2025 栄区オープンガーデン

 先日、後藤さんちを下見してきたら、今年はバラのタイミングがドンピシャのようです。いやあ楽しみ楽しみ。



OG2025-表紙



OG2025-小山台



OG2025-風の丘



OG2025-桂台



OG2025-上郷



 一部地域が今年で終了するとのこと。残念、という思いよりも感謝の気持ちでいっぱいです。
 ぼくとしては陰ながら応援するようなつもりで、観る側として参加させていただいていたのが、いつの頃からか応援されているのはぼくの方だと気づきました。庭を楽しみ、仲間が集い、花いっぱいの庭でたくさんの人を感動させるその暮らしぶりとマインドが、ぼくのガーデンデザインの指針となっているのです。





棒切れ  石ころ 道の終わり 切り株 何となく寂しい感覚
ガラスのかけら 命 太陽 夜  死  結び目 つり針


ペローバ樹  木の節目 カインガー樹 ランプ マチッタペレイラ
風の精が宿る木 崖崩れ 深い神秘 求めるか求めないか


ピューピュー風 坂の終わり 梁 空間 棟上げ ザアザア雨
3月の雨が集まって小川のせせらぎになること 疲労の終点


足 地面 道を切り開くように歩く 手にとまった小鳥 パチンコの石
空の鳥 地上の鳥  小川 泉 一切れのパン
井戸の底 道の終わり 「嫌い」の表情 何となく寂しい感覚


トゲ 釘 先端 点 ぽたぽた雫 数えること 語ること
魚 しぐさ つやつや輝く銀塊 朝の光 運ばれてくるレンガ


薪 日中 虫刺されの跡 ピンガの瓶 道端の破片
家の設計 ベッドに横たわる 故障中の車 泥 泥


一歩 橋 ヒキガエル アマガエル 残された森が朝日の中に

 
3月の水 夏の幕を下ろす雨
心の中に仕舞いこんでいる命の約束



新緑に山頭火を思う

 新緑の季節。
 種田山頭火は「分け入っても分け入っても青い山」と詠みました。行けども行けども鬱蒼とした植物が立ち塞がり、時に根っこや蔓に足を取られながら歩を進める山道を、彼は涅槃への道程と捉えたのでしょう。世の中に満ち満ちている命たちの力に圧倒されそうな、か弱く情けない自分を励ましたのです。こんなどうしようもない自分であっても、負けてなるものか、負けるわけにはいかないのだ、と。



春から初夏へ 雑草たちの瑞々しさたるや

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 一般的にこの句は、酔うほどに瑞々しい山の息吹でエナジーチャージをし、山頂を目指す、清々しい励ましの言葉と解釈されているようで、実際にぼくもそうでした。ところが山頭火の事情を知れば真逆なのです。生い立ちと忌まわしき過去の呪縛をどうにもできず、酒に溺れ、友もなく、誰に喜んでもらうことも、自分で自分を褒めることもできずに、こじき同然のみすぼらしい姿であてどなく彷徨っている自分。そんな虫ケラ同然の自分が、他にどうすることもできずにただただ息をしている。本当はもう死んでしまいたい、楽になりたいともがき苦しみながらも「それでも歩くしかないでしょ」と、そういう嘆きとも、踏ん張りともつかない叫び声、あるいは深いため息の描写だということがわかります。



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 で、それが何か?ええっとですね、何が言いたいのかというと、自然から受ける刺激を圧力に感じる時というのは、無自覚に、心が弱っている可能性があるということ。人はそこで立ち止まり、自然界のパワーを杖にして、森に満ちているフィトンチットによって癒されることで立ちあがろうとする。天命に従って光合成を行い自然界を下支えしている植物群は、そのようにして、人を励ます役割を果たしながら繁栄しています。ただしこれは、自称賢い人類お得意の上から目線で解釈すれば、ですが。どう考えても自分本位で手前勝手な我らホモ・サピエンス的な言い分でして、ぼくらは自然に寄与することなく、一方的に恩恵を受けている。昆虫と同等に、自然界からふんだんに配膳された恩恵を、ただ食い散らかすだけの進化系猿に成り下がっています。ですから、山頭火のように苦悩するのは当然のこと。いわゆるバチが当たったわけです。



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 いや、べつに山頭火を責めているのではありません。彼は自分ではどうすることもできない、ヒューマンチックな病を持った親によって傷つけられながら成長したのですから。責めるどころか、ズタボロになって這いつくばる彼の周囲に大自然があり、その揺り籠に身を沈めている時だけ自分を回復できたのでしょう。アイム・ジョン・メリック!と叫んだエレファントマンに似て、「分け入っても分け入っても青い山」と。いいんですよ、誰だって不条理に叩きのめされることはあるし、へとへとに疲れる時はあるし、それが続いて病むことだってあるし、遠慮なく自然に身を沈めて癒されましょう。ありがとう森よ、ありがとう道端の雑草よ。しょうがないですよ、(愚かさ込みで)人間だもの。



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 もしもぼくらが自然に恩返しできるとしたら、それは自然破壊を慎むことではありません。いち日いち日を大切に、丁寧に、健全に、はつらつと生きること。家族を愛し、自分を愛おしみ、仕事に励み、それによって得られる歓喜の時を送ることです。なんだかクリスチャンみたいな言い方でカッコ悪いような、恥ずかしいような、そんな気持ちを振り捨てて、「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう」。庭が荒れているなら、自ら花を植えましょう。雑草が嫌なら抜けばいいし、カーテンを開けられないなら目隠しを施せばいいし、花いっぱいの暮らしがしたければ、文句を言っていないでそのようにすればいいだけのこと。



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 そもそも、あなたはなんでそんなに雑草が気になるのかを、庭に佇んで、ぼーっと考えてみてください。問題の本質は庭ではなく、もしかしたら、過去にあるのかもしれませんから。そうそう、何でもかんでも、今感じている苦労の原因は、もう忘れかけている(あるいは忘れたいのに忘れることができない)過去に起因しているのです。加藤諦三が言っているので、きっとそうなんだと思います。で、加藤先生、じゃあどうすればいいの?先生の回答は「弱い自分、ダメな自分を認めなさい。それができたら明るい未来が待っています」というようなこと。先生の定番の展開です。でもね、先生・・・いやいやこれ以上は申しますまい。当事者の性根の問題ですから。



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 山頭火の性根は太く逞しい雑草の根っこでした。きっと、思考が病んでいた両親とは別に、祖父母なのか、親戚なのか、ご近所さんなのか、メソメソ泣くしかなかった少年を大きな愛情で包んだ人がいたのでしょう。貧しくても、不遇であっても、理不尽な目に遭っても、大自然のように無言で包んでくれる人がいれば、それが根っこの発育を促進させるのです。人も草花も根っこ次第、根っこは土次第なり。



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 「分け入っても分け入っても青い山」
 この句を清々しく受け取り元気が萌え上がるなら、あなたは大自然のように健康です。健康第一。庭ですよ庭、素敵な庭があれば心の健康を維持することができます。
 いやあ、それにしても、種田山頭火って愛おしい人ですね。近年研究が進んで、とても愛すべき人だったという評価が出てきたゴッホに似て。










 

庭は愛情の賜物(原田邸 7)

 庭、という(日本においては)けっこう意味不明で摩訶不思議な場所。あなたはそうお思いにならないでしょうか。
 ほとんどの人にとって庭とは京都の石庭、東京では小石川後楽園や六義園などの大名庭園、他には観光地にあるバラ園やハーブ園を思い浮かべることでしょう。では、あなたの家の庭は?みなさんその場所をどう捉えていいのかわからないか、あるいは「防草シートと砂利で雑草対策をしたから大丈夫」という理解で、そのまま何年でも庭の存在を感じることなく暮らしているわけです。



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 何%かは、そういう実態に疑問を持つ人が存在していて、そこで次に展開される思考は「どこに木を植えて、花壇を作って、どんな草花を育てようか」となります。ぼくとしては、そこまでたどり着けた人は幸運だと思っています。と言うのは、植栽の相談に来られる人なら少なからず、雑草だらけの庭を単に雑草を防ぐだけでなく、そこを美しい場所に変えたいというイマジネーションをお持ちだからです。



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 では、植物によって美しく構成された庭の価値とは?草花の存在に生きがいを感じる園芸マニアなら感動が得られるかもしれません。しかしそれ以外の人にとっては、ご近所さんや道行く人と、自分自身に向けて「花咲く美しい暮らしをしています」という感じで、生活上のお作法として庭の草木を手入れされているのでしょう。もちろんそれでいいんです。庭も含めて暮らしを整えることをがいかに大切であるかは言わずもがな、庭が荒れたままで幸せな暮らしを手に入れることは、なかなかに難しいですから。



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 花の数と幸せは比例する。これはぼくの(自称)名言です。この言葉の信憑性が、たくさんの庭を楽しむ人たちの暮らしに接しながら年々増してゆきます。犬や猫は花に興味を示さないのに、なぜ人はこれほど花が好きなのでしょう。冠婚葬祭に花は欠かせないし、孫のバレエの発表会、演劇・コンサートの際には花束を持参するし、リビングのテーブルやお仏壇に花を飾って生活する人も多くいらっしゃいます。それって何故だと思います?



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 人は相手への気持ちを託すのに花を使う生物なのです。その性質は猿が人へと進化した時点ですでに備わっていたらしく、驚くことに、発掘されたネアンデルタール人の遺骨に花束が添えられていたそうです。さらに遡った太古の時代から、昆虫と植物は双方の生存をかけて腕を組みました。ですから虫たちが花に夢中になるのは当然として、はてさて、現生人類(ホモ・サピエンス)と花との関係性を築く元となったものは何なのか。蜜や花そのものを食料としたわけではないし、受粉にも関係しないし・・・。



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 それは愛情表現です。元来ネズミかウサギのように弱々しい哺乳類だった人類は、同族、ファミリーの助け合いを抜きにしては生きてゆくことができませんでした。だから家族や周囲の人たちを大切にした。そこで、直立したことで肥大化した脳内に発生し成長していった、他の生物に類を見ない新たなニューロンネットワークが愛情なのだと考えられます。か弱き二足歩行のサルは、曖昧で独特な愛情という感情を武器としてグレート・ジャーニーを成し、地球上の大半に分布し、やがて地上を支配する生物にまで繁栄しました。



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 虫嫌いの人は大勢いるのに、花が嫌いという人には会ったことがありません。ただし花に興味がない人はいくらでもいます。雑草が嫌いな人は大勢いるのに、庭が嫌いという人には会ったことがない。しかし、庭に興味がない人はいくらでもいる。ぼくは庭屋なので「いい庭があれば人生は上々」と感じる場面につどつど出会い、故に強くそれを信じています。どんなスタイルの庭であれ、その人にとっての「いい庭」に辿り着くには、人間性豊かなヘルシーな思考と野生味あふれる行動が不可欠で、チコちゃんに叱られてばかりいたら実現できない世界ですから。庭という場所を目の前に、愛情に基づいた思考と行動を発揮できる人は、当然のこと、上々の人生を送ることになるのです。



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 花の数と幸せは比例する。それは、クドクドとこんなふうに考えてゆくと至極当然なこと。愛ですよ愛。家族や周囲の人や、そして自分への愛情が庭の花数を増やしてゆくのです。








庭は愛情の賜物(原田邸 6)

 庭全体の約半分がデッキで、残りの半分は芝生と草花のガーデニングエリアです。実はこの部分は奥様が自力で施工されました。スゴ!その庭への情熱と馬力に驚嘆いたしました。玄人はだしとはこのことで、想像力と創造力のレベルが高すぎて、並の造園業者のそれを超えた仕上がりになっています。
 人はどのような場面でこれほどのパワーを発揮するのでしょう。そんな問いも含めてご覧いただきましょう。



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 一応の設計はぼくがしたものの、それを参考にしながら奥様なりの感覚で、ぼくの設計よりもナチュラルでスッキリとした気持ちの良い場所が出来上がって、うれしいやらありがたいやら。これが理想的な庭づくりだなあと、あ、つまり、設計者と住人とのコラボレーションで出来上がった庭は、必ず設計を上回る、ということです。



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 このように、職人さんじゃなきゃ作れない構造物以外は自力でやってみたい、というご要望はよくあることで、「大変ならお手伝いしますから頑張ってください」と話し、完成を待ちます。ほぼ例外なく素晴らしい庭になります。しかもその後一年二年と、季節が巡るほどにその庭は花が増え、美しさと楽しださが増してパワーアップしてゆくのです。



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 なぜそうなるのかと言えば、子育てと同じですよね。自分が出産し、自力で育てるから当然愛情は膨らみ続けます。男には到底実感できない女性の特権です。奥様の中で「庭は自分で産みたい」というような感情が芽生え、出産するが如くに膨大で美しいエネルギーを発揮した結果がこうなった、ということだと考えています。つまり、愛情の賜物であると。対して男は、とかくお金で庭を手に入れようとしてしまう。それではなかなか満足度の高い庭にたどり着けないのです。約束の地へ向かうチケットは買えても、そのことで終着駅まで行けるというのが確約されたわけではないのです。銀河鉄道の乗客が、さまざまな理由で途中下車してしまうことに似て。



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 お客様と打ち合わせをしながらよく「お金を理由に理想の庭をあきらめてはいけません。逆に、お金を払えば理想の庭が手に入る、ということもありません」と話します。これは本当のことでして、庭づくりの際にコストを前提に据えてしまったら、失敗する可能性が高まるだけなのです。悲しく感じるのは、ジョバンニが行きたかった「本当の幸せ」に辿り着かないままで消えざるを得なかったカムパネルラの心情。当人もご両親も、何と切なかったことであろうか。カムパネルラの死を冷静に、理性的に受け入れたお父さんのその後の人生を思うことがあります。ぼくのイメージでは、静かに深い悲しみに耐えて、頑張って、頑張り続けて、精一杯の愛情を家族に向け、本当の幸せな庭(家庭)を築き上げたことでしょう。



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 この仕事をしていてしばしば出会う賢者たちに、ぼくは庭でエールを送ります。大袈裟ではなく、本当の庭は、それほど大きく重大な意義と意味を持つものなのです。





作詞・作曲 小椋佳
どれほどの経験を経て、これほどの曲が書けるのか。
歳を重ねてその凄みを感じています。
長生きはしてみるものですね。

そうそう、コロナの頃に小椋佳は、
力尽きたかのように引退宣言めいたことを言っていました。
でも現在はコンサート活動で全国を飛び回っているようで、うれしい限りです。
本当に力尽きるまで仕事に生き切る姿は尊く美しい。
自分もそうありたいものです。


 次回は奥様にお招きいただいたティータイムと草花の様子をご覧いただきながら、改めて、庭って何?ということを。




立体構成(原田邸 5)

 今回の設計のポイントは目隠しと立体構成にあります。目隠しは「カーテンを開けて暮らせるようにする」、と「庭で室内と同等にくつろげる安心感を確保する」の2点を実現させるためのものであり、立体構成はそれに加えて「居心地を増すために仕切りや屋根を設けること」です。ここでアンソニ・ガウディーの言葉を。

 人は物事を平面的に思考し、天使は立体的に思考する。

 別に天使じゃなくても、庭を考える時には立体的に考えない限り成立しないよ、と思いつつ幾星霜。世の中の庭に天使が舞い降りることも、人の感性が天使の領域にまで昇華されることもないままに、住宅地にはアイデンティティを授けられなかった庭的な場所が、行けども行けども続いているわけで、これが数十年変わることのない現実なのです。その頑強とも言えるほどの変わらなさに、何度も「オレが変なのか?もしかして」と思ったりして。ンワケナイヤロ!と即座にノリツッコミして「庭が庭として有意義に存在することに世の中が無関心だからと言って、自分が思う『庭の意義』を流布し具現化することを諦めるわけにはいかない。そんなことをしたらぼくは職を放棄することになるのだ。例えば祖父の代から続く豆腐屋がこだわり(基本)を捨てて、大豆の香りがしない安価な量産品の豆腐的なものの生産にシフトすることと同じではないか」。とても個人的にしてわがままな方向に偏った仕事観ではありますが、ぼくはそういうの、楽しく思えないんですよ。ワクワクもドキドキも、クラクラするほどの達成感もない毎日など、ぼくには耐えられそうもないのです。
 さらに、この自分のこだわりを肯定し擁護する意味で、日本と他の国との庭の定義がどれほど違うかを並べてみます。海外の多くの国では庭は庭として機能し、美しく幸福な庭世界がいくらでも、普通に存在しています。
 アフリカでは心地良い風が吹く場所に家を建て、庭と室内の区分がない間取りでその風を享受しながら暮らしています。オーストラリアでは友人をリビングではなく庭に招くそうですし、アメリカ人は広い芝生とハンモックとバーベキューを楽しめることが庭であると主張し、横須賀に移り住んでもその考えがブレることはない。スペインでは庭とは主にシエスタを楽しむ中庭のことであり、建物以外の場所はコモンガーデン(公共の庭)と捉えて花を飾り、主婦たちは日常的に井戸端会議で笑顔の花を咲かせている。そしてどの国でも、庭は眺めるよりも過ごす場所であり、食事や読書や、パーティーも庭で楽しんでいる。ガーデニングのメッカ、園芸が盛んなイギリスですら夏は連日バーベキューをし、花が少ない長い季節は庭で本を読み、日に何度もテラスでティータイムを楽しみ、花の季節までの長い時間を庭と対峙し語り合うようにして過ごしている。
 彼ら彼女らにとって、そういう庭のあり方は自然なことなので、庭を美しく維持管理するのにかかるコストは食費と同等であり、余計な出費や苦労とは思っていない。アメリカではハウスキーパーが掃除洗濯の流れで芝刈りをするし、イギリスやイタリアでは街場にバラやトピアリーを得意とする誇り高きガーデナーが大勢存在しているのです。
 時々話題に上る「幸福度指数」の尺度に、その国の庭のあり方が入っているかどうかは定かでないながら、ぼくら日本人の庭との付き合い方、庭の捉え方が指数を押し上げるとは思えませんよね。とかく日本人は、貧しさや不幸や苦難に対して、防衛本能として無自覚になる傾向が強いそうです。「みんなそうなんだから、これって普通でしょ」と。いやはや・・・
 人は物事を平面的に思考する。コピー用紙の上で、どうしたら女房殿の機嫌が良くなるだろうかをチャート化し、ストレスを数値化し、言語化し、深刻な時間を費やし巧妙な作戦を練る。天使は立体的に思考する。庭を整え、家族で陽を浴びながら笑顔の時を過ごす。すると難敵だった鬼女房殿は、かつて出会った頃のように魅惑的な天使の顔になっている。

 では、この庭の立体構成、天使の所業をご覧ください。



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 かつてカラーセラピーを得意とする霊能者から「あなたは幸運にも大天使ミカエルに護られています。信じる道を思う存分突き進み、素晴らしき人生をお送りください」と言われたことがあります。ちなみに実家は曹洞宗で、ぼくは弘法大師空海のファンだし、女房は浄土真宗で娘の嫁ぎ先は時宗という、どこもかしこも仏教徒なんですけど、何だか勇気が湧くご指摘だったので、せっかくですから大天使ミカエルの存在はいつも意識しています。ミカエルはユダヤ教・イスラム教・キリスト教に登場する天使長で、悪魔に打ち勝った実績を持ち、「正義・浄化・使命・勇気・力」などに関して強力なパワーでサポートしてくださるそうな。ありがたやありがたや。







 次回はデッキ以外の場所、ガーデニングエリアのことを。





ウッドデッキとは(原田邸 4)

 ウッドデッキとは?

 何度も何度もデッキがある庭を設計しながら、その都度「ウッドデッキとは?」というとても原初的な問いからその仮想庭を組み立ててゆきます。その理由は・・・私的に考えればぼくがクリエーターだからです。クリエーターとは・・・クリスチャンやその思想の源流にあるユダヤ教的には「造物主・創造主」なわけでして、いやいやとてもとてもそこまで思い上がった自称などできるはずもなく、言わば「職人」あるいは「表現によって糧を得る部類の人」という程度の意味です。社会では少数派のぼくら界隈の価値観は、自分を擦り減らしながら他者に寄与するという、修行の如きマインドで日々を送る以外に自己肯定感を得られない、社会人としてはとても不器用な呪われた領域の住人なのかもしれないなあと、自虐的にそう考えることがあります。
 でもね、仕方ないからその(気まぐれな神に与えられた)役割を果たそうと思うのです。そのことでよろこんでくださる人が存在する限りは。いやほんとに、気づくのが遅い気もしつつながら残り時間を徹底的に、稚拙かもしれないけどピュアに庭を生み出していこうと思っている次第。そうそう、孫の美空が英語を習い始めまして、この頃折々で「オー・マイ・ゴッド!」と叫びます。美空よ、ぼくには無邪気で天真爛漫な君がゴッドに思えるよ。
 ちなみに美空くん、ゴッドと呼ぶのは直接的過ぎて神様に失礼ということなのか、嘆くだけで終わるような軽さを戒める意味なのか、本場のクリスチャンは「ゴッド」を、音量を控えつつ「ゴッシュ」と言うらしいぜ。オー・マイ・・・・ゴッ・・・シュと。

 というわけで、自称クリエーターによって出現したウッドデッキをご覧ください。ウッドデッキとは?という自問への自答がこうなりました。



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 クリエーターに限らずあらゆる職業に、全ての家庭人に、つまりは地球上のほとんどの人の中にクリエイティビティーが内在されています。しかも普段は意識していないであろうそのことが、メタ的にはかなり重要な「幸福に生きる資質」だと思われます。つまりそれが動物と人の違いであり、ホモ・サピエンスが唯一の人類として生き残った理由なのかもしれないなあとまで思えるから。だからぼくらは、そしてあなたは、暮らしのあれこれを創造主の視点で捉え、利他の愛情に根ざした想像と創造を積み重ねる必要があるんじゃないですかねえ。それを抜きにして、なかなか幸せな家庭は築けない気がするので。
 繰り返される忌まわしい事件や芸能人の不祥事は、彼らが人生を賭して見せてくれるしくじり者の様であり、神によるスケープゴード(不運な生贄)なのかもしれません。そうであるなら、じっくりと火炙りにされる苦しみの姿を見届け、あなたが愛する人の幸福を守り育てる糧にしなければならないでしょう。そんな視点からも、ぼくはけっこう真剣に、庭を楽しむ暮らしの組み立てをお勧めしています。なぜなら、多くの犯罪者と社会に適合できず落ちてゆく芸能人に共通して、その人に、庭を楽しむ暮らしは存在していなかった、と、思っているから。幼い日に、あるいは日々の家族団欒の舞台として、花咲く庭で過ごす時間(愛に育まれる時間)があれば、オー・マイ・ゴッシュな出来事は回避できたに違いないと信じているからです。そう言い切れる根拠として、経験的にですが、庭は利己的では美しくも楽しくもならないという、独特の性質を持っていることを知っていますから。
 たぶん、ですけど、自分へのご褒美は二の次で、家族のために、やってくる友人のために、道行く人たちのために庭を整える人が正解なんじゃないかなあ、経験的に。
 ええっと、つまり、恋は遠い日の花火じゃないし、庭は自分のためだけの場所じゃないし。想像は一瞬の煌めきだし、創造は苦労の積み重ねだし。おお、またもや名言!




小学6年生でこれを繰り返し聴いていたわけですから、
稚拙でピュアな恋愛観が根付いたのは仕方ない。
その根っこはいまだに雑草を蔓延らせているため、
恋するトキメキは習性的になっておりまして、
出会う人出会う人、年齢性別関係なくトキメクことしばしば。
まあ、うれしくありがたいことではあります。




 次回はこのデッキのポイントである、空間構成のことをつらつらと。





意味と意義(原田邸 3)

 庭って何だろう?庭の価値っていったい・・・、ある夜、庭の書斎で30年前(35歳)にガーデニング雑誌に寄稿した記事を読み返しまして、愕然。その頃から、今と変わらず「庭って何だろう?庭の価値っていったい・・・」と考えていたことが判明。30年ですよ30年、10950日。シンプルに同じテーマを思考しながら設計を繰り返してきたとは、いやはや「俺って進歩がないなあ」と思うと同時に、30年間一日の如く過ごして来られたことを褒めてあげたいような気持ちにもなりました。越し方を振り返り、未だ視界に入らない目的地よりも、見はるかす後方に広がる眺望の美しさにしばしうっとり、という感じです。これでよかったんじゃないかなあと、上出来な時間だったんじゃないかなあと、まあ、他に総括する言葉が見当たらないし、「俺よ、これでいいのだバカボンボン」ということで。
 そうだ、今日で65歳だ。もうなのか、まだなのか、あえてそのことを考えないことにしました。年齢に絡めて時間を過ごすことが、今となってはさほどの意味を持たないから。あ、つまり、過去への悔いや反省などこの歳になると何事にも功を奏さない気がして。さらに未知なる未来へ向かって無知な自分を鼓舞することも、そんな暇があれば今日の自分に太鼓叩いて舞い踊る方が意義があるのだ、という心境。いいのかな?い〜んです!一歩一歩、今日を丁寧に。

 さてと、では今日の一歩、原田さんちの劇的 Before - After をご覧くださいませ。

 お伝えしたいのは、庭スペース(余剰地)が庭(生活空間)として成立するには「意味と意義」が必要だ、ということです。
 まずは外構から。



Before 1
原田邸 Before1


After 1
原田邸 After1



Before 2
原田邸 Before2


After 2
原田邸 After2



Before 3
原田邸 Before3


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原田邸 After3



Before 4
原田邸 Before4


After 4
原田邸 After4



Before 5
原田邸 Before5


After 5
原田邸 After5



 次に、庭へ入ってゆきます。


Before 6
原田邸 Before6


After 6
原田邸 After6



Before 7
原田邸 Before7


After 7
原田邸 After7



Before 8
原田邸 Before8


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原田邸 After8



Before 9
原田邸 Before9


After 9
原田邸 After9



Before 10
原田邸 Before11


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原田邸 After11



Before 11
原田邸 Before12


After 11
原田邸 After12



 すっごいでしょ。地面だけが存在する Before から、After では空間が出現しています。平面から立体へ、空き地から庭へ、これが主な意味。そして意義は、カーテンを開けて屋外を察知しながら暮らせること、外に出て過ごせること、植物の成長と季節の移ろいを感じ取れること。ざっくりとではありますが、そういうことです。つまり、空き地に生活空間が出現した、ということ。

 ぼくと同年代のお客様ご夫婦が、人生の仕上げに入るようなタイミングでの新築です。素敵なご家族の人生に寄与する庭が出来上がったと我田引水、自画自賛。これでいいのだ。

 次回はウッドデッキの解説を。







 ハッピーバースデイ、俺。なんとかかんとかハッピーなバースデーに辿り着けた自分を自画自賛。



ブラッシュアップ(原田邸 2)

 A・ B の2プランをご覧いただき、検討を経て出来上がったのが次の Plan C です。



Plan C

平面
原田邸 C 平面



リビング側からの立面
原田邸 C 立面 2



庭から隣地方向の立面
原田邸 C立面 3



道路からの立面
原田邸 C 立面



 お客様に、最初にご覧いただくプランはあくまでも叩き台なので、多くの要素を織り込んでいます。それに加えてぼくの脳内では、ひと足早く理想の庭に辿り着いて描いていますから、あれもこれもと様々な庭の魅力をお伝えしたいという思いが募り、少々力んだ仕上がりになってしまいます。その重厚なプラン(A・B)から気に入った要素をピックアップしていただき、整理整頓しつつ価格を抑える工夫と、検討中に出た新たなご要望を織り交ぜながら出来上がったのがこれです。
 ここからさらに調整を重ねて、施工図(工事のための図面)を作成して設計作業が終了。達成感と安堵感、そして自己満足なれど、自分で自分を褒めてあげたいような感動に似た感慨で帰宅。満ち足りた気分で庭に出て飲む一杯のビールの旨いこと旨いこと。慢性的に忙しく慌ただしい日々なれど、ビールが美味しく感じられるうちは大丈夫だなあと、よくそんなことを思います。
 こうして設計が完了し、お客様の瞳に新たな庭へのワクワク感が輝いていることを確認できた日の夜、庭を渡る風と星空に祝福されているようで。この心地よさ、庭ってこういう場所になり得るのだということを、多くの人に伝えたいんですよね。庭をご自分の理想的なテリトリーとして成立させることができたら、確実に人生のクオリティが上がりますから。

 次回は Before-After 。ものすごいですよ。










庭がある暮らしをイメージする(原田邸 1)

 なんとなんと、5年ぶりに「新築住宅の庭」を綴ります。故あってちょっとだけ休んでみようかなあ、などと思っていたら五年以上が経過していました。光陰矢の如し。このあっという間の時間の中にはコロナがあったし、さまざまな事件や災害や紛争で、世の中のお作法は様変わりしました。できるだけそれに則りながら、世間様とのズレが生じないよう心がけつつ、しかし庭への思いは昔のままに、熱く語ってゆきたいと思っています。
 5年・・・1825日・・・ぼく自身は孫ができ(現在3.5人)、犬が増え(現在4匹)、娘夫婦が新築を果たし、ナイキのスニーカーが10足になり、各種メガネが6個になり、「変化させ続ける」ということを庭と人生における理念のひとつに掲げている身としては、大いなる変化を遂げることができたという感があります。その変化が成功か失敗か、良かったのかそうではないのか、という検証はしません。なぜならその都度の不満や不出来な自分を改善するために「とにかく変えてみる」ということで変化する(生物の進化の早回し)わけでして、振り返ることにはあまり意味がない。反省なんか始めようものなら性質上どこまでも落ち込んでゆくだけですから。そうではなくて、さらに変化することで、今現在の不満と自分の不出来を改善していく方が楽しいですから。あ、つまり、羊男のアドバイスになぞらえるなら「踊り続ける」ってことなのですが。


「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」 
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。 『ダンス・ダンス・ダンス/村上春樹著』より


 たまたま20年ぶりに再読したらハマった「風の歌を聴け」→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」→「ダンス・ダンス・ダンス」の4部作。その連作の核心にあるのがこの言葉です。

 ちょうどそんな時期に設計し施工したのが原田さんち。その時に読んでいる本から仕事が影響を受けることはままあります。っていうか、それが楽しくてAmazon探検がやめられずに、「読んどく→積んどく」が十数冊あり、無駄使いにも程がある、不適切にも程がある、ふてほど〜!と反省しつつ、では、春樹ワールドが反映された庭をお楽しみください。

 新築です。庭は更地で、外構は住宅メーカーからピンと来る提案が出なかったため、ぼくが設計をしてメーカーさんが施工する、ということになりました。

 

玄関アプローチ Plan A
原田邸 アプローチ A


玄関アプローチ Plan B
原田邸 アプローチ B


 続いて庭の提案です。外構提案の時点で当然庭のこともイメージしますので、スラスラと2プランが出来上がりました。


Plan A

平面
原田邸 A 平面


リビング側からの立面
原田邸 A 立面 2


庭から隣地方向の立面

原田邸 A 立面 2 2



Plan B

平面
原田邸 B 平面


リビング側からの立面
原田邸 B 立面 2


庭から隣地方向の立面
原田邸 B 立面 3


 両方とも考え方は同じで、ポイントはカーテンを開けて暮らせるようにすること。それに加えて庭に出て過ごし、ガーデニングも楽しみながら生活する、そんなコンセプトです。
 Plan A はウッドデッキ+タイルテラス+植栽エリアで、Plan B はウッドデッキ+ウッドデッキ+植栽エリア。双方共に庭の外周に目隠しを施して、視線を気にせず庭を楽しむ、つまりは庭を生活空間として成立させることを強く意識しました。
 あの手この手で目隠し効果は妥協せずに施すこと。このことの重要性に気づくかどうかで、概ね庭の出来・不出来が決まります。カーテンを開けることなく暮らすことに疑問を持ってみると、そこから庭がある暮らしが展開してゆくのです。

つづく










しもやけ

 冬来りなば・・・ようやく冬らしい朝がやってきました。このまま春になるのでは?などと現実化してきた温暖化を危惧したり、そんなことより寒くない方が現場が捗るからありがたいわいなと、小春日和を幸運と捉えたり。けれどもやはり、冬の朝はキーンと冷たい空気に気合を入れて始まる方が調子が上がる気がします。思えば若かりし頃の新潟時代では普通のこととして、吹雪の中で現場仕事に汗を流していたのですから、きっとこの感覚は、身に染みついたものなのでしょう。



軒下のヤツデの花に花アブが
喉を鳴らして食事中
冬の貴重なご馳走なのでしょう

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 26歳で上京した当時、東京に冬がないことに驚きました。雪が降らないだけでなくとにかく連日暖かくて、6畳の古いアパート暮らしで、最初の冬越しでは暖房器具を買わないままで春になったことを覚えています。さすがに翌年からは体が関東仕様になり、それなりに寒さを感じて小さな電気ストーブを買いましたが、いまだに寒さには強いという自負があります。同時に暑さへの耐性もかなりなもので、つまりは暑さ寒さの両極に対しての耐性がある、あるいは鈍感なのかもしれません。



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 新潟時代は、今振り返って思えば気候との闘いの日々でした。闘いというより、対峙するという感じかな。とにかく関東よりも自然の圧が強く、四季折々に自然界からの濃密にして強烈な刺激を浴びながら生活していた気がします。積雪が4メートルを超える豪雪地、陸の孤島と呼ばれる山村、農業と土方仕事(冬は出稼ぎ)で得た収入で、家族寄り添い質素に暮らす人々。昭和時代では、それが越後人の平均的な暮らしでした。



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 今はあれこれと都会的になったので、もっとおしゃれでスマートに生活しているものの、それでも自然の圧は昔と変わらないわけです。スマホを手放せないゼット世代がまだ暗いうちから家の前の雪をかき、休日は屋根に登って雪下ろしに息を上げる様子に、この子たちは大丈夫、少なくともホワイトバイトなどとは無縁の人生を送ることでしょう。ふとそんなことを思った早朝散歩のひと時で体が温まり、今日も設計作業に、鬼の如くの集中力が発揮できそうです。

 物心着く前から、時に命懸けなくらいな自然の中で成長することが、実は健全に、自然体で人生を送る原資となる。



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 子育て中の方々へ。子どもたちに、せめて庭遊びくらいは、冬にはしもやけの経験くらいは提供した方がよろしいのでは、などと、要らぬおせっかいではありあすが。いや本当に、無自覚のまま闇バイトで人を殴ったり殺したりしてしまう若者たちには、何かしらの、とても基本的な、当たり前すぎて見落とされがちな、そんな欠落があるとしか思えなくて。多分、ですけど、彼らにはしもやけの経験など一度もないんだろうなあと。










秋好きから庭好きに移行

 前回「夏好きから秋好きに移行」宣言をして、さてさて秋だ秋だとはしゃいでみたものの、待てど暮らせど秋がやってこない。ひと月遅れでキンモクセイが香り、これまたひと月遅れで(少しだけ)マツムシが鳴いてくれました。でも、体感的にも情緒的にも秋が来ないままで、今日は木枯らし1号が吹くそうな。



季節感が当てにならない時代になったのですから、
自分がアマテラスとなって、季節を想像し創造するのが良いでしょう。
植え替えの季節です。

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 仕事柄、意識を季節と並走させることで、いい感じの心身をキープすることを旨としブログにも繰り返しそのような視点で書いてきました。ああそれなのにそれなのに、秋がここまで存在感を失うとは・・・いやはやどうにもこうにも、にっちもさっちもどうにもブルドッグ。



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 本当に世の中の、というか外界の変化が激しすぎてついていけないなあと思う場面が多く、例えば何がどうなってもあの顔つきの人が総理大臣になることなどあり得ないと思っていたのが、あっさりと。いくら何でもあの乱暴者が大統領に返り咲くことになったら世も末だ、という考えもゴミ箱へポイ。能登の復興が遅々としていることに、「あれれ、津波の時にあれほど被災者を励まし力を出した同じ国民が、今回はどうなってしまったのだ。人々のマインドにどのような変化があってこんな事態が続いているのだ」と首を傾げるしかない自分に戸惑うペリカン。闇バイト?ホワイト案件?悪童はいつの時代にもいるが、無自覚にインターネットに操作されてお年寄りを殺害って、アンポンタンにもほどがある。フィッシングメールが毎日50ほど届くし、怪しいだけの迷惑営業電話は連日掛かってくるし、田部井Pからインスタグラムを勧められ半年ほどウダウダしてたら、「残念なお知らせです。インスタの時代は終わりました」と。ソモサン、で次は?と問えば「セッパ、それは誰にもわかりませんね」。インボイス制度って何?誰も説明してくれないし、マイナ保険証は来月から始まるそうで、これまたぼくには理解不能だし、女房の機嫌はとても悪いし(あ、これは前から変わらない安定的な事象ですが)、昭和生まれの頭脳では未来を先取りすることなどできない事態に陥りました。



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 「時代の半歩先を提案するのが設計者の使命である」と教えられ育った自分から、気づけばその能力が失われているわけでして、超個人的な感慨ながら落ち込んだのですよ。5分ほど。



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 レジリエンス。へこんでも落ち込んでも、カンヴァスを取り替えて再び絵筆を振り回す。何度でも何度でも違うアプローチから理想郷を組み立ててゆく。これも設計者の特性で、そうしないことにはお客様が感動してくれる領域の庭世界に辿り着けない。つまり、仕事になりませんからね。



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 10分後には新たな思考回路が完成。そうか、自分の頭脳から未来予測能力が失せてしまったなら、予測などせずに自分が信じる理想の未来を思い描けば良いではないか。ナイスですねえ〜!と自画自賛し、このポンコツOSのバージョンアップを完了させました。



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 つまり、ええっとですね、大谷翔平ですよ。この混沌とした数年間で感動と希望の光を放ち続けた偉人、大谷翔平。彼は世の中がどう変わろうが、気候がどうなろうが、通訳があんなことしでかしても、アンチから批判やブーチングを浴びせられても馬耳東風で、ひたすら理想の自分を思い描きながら、今日いち日にベストを尽くして生きている。邪念とか駆け引きゼロで、夢のような自分の姿を思い描くことに余念がない。誰もが「信じられない活躍」と思う成果を上げた原動力は、地球上でひとりだけ、その成果を思い描いていた人がいたということなんですよね。



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 「イメージできたらできたも同然」というぼくの名言がありますよ。ほんとに、大概の人は幸せに寄与する庭の姿など想像することがないままに人生を終えてゆく。ぼくは逆に、そのことばかりを思い描いて生きている。なあんだ、これでいいじゃないか。ガーデンデザイナー人生は上々だよ、イワフチくん。



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 というわけで、秋好きから庭好きに移行します。さあてと、どんな冬になるんでしょうかねえ。これは予想ではなく、来るなら来い!と、暖冬だろうが豪雪だろうが、天変地異、戦争、何が起ころうとも大切なことはひとつだけ。ぼくが思う理想の庭があれば、あなたとご家族が、日々を健康で美しい気持ちを失うこなく暮らしていけます。いやほんとに、それが庭という場所の役割なのです。自然を感じ取りつつ不自然になりがちな自分を調整する場所の重要性は、この混沌が続くほどに重要になりまので。あ、いや、庭じゃなくてもいいですから、お天道様を意識して、季節ごとの美しさをキャッチしながら暮らしてまいりましょう。


闇バイトに絡み取られる若者には、
思春期にこういう音楽との出会いがなかったんでしょうね。
歌は世に連れ・・・と申しますけど、
ぼくら昭和生まれは、歌によって大人へと導かれた世代です。








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