが、そういうお節介がお節介に終わることを知った今では、あまり言わないようになった。
その代わりと言っては何だが、庭については、空と同じ意味でその手の話を繰り返している。下手くそに陥って混迷している人には「見上げてごらん」よりも、庭のあれこれの方がよく伝わり、実生活に即効性のある実効性が顕著だから。例えばカーテンを開けられるようにしない限り、庭は暮らしの役に立つ場所にはならないということを。



DSC03982



待てよ、そうだ、いろんなことが下手くそだった頃よりも以前には、そうだ、そうだった、ぼくは空ばかり見ていた。校庭の真ん中や帰りの土手道で、あまり長いこと見上げていたのでクラクラして、よく後ろに倒れそうになったものだ。小学生の時分は教室とは窓のある部屋のことだったし、授業とは雲を見て空想にふける時間だった。まああの頃もいろんなことが下手くそだったけど、勉強とか、・・・勉強とか、勉強とか。それによって辛くなったり、危機を感じたり、嫌な思いをしたことはなかった。ぼくは幸運なことに周囲から、同級生からも大人たちからも、ぼーっと空を見ている子供というファンタジックな居場所を与えられていたのだと思う。銀河祭りの夜、草の丘に降りてきた汽車に乗り込んだジョバンニのポケットに、いつの間にか、どこまでも行ける優待切符が入っていたのと同じように。



DSC01681



小さい頃は空を見ていた。大きくなって空を見なくなり、もっと大きくなってまた空を見て、空を見なかった時期は苦労が絶えなかったことを思い返している。おやおや、これは何年か前にアマテラスが授けてくれたあの詩と同じじゃないか。


足跡   メアリー・スティーブンソン

ある夜 私は夢を見た
夢の中で 私は神様と一緒に浜辺を歩いていた
空には私の人生の様々な場面が フラッシュのように映し出される
そのそれぞれの場面で 私はふたり分の足跡が浜辺についているのを見た
ひとつは私のもの そしてもうひとつは神様のものだった
私の人生の最後の場面が映し出されたとき それまでの人生の足跡を振り返ってみた
驚いたことに 何度も足跡がひとり分しかない時があることに気がついた
そしてそれは 暗くて悲しい時期ばかりだったのだ

私は神様にたずねた

神様、あなたはおっしゃいました。一度私があなたについてゆくと決めたなら、あなたはずっと一緒に歩いてくださると。しかし私が最も辛い時期に、浜辺にはひとり分の足跡しかありませんでした。なぜ私が心からあなたを必要としている時に私からお離れになっていたのですか。

神は答えた

愛しいわが子よ、私はお前が最も苦しい試練の最中でも、決してそばを離れることはなかったのだよ。ひとり分の足跡しかなかった時期には、私がお前を抱き上げて歩いていたのだ。




DSC08449



ぼくは今日も空を見る。アマテラスは何処におわすかと。
そういえば高校の離任式で、美術教師がとても重大なことを言っていたのを思い出した。今になって、その言葉の本当の重大さに気がついたのだが。

私は今日でこの学校を離れます。あなたたちの多くは、卒業をしたらこの町を離れて都会へと行くことでしょう。東京のビルの谷間を歩いている時でも、いつまでも夕焼けに気づく人でいてくださいね。





今日は金沢文庫店にいます。





フィクサー

庭の打ち合わせは奥様と進めることが多い。それはぼくがそのように要望しているわけではなくて、先方の都合や考え方によるものだ。多くのご主人は、家のことは奥様にという姿勢をとる。何度かの試練を乗り越えてたどり着いたのであろうそのスタンスに、ぼくも賛同する。正確に言うと賛同せざるを得ない。だいたい夫婦は意見が分かれるし、たいがいの女性は男に問題提起しておいて、男がどう答えようともその逆を主張するという傾向が見られる。そこには論理もへったくれもなく否定があるだけなので、男としては何も言わないのが得策だということに思い至るのだ。奥様は魔女である。男を黙らせ、つまりは無言の同意以外の選択肢を消し去り、意のままに暮らしを組み立てる魔法を使う。



この時期、早朝の日限山公園は
空気も光もほんわか心地よく、
まるで天使が住み着いたかと思えるほどです。
もう寒くありません。
寒くないことがこれほどうれしく感じるのも、
冬に凍えながら歩いたことの効用。
寒・暖、苦・楽、喜・怒・哀・楽、振れ幅を大きくすると
感動体質になります。

DSC03778

 

「奥様」、実に素敵な呼び名だ。一部の女権拡張論者からは「良妻賢母」と共に差別的蔑称であると詰め寄られそうだが、 ぼくはそうは思わない。そんなことはない、どころか、奥様、奥方、家内からはその家庭を牛耳るフィクサーであるという響きを感じるので、まったく逆の意味を持っているのだと思っている。






DSC02441 2



打ち合わせの際に、ぼくの話はとても論理的なので奥様方にはあまりウケがよろしくない。女性は論理よりも感覚に働きかけてくる相手に食いつくのだ。主に「美味しい・楽しい・美しい」事柄に。だから大概は早々に庭の話を切り上げて、日常のあれこれへと話題が移ってゆくこととなる。



DSC02409 2



そこで聞く奥様方の暮らしにまつわる知恵に、ぼくはとても大きい影響と恩恵を受けている。ゴボウの皮はむかずに食べる、揚げ物は引き上げる際にしばらく鍋の縁にくっつける、シイタケは旬の時期に大量に買って庭で干す、食器洗い洗剤は薄めておく、歯磨きは時々左手で行うなど、どれも正当性とお得感がある情報で、他にもたくさんあり、本一冊にはなる量だ。



DSC02562 2



そんな奥様の知恵袋の中で、最も凄さを感じたのが次の言葉だった。

男はねえ、ほめて甘えれば何でもしてくれるのよ。

まさにフィクサー、見事かつチャーミングな論である。本当にそうだと、地球上の全男性がうなずくことだろう。



DSC02557



だが残念なことに、ぼくはこの論からはゴボウの皮をむかずに使うことほどの、実際的な恩恵を得られていない。うちの奥様はこのことを知らないのか、あるいは信仰上の厳しい制約があるのか理由は定かではないのだが、ほめも甘えもしないからだ。だからやむなく日に何度も自分で自分をほめ、時々自分にご褒美を与えながら暮らしているわけだが、その様子は、傍目には、孤独なはぐれオスのように見えるかもしれないと思うことがある。



DSC02478



どなたか家内に、このとびきりのお得情報をお知らせしてくださらないだろうか。ほめると口が曲がると恐怖し、「甘える」と「甘ったれる」を見事に取り違えているあの人に。
とても救われるのは、このように嘆いているのがぼくだけではないということだ。もしかしたら多数派かもしれない。一体全体どうしたことだろうと思うのだが、スーパーの特売日やカードのポイントに目の色を変えるのに、なぜ主人、亭主、旦那と呼ばれる恋の奴隷をもっとお得に使わないのか。せっかく庭付きの家を手に入れた人の多くが、その庭に愚痴の種を撒くこと以外の利用法を思いつかないことに似て。



DSC02482



ついでに人類史的見地からの補足を記しておくことにする。哺乳類霊長目ヒト科ホモ属のメスが、オスに対してほめて甘える行動は、進化において猛獣が牙を備えたように、花が昆虫によって受粉するように、鳥が翼を得たように、ヒトが言葉を使い出すずっと以前から身につけていた偉大な能力だ。オスはメスからのご褒美と引き換えに命がけで獣を狩り、散々歩き回って果実や食べられる草を持って帰った。近年では早朝から終電まで働きづめに働いて、ストレスによって命を削りながら家庭に暮らしの糧をもたらしている。人類は200万年以上も前からこの「メス主導型ご褒美支配システム」によって勢力を拡大し、豊かな社会を築いてきた。つまり逆に言うと、メスのほめ下手甘え下手は幸福に生存する能力の衰弱、牙が抜けた猛獣、咲かずに落ちる花、翼の折れたエンジェルということになる。
今は飛べないエンジェルたちよ、ほめたって口は曲がらないし、甘えて損をすることなどひとつもない。これ以上のお得情報はございませんぞ。


おーい、例のガーデンデザイナーが面白いこと書いてるから読んでみなよ。

ええ、なに、今いそがしいんだけど。

まあまあそう言わないでさあ、読んでみなよ。お得情報だって。

奥様は寝転がっていたソファーから起き上がり、口のまわりについたポテチの塩をぬぐってからしばしパソコンに見入った。

なにこれ、すっごい嫌味。だいたいこの人ってそうなのよね、説教くさい嫌味たらたらの屁理屈で、結局は奥さんへの愚痴でしょ。
で、なんでこれを読ませたかったわけ。私の翼が折れてるって意味なの?


あ、いやあそういうことじゃあ・・・

ねえねえそれよりさあ、こんなくっだらないの読んでないで、庭をきれいにしてくれないかなあ。

えええ、ジェジェジェ、えええ、ジェジェジェ、草抜けってこと。

それが済んだら何でもいいからグリーンファームで花買ってきて植えといて欲しいんだけど。土曜日に友達がくるから。みんな言ってるわよ、おたくのご主人は家のことやってくれるからいいわよねえって。ゆかりんちなんかね、何にもしないんだって。信じられる?ゴミ出しも洗い物もお風呂掃除もシーツの取り替えも何にもよ。あんまりいつもうちをうらやましがるからね、言ってやったのよ、男はよく見て選ばなきゃねって。

あああ、ジェジェジェ、あああ、ジェジェジェ。

なにジェジェジェって。あなたはいつもそうやってちょっとズレてんのよね。でもそこが可愛いから許してあげる。あなたは良かったわね、私と結婚できて。ほんと、私たちはいい夫婦だと思うわ。あなたがいろいろやってくれるから、私は幸せ者。あ・り・が・と。

あ、あ、あの・・・あのね・・・

なに、なんか文句あんの?

あ、いや、前から言おう言おうと思って言えなかったんだけど・・・

ええ、・・・なによ。

あのね、ありがとう、ぼくと結婚してくれて。

もうやっだ〜、いいのよそんなことお〜。私は男を見る目があったってことよ。じゃあお願いね、ご主人様。


かくして、庭は見事に美しく整ったのでありました、とさ。めでたしめでたし。





今日は港南台店にいます。




 

ゲシュタルトの庭

ゲシュタルトの庭に二匹の犬がいます。一匹はほとんど吠えることがなく、いつも穏やかな表情で大好きな飼い主からの指示を待っています。もう一匹は臆病で警戒心が強く、知らない人や物音に吠え、常にいくらかの興奮状態にあります。



親ばかちゃんりん蕎麦屋の風鈴。
可愛くて可愛くて、
ああ可愛くいて可愛くて、
どう考えてもうちの子たちは
犬を超越した天使の領域にいます。

DSC07647



ゲシュタルトとは概念が統一されたひとつの世界。おおらかで上機嫌な犬はトップドッグ(勝ち犬)で、臆病で不機嫌な犬がアンダードッグ(負け犬)です。この資質の違う二匹が折り合いをつけながら平和を保っている庭が、バランスのとれた人格であるというのがゲシュタルト心理学の基本原理です。



DSC04520



ぼくの中にも白いわふち(トップドッグ )と黒いわふち(アンダードッグ)がいて、その時々で優勢な方がぼくの思考を支配しているのですが、この心理学に則れば、二匹双方を俯瞰しながら庭全体を眺めるのが好ましい状態ということになります。



DSC00923



考えたらその通りなんですよね。天使の自分と悪魔の自分、ポジとネガ、積極と消極、緊張と弛緩、愛妻家と恐妻家、アクセルとブレーキ。そう、アクセルとブレーキ。両方を使いこなさないと事故りますからね。
犬を見ずに庭を見よ。そこが美しく整っていたら、二匹の犬はじゃれ合いながら、楽しく平和に暮らしていけます。



DSC07400



ちなみにゴリラはこのゲシュタルトの保持が得意で、見た目から想像される腕力による支配構造ではなく、感情や欲望の表出と抑制のバランス感覚が優れていること、つまり人格者であることがリーダーの資質となっています。それを逸脱したアルファオス(ボスゴリラ)には即座に孤独が用意されている、というところが自然の厳しさであるわけです。ぼくら不自然な猿社会では、その掟の緩さが多くの問題と悲劇を生んでいます。



DSC08613



ああ、それにしてもですねえ、アッキーを差し出せとギャンギャン吠えまくるアンダードッグの群れは、なんだ品がありませんなあ。あれじゃあまるで古代ヨーロッパの魔女裁判ですよ。しょうがないじゃないですかねえ天然なんだから。ああいうチャームな女性は超党派でトキみたいに保護してあげなきゃ。だいたいやねえ、ヤツらはB型女房を持ったオスの苦労と悲哀が何もわかっとらんのや。いっぺんやってみいっちゅうねん、どんだけ大変か。おっといけねえ、黒いわふちが優勢になってしまいました。





今日から4日間、港南台店にいる予定いです。お近くにお越しの際はぜひ遊びにいらしてください。でも差し入れとかはお気遣いなく。実はいろいろと怖い物がありまして、特に甘いものが怖くて怖くて。ブルージュの丘のケーキとか、日陰茶屋の和菓子とか、身の毛がよだつほど怖いので。あとフルーツ各種とアルコール類も。





 

お伽草子






2月7日の記事の訂正です。蝶はモノクロームの世界で黄色だけが浮き立って見えていると書きましたが誤りでした(もっと以前にも何度か書きました。それは45年前の理科の時間にそのように習ったからなのですが・・・)。蝶はぼくらよりも多くの色を識別しているのだそうです。
人が三原色をベースにした色世界を見ているのに対して、蝶は人には見えない紫外色を含めた四原色の世界にいるとのこの。蝶だけでなく他の哺乳類の多くも四原色感知で、どうやらそれが生物のスタンダードであり、ヒトは元々はそうであったのが、夜間に行動しなくなったために紫外色感知能力が退化したと考えられています。



いま腰掛けているあなたのどちら側の
どの角度に太陽はあるでしょうか。
あらゆる色はその光源によってもたらされています。
それだけでなく色以外のあらゆることも
天の川銀河に浮かぶ灼熱の恒星によって。
お天道様、大日如来、天照大神、
あなたのどとら側のどの角度に
そのお姿は輝いているでしょう。
それを正確に感じ取る方法の一つは
庭の木が芝生に落としている影を見ることです。
太陽の動きと同期して暮らすために、
まずはカーテンを開けてください。


DSC06658



驚きでしょ、地球の覇者である我々ホモ・サピエンス(賢い人類)を自称する猿が蝶よりも劣っているとは。
え、なに、驚かない。実はぼくも驚いてはいません。なにせ視力は鳥より低いし、臭覚は犬に及びもつかないし、触覚(柔らかく触れる技術)はゴリラ以下だと言われているし、心の問題によって愚かにも同族殺戮を繰り返しているという体たらく、賢い人類は劣っていることだらけなのですから。
ぼくらはせいぜい他の生き物よりも発達したたったひとつの事柄を駆使して、できるだけ近隣の種族に迷惑をかけないようにしながら、蝶や鳥や他のお猿さん並の幸せを実現してゆきたいものです。



DSC02534



まだティラノサウルスが地上の覇者だった頃、種の絶滅速度は年に0.001程度であったと推測されています。それが人類の活動によって増えてゆき、1600年〜1900年では年間0.25となりました。その後は激増し、つまり産業革命、交通の発達、戦争、人口増加、森林伐採等々の影響によって、1975年以降は毎年40000種が消滅しているとのことです。にわかには信じられないこの数値は環境省発表なので、まるっきりのでたらめではないと思われます。
いやはやまったくもって、どうしましょうか。これがお伽話なら人類の運命は決定ですよね。ぼくもあなたも展開の予想がつくわけです。多くの学者は「あきらめなさい」という、まあ冷静にして真っ当な見解を表明していますが、はてさていかなる事態が待っていることやら。



DSC03057



まあまあ落ち込んでいても仕方ないので、まずは愛する家族と美味しい食事をして、そして庭に出て草花の手入れなどをしながら、学者とは別次元の庶民レベルでの希望の道を探そうではありませんか。歴史はとかく、突出した働きをする者の所業を抜き書きして描かれますが、本当はそこにいた大多数の庶民の営みが動かしてきたわけですし、専門家がどう言おうと、それはたかが専門家の言うことです。専門バカと申しまして、彼らは案外視野が狭く思考が偏っていますので(庭専門家のぼくが言うことも含めて)。
環境問題における運命のシナリオは 、環境の専門家や政治家ではなく神の領分の事。あえて書くとすれば、ぼくらひとりひとりが日々自筆で、自分の領分での打開策を書くしかありません。



DSC09747



おそらくぼくらが生きている間には大したことは起こらないと推測されます。せいぜい少々の異常気象くらいで、それによって食糧不足や感染病やそこそこの戦争が起こる可能性はありますが、それでもまだ人類絶滅には至らないでしょう。
ただしそうであっても、大真面目に、ぼくたち現在生息している人間全員がいなくなった後のことを考える時ではあります。この問題はその時が来てからでは為す術なしですから、未来人の先祖であるぼくらの責任において、ジタバタの試行錯誤くらいは始めないといけません。では何を、と問われれば答えに窮しますが、とにかく何かを始めなければ。
他の生物からしたらこれまで以上に大きな戦争をおっぱじめて、傍若無人に振る舞って来た猿が絶滅寸前まで個体数を減らせばいいと思うことでしょう。あるいは一匹残らずと。それが神(地球)が本棚に並べているお伽草子の筋書きじゃないことを祈っています。その祈りがあまりに儚いものであるにしても、今のところは、祈り続けて奇跡を待つしかないよに思えるので。



DSC01882



ちなみにパソコン上のお伽草子を紐解くと、ルーシーたち猿人の生息期間は100万年だったそうです。その後の原人は200万年、旧人類は20万年、ぼくら新人類は旧人類とダブりながら現在までで20万年で、ネアンデルタール人が滅んで唯一の人類となってからはまだたった3万年です。そしてこれがあと1万年続くと予測する学者は皆無に等しい、というのが現状です。中には人類絶滅までせいぜい数百年ではないかという予測もありますが、そんな絶望的観測などはSF映画の中のお楽しみにしておいた方がいいように思います。苦難の時にはうつむかずに、太陽を見上げて、あくまでも希望に向かって物事を考えなければなりませんから。



DSC00919



改めて、絶滅危惧種の皆様にお聞きします。いま腰掛けているあなたのどちら側の、どの角度に太陽はあるでしょうか。





今日は港南台店にいます。



 

落陽

1960年に生まれたぼくは、とりあえず身の回りには戦争も飢餓もなく、自然豊かな地で好景気の内に育てられ、存分に恋をした。自由奔放に夢を追い、言いたいことを言い、やりたいことをやり、かろうじてだが社会からはみ出ることなく、生きたいように生きてこられた。これは親世代からしたら贅沢の極みだ。さらに言えば、人類発祥から現在に至るまでの間で、おそらく最もラッキーな境遇だったのだろうと思う。おまけにそんな夢のような日々には、切れ目なく、いつも素敵なBGMが流れていた。



港南台店

DSC08431

 

 音楽っていいな。聴くときは時間を輝かせ、後々には輝く記憶のインデックスだ。



金沢文庫店
 
DSC08772



十数年前から、ぼくは演奏をするように庭を思い描くようになった。ポールの東京ドーム公演に興奮したままの帰り道、湾岸線の磯子あたりで、明日からそのようにせよと啓示を受けたのだ。
この頃は、少くとも自分では、その音色に酔えるようになった気がしている。聴衆の感動が伝わってきて、小躍りしながらテンポが上がることもある。



まだまだ落葉せぬぞと落陽の時。

DSC08662

春の日に訪れし秋本番。

204651_125626280918167_879295113_o

大げさに過ぎるが、
そんな気分の朝なのだ。



いよい第四楽章が始まる。











今日は金沢文庫店にいます。






 

メビウスの帯

リチャード・バックの「かもめのジョナサン」、片岡義男の「8フィートの週末」と「ぼくはプレスリーが大好き」、ロバート・B・パーカー「初秋」、村上春樹「風の歌を聴け」、新田次郎「銀嶺の人」、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、幼児が何度も同じ絵本をせがむように、ぼくには繰り返し読む癖がある。本だけではない。音楽も、録画しておいた番組も繰り返す。
これは昭和時代の風習というか、良しとされていた行動形態から来ているのだろうと思われる。よく「〇〇のレコードを擦り切れるまで聴いた」と、ぼくも言ったし、みんなそのフレーズを自慢として使っていた。何かひとつをうがつ(ほじくる)ことがカッコいい行為だったのだ。
もうすぐ平成も終わろうとしている今、本も音楽も多様なものがたやすく入手できるようになったこともあり、 昭和的に繰り返すよりも一刻も早く消費して次へと向かうことがスタンダードになった。仕事でもなんでもスピード感を持って行う人が優秀とされるこのご時世に、今さら宮沢賢治を繰り返し読んでいる者などはぼく以外に見はるかす地平に存在せず、昭和のスタンダードはもはやおとぎ話に出てくる人か、変人の類いとなりにけりだ。



宇宙から見たら、
ぼくらとアリは大差がない生物だろうと思います。
愛情も、欲求も、勤勉な営みも。
オリンピック会場の建設を見るとつくづくそう思えるのです。
選手以外の者が分泌する欲望の粘液で練り上げられた、
バベルの蟻塚みたいだなあと。
アリとの差があるとすれば、種としての生存期間が
ぼくらの方が圧倒的に短いであろうという点。
今のところ、脳の大きさがとても不利に働いているような気がして。
このハンデを跳ね返す力がぼくらにはあるだろうかと、
多分ないんだろうなあと思いつつ、
とにかく今日もせっせと仕事に励みます。
ギリギリの局面でもキリギリスにはならぬようにと。


85039397



変人曰く「先をお急ぎの皆様、じっくりと繰り返した方がようござんすよ。消費とは字のごとく、費やし消えてゆくだけなので」。
だいいち、反復しないのは不自然なことだと思う。幼児はまだ自然界の野生動物的だから、興味の対象にしつこく喰いさがる執念深さを持っている。その自然児に毎日違う物語を読み聞かせたら、きっとバランスを欠いた人に育ってしまうだろうと予測する。それよりも、その子の瞳が輝いている限り「ぐりとぐら」を百回でも二百回でも繰り返してあげた方がいいように思う。幼児教育の専門家の見解はわからないが。



594a6774



ぼくは庭の専門家なので、庭に当てはめてみる。
季節はひたすらに繰り返す。おおよそ十万年周期でやってくる氷河期のこないだのが終わって地球の気候が安定した、一万年前からずっとだ。庭仕事はその繰り返しに従って繰り返される。田舎の年寄りが畑の草を鎌で引っ掻きながら「賽の河原だ。取っても取っても生えてくる」と、嘆きではなく、逆に少し楽しそうにつぶやいていたことが思い出される。そのお婆さんは何十年もそうやってきたので、腰がその形のままになっていて、顔には何十年も笑っていたので、シワがそのままになっている。
やはりそう、反復に価値があるのだと思う。幸せとは消費ではなくメビウスの帯の裏と表、現実と虚構をぐるぐる、ぐるぐる、歩き続けるアリンコだ。消費者ではなく生活者たれと、ぼくの記憶中枢の畑で草を引っ掻いているお婆さんの、腰とシワがそう語っている。



e4ae49f4



庭は次々場面がやってくる回り舞台だ。朝昼晩、春夏秋冬、十二支、子が大人になり、親になり、ジジババになり、不可逆的でありながら繰り返される歴史の悲喜劇は、過去から紡ぎ出した糸を使った反復織りの物語なのだ。宮本亜門演出だったり、鴻上尚史のシリアスコメディーだったり、わが家の場合はドリフのドタバタな寸劇が多いわけだが。



50872103



高速走行に慣れっこになっているかもしれないと思ったら、ちょいと昭和レベルまでスローダウンして、面白いと思った本を、映画を、音楽を、自分のあれこれや家庭の様々を、消費せずに、何度も何度も繰り返すことを良しとしてみてはいかがかと。庭仕事みたいにぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。メビウスの帯から足を滑らせ虚空へと消えるまでの間に、どれだけ愛し、泣き笑いし、感動したかが命の理由だと思うから。
というわけで明日より、ぼくは59周目に入ります。





今日は港南台店にいます。
 


 

夢の途中

夕食がすむと、おもむろにパソコンとグラスを持って庭へ行く。もう7年繰り返していることなので、食事や入浴と同じくすっかり普通の行動になっている。「庭の書斎」と名付けている机に向かい、パソコンを立ち上げ、YouTubeでBGMを決め、翌朝にアップするブログを書き込み何枚かの写真を貼り付け、次にFacebookをチェックする。ここまでが夜の庭の一時限目。キッチンに戻って、空になったグラスに夏ならビールを、他の季節はそれぞれにふさわしいアルコールを注いで再び庭へ。さあ、お楽しみの始まりだ。BGMを歌のないものに切り替えてから本を開く。
30分か、長くても1時間ほどでメラトニンが効き始めて現世から意識が遠のいて行く。心地よく目を閉じる。そのまま頭の重さで首の後ろが痛くなって覚醒するまでの夢見心地、実のところ、本を読むこと以上に、このうつらうつらする時間が楽しみなのだ。



植物は雨が好きです。
ぼくも好きです。
春はことさらに。
ひと雨ごとに雪の嵩が減り、菜の花、つくし、ふきのとう、
こぶし咲くあの丘、北国の春はもう間近。
「春の雨はやさしはずなのに」と歌った小椋佳は、春以上に春の人。
そう思う凡人のぼくは、凡庸に春に照準を合わせて、
せっかくのこの奇跡のような季節を
希望という概念に重ね合わせたいタイプなのです。
春来りなば、不可能に、希望を宿すは春めくやさしさなり。

DSC02116 2



ひとつ不思議に思っていることがある。そのレム睡眠時に脳内で繰り広げられる浅い夢に、悪夢の類いはこれまで一度もなかったということだ。よく臨死体験者がお花畑にいたと証言するのに似ているかもしれないな、と思ったりもする。あらゆるケースの臨終がそういうものであるなら、神様はなかなか素敵なお方だと思う。



DSC02090 2



あの日から7年が経った。あなたのこの7年間はどんなものだっただろう。ぼくは、いいことなのかどうかわからないがぼーっとした性質なので、振り返ると、浅い夢を見ているようで、庭に出続けてきたこと以外、あの出来事に対して具体的にどうこうということがあまり思い出せないでいる。



DSC02135



たくさんの無念は安らかな場所に行き着けただろうか。その無念を引き受けて現世で奮闘した人たちは、悪夢から解放され穏やかな泣き笑いの日常を取り戻せているだろうか。7年の時間が功を奏していたら良いのだが。避難、除染、防潮堤、移住。きずな、負けない、忘れない、頑張れ。出来事と言葉が過去の方角に散らかっているように見える気もする。



DSC02132 2



「ぼくはぼくの持ち場で」と7年前に書いた通りに、あの月明かり夜の、再び会うまでの遠い約束を果たすべく庭に出ることを続ける。庭で見る夢にまだ一度も悪夢がやってこない不思議を探求するためにも、まだこの夢の途中に居続ける。
きずな、負けない、忘れない、頑張れ。庭にいると言葉は濁ることなく、ねじれることもなく、その言葉通りの意味で響くというこの不思議も、ぼくの持ち場における探求課題のひとつだ。





今日は金沢文庫店にいます。



 

アマデウスコード

アマデウスコードなる作曲アプリが開発中だそうな。それは過去数十年のヒット曲、聞き馴染みのあるジャズやクラシックの名曲などを解析してデータ化した AI にコード進行を入れ込むと、その上に売れるために理想的なメロディーラインが算出され奏でられるというものだ。
この手法は、かつてビージーズが行い大成功をおさめた。メロディーフェアのヒット以降ぱっとしない日々が続いて世の中から過去の人扱いされ始めた頃に、ギブ三兄弟は当時のヒットチャートの上位曲を徹底的に分析した。リズム、コード進行、歌詞、メロディーの癖などを抽出し、それらを組み合わせて「売れる曲」を作り出したのだ。それがあのジョン・トラボルタの映画で使われ、世界を席巻した一連のヒット曲だ。



ひとつ開けば次々開く。
開花の連鎖が始まりました。

DSC04092

ユキヤナギ



音楽を音楽業界の製品として捉えることを、ぼくは悪いとは思わない。歌は世に連れなので、もしも売るための音楽の質が低下したとすれば、それは世の中の質の低下だと考えるべきであろうと思っている。
1970年あたりから20年間ほど、ぼくはどっぷりと売るための音楽の海を泳いでいた。今思えば、人類の歴史上、自分の歴史上も、もっとも音楽が溢れていた時代だった気がする。テレビのゴールデンタイムにはヒットチャート番組がいくつもあったし、毎日レコード店にたむろして、小遣い生活の身分だったのでふんだんには買えなかったものの、店内に流れる音に首と片足の膝を揺らしながら、膨大な数のレコードジャケットと帯の文言のほとんどを把握していた。家では宝物だったKヤイリのギターとレコードとラジオと、出かける時にはラジカセを持って、学校にいる時間以外は切れ目なく音楽がある生活だった。



DSC02591

ハナモモ



ぼくが泳いだ音の海の成分はだいたい歌謡曲だ。シュノーケリングで背が立つあたりを潜ると、足元の砂地には水面に乱反射した光が揺らぐフォークソングがあった。まだ楽々と息は続いたので進んでいったら岩場が見えてくる。ロックだ。そこには砂地とは違うサイケデリックな魚と、甲殻類と、オクトパスの庭もあった。
その先は岩が深くまで落ち込んでいる濃い青色の闇。少々勇気がいったが、酸素を温存するためにゆっくりとフィンを動かしその闇へ進んだ。聞こえてきたのはぼくが生まれる前の地球を偏西風のように巡っていたジャズという音楽。すごい、と思ったところで息が苦しくなったので、急いで空の方向に上がっていった。



DSC02618

ミツマタ



水面に飛び出るのと同時にシュノーケルを吐き出して息を吸い込む。耳に水が入ってキーンとしていたので首を横にスイングしたら、ゴボッと鳴ってあっさりと水は出てくれた。見ると浜からはずいぶん離れている。大きめの波間を立ち泳ぎで息を整えながら、映画アマデウスの冒頭、衝撃波のように流れる K.183-1 が、全身に満ちてゆくのを感じた。あの風変わりな天才は、小さな映画館のスクリーンからぼくに飛び移ったのかもしれないと思った。それが一瞬の錯覚だったのは言うまでもないのだが、天才性というものは、そのような錯覚を起こされるところにあることは間違いない。拓郎も、ジョンも、マイルスも、バッハも、いい音楽はいつも天才成分を使ってぼくをいい気にさせてくれる。いい庭が、いつもそうであるように。



DSC03715

カワヅザクラ



アマデウスコードなる代物によって、多くの蕾が開花すること期待する。アイロニーではなく、庭と同様、暮らしが進化するほどに退化が止まらない音楽の世界に、津波のごとくに圧倒的な才能の降臨を待っているのだ。
日本の、こと家庭の庭に関しては黎明期であり、進化だけが待たれるのであるとも言えるのだが。









今日は港南台店にいます。



 

河原にて

あの頃のぼくらは会うたびに眠っていた。優等生の彼女は、深夜放送を聞きながら予習と復習を欠かさなかったし、ぼくはレコードを流しつつ四畳半の自室を改造した暗室で、ニコンF2で切り取った彼女の姿を現像しいては、できる限り丁寧に、リアルに、印画紙に焼き付ける作業に夢中だったから、二人とも常態的に睡眠不足だったのだ。ココアとウインナコーヒーがおいしい、いつもイーグルスかカーペンターズか、ママさんお気に入りのさだまさしが流れていた喫茶店でも、ぼくらは柔らかい椅子に沈んで居眠りばかりしていたし、学校帰りに2時間だけと決めて河原に行って(なぜそう決めていたかというとキリがないからだ。何度か日付が変わるまで一緒にいて、ぼくは平気だったけど、彼女は親に叱られた)、ここ横浜では見えたことがないのでその存在も忘れてしまいがちな、幻想的なミルキーウェイの下で、精いっぱい大人びながら彼女との将来のことなんかを語っていても、いつの間にか空から睡魔が降りてきて、互いに相手の肩に寄りかかったまま意識が遠のいていって、まさに夢見心地だった。町に一軒だけある映画館でアポロ・クリード vs ロッキー・バルボアを観戦している時でさえ、ぼくと彼女は交互に寝息を立て、肘でつついて、夢の世界からスクリーンの夢物語へと引きずり戻すことを繰り返した。



雪深い魚沼では
ウメはサクラとほぼ同時に咲きます。
雪どけの河原につくしがで始める、
卒業式が間近な頃に。

DSC01923 2



ジョンを撃った犯人、チャップマンだっけ、彼女と一緒にサリンジャーに読みふけっていたんだって。こないだ読んでたよね、あれ。

ああ、ライ麦ね。読んだけど、すごく読みづらくてさ、頭に入らないまま何とか最後までたどり着いた。たどり着いたらいつも雨降りだよ。

そう、ならいいけど。セイヤングでね、言ってた、あれは特別な本だから気をつけたほうがいいって。だから心配になっちゃって。いわふちってのめり込むから。

のめり込む・・・確かに。だけど彼女とふたりで、ある本に心酔するって素敵だな。どんな気分なんだろうか、その世界に酔って、酔ったまま人を撃ち殺す気分は。あんな事はひとりじゃないからできたのかもしれない。ひとりじゃないって素敵なことね。

もう、そういうのやめて。わたしは心配して・・・何をするかわからないところがあるから。

えええっ、オレがあ・・・、ってそれはないでしょ。だいいち、あの本はそんなには面白くなかったし。

いいの、ちょっと心配になっただけ。でもほんとにむちゃはしないでね、お願いだから。

ああ、うん、ごめん。わかったよ。

そう返事をしながら、ぼくはそれどころではなかった。殺人者が何を読んで、何に心酔し、何を思っていたのかよりも、もっと重大な課題が頭を占領していたのだ。

あのさあ、シャッターを押す瞬間に感じるんだけど、ちょっとだけ。あの、あのね。

なになに、変なこと言わないでよお願いだから。

別に変なことじゃないと思うんだけど、あのお、こないだあ、写してる時にすごく悲しい目をしていたのが気になってるんだけど。ほら、いつもピントを目に合わせているからすごく、ああ、すごくいつも目を見ているからさ、わかるんだよ変化が。

彼女は少し困ったふうだった。土手から河原に降りてゆくコンクリートの階段に並んで座っていたから、その時は彼女のソフィーと同種に分類される目は見えていなかったが、ぼくの左肩に触れている彼女の右肩が数回震えたのだ。

あのね、いわふち・・・くん、わたし、やっぱり東京へ行くことにした。池袋にある学校に行くって決めたの。いっぱいいっぱい考えてそう決めたから。

えっ・・・。

それまでに何度も、ぼくらは卒業後のことを話していた。いつも決まって彼女は東京へ行きたいと言い、ぼくはそれを打ち消したくて地元での夢を話した。山歩きをして、釣りをして、絵を描いて、働いて、そして彼女がしわくちゃになるまでの美しい変化をぼくが撮り続けるというようなことを。

姉貴も東京にいるし、確かにここはいい場所だと思うけど。大好きだよ自然とか、友達も。でもやっぱり東京に行きたい。行かなかったら後悔するって思うから。

何も言葉が出てこなかった、言葉だけじゃなく、もうぼくの夢語りでは彼女を引き止められないことがわかったら、何も考えることができない阿呆になったのだ。そしてぼくは途方に暮れて、焦点が定まっていない視線を水面に向けていた。
あいつが降りてきたのはその時だ。睡魔、眠気の大魔王が天の川からまっすぐにぼくの脳天に突き刺さって昏睡を起こさせた。



DSC01926



どれくらい経過しただろうか、彼女に揺り起こされて立ち上がり、ペアシート的に敷いていたタオルを叩いて畳んで鞄にしまってから、いつも通りに人影のない真っ暗な土手道を手をつないで、彼女の家の方角に歩いた。



DSC01944



何も話さない。彼女も。話すべきことがわからなかったし、何かを話すよりも、軽く握っている彼女の指が、その時の状況やこれからや、いろんなことをはるかに上回る貴重な感触に思えて、だから指先に意識を集中させていた。何度か、何かを伝えるように強く握ってきたので、ぼくも返した。その何かが何なのかはわからなかったが、言葉とか、意味とか、そういうのを超えた何かが、熱く痛く通い合ったことを感じた。



DSC01948 2



そんなふたりの儀式を終え、彼女が選択した別れの時に向かって歩きながら、ぼくはさっきの睡眠のことを考えていた。とてもいい気持ちだった。睡眠とは甘美な逃避だ、と思った。そう逃避、逃げることは案外悪くないなとも思ったことを記憶している。



DSC01935 2



それからの彼女とのことはあまり覚えていない。ぼくのことだから辛さとか悲しさとか寂しさとか、あったに違いないのだが思い出せないので、もしかしたらすぐに次の恋が始まったのかもしれない、が、それも思い出せない。いまだに鮮明に思い出されるのは、魚野川の水音の小夜曲にうとうととした、最悪の時の最高の睡眠のことだ。



DSC01942



あの出来事がぼくにひとつの習性を身につけさせた。きつい状況に入るとぼくは眠らない。眠れないのではなくわざと寝ないで、あの夜の、甘美なマジックを使う大魔王が降りてくるのを待つようになったのだ。
ああ、それともうひとつある。女性を撮る時には目ではなくまつ毛にピントを合わせるようになった。女性の目を深く見つめることはあまりいい展開を生まないというのは、その後の経験からも明らかなことであると結論づけている。
だがその結論は決して、見つめ合う恋を放棄したということではないのだが。決して。ことに世界がモノクロームからカラーへと変わる、雪どけの季節には。











今日は港南台店にいます。
 



 

正常性バイアス

正常性バイアスとは、自分が正常であることを自覚するために、自分と異なる思考や容姿や行動を異常と評価したり、突発的な事態に際して平静を失わないようにと、それを正常な日常の延長線上にある、大したことではない出来事だと判断する心理作用のことを言います。



植物は個性化によって種を存続してきました。
他とは違うということが生きる術だったわけです。
マンサクの花は、同時期に咲くウメに対抗して
こういう姿になったのかもしれません。
早春に「まず咲く」が東北弁になまって
「マンズサク」→「マンサク」になったそうで、
花言葉は「呪文」「魔力」「霊感」「閃き」。 
華やかにアピールするウメとは別の
神秘の領域に咲いています。


DSC02033 2



庭に関して言うと、例えば休日に家族でBBQをしたいと思っても現状としてご近所にやっている人がいない、あるいは少ない場合に、このバイアス作用によって、本当はやりたいのにやらない自分の立場が正常であることを証明するために、自宅でのBBQがいかに異常なことであるかという論理を構築し始めます。



DSC02040



これは自分と他者との比較に根ざした感情であり、主に集団から除け者にされないために、その集団の平均値、均質に自分をなじませようとする防衛機能なわけです。しかしそれは一致団結して自然の猛威や外敵と戦い命を繋いでいた、まだ直立間もない大昔に身についたことであろうと推測されます。もうそんな必要がない現在ですからあまり有効性がなく、偏見差別を生む可能性もあるし、個人や家族単位でいろいろな判断をする際の弊害になっています。



DSC03672



逆に、人と違う自分、常に常ならず変化し続ける自分、そういう視点や自覚を持っている人、周囲からバッカじゃないのと言われてもトライ&エラーを積み重ねながら、新境地を切り拓いて行くタイプの人の方が、比較すれば遥かに豊かに暮らしているのです。



DSC02044



ぼくらは他にも多くのバイアスに縛られながら暮らしています。言い換えれば、たくさんの「べきである」にがんじがらめになって。 その重く絡まっている鎖を断ち切って、大多数の庭が意気消沈している中で、まずは自分の庭を春爛漫の楽園に変身させてみてはいかがでしょうか。そういう突破者が増えていって、どこかの時点でそれこそが正常な庭の姿であるという逆転現象が起これば、きっと鎖に繋がれている人たちも、持ち前の正常性バイアスによって、こぞって庭を楽しむようになることでしょう。



DSC02037



ぼくはそうなると信じています。海外の庭事情と比較しても、日本の風土と日本人の特性を考えても、そうならないはずがないのです。だから、どうせそうなるんだから、持ち時間のこともありますから早く楽しんだ方がいいのではと思っているのですが。子どもはみるみる成長するし、自分はその分年老いて行くし、とにかく早いとこ楽しまなきゃ。
今ですよ、今。



DSC02266



突破者よ怖じけることなかれ。ご近所の先頭を切って、幸せいっぱいに咲いてみせるのだ。





今日は金沢文庫店にいます。ただし3時まで。夕方は美空ちゃんの初節句なもんですから、シェフに変身です。


なんでもペロペロ期に入りました。

27901689_935322213298242_1158104083_o-1

27950745_935322193298244_1193476131_o-1
 
本日のメニューは、離乳食ひな祭りバージョンで。
ミソちゃん、マンズ美しく咲くのだぞ。 







 

タイムトライアル

ついこないだ早咲きのウメを探して、カメラ持つかじかむ手を交互にポケットに突っ込んで温めながら歩いていたのに、気がつけばどこもかしこも満開です。季節よりも自分の歩速が遅れている気がして、つまり季節のめぐりを目まぐるしく感じて、といういつもの焦りを、さてどうしたものかと。



DSC02048



この心理現象に対するセオリーといたしましては、新しいことにチャレンジする、日に何度か自覚する(自分の内面を意識する)、足元の些細な草花を凝視するなど、つまりは童心に返ることなのだと結論付け実践してはいるものの、一昨年よりも昨年が、昨年よりも今年の春の足が高速に感じらるという軽い敗北感があるのです。



DSC02051



そのようなことを考えながらの出勤途中、コープ上郷店の脇のコブシが咲き始めているのを発見し、いよいよはてさてと。



DSC02049



とにかく後れをとってはいけないので、こうなったら平昌の選手たちの映像を思い起こしながらタイムトライアルにチャレンジする、というのが正しい気持ちの持ち方ではないかと思った次第です。



DSC02126



相変わらずたくさんの方をお待たせしています。季節の勢いに乗って、季節を追い抜く勢いで、鬼の形相でスピードアップしますので、どうか今しばらくのご辛抱を。



DSC02055



今日は全国的に春の嵐という予報(すでに早朝の庭は台風並みの風雨)。寒気が換気され、草木の歓喜が喚起されて、春本番の始まり始まり。



DSC01601 2


皆々様も、季節に置いてけぼりを食らわぬように、雨にも、風にも、大量の花粉にも負けませぬようにと心から。





今日は港南台店にいます。 




 
記事検索
月別アーカイブ
ギャラリー
  • Healing
  • Healing
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 家族の庭のつくり方 27
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • 家族の庭のつくり方 26
  • プリンシパル ⇄ プリンシプル
  • プリンシパル ⇄ プリンシプル
  • プリンシパル ⇄ プリンシプル
  • プリンシパル ⇄ プリンシプル
  • プリンシパル ⇄ プリンシプル
  • プリンシパル ⇄ プリンシプル
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 25
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 家族の庭のつくり方 24
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 風の丘 オープンガーデン
  • 4:6
  • 4:6
  • 4:6
  • 4:6
  • 4:6
  • 4:6
  • 4:6
  • ガーデンセラピー 150
  • ガーデンセラピー 150
  • ガーデンセラピー 150
  • ガーデンセラピー 150
  • ガーデンセラピー 150
  • ガーデンセラピー 150
  • ガーデンセラピー 150
  • 庭のことだま
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 家族の庭のつくり方 23
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 庭のことだま
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 家族の庭のつくり方 22
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • 庭のつれづれ
  • H!nt de Pinto 123
  • H!nt de Pinto 123
  • H!nt de Pinto 123
  • H!nt de Pinto 123
  • H!nt de Pinto 123
  • H!nt de Pinto 123
  • H!nt de Pinto 123
  • H!nt de Pinto 123
最新コメント
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ