After 1
Before 2
After 2
Before 3
After 3
Before 4
After 4
こうして写真で眺めると、壁の向こう側に過ごす場所があるとは思えませんよね。
もう一度プラン図をご覧ください。
ぼくは何にでも好奇心があって、そして感謝型なんです。これが大事。物にも人にも感謝です。
でももともとは感謝型じゃなくて「どうして生まれてきたんだろう」って考えていたんですよ。友だちいないし、勉強できないし、学校は大嫌いでした。
それが、両親、特に母親の言葉で180度変わりました。「これからの人生の方が長い、出直しはできる」って。
母はほめ上手だったなあ。だれかがほめてくれる、認めてくれると、考え方は前向きになるね。
ほめ上手と言えば高校時代の沢辺先生。たまたままぐれで60点取ったらすごくほめてくれてね、「北原、お前はやればできる」って。劣等生だったぼくのことを、職員室でも「北原はすごい、やればできるんですよ」って言ってくれてたんですよ。ぼくはもううれしくて、また先生にほめてもらいたくて勉強をがんばってね、入学の時にはビリだったのが、卒業のときは一番になっていました。
沢辺先生は今でもお会いするといろいろと言ってくれるます。「照ちゃん、今の話しよかったねえ」とか「商売はやめちゃだめだよ、あきない(商い)って言うだろ」とかね。
こんなことも言ってたなあ「照ちゃんだけじゃなくて、みんなにいろいろ言ってるんだけどなあ。照ちゃんには伝わるんだよなあ。照ちゃんは感じやすいんだよね」って。
たしかに、ぼくは感じやすいかもしれません。それは人の裏側の心の闇や悲しみを知っているから。いろいろあったからね。だから感じられるんじゃないかな。
そうやって先生にほめられて自信がつくと、波動が上がる。波動は引き合うから「俺はやればできる」って思うようになったら、いつもまにか、周囲からトラブルメーカーがいなくなりました。
沢辺先生とはありがたい出会いでした。人生は出会いです。出会いがすべて。
例えばぼくが王様で、欲しい物がなんでも手に入ったら、きっと何も欲しくなくなると思う。
なかなか手に入らないからますます欲しくなるんですよ。
小百合さんに会うのは43年かかった。会いたい会いたいって、みんなに言い続けて43年ですよ。熱く楽しく語り続けた必ず夢は叶います。
語るときには、その夢が実現したときのことを具体的にイメージするといいんですよ。小百合さんと会ったら、こんな挨拶をして、こういう話をして・・・。実際にお会いできたとき、そのシュミレーション通りに会話が進んでビックリしました。
コレクションを見せたがらないコレクターもいるんですよ「目垢がつく」ってね。でもぼくは「これいいでしょ、これいいでしょ」って見せたくてしょうがない。
コレクションはすべてぼくの琴線に触れた物ばかりです。有名無名はまったく関係なくて、自分がいいなと思った物を集めています。
集め物の数だけトキメキがある。しあわせだなあ。だからこれをずっと残しておきたい。
100年経ったら、ぼくは「すごいコレクターだな」って評価されますよ。
現代アート作家コレクション展を観た中谷彰宏さんの言葉
北原さんのようにアーティストをほめてあげる人が必要なんですよ。「これいいねえ、すばらしいよ。もっとつくってよ」って言ってる声が聞こえてくるようです。
ムットーニ(自動人形師)の作品と出会ったのはもう20年も前なんだよ。お互いに惹かれたんだよね。もし男女だったら恋人になっていたかもしれない。
作り手と気が合わないと次へは進まないじゃない。
ムットーニ : 北原さんと出会う前は人間不信になっていたんですよ。
でも、北原さんってこういう人でしょ。ぼくが作品仕上げるとあまりによろこんでくれるもんだから、それじゃあまたがんばろうって。
ついに20年、33台になったんですよ。
テーマ「あなたの好きなアートは?」
最初に買ったアート作品は、25才のときに近所で開催されていた与勇輝さんの人形展のもので「リュージュのおじさんおばさん」です。
木綿の人形が生きてるみたいでね、「これを部屋に置いたらワクワクしたりいやされたりするだろうなあ」って。それで買いました。
アートはときめくもの。アートは何かを感じさせてくれるものです。そして人を笑顔にしてくれる、そういう作品がいいなあ。
笑顔って大事ですよ。笑いは神様が人間だけにくれた最高のプレゼント。笑顔と元気があれば、幸せは向こうからやってくる。
では、テミヤンの「スマイル」をお聴きください。
明日29日午後6時30分、横浜人形の家4階です。
波動が上がる感じ、心が平らに整う感じを味わいに行きましょう。
「うちはもう子どもたちが大きくなったから、庭には出ない」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「雑草取りしなくていいように、庭中をコンクリートにしたいんだけど」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「暗くなったらカーテン閉めるから、庭にライトなんていらないわ」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「雑草取りや芝刈りはしたくないので、人工芝を敷き詰めたいんだけど」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「木を植えると大きくなって大変だから、1本も植えたくないんです」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「虫が苦手だからガーデニングはしません」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「今さら女房と庭で食事してもねえ・・・」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
「上を見たら切りがないよ。人生なんてそこそこでいい、まあこなもんだよ」というあなた。ほんとにいいんですかそれで。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を呑ませることはできない。
ぼくが水辺までご案内します。その清流を喉を鳴らして味わうかどうかはあなたが決めることです。
なんちゃってね。
でもこれ、ほんとにそう思うんですね。庭を楽しむことを頑に拒否し続ける人にぼくができることは、水辺までの道案内だけ。
でも、何でなんですかねえ。何でそんなに庭が嫌いなのでしょう。目の前に幸せがあるのに、何でそんなにその幸せから距離を取ろうとするのか。そっちに手を伸ばすだけで届く距離なのになあ。
住宅地を歩くと、頑固に幸せを拒絶したような庭が延々と並んでいます。
まあいっか。幸せな人をもっと幸せにするのが庭なんですからね。
ぼくは徹底的に、バッカみたいに、ひたすらに、さらなる幸せのカタチを生み出し続けます。