以前は建物部分が芝生だったそうですので、芝生と石組みと灌木と仕立てた樹木の、昭和の庭としては最上級、最も贅沢な庭の使い方といえる「風情を楽しむ庭」でした。いわゆる文人庭。
東京の、早稲田、東大、慶応大学の周辺にはこの手の庭が多く存在しています。教授、学者さんが好むスタイルなのです。
日々専門分野に没頭しつつ、庭ではひとり風雅な世界に浸り気分転換をはかる、庭から感じる季節感や情緒で心のバランスを整えるというのが、ひとつのスタイルだったようです。
この「文人庭」、その名の通り、大正、昭和の文筆家は好んで庭に興じたようで、有名どころでは吉川英治、白州正子、室生犀星、林芙美子など、みなさん庭を抜きにしては語れない作品であり人生でした。
庭ってそういうものだったんですよね。学者、文筆家、他にも医師、会計士、弁護士、政治家など社会的に重席と言える職業で活躍している人にとっての「バランス回復装置」であり「ステイタス」だったのです。
栗原さんのお宅に最初におじゃましたとき、ぼくは庭からそういう感じを受けました。
よく手入れされ仕立てられている庭から、「ご夫婦はこれまで、すばらしい仕事をし、しっかりとした人生を歩んでこられたんだろうなあ」と、そう感じました。庭がそれを教えてくれました。 だいたいわかるんですね、庭を観ると。
そしてもうひとつその庭が教えてくれたこと、それは「 ご夫婦は、そろそろ次の楽しみ方をしようとしている」ということでした。何となく、「これまではよかったけど、現在はちょっと・・・、もっと違う楽しみがあるような気がする」と、そんな感じを受けたのです。よくできた文人庭が、ぼくにはどこか「かつて輝いていた庭」に見えたのでした。
奥様はうちの店に何度も立ち寄って、店中に貼ってある庭の写真を眺めていたそうです。そして具体的にどこをどう変えて、どんな庭にしたいというイメージがないままで、ぼくに設計依頼されました。
うれしいんですよねこういうの。何となく何とかしたいけど、何をどうすればいいのかわからないから、とにかく何とかしてください、みたいな感じ。全権委任ですね。
当然ぼくとしては、ヨッシャー!お任せください!と張り切るわけなんですが、その前にひとつだけ奥様に確認したことがあります。「今まではながめる庭でしたけど、今度は過ごす庭としてイメージしてみてもいいでしょうか?」と。
そのオッケーをいただいて、ご夫婦の歴史が積み重なった「ながめる庭」を「過ごす庭」に描き変えたプランを、明日ご覧いただきます。
ほんの数十年前、一家の主には庭を我がものとして自由にできる権限がありました。そればかりではない、おかずは一品多く、一番風呂に入って、リビングでは主の席には誰も座らなかった。
かつての庭は、家の主ひとりで自然と向き合う、自分と向き合うための場所でした。が、今は、これからは、家族が集って幸せな時間を共有する場所なのです。これがぼくの持論。
・・・ということは昭和から平成へ、一家の主の居場所がひとつ消えたということですね。
・・・まあいいか。