2011年05月

文人庭( 栗原邸 1)

今日からご紹介する栗原さんちは、典型的な「ながめる庭→過ごす庭」のガーデンリフォームです。



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よく手入れされた、落ち着いた雰囲気の日本庭園です。
以前は建物部分が芝生だったそうですので、芝生と石組みと灌木と仕立てた樹木の、昭和の庭としては最上級、最も贅沢な庭の使い方といえる「風情を楽しむ庭」でした。いわゆる文人庭。

東京の、早稲田、東大、慶応大学の周辺にはこの手の庭が多く存在しています。教授、学者さんが好むスタイルなのです。
日々専門分野に没頭しつつ、庭ではひとり風雅な世界に浸り気分転換をはかる、庭から感じる季節感や情緒で心のバランスを整えるというのが、ひとつのスタイルだったようです。

この「文人庭」、その名の通り、大正、昭和の文筆家は好んで庭に興じたようで、有名どころでは吉川英治、白州正子、室生犀星、林芙美子など、みなさん庭を抜きにしては語れない作品であり人生でした。
庭ってそういうものだったんですよね。学者、文筆家、他にも医師、会計士、弁護士、政治家など社会的に重席と言える職業で活躍している人にとっての「バランス回復装置」であり「ステイタス」だったのです。

栗原さんのお宅に最初におじゃましたとき、ぼくは庭からそういう感じを受けました。
よく手入れされ仕立てられている庭から、「ご夫婦はこれまで、すばらしい仕事をし、しっかりとした人生を歩んでこられたんだろうなあ」と、そう感じました。庭がそれを教えてくれました。 だいたいわかるんですね、庭を観ると。
そしてもうひとつその庭が教えてくれたこと、それは「 ご夫婦は、そろそろ次の楽しみ方をしようとしている」ということでした。何となく、「これまではよかったけど、現在はちょっと・・・、もっと違う楽しみがあるような気がする」と、そんな感じを受けたのです。よくできた文人庭が、ぼくにはどこか「かつて輝いていた庭」に見えたのでした。

奥様はうちの店に何度も立ち寄って、店中に貼ってある庭の写真を眺めていたそうです。そして具体的にどこをどう変えて、どんな庭にしたいというイメージがないままで、ぼくに設計依頼されました。
うれしいんですよねこういうの。何となく何とかしたいけど、何をどうすればいいのかわからないから、とにかく何とかしてください、みたいな感じ。全権委任ですね。
当然ぼくとしては、ヨッシャー!お任せください!と張り切るわけなんですが、その前にひとつだけ奥様に確認したことがあります。「今まではながめる庭でしたけど、今度は過ごす庭としてイメージしてみてもいいでしょうか?」と。
そのオッケーをいただいて、ご夫婦の歴史が積み重なった「ながめる庭」を「過ごす庭」に描き変えたプランを、明日ご覧いただきます。



ほんの数十年前、一家の主には庭を我がものとして自由にできる権限がありました。そればかりではない、おかずは一品多く、一番風呂に入って、リビングでは主の席には誰も座らなかった。
かつての庭は、家の主ひとりで自然と向き合う、自分と向き合うための場所でした。が、今は、これからは、家族が集って幸せな時間を共有する場所なのです。これがぼくの持論。
・・・ということは昭和から平成へ、一家の主の居場所がひとつ消えたということですね。
・・・まあいいか。





 

輝きを放つ庭( 和泉邸 22)

和泉さんちの最終日です。

ビフォー・アフターをもう一度。


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After
アフター10


昨年の秋、「庭をリフォームしたいんですけど」とご来店いただいたとき、奥様は庭に夢いっぱいでした。普段お客様よりもぼくの方がテンション高くて、「こうしたらもっと楽しくなりますよ」と話すことが多いのに、違っていました。あきらかに奥様の方が盛り上がっていて、ぼくの方が「まあ落ち着いて落ち着いて」みたいな、そんなやり取りだったことを憶えています。

奥様のその庭へのトキメキを、ぼくはありったけのチカラでカタチにしました。
「ガーデンギャラリー 赤いポスト」ができ上がりました。 

庭が完成してすぐに震災がありました。
奥様は「テレビは消しました。悲しいばっかりだし、孫たちに見せたくなかったから。いわふちさんもラジオにしたらいいですよ。情報も的確だし音楽もかかるし」と。ぼくはそのようにしました。

これなんですよ、和泉さんの偉いところ。悲しみを引きずるよりも立ち上がることだっていう、完全にそういうタイプ。だから何があっても笑顔の人です。
奥様は数年前にご主人を亡くされました。ご主人は横浜の中学校で伝説になっている熱血教師で、ご病気で、残念ながら逝ってしまいましたが、今でもたくさんの教え子たちの心の中で元気いっぱいに生きています。そのご主人が、リビオングから庭を眺めるのが大好きだったのだそうです。


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今日という日は「あといち日でいいから生きたい」と思いながら逝った人たちのいち日
 

奥様が悲しみから立ち上がるために選んだこと、それが今回のガーデンリフォームでした。


そうやってできあがった庭で、お仲間たちと、震災支援のチャリティーコンサートと作品の展示即売会が行われました。大成功でした。庭に集った人たちの「私たちにできることは・・・」という気持が集めた収益金を、被災した子供たちを応援し続けている清水国明さんに届けてもらうことを、先日のテミヤンライブで清水さんと親しい北原照久さんにお願いしたところ、快諾をいただきました。



またひとつ、すばらしい輝きを放つ庭が完成しました。


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庭の輝きはその庭を愛おしむ人の心の輝きです。


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この庭のように、輝きを放ちながら生きていきたいなあと思います。


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今日という日を、この炭火のように、熱く、輝きながら、
燃え尽きるまで


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燃えて燃えて、輝いて、今日あることに感謝して。ね、そんなふうに。








我田引水( 和泉邸 21)


物理や数学に必要なものは、美的感受性。
 

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自然のあらゆることは、本質的に美しい。
 

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自然物であれ人工物であれ、優れたものは美しいし、美しいものはたいがい正しい。



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ということは、正しさを判断するためには美しさを見極める審美眼が必要だということです。
さらに、何が美しくて何が美しくないのか、その判断基準が自然のそれと合致している必要があるということですね。自然に反した美意識によって「美しい」と判断してしまったことがあったら、それは必ず破綻したり、不幸を招く元になって排除されます。
ぼくには思い当たることがたくさんありますし、自然に反した美意識で生きている人、あるいは美意識を持たずに生きている人が、本人の努力にもかかわらず世間とのズレや摩擦から暮らしが破綻していくのを、何度も何度も目撃してきました。きっとあなたの周囲にも思い当たることや人が存在していることでしょうし、あなたが一目見て「ああこの人は転けるな」と、それが予測できるような生き方をしている人っていますよね。
何を隠そう、ぼく自身がかつてそうだったのですから。いくらがんばってもことがうまく運ばない、もがけばもがくほど泥沼にはまってゆく。振りかえるとその時期、ぼくは自然の美意識に反することばかりをしていました。だから、よーくわかります。
 

基本が自然の美意識から外れると、必ず排除されます。大切なことは自然と合致する美意識を持つことです。



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では、どうすれば自然の美意識から外れない感覚を持ち続け、それを育んでいくことができるのでしょうか。
はい、我田引水、庭ですよ!


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藤原先生は、美的感受性は後天的に親から学ぶものであると言います。だからまず親が
美しさを感じて感動することが先。美しい文学を読み、美しい自然の中で、美を意識し、美に触れながら暮らすことが必要だと。
子供たちのためにも、親が、美しい自然に寄り添いながら暮らしなさい、ということですね。

やはりそうですよ、庭です。

他に思い当たりますか?葉山の海辺や軽井沢で暮らしているなら話は別ですが、普通の住宅地に家があったら、庭がそれを満たす場所なのです。


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物理や数学に必要なものは美的感受性です」から、4日がかりで「庭は美的感受性を育む場所」という結論にたどり着きました。ゼーゼー(息切れ)。

庭のある暮らしを楽しみましょう。庭で自然界の美意識に触れながら暮らしていきましょう。





今日は北原さんたちが石巻におもちゃを届ける日です。
トラックに積み込んだ数千個のおもちゃが、現地の子供たちも笑顔になる。きっと大成功することでしょう。





雨!?大丈夫です。「雨が降ったら雨が降ったでよろしくそうろう」と、いつもそう言っている北原さんですから。何もかもうまくいきます。


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「石巻 スマイルフェスティバル」いいネーミングですね。

今できることは、持ち場持ち場で思いっきり笑顔を生み出すこと。問題山積、長い長い道のりですけど、日本中が笑顔になったら、ね、何とかなりますよ。

ウ〜ンいい雨です。設計依頼も山積で気が遠くなりそうですけど、ぼくは今日も張り切って、気合いを入れて、ひとつひとつしっかりと設計します。 






 


3人の先生の言葉( 和泉邸 20)

小中学を通して、算数が苦手でした。図形問題だけは大得意でしたが、計算や数式になると、すぐに頭がボーッとしてしまって、計算を放棄したぼくの脳みそは、いつもの果てしない妄想の世界へとワープするのでした。要するにもともと頭脳が理系じゃないんですよね、きっと。


あのころは、算数ができないと頭が悪いという評価でした。いくら運動ができても、絵がうまくても、算数ができない子は頭が悪い子。ぼくは裸の大将みたいに「ぼ、ぼ、ぼくは、頭が、悪いんだなあ」という自覚があり、それがずいぶんと長い間コンプレックスでした。

そのコンプレックスから逃げるように、絵ばかり描いていたようにも思います。ただ絵が好きだったのではなく、絵を描いていればとりあえず劣等感から逃れられる(へたれだったのです)。今振りかえると、たぶんそんなことだったと。



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でもねえ、思うんですけど、なんでも夢中でやってるとそこから光が射してくるもんですよね。最初はコンプレックスからの現実逃避のお絵描きだったのが、だんだんそこにのめり込んでいって、夢中になり、気がついたら得意分野になっていたのですから、いわふちと言えば美術みたいな。

その延長線上に今の仕事もあるわけですから、何が幸いするかわからないものです。というか、なんでもいいんですよね、なんでもいいから夢中になれるということが大事。スタートの動機はなんでもいいし、最初は嫌いなことでも、現実逃避でも、何となく始めたことでもいいんです。夢中になること、夢中になるクセみたいなことから道が開けてゆくのだと、経験的にそう思っています。ぼくにほんの少しだけ才能があるとすれば、それは「夢中になるクセ」です。



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算数コンプレックスから足を踏み入れた美術系の世界に、やがて夢中でのめり込んでいった過程に、3人の美術の先生の言葉がありました。


最初は小学3年生のとき、学校近くの森に行って木を写生する授業でのことでした。


「木はね、人間には見えないくらいゆっくりだけど、踊っているんだよ。太陽に向かって枝を揺らして踊っているんだ。そういうふうに思って描いてごらん」


たまりませんよね、そんなふうに教えられたら。ぼくはそのときから絵が大好きになりました。絵を描くのにぼくの妄想癖が役立つんですからね。その言葉(概念)がぼくの目にフィルターとして装着されてから、森の木々は、空を見上げて踊る群衆に見えるようになり、木々の歓喜の声も聴こえるようになりました。
余談ですが、このことがあってからぼくの中でもうひとつ変化した感覚があります。「友だちや先生や、自分以外の人も、自分と同じように寂しかったり悲しかったりするんだなあ」と、実感として自分以外の人に自分と同等の感情や人格を認識するようになったのでした。森の木を人格化することで、他者の人格に気がついたわけです。
いわふち少年は、写生授業で、少し人間らしくなったのでした。


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そうやってのめり込んでいった絵の世界は、中学生になると本格的な油絵になって、彫刻や彫塑もやるようになって、すっかり美術室がぼくの居場所になりました。もう毎日が楽しくてしかたありませんでした。

が、そろそろ思春期、漠然と、人生について考える時期になっていました。「一生絵を描いて暮らせるわけじゃないから、ちゃんと勉強もしなきゃなあ。でもなあ、絵の方が楽しいんだよなあ」と。

そのときの美術の先生は地元で有名な彫塑の作家で、自宅にアトリエを持っていました。そこに遊びに行ったとき、ぼくの「どうしたら先生のように、絵や粘度をやりながら暮らせるようになるんですか?美術の先生になればいいんですか?オレには無理ですか?」と訊きました。先生の答えは


「いわふち、大丈夫だよ、なんでも25年やり続ければ食えるようになる。絵でやっていきたかったら描き続ければいいだけのことだよ、25年」


中学生のぼくの思考には、それまでそういう選択肢がありませんでした。好きなことやるのは遊んでいることと同じでいけないこと、大人になるということは、嫌いなことも頑張らなければならないということなんだと、そんなふうに考えていたのです。ぼくは気持がパーッと解放されました、「なーんだ、好きなことをやり続ければいいんだ」って。


その先生との出会いはぼくが歩く方向を決定づけました。先生もぼくに興味を持ってくださったのか、美術の話に留まらず、音楽や料理のことや、人生論まで、ずいぶんといろんな話をしてくれて、ぼくに京都のお坊さんの本をくれたりしました。その本「平常心/尾関宗園」にまた大きく影響を受けて、中学生のぼくのピュアさは、ピュアなまんまで人のカタチにでき上がっていきました。


今考えると、その先生との出会いが茨の道のスタートだったわけで、妙にピュアになってしまったおかげでずいぶんと苦労と遠回りをしましたが、それでももちろん大感謝しています。20代、30代、40代、そしてたぶんこれからも、周囲とはちょっと違う、とても自分らしい生き方になっていて、そういう自分が愛おしい、自分大好きになっています。出会いって、ありがたく、そして重大なことです。



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もうひとり、高校の美術の先生が、離任式で残していった言葉、これもまた大きかった。

「みなさんの多くは進学や就職で都会へと出て行くと思います。見ず知らずの街のビルの谷間にいるときでも、どうか夕焼けに気づく人でいてください。いつまでも夕焼けに気づく人でいてくださいね」

この言葉はぼくが実際に東京に出てから、時間が経つほどに心にしみ込んできた言葉でした。そして上京から25年が過ぎた今でも、夕焼け空に出会う度に思い出し、自問しています。


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話がころころ転がって、美的感受性のことから、ぼくの右脳デッカチ美術系頭がいかにしてでき上がったかということに変わってしまいました。
明日は話を元に戻します。自分に、そして子供たちに、美的感受性を育むにはどうすればいいのか。








お掃除原理主義者( 和泉邸 19)

藤原正彦さんの「美的感受性」の話に感銘を受けました。その要点をちょっと整理しておこうと思います。



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物理や数学に必要なものは偏差値や知能指数の高さではなく、美的感受性。



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自然界のあらゆること、ものごとの本質は美。美しいものはたいがい正しい。



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美的感受性は後天的に親から学ぶもの。
子にそれを学ばせるためには、親が美しい文学を読み、美しい自然の中で、美を意識し、美に触れ、美に感動しながら暮らすことが必要。
 

 

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凄い、やっぱり凄いことです。数学者がたどり着いた自然科学の本質が「美」であるということ。
藤原先生はさらに、「日本人は、自分たちが世界一の美的感受性を持った民族である、ということに誇りを持って生きなさい」と言い、お話しはだんだん右傾しながら著書「国家の品格」へと続いていきましたが、ここまでで十分でした。


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何となくね、ぼくも長年そうじゃないかと思っていたんですよ。ただ、右脳デッカチ美術系頭のぼくがそれを言っても、なかなか共感してはもらえませんでした。「いわふちの価値観ではそうなんだろうけど、世の中美しさだけじゃ生きていけないからね」と。でもね、ほらね、やっぱりそうなんですよ。立派な学者さん、それも一般的には美などという感覚的な世界と対極にあると思われる数学の先生が、そうおっしゃっているんですからこれはもう間違いない。 美しさと正しさはイコールなのです。だったら、美しさを追い求めて生きる、いいんじゃないですかね。


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難しい年頃の娘にですね、「とにかく部屋の掃除をして、美しい身なりで過ごしなさい」と言うんですけどね、勉強やバイトよりも掃除が先だって。まあ父親の言葉などははなからシャットアウト。
そんなやり取りを、妻は、「あなたはいっつもそういう観念的なお掃除原理主義者みたいなことばっかり言うけど、それじゃ現実問題は解決しないのよ」と。
まあいいです。あなたたちが思っているより「美しく暮らす」ということが重大なことであるということを、これからぼくが実証してみせますよ。美しく暮らして、あなたたちをめまいがするほど幸福に満ちた世界へと導いてみせます。観念が大事なのです。お掃除原理主義、いいじゃないですか。美しく暮らすことが幸福実現の基本なのです。
っと、話がそれて、わが家の愚痴になってしまいました。
そうじゃなくてですね、美的感受性ということ、美を意識して暮らすということが、思いのほか大事なことだということなんです。


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なぜぼくが藤原先生の言葉にこんなに興奮しているのか、それは、これこそがぼくが考える庭、ファミリーガーデンの、本質的価値の真芯だと感じたからです。

「美しさは正しさ」だとすれば、「美しい庭は正しい庭」です。では正しい庭、庭の正しさってなんだと思いますか?それは、幸福感です。その庭があることで幸せを感じること、その庭を舞台にした幸せな時間、それが庭の正しさです。ということは、庭の美しさと幸福感はイコールだということ。美しい庭イコール正しい庭イコール幸せな庭。つまり、美しい庭イコール幸せな庭です。
まどろっこしいでしょ、こんな、言ってしまえばあたりまえなこと。でもそれを意識している人はきっと少ない。
誰だって庭は汚いよりも美しい方がいいと思うに決まってますけど、毎日庭を眺めながら、「ウ〜ン・・・美しい」と感じたり、あるいは「もっと美しくするにはどうしたらいいだろうか」と考える人は少ないのです。
意識した方がいいですよ、絶対に。あなたの庭を美しくすること、それは幸せになるための作業なのですから。


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庭屋の経験上、言い切ってしまいます。庭が美しい家の住人は、例外なく暮らし全般が美しい。そして例外なく幸福感に満ちた毎日を送っています。


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美的感受性の話、明日も続けます。
明日は、ぼくを右脳デッカチ美術系頭にした、3人の美術教師の言葉です。





美的感受性( 和泉邸 18)

庭の完成祝賀パーティー。舞台の照明装置のように空の照度が落ちていって、反対に庭が輝き出しました。ドラマチックです。


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昨日前振りした、最近出会ったある言葉のことを書きます。その言葉は小説家、新田次郎の次男、藤原正彦さんがラジオで話していたことなんですが、ご存知でしょうか藤原正彦さん。


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その前に、新田次郎さんのことを少し書きます。

山岳小説で有名な新田次郎(本名:藤原寛人)さん。ぼくは高校生の頃に、新田さんが描く登山、山を舞台にしたヒューマンドラマが大好きで、強力伝、富士山頂、銀嶺の人、八甲田山死の彷徨、栄光の岸壁など夢中で読みました。

大自然の中に人間を置くことで、人間の強さ、儚さ、命の煌めき際立たせて見せるその小説の世界に酔いしれ、登場人物に自分を重ね合わせながら、熱に浮かされたようにひとり夢中で越後の山々を歩き回った日々が、懐かしい想い出となっています。
新田次郎のすごさは、読み出してすぐに、読み手が実際に山道を歩いているような錯覚に陥ってしまうところにあります。風景や空気感、主人公がゼーゼー言いながら岩場を上がってゆくその呼吸の感じとか筋肉の疲労感まで、そういうことが文章ではなく映画のシーンのように、頭の中にリアルに展開してゆきます。目は無意識に文字を追いながら、自分はその映像の中で時間を過ごしている。その読み手を瞬時に夢中にさせる文章力に憧れつつ、自分の文才のなさという前提もあり、同じようなことが絵や写真でできないだろうかなんて考えていたことを思い出します。


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その新田さんの次男が、「国家の品格(240万部のベストセラー)」を書いた藤原正彦さん、数学者でエッセイスト、お茶の水女子大学の名誉教授です。


藤原先生は自らを「数学者というのはものごとの本質にしか興味がない生き物なんです」と言います。

ぼくは設計しながらラジオを聴くともなしに聴いていて、次に先生から出た言葉に衝撃を受け、設計中断、すぐに手帳を取り出してメモりました。

その衝撃の言葉とは、

物理や数学に必要なものは美的感受性です

というもの。んっ!何で?
 

「文学や美術にはもちろん必要ですけど、物理か数学にもそれが絶対的に必要なんです。偏差値とか知能指数じゃなくて、美的感受性、美に対する繊細な感受性が一番重要です。なぜかというと、自然界というのはすべて美しくできているから。神様がそう創っちゃったんですね。だから数学でも科学でも物理でも、重要な定理はすべて美しいんです。本質は美。美しいものはだいたい正しい。正しいものを追い求めるのと美しさを追求するのとは、実は同じことなんですよ」
 

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どうですこれ、衝撃的でしょ。中高と数学嫌いの美術部で、理数系の世界から逃げるようにして絵筆を手にしていたぼくには、もんのすごいショックでした。

先生のこの説はさらに説得力を増していきます。
 

「10年前に対談した素粒子学の権威エドワード・ウィッテンに、彼の超ヒモ理論(物質をどんどん分解していくと、最後は震えるヒモになる)が正しいと確認できるのはいつぐらいになるのかと訊いたらね、500年かかっても確かめられないって。それじゃあ何でその理論が正しいと信じているんだって言ったら、その理論が数学的にあまりにも美しいからだって。そんなに美しいものが間違っているはずがないって。美しさと正しさはイコールっていうそういう世界なわけ」
 

素粒子学とか超ヒモ理論とか全くわかりませんが、正しいものは美しい、自然界が美しくでき上がっているから、美しさと正しさはイコール、という論は、ぼくは感動付きで理解できました。

いやあ、オーバーじゃなく、めまいがするほどおもしろい話で、ぼくは解読不可能なほどの速記でメモしまくりました。


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藤原先生は、ご両親に一番感謝していることが、その美的感受性を育くむ育て方をしてくれたことだといいます。それがあったから数学者になれたのだと。

つまり、山岳小説を書く新田次郎の子育てによって、数学者が育ったということ。美的感受性が理系のスペシャリストを生んだということです。
藤原先生は、自分の子供たちにもそれを教えようと心がけているそうです。

美的感受性は後天的なことで、親が美しいものに感動してみせて、子供にその美しさや美しさに感動するということを教えながら育てる必要があるのだといいます。

これもぼくには新鮮なことでした。美しいと感じること、それに感動することは後天的に親から学ぶものだということ。全くそんなふうに考えたことはありませんでした。

「美的感受性、それを子供に身につけさせるためには、まず親が美しさを感じて感動することが先です。美しい文学を読み、美しい自然の中で、美を意識し、美に触れながら暮らす」
 

まいったなあ、いちいち衝撃的なお話しでした。



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「美的感受性かぁ・・・」

見上げると桜の枝越しに月が出ていました。うん、美しい。美しさに気づくこと、美しさを味わうこと。そうそうこれこれ、味わうって感じ。美しさを味わうって、ピタッと来ます。



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明日はこの話を整理します。今日はまだ殴り書いたメモを解読している状態ですが、きっとこの話はぼくの今後に影響してくる、51歳、この話に出会って何かが変わる、そんな気がするのです。いやほんと、衝・撃・的。









テミヤンライブ vol.58

震災で中止が続いていたテミヤンライブが、明日再開されます。



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地震から5日後、3月16日の横浜ロハス、パーソナリティー土井里美さんの絞り出すような「いつもにも増して、北原さんの元気がほしいです」という言葉から番組が始まりました。ぼくも全く同感、ラジオを聴いている多くの人が同じ気持だったのではないかと思いました。

日本中が震災のショックで、言葉を失っていました。いったい何をどう考えればいいのか、今自分は何をすればいいのか、結局は節電以外には何もすることができずに、思考がまとまらないままで、テレビを観ては涙だけが流れるような、そんな時でしたから、ほんとに、いつも通りの北原さんの元気が出る言葉が欲しかった。

その気持と同時に、ぼくには少しの心配というか不安というか「はたして北原さんは、この状況でも元気な北原さんで登場してくれるだろうか」というようなことを思っていました。


北原さんの声は元気でした。というか、おそらく空元気でした。一生懸命に口角を上げて、元気な声を出そうとしていることが伝わってきて、でもそれが、すごくありがたく感じられました。



「不幸を癒すには希望しかない」これはシェークスピアの言葉です。

ツイッターに海外からのこんな書き込みがありました、「世界で唯一の被爆国。頑張れ、頑張れ。ちなみにぼくは泣いています」って。

歩いて帰宅する人たちに「うちのトイレ使ってください」という張り紙があった。

みんなやさしいよね。このやさしさが集まれば、きっと希望になる。希望がわくね。こういうときに人間の本性が見える。それがやさしさだったときに、救われる気持になります。人の輪が大事。大丈夫、必ず希望が見えてくるよ。


昨日ラジオで「上を向いて歩こう」を聴いて、泣けた。今日は同じく坂本九さんの「明日があるさ」を持ってきたのでお聴きください。


止まない雨はない。がんばりましょう。


孔子の言葉/人間の最大の名誉は倒れないことではない、倒れても立ち上がることだ。



翌週の放送ではすでに空元気じゃなく、正真正銘の「元気とやる気と希望を配る人、北原照久」に戻っていて、さすが!と。

このとき、神奈川新聞で「我が人生」を連載中でした。これもまた北原さんの運命だったような気がします。悲しみと不安の日々にあって、毎日紙面からパワーをもらいながら過ごした人が大勢いたことでしょう。

さらに、東京交通会館でのチャリティーイベント。つくづく、灯台のような人、津波でも倒れない灯台の灯りですね。







今回のライブは収益金を清水国明さんに託して、被災した子供たちの笑顔を応援するとうかがいました。

今度の日曜日には石巻に13トンの大型トラックで乗り込んで、テミヤンのライブと北原さんの元気が出るトークと、そして子供たちに数千個のおもちゃをプレゼント。被災した人たちや市長にも会って「みんな応援しています」って伝えてきますって、張り切っていました。
多くの人たちが被災地へと向かっていますが、実際に行くとなると、その段取り、準備は大変なことだと思います。そしてものすごく勇気のいることだと。傷ついている人に声をかけることって、ね、勇気がいりますよね。
北原さんたちが、チャリティーに集まったたくさんの人の思いを現地に届けてくださることに、心から感謝です。




完成祝賀パーティー( 和泉邸17)

いい雨ですねえ。
今朝妻が庭に出て「いい雨!これくらい降るとあきらめがつく」と、バシャバシャ降ってる雨を見ながら晴れ晴れとした表情でした。
現場がいくつも同時進行で動いていて、雨が降るとすべてストップ、工程が遅れてしまいます。だから雨だと困っちゃうんですけど、もっと困るのは小雨です。これから降り続くのか止むのかの判断がつかない朝は、職人さんと電話で「今日はどうしましょう・・・」と 。
これだけ降ればその心配はなし、現場は休みです。

そうと決まれば頭を切り替えて、スタッフ一同今日は内勤に集中。雨音としっとりした空気を楽しみながら、それぞれプラン図の着色や見積もりに取りかかりました。ぼくはまずブログから。


ではまいりましょう、今日から夜の庭をご覧いただきます。


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庭が完成してすぐに、和泉さんから「完成を祝ってバーベキューパーティーをやりましょう」といううれしいお誘いをいただきまして、工事に当たった職人さんとうちのスタッフで押しかけ、ワイワイと 楽しませていただきました。
夕方に集合して準備開始。徐々に暗くなってゆく庭、美しいですよ! 


ワインを冷やす器に桜をひと枝、オッシャレー。
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和泉さんちはわが家から歩いて行ける距離にあり、しかもノアの毎日の散歩コース。というわけで、ノアも参加させていただきました。いつも通り過ぎる庭に入って、いったい何が始まるのかとキョロキョロしていました。


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暮れてゆく庭で夜会の支度、それだけでゴージャスな気分です。
 

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囲炉裏に炭を入れて、着火。


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準備は着々と進んでいきます。


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準備完了。では、完成祝賀バーベキューパーティーの始まり始まり。

 
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じゃ、みんな集まって、カンパーイ!


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スタッフも職人さんも、気合いを入れまくってつくった庭でこうして楽しませていただけることに、気分が高揚していました。
こんなすばらしい時間を用意してくださった和泉さんに感謝です。ほんと、うれしいんですよねえこういうの。「おつかれさまでしたー」「ありがというございましたー」と、笑顔で庭の完成を祝うことの幸福感ったらもう。



この日、美酒に酔いながら、ぼくは最近手帳に書き込んだある言葉のことを考えていました。それは、作家の新田次郎さんの次男、藤原寛人さんの言葉です。人生で何度か出会う、きっと今後の自分にとって大きな意味を持つであろうものでした。
なあんてね。ちょっと大げさな前振りをしておいてと、明日から和泉さんちの美しく輝く庭での夜会をご覧いただきながら、その言葉のことを書きたいと思います。っと、明日はテミヤンライブのお知らせをして、明後日から書きます。






 

道場付き一戸建て( 和泉邸 16)

森は荒れないわけではなくて、荒れながら、それ以上のスピードで回復している。雪で折れた木は昆虫の産卵場所になり、キノコに養分を吸い取られ、微生物によって分解され堆肥になる。その堆肥で周囲の木々が育って種を撒き、新たな木が生まれ育つ。人の身体が死滅する細胞以上に細胞分裂をしながら、数十日で全く新しいフレッシュな身体になるのと同じで、森は生命力に満ちて生きているのです。


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エントロピー増大の法則/すべてのものは拡散し秩序を失ってゆく


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森も人間も、すべての生命体はその法則に抗って、秩序を構築してゆく。それが生きるということ。その抗いが生命エネルギーなのだという考え方があります。これってうなづけますよね。いち日のうち、どれだけの時間を掃除や片付けに費やしながら暮らしていることか、ね。エントロピーの増大に抗うことが生きること。


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そこで庭なんですが、わが家では不思議な現象が起こっています。
ぼくも妻もさしてきれい好きなわけではなく(きれいな方が好きですが片付けは苦手)、時々うんざりするほど家の中が散らかることがあります。
これにはある臨界点があって、そのレベルを超えて散らかると妻とぼく、どちらともなく不機嫌のムシが蠢き出して空気が淀んできます。そういうときにうっかり余計なことでも言おうものなら、メルトダウン、夫婦喧嘩勃発!最近はお互いに賢くなってきて(喧嘩は疲れるし)、部屋が散らかってくると無口になっていって、極力相手を刺激しないように過ごすという、なんだか老夫婦のような静かなふたりになるのです。そんなことしてないでさっさと片付ければいいことなんですけどね。
で、不思議な現象とはですね、ぼくも妻も、まず庭からきれいにするようになったということです。部屋の片付けより先に、競って庭に出て花ガラを摘み、芝生を手入れし、野菜や草花を植え替える。すると、その流れで台所やリビングが片付いてしまうのです。あーら不思議。


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部屋の片付け、流しの洗いものはルーティンワークですから、それをこなしてもたいしてうれしいわけではありませんが、庭での作業は違います。気持がいいし、今の時期なら次々咲くバラや日増しに濃くなる芝生の成長がうれしい。朝はウグイスが鳴いてるし、昼はポカポカとした陽射し、夕方はドラマチックな夕焼け空、夜は江ノ島灯台の灯りと最高に気持のいい夜風。
庭ってね、神様が指示した修行の場で、神様はその修行にご褒美を用意してくれている 、ということなんですよね。


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生きるということは、乱れていきたがる秩序を整え直す営み。だから、まず片付け、掃除がすべての基本。その人生の修行において、大きなよろこびが用意されている道場が庭。
「憧れの庭付き一戸建て」は「道場付き一戸建て」なのです。人生をよりよく生きるために神様がご褒美付きで用意した道場、庭。やはり庭付き一戸建ては憧れるに値します。


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日々お客様からの「なるべく手入れが簡単で手間のかからない庭を・・・」というご要望にお応えしながら、時々ヘソが曲がりそうになります。思いっきり手入れが大変で手間がかかる庭、その苦労以上に喜びを感じられる庭の方が、いい修行ができると思うのです。
っと、あんまり大きな声でこれを言うと、設計依頼が減ってしまうかもしれませんね。どうかご内密に。





相談会に来てくださった皆様、ありがとうございました。
イメージしましょう。積極的に庭をイメージしましょう。庭を楽しくイメージするということは、人生もまた、そのようにイメージできるということなのです。

ちょっとビックリする数値を知りました。ブータンでは「私は今幸せです」と感じている人の割合が99%だそうです。いやいやこれにビックリしたのではありません。日本人でそう感じている人はたった30%、ということに驚いたのです。ブータン人は99%が幸せで、日本人は30%。
日本って、どうやらそういう国のようです。う〜ん、信じられない。ぼくなんか生きてることが死にそうなくらい幸せなもんで。でしょ、ですよね。う〜ん。
まあ唸っていても仕方ないので、・・・さっ、30%の皆様、庭のある暮らしを楽しみまくりましょう!







神様に指示された修行の場( 和泉邸 15)

一昨日の「森はなぜ荒れないのか」の続きを、昨日書き忘れてしまって(相談会でたくさんの人たちと話しているうちに、満ち足りた気持になって、ブログのことが頭から消えてしまいました)、今日書きます。



人はなぜ庭などという、放っとくと荒れ果ててしまうような厄介な場所を生み出したのでしょうか?


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実際、庭を厄介な場所って感じている人、ものすごく多いですからね。ぼくはほぼ毎日そういう方とお会いします。相談会でも、その手の話が中心でした。その厄介さを消し去って、庭をよろこびの場所に変えることがぼくの主な仕事なのです。
でもほんと、なんで庭は生まれたんでしょうね 。どんなに庭を楽しんでいる人にとっても、やっぱり多少は厄介な場所ですよね。


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ちょっと視点を変えてみましょう。
放っとくと荒れてしまうのは庭だけではありません。キッチンもリビングルームも、たったいち日片付けをさぼっただけで荒れてしまいますよね。仕事もそうで、机の上、引き出しの中、パソコン画面も、放ったらかしで片付いてゆくということはなくて、常に乱雑になっていきます。


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つまり、生活というのは基本的に荒れてゆくもので、それを整理し秩序を維持することが生活の基本だということです。もっと大仰にいうと、生きるとは無秩序な周辺に秩序を与えて統制してゆくこと。シンプルにいうと、人生とは整理整頓すること、となります。


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はい、答えが見えてきましたね。庭ってのは人間に課せられた「統制しながら生きなさい!」という神様の指示に応えるための修行の場なのです。庭付き一戸建てにはもれなく修行の場が付いてくる、というわけです。


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神様に指示された修行を怠ると・・・、きっとろくなことにななりませんよね。だからね、修行するぞ!修行するぞ!修行するぞ!
まあこれは冗談ですけど。


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昨日「森は荒れない」と書きましたが、正しくは「森は荒れながら、それ以上のスピードで回復している」のです。それが自然のパワー。
明日はそのことから入って、今わが家で起きている不思議な現象のことを書きます。







昨日相談会にお越し下さった皆様、ありがとうございました。きっと庭へのイマジネーションが広がったのではないかと、お話しをしながらそんな手応えを感じることが多いいち日でした。
最初は「小さな庭なんでいろんなことはできないように思うんですけど、何をどうしたらいいのかわからなくて・・・」と、なんだか不安そうな表情でやってきた奥様が、話し始めて5分後には目を輝かせて「庭をそんなふうに考えたことなかった」と、庭への夢をいっぱいに膨らませていました。そういうときにはぼくは小さくガッツポーズ。さらに話し込んでいいるうちに、話題は庭から遥か遠くなって、犬の話、子育てや夫婦の話、今夜のおかずの話と、あっちこっちに広がっていきます。
初対面の人と、こんなに楽しい時間を過ごせることのうれしさってものすごく大きいことです。大好きです相談会。

そうそう、「庭で『自給自足もどき』を実践して、それを子供たちに体感させたい」と張り切っているご夫婦がいました。すてきだったなあ。
庭を積極的に「家族が育つ場所」と捉えているおふたりから 、また学ばせていただきました。このこと、「幸せへの扉」として、書きとめておこうと思いました。



相談会、今日もやってます。


相談会 四季877

相談会 四季-2


ご一緒に、あなたの理想の庭をイメージしましょう。








「レノンの庭」相談会開催中

いい天気ですねえ。一年で最も心地よい季節ですね。

今日と明日の2日間、「レノンの庭」でお庭の相談会を開催中です。


相談会 四季-1

相談会 四季-2


梅雨前のこの時期に、庭のことを考えてみるのもいいんじゃないでしょうか。ズーラシアやららぽーとに行ったついでに、ぜひお立ち寄りください。


今朝も愛犬ノアと早朝の散歩をしながら、バラや春の花が咲く休日の住宅地の風景を楽しみました。


イベント - 142
こういっちゃなんですけど、かわいいでしょ。
イベント - 145


けっこうたくさんの人が庭に出て、水やりや芝生の手入れをしていて、歩きながら「おはようございます」と言うと「おはようございます」と返ってくる、そんなこだま遊びをしているうちに顔がニッコニコになっている自分に気づきました。早朝から庭にいる人は決まって笑顔なんですよね。
何人かの人とはそのまま立ち話になって、バラの誘引のしかたとか木の剪定のコツなど、即席のガーデニング教室になりました。ぼくがお教えすることもありますが、逆に教わることも多くて、例えば「ぶどうは放ったらかしの方がよく実が付く」とか、ダンゴムシは害虫じゃないって言われているけど、イチゴの実は大好きで、よく実の中に潜り込んで食べている」とか、そういう実地の知識を仕入れることができます。

休日の朝、早起きして庭に出る豊かさ、幸福感。そんな風景にたくさん出会える街はいいですね。そういう街に暮らしていたら、大した努力をしなくても幸せになれる気がするのです。周囲に引っ張り上げられる感じで。
ぼくのように、極力楽して楽しく生きたい人には、この考え方、おすすめです。

「いいんだよなあ、この街。歩いているだけで気分が良くなる」そんなこと考えながら帰宅し、わが家の庭に出たら、ロンサールとアイスバーグと、あと名前がわからない黄色いバラが咲いていました。


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妻が丹精して咲かせたバラ、こういう庭があると、これまた楽して楽しく暮らせるんだなあ。引っ張り上げられる。


さっ、あなたも、「こんな庭になったら幸せだよなあ」と、そういう気持で、あなたの理想の庭をイメーシしてみましょう。
ご来店の際に、庭の様子が分かる写真か建築図面をお持ちください。いろいろとお話をお訊きしながら、その場でいくつかのプランをおつくりします。

電話でのご予約は 090-3570-3455 (いわふち)まで。






 
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