2011年09月

玄関奥のテラス( 尾崎邸 11)

玄関アプローチの奥にイス・テーブルを置けるだけのスペースがあったので、そこをテラスに仕立てました。



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ここがポイント。出幅1メートル70センチのスペースをできるだけ広く使うために、地面を持ち上げて部屋と平らにしてあります。



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室内から観るとこうなります。



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畳とタイルが段差なく続くことで、外がグッと近い場所に感じられるようになりました。これなら「気持ちいい天気だから、ちょっと外でお茶にしましょうか」と、すんなりとそこに行けます。



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このように部屋と庭の段差をなくすことの効果は絶大なのです。

庭を「そこに出て過ごす場所」というふうにイメージできない大きな原因が、この部屋と庭との段差なんですね。
あなたの庭の地面を持ち上げることをイメージしてみてください。今回のように部屋と平らにしなくても、段差が20センチ以内なら同じ効果が得られます。








奥様から感じる生命エネルギーの美しい燃焼。

奥様はわが家の近所にお勤めで、ノアの散歩でよくお会いします。その度に、ノアも奥様も、瞬時にして再会を喜び合い、同じようにピョンピョン飛んではしゃぎ回ります。
どっちがイヌなのか見分けがつかないような、奥様のその軽やかで俊敏な動きこそが 「生命エネルギーの美しい燃焼」なのです。
うれしさを全身で現すクセ、考え込まずに身体が先に動き出すクセ。例えば道を歩いていてゴミが落ちていたとして、それをスッと拾う人がいます。周囲からは、その人がゴミを拾ったことに気がつかないほど、とても自然に身を屈めて、また何事もなかったように歩いています。自然と身体が動くクセがついている、そういう人の生命は必ず美しく燃焼しています。

世の中を見回して、イキイキと暮らしている人、充実した人生を送っている人の共通点が「いそがしく動き回っている」ということ。

身体を動かさない仕事、例えば文筆業の人であっても、じっと座りっぱなしの人というのはいなくて、取材に走り回り、出版社に出かけ、サイン会、講演会と動き回りながら、その合間を縫って、寸暇を惜しんで次の執筆に当たっています。村上春樹のようにジョギングを日課としていたり、時間が空くと百名山を登り続けている作家や、執筆が午前中と決め、午後は畑仕事で汗を流している人もいます。そうやって身体を動かしてバランスを取らないと、動かない仕事である執筆が滞ってしまうことを知っているのです。だから芥川賞作家でも、引きこもりっぽく青白い顔をした人などはいなくて、一般人よりもよく日に焼け、好奇心に瞳を輝かせたエネルギッシュな顔つきをしています。
専業主婦であっても、この体を動かすクセがついている奥様は、いつも周囲を明るくするような輝きを放っているものです。

思考は身体を動かしながら。
軽やかに動く人の思考は軽やかになります。反対に、肩を落としてトボトボと歩きながらの思考は、どう頑張っても希望がわいてくる展開にはなりませんよね。思考とはそういうもので、身体の動きや姿勢によって変化するのです。
体調でも変わります。体調がいいときには、いたって楽観的です。
楽観的だと用心深い思考ができないもので、ついつい調子に乗って暴飲暴食してしまったり、考えががさつになって、他人を傷つけてしまうこともあり、要注意なのですが、まあ体調万全なら思考も健全でいられます。
反対に夜中に胃が痛くて目が覚めたときなど、ぼくの思考はネガティブの極地まで落ち込んで「・・・もうダメかもしれない」となります。いつもまたすぐに眠くなって、朝起きると体調は戻っているんですけど、胃痛のときには元気なときとは別人の、悲観的な自分がいます。

人は風邪をひくと弱気になって、人生観まで変わってしまう。つまり、人の思考などというものはただの風邪の症状である。 藤原伸也

いくらものごとを深く考え込んで頭でっかちになってみても、その頭は身体の上に載っているのですから、身体の状態と動かし方次第で変化する、たよりないものなのです。
となると、思考先行の思考は意義が薄くなりますね。行動先行の思考で、かつ、その行動が健康的であることが、まともな思考の条件となります。
あなたが、どうも人生が思うようにいかない、何をやってもうまくいかないとき、あるいは思春期のお子さんが目標を見失ったり、何かに挫折して何日もふさぎ込んでいるときには、迷うことなく身体を動かすことです。スポーツでも、旅でも、庭仕事でも、なんでもいいからとにかく身体を動かして、汗をかき続けているうちに、体調が整い、やがて思考が健全に整ってゆきます。悩みは嘘のように解決するか消え去るのです。

幸せになるためには思考が必要ですが、不幸もまた思考から生み出されます。
不幸を招く不健全な思考は排除すればいい。クドクドとそんなことに時間を費やす必要はないのです。
幸福を呼び込むのは健全な思考。思考を健全に保つためには身体を健全に活動させ続けること。
思考などというものは、体調次第で揺らいでしまう頼りないものですから、頼りない思考を続けるよりも、頼りになる身体を維持することの方が先決です。


軽やかで俊敏な奥様の動きが、生命エネルギーの美しい燃焼を現している。
明日に続きます。 








 

アプローチガーデン( 尾崎邸 10)

玄関アポローチは、外構としては通路です。
その通路を庭に仕立て直して「アプローチガーデン」にしました。



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玄関側からはこうです。



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やったことは、

  1. 真っすぐに歩けないようにする
  2. 足元を気にするようにする
  3. 植栽スペースを確保する
  4. 目の高さ以上の木を植える 
以上の4項目です。



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完成直後の撮影だったので、まだ草花が植えられていません。
石の左右に(砂利の部分にも)ハーブや花が茂って、石の外周が消えるくらいにまで育つと、ここは歩いているだけでウキウキしてくるアプローチガーデンになります。



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撮影しながら「そうだ!」とひらめいて、カメラを持ったまま地べたにあぐらをかきました。

やがて石の左右に茂るであろう草花を、手入れするためにしゃがんだとします。こういう見え方になります。立って見下ろすのと、また違う世界を感じることになるのです。

草取りでも花の植え替えでも、なんでもやってみることです。やってみると発見がある。庭でしゃがんだりイスに腰掛けることで、別世界を感じられ、庭の面積は変わらないのに、庭世界はどこまでも広がってゆきます。

低い視線で眺める庭は、子どものころの風景です。身長が高くなってから、ほとんどの人は低い視線で庭を眺めたことがないはず。一度やってみてください。
十年前、北鎌倉にお住まいの方からバーベキューのお誘いがあり、大喜びで出かけていきました。
庭にご主人手づくりの囲炉裏があり、それを囲む椅子は小学校の木の椅子の足を切って、座椅子のように低くしたものでした。
そこに座ってビックリ。庭の草花が目の高さに咲いていて、振り返ると茂ったアップルミントが頭の上で揺れていました。なんだか自分が小動物になったような、不思議な気分でした。
庭に咲いている花と同じ高さに顔がある状態で、火を囲んで、肉食って、うまい酒を飲んで、大盛り上がりで過ごし、やがて夜になって空気がしっとりとしてきました。そのとき着ていたGジャンが湿気を吸って重くなったのを憶えています。近くの森から夜露が降りてきたのです。
これがまた心地よくて。
当時仕事に追われて疲れ切っていた心身が、低い位置からの庭の風景と、目の前の炭火と、森からの夜露でいい感じに溶けてゆくような感覚。癒されるってこういうことなんだなあと、実感した思い出です。

庭でしゃがむこと、視線を低くすること、たったそれでのことで、人は子どものころの気持ちに戻れます。







奥様とわが家のノアに共通して感じる「どう考えても幸せな人生を送るよなあ」という感じ、その正体はなんなのかを解析してゆきます。

昨日書いたように、その本質は「生命エネルギーが美しく燃焼している」ということです。
台所のガス台の炎と同じですね。酸素量の調整が悪かったり、ガスの出口に焦げ付きがたまってたりすると、炎は赤くなって鍋にススが付いてしまいます。それが進行すると不完全燃焼で警報機が作動して大騒ぎ。
人もそうなんです。常に美しく燃焼していないと、周囲にまでススがたまってさまざまな不具合が発生するのです。

その不具合が最初に現れるのが「乱雑」です。部屋が、玄関が、台所が片付かない状態になってきます。思い当たるでしょ、これ。何でだか片付かない、片付ける気力が湧いて来ない数日間。これが警報機がパーコーパーコーって作動している状態なんですよ。
その警報音が鳴り続けると、次に来るのが家庭不和。よーく思い出してみてください、夫婦喧嘩の前にはたいがい「乱雑」がありますよね。
その乱雑状態、家庭不和が長く続くと、これまた必ず陥ってしまうのが心身の不調です。
人は予期せぬ病気に見舞われることもありますが、日常に起こるほとんどの病は偶然ではなく必然です。生命エネルギーの不完全燃焼によって起こるのです。これはいろんな病気になってみて、回復して、振り返るとわかることです。「あの頃の暮らし方だったら、そりゃあ調子悪くなるわなあ」という状態だったことに気がつく、ありますよね。

生命エネルギーの不完全燃焼で暮らしが乱雑になり、それが続くと家庭不和になり、それが続くと病になる。この負のスパイラルにはまり込まないように、不完全燃焼でススをためないこと、生命エネルギーを美しく燃焼させることを意識しましょうね。よーく耳を澄まして、パーコーパーコーが聴こえたら速攻リカバリーしましょう。

明日は奥様に発見した「美しい燃焼」のその炎の様子を、具体的に書きます。





 

微細な心理効果を積み重ねる( 尾崎邸 9)

来訪者を、道路から玄関方向に繋いで、誘導するという仕立てに従って階段を上ると、ポストが取り付けてある門塀に突き当たります。



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この「突き当たる」感じが大事なのです。しっかりと存在感のある塀に意識が突き当たることによって、その角を曲がる弾みがつくのです。ドンと当たって曲がる、これが「アイストップ効果」です。
導線が曲がるときに視覚や意識に引っかかる対象が存在しないと、とても微かに、なんとなーく不安になります。当たって曲がる、当たって曲がる、また当たって曲がるという導線には、これも微かになんですが、楽しさが生まれます。

話がそれますが、ディズニーランドに行ってこのことを意識してみてください。びっくりしますよ。これでもかこれでもかと、当たって曲がる「アイストップ効果」が使われています。
そういうところがディズニーランドの凄さなんですよね。微細な心理効果を追求する尋常ではないこだわり。豊島園やシーパラとの決定的な違いは、それなんです。 



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ドンと当たって左に曲がると、門扉。ここで立ち止まってもらいます。門扉越しに目に飛び込んでくるのはアプローチガーデンと、その奥には隠れ家のようなテラスです。



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ドンと当たって、方向を変えて、立ち止まらせて、するとパッと場面が変わる。見せ場です。

ビフォーはこうでした。



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それが、こうなる!



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ディズニーランドと同じ、微細な心理効果を狙った仕掛けの積み重ねで、夢の国ができあがるのです。







奥様は勤め先がわが家の近くで、普段からよくお会いします。
例えばその日、30人の人と挨拶し、会話をしたとします。感じの良さランキングをつけるとしたら、奥様は常にベストスリーにいます。それくらいいつお会いしてもいい感じの方です。
奥様のその感じのよさを言葉にするとしたら、「穏やかでにこやかな躍動感」となります。 

ただ穏やかなだけじゃなくて、いつもにこやかなだけじゃなくて、躍動感がある。これが特徴です。
躍動感、常にワクワクしているような、楽しいことに飛びつこうとしているような、そういう感じ。別の言葉で言うと「おちゃめでかわいい人」です。

すごくうらやましいのです。あの感じがあれば、人生は素敵な方向にだけ広がっていくに違いない。家にそういう人がひとりいると、家族全員が幸せになること間違いなし!なのです。

奥様のその感じにそっくりな人を知っています。正確には人ではなくて犬なんですけどね。うちの愛犬ノアです。
いつも穏やかで、にこやかで(シッポが)、そしてワクワクしています。よく妻と「ノアさんはいつも機嫌が良くて、遊んでるか寝てるかだよね」と話しています。
これって、ちょっと大げさかもしれませんけど、生命エネルギーが美しく燃焼している状態なんですよね。たまにはいたずらが過ぎて叱られることもありますが、本人まったくそれを根に持つということがなく、すぐにビッグスマイルで駆け寄ってきます。「これは愛される!」もうすばらしいのひと言です。
人間同士だとそうはいかなくて、夫婦でも親子でも、家族間でもめると何日かはしこりが残りますよね。家族なのでまた自然と関係修復できるんですけど、ノアの場合は瞬時にして良好な関係になります。
「ノアさんはどう考えても幸せな人生を送るよなあ」と、そのいい感じに学ぶものは大きいのです。

奥様もノアも、人生が幸せな方向にだけ広がってゆきます。間違いありません。
では、そのいい感じの正体は何なのか。明日から、そのいい感じを解析していきます。






今日は十五夜、魚沼では堀之内の十五夜祭りです。神社で十五夜の踊りがあるんですが、それがすごくいい。「越中おはら風の盆」みたいな、静かで情感あふれる踊りです。
その十五夜祭りは稲刈りの合図でもあります。稲刈り前に豊作に感謝して、ごちそう食べて、祭りが終わったら一家総出で田んぼに向かう。
秋晴れが続くこの時期の魚沼は、収穫を喜ぶ農家の人たちの笑顔が街にまであふれて、人々は全員いい顔になります。
新米が楽しみです。かまどで焚いた新米、あれ以上うまい食べ物はこの世に存在しません。

2011年9月11日

今朝目覚めて、テレビをつけて気がつきました。今日は9.11から10年目、3.11から半年の日なんですね。

あらかじめ決められていたスケジュール通りに、設計作業をしつつ午前中に一軒、午後一軒、庭の打合せに行きました。どちらのお宅でも庭のことを話しながら、頭の隅には今日、2011年9月11日がありました。

今日をどうしたらいいのか、どんな日としてブログに書き留めればいいのか。ルーティンで午前中にアップするのはとりあえずやめました。今日いち日、今日という日のことを考えながら過ごして、それで出てくる言葉を書かかなければと。

9.11以降のこの10年、世界平和のことを考えました。宗教のことを考えました。命ということを考えました。幸せということを考えました。
この半年、人生ということ、家族ということ、日本人ということを考えました。そして幸せということを考えました。
考え続けて、慢性的に脳みそが疲れているレベルまで考え続けて、ぼくが提案する庭は変化し続けました。

この半年間、ぼくを支えてくれた言葉があります。

「一隅を照らす」

持ち場持ち場で頑張ること、一生懸命に生きることが最も大切なことだと。それが基本であり、だから、例えば若者が「被災地のボランティアに行きたいので会社を辞めます」みたいなことにはぼくは同意できない部分がありました。
自分の持ち場をしっかりと機能させること。自分の周辺にある日常を、当たり前に、愚直に、真剣に、美しく幸福感に満ちたものにするための努力を怠らないこと。それができない人が発する言葉は空虚で、それをしようともしないでワイワイ騒いでいる人の行動は、震災があろうとなかろうと、満たされていない自分の人生のつじつまを合わせようとしているように見えたり・・・。まあそれでも、復興に寄与する姿勢はすばらしいことですが。
ただ、究極は、自分の周辺に幸福感を構築しようとしない人に、他人を苦境から救い上げるなどという神の業はできません。できるはずがない。自分の立ち位置もままならず、時にはだれかを不幸にしながら生み出す幸福感など、あっという間に効力をなくします。だいいち、人生の岐路に立って、へたりこみそうな悲しみの中で、それで立ち上がろうと踏ん張っている人に対して、失礼です。

いやいやこんな話じゃないんです。もうひとりの自分が激しく異を唱えています。
未熟者でも、自分が不幸でも、それでも被災者の力になりたいと、会社を辞して東北へと向かう若者は、正しいのです。それが青春だ!
でなければ、優等生や成功者にしか人を救うことはできないのか、ということになりますから。
ちがいますよね。どんなに自分が辛い境遇にあるとしても、今はダメな暮らしをしている人であっても、道に人が倒れているときに駆け寄るかどうかで、その人の人生の価値は決まります。
世界から賞賛された通り、日本人はすばらしい。すべての日本人が、この半年間、何度涙を流したことでしょう。自分にできることはなんなのかを考えなかった人は、ただのひとりもいなかったはずです。
テレビで繰り返されるポポポポーン!や「こだまでしょうか」を、やり場のない悲しみと、無力感と、祈りと、願いと、錯綜する気持ちで聴いていましたよね。

今日のテレビはこれでもかもれでもかと、津波の映像と、頑張る人たちのことが流れます。・・・ぼくはこの半年、何ができただろうか。節電して、募金して、がんばれがんばれと声を出して、・・・。
いやいや、迷うことはすまい。ひたすらに「一隅を照らす」ことを続けます。

今日うかがった2件のお宅での庭の話は、とても喜んでいただけました。ふた組の家族が、ぼくの提案で、今まで考えたこともなかった「庭のある暮らし」にワクワクした気持ちを持っていただけました。
この出会いが、笑顔いっぱいだった今日の時間が、ふた組のご家族の人生に、新たな幸福のカタチを生み出すことができたとしたら、これがぼくの持ち場、「一隅を照らす」ということです。


まだまだ考え続けます。考えれば考えるほど、ぼくの中に生まれる庭は変化してゆきます。
気づいたことは、この変化はいい変化だということです。変化するほどに、お客様の反応が大きく熱くなっていることを感じているからです。「感動しました!」とまで言ってくださるのですから、うれしい限りです。
だから、考え続けます。被災地のことを、家族を亡くした人の心を、放射能に怯えるお母さんたちのことを、人の幸せについて、家族とは、人生とは、命とは、ぼくは考え続けます。考えて考えて、それを投影した庭を、提案し続けます。狂ったように。
いいですよね、地球上にひとりくらい、こういう人がいても。

2011年9月11日、同時多発テロから10年、そして東日本大震災から半年です。報じられる、なかなか進まない復興の様子を観ながら、ふと気がついたことがあります。被災していない人の心も、相当に傷んだんだよなあと。
被災していない人の心の復興ができたときに、被災地の復興は加速するのだと思うのです。
「被災地の頑張りに元気をもらった」とか言ってるようでは、まだぜんぜん。そのもらった元気を数万倍にして、日本中から東北へ注入する、そこまでやりきらなければ。
日本中が元気になって、愛情に満ちあふれて、目眩がするほどの幸福を感じて。そのことこそが一気呵成に復興するパワーを生み出すのです。幸福によって生み出される幸福は筋金入りの幸福です。幸福による復帰です。それもただの復興ではなく、以前よりも数倍すばらしい、世界中の人が手本にするような「理想郷」を実現する。
それは政治家なんぞが束になってもできないことです。我々がそれを成すときに、政治家を活用すればいいことなのです。

2011年9月11日、思うことでした。





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3月11日。地球が小さく息をしました。

それはわたしたちにとってあまりにもおおきくそして悲しい呼吸でした。

町は色を失いました。

思い出として語らうまでにはどれだけの月日が必要かわかりません。

そろって歩み出すにはあまりにも深い傷だし、

未だ現実と向き合うことを許されない東北の仲間もいます。


それでも、わたしたちは生きています。


たくさんの支援とたくさんの愛情と、

そしてなにより「自分にできること」を探してくれたたくさんの想いすべて。

しっかりと受け取りました。

わたしたちは、このエネルギーを大切に大切に育んでいくつもりです。

月日が経ちこのポスターが色褪せた時、沿岸の街は活気の色に染まっているはず。


みつめていてください。

この地から「ありがとう」を形にできるその時まで。


さあ復興の狼煙が上がりました。
 


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此処でなきゃ駄目なんだ。



これからを、取り戻す旅。



余計な言葉はなくていい。



甘くみるなよ、大槌人だ。



それでも今日も海を見る。



あの日と戦い続けて行く。



チョー悲しくなんかない。



忘れたいけど覚えておく。



頑固者の、出番のときだ。



ひとつひとつ咲かせるよ。



被災地じゃねえ正念場だ。



瓦礫を、踏み台にするさ。



野球がしたいです、神様。



悔し涙は、嬉し涙にする。



そして絆は家族になった。



前よりいい町にしてやる。



大笑いできるその日まで。



続く未来に胸張れるように。



心まで壊されてたまるか。



仲間は力だと、わかった。



かわりに気づいた宝物。



しおれてちゃ男がすたる。



夢は勝つ。かならず勝つ。



埃も泥も、思い出にする。



もうふざけんじゃねえぞ。



かじりついてどこまでも。



ため息つかないと決めた。



諦めるな、と帆立が言う。




クリックして、じっくりとご覧ください。

「復興の狼煙」ポスタープロジェクト








さあてと、明日も思いっきり幸せな庭をイメージします。




 

幸運が舞い込むアプローチ( 尾崎邸 8)

昨日ご覧いただいたサインウォールの前まで行くと、地面が石張りになっていて、その石が階段へと続いています。
くどいようですが、これが繋ぐということです。



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素材によって誘導する、もの言わぬ石に案内をさせるのですからおもしろいものです。
ピンクと白が混ざった乱張り石が、無言で、さっと階段側を指し示して、階段の上からは、これまた無言で、サインウォールと同じ仕上げの壁が手招きをしています。

ビフォーではこういうストーリーがなかったために、その先に玄関があるのかお勝手につながっているのかわからない、うかつに入ると怪しまれるかもしれない、という雰囲気でした。



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初めて訪れる人に、しょっぱなから不安感を与えてはいけません。スムースに意識を玄関へと誘導し、途中で心地のいいインパクトを与えて、心の鎧を脱いでもらって、無言の手招きで玄関まで来た人とは、ドアを開けたら必ず笑顔でのご対面となります。
ストーリーで、素材で、繋いで、誘導して、さらに両手を広げて迎え入れるような玄関アプローチなら、幸運も舞い込んでくるはずです。






ジョン・レノンへの憧れから始まって、30年以上を経て、世の中的にはまだまだ珍しいいっぱしの主夫になりました。

もしこのことがなかったら、ぼくは今のような設計はできていないし、まったく違う仕事に就いていた可能性が高い。トンネル掘りの土木技師か(トンネルの測量は最高におもしろいのです)ゼネコンの現場監督として世界中に高層ビルを建てていたかもしれません。自分のそんな未来像をイメージしていた時期もありました。


でもよかったですよそうならなくて。この仕事の方がはるかに楽しく、天職と思えるほど自分に合っていると感じているからです。ほんとよかった、女男で、ジョンに憧れて、思う存分主夫をやらせてくれる妻と巡り会えて。

主夫業をしていると「家族」のことを考えます。奥樣方にとっては当たり前のことですよね。料理でも掃除でも、家族がいるから楽しいのです。家や庭を、気持ちよく暮らせるように美しく快適に整えることも、家族がいるからこそです。

もしぼくが一人暮らしだったら、独身時代にそうだったので生活空間を美しく整えることはすると思うのですが、それと家事とはまったく本質が違います。「自分の暮らしを整える」のと「家族の暮らしを整える」のとでは、そこにあるよろこびの度合いが違う、いや度合いじゃなくて、よろこびがあるかないか、という違いです。

何日間か家にぼくひとりということがあります。開放感もあり「さあてと、思いっきり好きなことしよう!」とワクワクします。ただし、それは最初のいち日くらいで、あとは・・・。

ひとりってのはつまらないものです。いるとうるさい妻も、反抗期でお手上げ状態の子どもも、いなくなると張り合いが無くなります。料理なんて一切する気になれず、美味いものを食べたいという欲求もゼロになり、腹が減ったらプレーンの食パンを牛乳で流し込むみたいなことになります。


家族と暮らすことの幸福感を感じながら、それに感謝して、その幸福感を守り育ててゆくのが家事なんですよね。


主夫であるぼくの中にはそういう価値観ができあがっているので、家族を思いながら、暮らしを日々整えることによろこびを感じている世の奥樣方と近い世界にいます。そして庭の主人はたいがい、ご主人ではなく奥様なので、庭をイメージするときには主婦と主夫の世界観がうまいことリンクするのです。

日経新聞は読んだことないけど、サンケイリビングは隅々まで読むという、そういう感覚じゃないと価値あるファミリーガーデンは生み出せないんじゃないかなあ。


家族と過ごす時間に幸福感を感じるかどうか、人生においてそのことにどれくらいの価値を感じているかというアンケートで、先進17カ国中で日本は最下位だったそうです。
ちょっと意外でしたが、言われてみるとそうかもしれません。諸外国に比べて日本人の家族意識は、確かに低いような気もします。将来の夢は?と問われて「家族仲良く幸せに暮らすことです」という回答は少なそうですからね。
戦後の復興が加速しすぎたということなのか、世界に羽ばたく仕事をするとか、◯◯で社会の幸福に寄与する、そういう感覚は育ったものの、一番身近な世界、家族の幸福感を見落としてしまっているのかもしれません。
何らかの分野で大成功している人、評価を得ている人が、一家団欒の時間を持っていなかったり、家庭不和、仮面夫婦だったりしますからね。仕事に夢中なのはけっこうですが、奥さんの顔に笑い皺がないようではその人の人生ってどうなのかなあ。
もしかしたらその社会的成功も、本質的にはただの商売上手とかプレゼンテーションが突出して上手いだけとか、そうなのかもしれないなあと思ったりもするのです。なぜなら、家庭円満を実現できない人に、社会の幸福に寄与する仕事などできっこないと、ぼくの主夫感覚ではそう思うからです。

将来の夢は?「はい、家族みんなが幸せに暮らすことです」、そう答える子どもが増えるといいなあ。
前提にそれがあれば、たくさんの家族に幸福感をもたらすすばらしい料理人にもなれるし、社会の幸福を創造するための事業を展開する会社の経営者にもなれるし、真に政治家らしい政治家が生まれるかもしれません。
そう思うと、子どもに家事をやらせた方がいいですよね、習慣として。
食べたら洗う、脱いだらたたむ、起きたら掃除する、自分のシーツは自分で取り替える・・・。
ご主人方は、主夫とまではいかなくても、たまには家事を手伝ってみてください。そこにたくさんの気づきがあると思います。

あぁ主夫でよかった!というお話しでした。


尾崎さんちの奥様がお持ちの「穏やかでにこやかな躍動感」を掘り下げる、という予定が「イラカン」→「アニキ的リーダー」→「イクメン」→「主夫」とどこまでも話がそれていって、戻って来れなくなっていました。
明日から軌道修正して、今回のシリーズの裏テーマ「穏やかでにこやかな躍動感」を掘り下げます。






奥様らしいサインウォール( 尾崎邸 7)

道路から見えない家の存在を示すために、駐車場の突き当たりに建てたサインウォールです。



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右端に、道路際に建てたのと同じアイアンウッドの柱を組み込んであります。これが繋ぐということです。一部に同じ素材を使うことによって統一感と共に意識を駐車場奥へと誘導するのです。

壁のセンターにアイアンの表札、右側にライトとインターホンを配置したので、ここまで来た人の意識は右側へと促され、足元と同じ石を張った階段に気づきます。そっちを見上げると、そこにまた壁があり、ライトとポストが見えます。



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「あぁこっちか」となるわけです。


壁中央の表札は奥様が選びました。



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いい感じです。とても奥様らしい、奥様の暮らしの趣味と合った表札。
外構全体からいったら小さな小さな表札ですが、その小さな表札ひとつで生まれる印象は大きいのです。

壁には、植木鉢の水やりと洗車用に蛇口も設置しました。



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蛇口のデザインも表札とマッチしています。あと、壁の色と塗りの仕上げ方も。
奥様の趣味でコーディネートされたこの壁全体が、尾崎家の雰囲気を現しているような、そんなサインウォールに仕上がりました。






ジョン・レノンの「主夫宣言」に憧れて、途中迷いや葛藤があったものの、今では家事をすることが暮らしに欠かせない楽しみになっています。
最近ではイクメンとか言って、家事をこなすご主人も増えてきましたよね。でもまだまだマイノリティなわけでして、ぼくのように家事育児を「暮らしに欠かせない楽しみ」と感じている男は、世間一般から見たらまだまだ珍種の部類というのが現状です。

よく「ご主人が家事手伝ってくれるなんてうらやましい。うちなんか何にもしてくれなのよ」と言われます。そういうことを妻からは言われたことがないので、もううれしくて鼻高々です。となりにご主人がいれば「ハウスバズバンドって楽しいですよ」と、こっちの世界に引っぱり込もうと試みます。

・・・でも内心、もうひとりの自分が「それは危険だよ」と、つぶやいています。

向き不向きがあるからです。それと夫婦がお互いにそのことをよく理解していないと、奥様にとっては領分を荒らされることになり、ご主人にとっては(ぼくも一時そう思ったように)「何で俺が・・・」と不満の種になってしまいます。
「いいなあ」と思うのはとなりの芝生。実際にやってみるとそこは茨の道なのです。

ただ、ぼくはこの茨の道、「主夫」でいることにとても満足しています。家事には修行のような部分があり、自分を高めていくための日々の営みとして、それは打ってつけだから。女男の性分に合ったのでしょう。
それともうひとつ、「主夫」でいることが庭の設計をする上でものすごく役に立っています。
もしぼくが男男で「男子厨房に入らず」だったら、ぼくが設計する庭は今とはまったく違うものになっていたでしょうし、これほどたくさんの仕事を得ることもなかったのではないかと思っています。
庭スペースを外の部屋として捉えるとか、庭があることで家族の幸福感が増幅するようにとか、そういう発想が限りなく膨らんでいくのも、主夫だからこそかもしれません。

明日に続きます。





道路と玄関を繋ぐデザイン( 尾崎邸 6)

では、旗竿型宅地の入り口から順に、細部の解説をしてゆきます。


今回の一番の課題が「家の存在がわからない」ということでした。道路から建物が見えないのです。
そこで、道路際に柱を並べて表札を設置しました。



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そしてそこから見える駐車場の奥に、さらに目を引くサインウォールを建て、その足元を目立つ色の自然石乱張りで、「その奥に何かある」感じを出しました。



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近づくと、その乱張りが階段にも張ってある。これで道路から駐車場奥、そして階段を上るという誘導ができあがりました。
道路から、隠れて見えない家の存在、玄関へと意識を繋ぐ仕立てです。





きのうの続きです。「主夫の葛藤」。
家事育児をしたくて会社を辞め、自営を始めました。昼間は家事中心に時間を使い、夜中に仕事をするという生活。当時は新宿区に住んでいたので、明け方の歌舞伎町によく行ったなあ。遊びじゃなくて、仕上げた図面を持って歌舞伎町近くの24時間営業のコピー屋さんに行って、ついでに立ち食いそばを食べに行くのです。
今考えると睡眠時間が極端に少なく、よく病気にならなかったものだと思いますが、当時はただただ夢中。
会社を辞めるときには不安もありましたが、今思うとすてきな選択でした。「主夫」のひと言に憧れて、ジョンの真似をして、おかげでその後の人生がどれほどエキサイティングに展開したことか。

もし進路に迷っている人がいたらぜひこの言葉を。シンドバットの台詞です。

もし迷ったら、心のコンパスを信じるんだ。

いいでしょう!

そうやって始めた家事育児も、数年が経過すると楽しいばかりではなくなっていきました。「男は仕事が一番、もっと仕事に集中した方がいいのではないか」とか「自分は楽しくていいけど、もしかしたら妻が感じるはずの幸福感を奪っているのではないか」とか。いろんな葛藤が芽生え始めてきました。
なぜそんな迷いのような気持ちが生まれたのかというと、時間が経つうちに家事の基本、本質が見えてきたからです。それは「反復」ということです。

毎日繰り返し同じところを掃除して、献立を考えて同じスーパーで買い物をし、食べたら片付けて、風呂洗って、洗濯して、それが延々と続く日々に飽きてしまったんですね。何もかも放り出したくなりました。自分で選んだことでありながら「何で俺が毎日こんなことしなきゃいけないんだ」って。
そうなってからが辛かった。自分から入り込んだ迷路で途方に暮れているような状態が何年も続きました。
さっさと方向転換して主夫廃業宣言すればいいんですけど、そこがまた性格で、グチグチ不満を感じながらも、せっせと主夫業をこなしていました。

さらに年月が経ち、子育てが落ち着いて、妻との役割分担もいい具合にバランスがとれてきて、仕事も順調に伸びていって、いつのまにか家事は自然なこととして身に付き、今ではまた暮らしの中の欠くことのできない楽しみとなっています。

どうです、こういう旦那。妻曰く「あなたは女男なのよ」だそうです。そして妻は自分を男女だと言っています。人には、男男、女男、女女、男女がいるという話があって、その分類でいうとそうなるのです。
まあ、女男と男女でバランスは取れているので、こういうのもいいんじゃないかと思っています。
いろんなご意見もあるでしょうが、楽しいんだからいいんです。いやほんとに、楽しいですよ。
お宅のご主人はどうでしょうか?まったく家事をしないという男男か、それとも女男か。奥様はいかがでしょうか?うちみたいな勇ましい男女でしょうか、それとも女性的魅力にあふれた女女でしょうか。

この話、明日に続きます。

ちなみに本日、わが家の男女は和歌山出張で留守です。女男は早めに帰宅して、心置きなく庭の手入れと台所の掃除ができます。普段は男女の指導が厳しくて、なかなか思い通りにやらせてもらえないのです。だから、留守の間に思う存分好きなように。いやあ楽しみ楽しみ。




鎧の脱衣所( 尾崎邸 5)

階段を上がります。



Before  6
 ビフォー6

After 6
アフター6



階段下で何となく予感を感じさせながら誘導しておいて、ここでガシッと、尾崎さんちの世界に閉じ込めます。わかりますかね、この感じ。
茶室のにじり口や神社の鳥居と狛犬みたいなことで、ここを通過するときに、帰宅した家人や来訪者の気持ちをチューニングします。外の世界と(社会)から家(個人の領域)への気持ちの切り替えをし、鎧を脱いでいただくポイントです。
とても微細な効果を狙った仕掛けではありますが、こういうことの積み重ねが心地よい玄関アプローチを実現するのです。

振り返ってみます。



Before 7
 ビフォー7

After 7
アフター7



ピンクと白の石材によって楽しさが生まれましたよね。ウキウキするような。
トントントンと階段を上がって、上がり切ったところでギュッと閉じ込めるのです。そこで、気持ちが整えられる。

角を折れて玄関に向かいます。



Before 8
ビフォー8

After 8
アフター8



前々回のシリーズ「高橋邸」と同じく、ただの通路をアプローチガーデンに仕立て直しました。

門の中に入って振り返ります。



Before 9
ビフォー9

After 9
アフター9



そのまま後ずさります。



Before 10
ビフォー10

After 10
アフター10



また振り返って、玄関の奥の和室の前です。



Before 11
ビフォー11
 
 After 11
アフター11



決して大掛かりなリフォームではありません。ちょっとしたし立て直しで、暮らしの楽しさが大きく膨らんだことを感じていただけると思います。


これが「穏やかでにこやかな躍動感」を持った奥様の、「無理しない」で「少しだけ変える」という奥様流によってできあがった世界です。

明日から細部を解説してゆきます。



 


昨日「ぼくはイクメン、ハウスハズバンドの先駆け」と書きました。そうなったきっかけはジョン・レノンです。
ジョンは息子ショーンが生まれてから何年間か、音楽活動から離れて家事育児に専念した時期があり、当時話題になりました。プレーボーイインタビューで読んだその「主夫宣言」の記事を、とても単純に「カッコイイ!」と思ってしまったんですね。ぼくも子どもができたらそうしようと。ぼくが二十歳のときです。
この話をよくお客様にするんですが、若いご夫婦はもうジョン・レノンと言ってもピンと来ないんですよね。すでに歴史上の人になってしまっていることに驚いてしまいます。

13年後、ぼくは結婚し、そして子どもが生まれて、そのようにしました。これなんですよね、熱しやすく冷めづらい性格。

カッコイイ!と思って真似して始めた「主夫」、実際に家事育児をやってみると、楽しい楽しい。大変に感じたのは最初の数ヶ月だけで、その後は家事抜きの生活だとバランスを欠いているような気がして、現在まで、比較的家のことをこなすイクメンになっています。

この話明日に続きます。最初の数ヶ月感は大変で、その後は楽しくて、しかしそれが何年も続くうちに生まれた「主夫の葛藤」についてです。





 

少しだけ変える( 尾崎邸 4)

今日と明日、尾崎さんちのビフォー・アフターをご覧いただきます。



Before 1
ビフォー1

After 1
アフター1



奥様の「穏やかでにこやかな躍動感」によって生まれた変化をご覧ください。


Before 2
ビフォー4
 
After 2
アフター4



全面的な仕立て直しじゃなくて、ほんの少しの変化です。


Before 3
ビフォー2

After 3
アフター2



「ほんの少しの変化」、これもまた今回の重要なキーワード。


Before 4
ビフォー3

After 4
アフター3



日常をほんの少しだけ変えてゆくところに、奥様流のコツがあります。


Before 5
ビフォー5

After 5
アフター5
 


「少しだけ変える」ということは「無理しない」ということです。

穏やかでにこやかな躍動感を維持するためには、この無理をしないということがとても大事で、そういうタイプの人はこのことをしっかりと身に付けています。
絶対に無理はしない。無理はしないけど、それは何もしないわけじゃなくて、いつも心にあるときめきを、必ずカタチにしようという意欲というか情熱を静かに持ち続けています。これが才能なのです。

ビフォー・アフター、明日は階段を上がります。






前総理大臣は「イラカン」と呼ばれていました。その名の通りに、若いときからソフトな風貌とは違ってイラチで、原発事故直後には東電本社に乗り込んで、周囲が青くなるほどの勢いで幹部を怒鳴りつけたといいます。
田中角栄の時代には、勘所で大声を上げる頼もしく力強いリーダーが望まれていました。ときに腹心に吠え、かと思うとガハハと笑い、たまには人目をはばからず土下座をしたり涙を見せたり、それが角栄さんの魅力だったのです。当時のすべての政治家はそのくらいのことはたしなみとしてこなしていました。
もっとさかのぼれば、戦国時代には声が大きくなければ大将は勤まらなかった。声の音量だけじゃなくて、瞬時にして感情が爆発するというタチ、あるいはそれを演じられることが、人の上に立つための絶対的な資質とされていました。腹の底からの野太い声で「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。やあやあ我こそは」と名乗りを上げることから戦闘が始まったわけですからね。その名乗りの迫力は戦況に大きく影響したことでしょう。

リーダーは(男でも女でも)、声の大きい激高型。それが当たり前だった長い歴史が終わろうとしていることにお気づきでしょうか。というか、もう終わっているのです。

野球もサッカーも、リーダーの感じがひと昔前とは違っていますよね。鬼コーチ、熱血指導者じゃなくて、アニキのような存在のリーダーがいい結果を生んでいます。
そういうアニキタイプのリーダーによって才能を開花させた選手じゃないと、世界レベルには行けないんです。根性物語じゃなくて、愛情物語です。
浅田麻央、石川僚 、イチロー、長友佑都、みーんなそう。

この変化に適応できずに苦しんでいるのが相撲界ですよね。いつまでたってもアニキが出てきません。
貴乃花あたりがその役割をしてくれると、また楽しいジャンルになるんだけどなあ。千代の富士が理事長やって、朝潮が巡業部長やって、
大乃国がスイーツ担当部長やって。いいと思うんですけどねえ。

スポーツだけじゃない、政治でも、会社でも、学校でも、そして家庭でも、時代の変化に適合したリーダーが必要なのです。
昔ながらの頑固親父や教育ママから、今風の父親母親像へと自分を進化させてゆくことも、親のつとめなのかもしれません。
ご主人方は、育メン、ハウスハズバンドをイメージしましょう。ぼくはその先駆けだと思っていますけど、家事、育児は楽しいですよー!あんなに楽しくエキサイティングなことを妻任せにするのは、人生の楽しみの何割かを放棄していることになります。






新たなイマジネーション、Plan C( 尾崎邸 3)

Plan A・B を眺めているうちに、奥様の中に広がった新たなイマジネーションをカタチにしたのが、次の Plan C です。



Plan C
尾崎様邸 C
尾崎様邸 C-1
尾崎様邸 C-2



昨日書いた「にこやかで穏やかな躍動感」。ぼくが、奥様の持つそういう特性に気づいたのはこの辺りからです。

設計のポイントは後日じっくりと、各部の紹介をしながら解説するとして、今回のシリーズはそれと平行して、この「にこやかで穏やかな躍動感」のことを掘り下げてみようと思います。







ノアと夜の散歩をしていたら、公園でマツムシが鳴いていました。
毎年その声を聞くと思い出す話があります。

戦争で焼け野原になった東京。終戦直後、マツムシはいなくなったといいます。しかし、それまで秋になると当たり前に聴こえていた虫の声が消えたことに、当時の人たちは気づきませんでした。それどころではなかったんですね、食料を確保し、瓦礫を片付け、暮らしの何もかもをゼロから再建しなければならなかったのですから。
5年が経ち、道路や建物などが整備され街は徐々に体裁を取り戻し、10年が経った頃には高度経済成長へと突っ走る勢いまで出てきて、そうなってようやくマツムシの声が聞こえないことに気づいた人がいて、新聞の小さな話題になりました。「マツムシが青梅街道を上ってきている」というものです。

空襲で東京中心部から消えてしまったマツムシが、奥多摩から街道沿いの街路樹を伝って都心に向かって生息域を広げているというその話題が、街路樹整備を促進したと言います。ようやく人々に、樹木や虫の声に思いをする余裕が生まれたのです。

今では六本木でも新宿でも、街路樹からマツムシの声が聞こえます。都心で最もよく聴くことができるのがマツムシです。足元の草むらから聴こえるのはコオロギで、木の上から聴こえるのがマツムシ。

このマツムシの声を壮絶な大音量で聴くことができる場所があります。円海山の頂上の広場です。
暗くなった直後がピークですので、お子さんを連れて(虫除けスプレーをお忘れなく)、懐中電灯持って、夜の散歩をしてみてください。
いったい何匹が鳴いているのか、100や200じゃないことは確かです。
虫の声は求愛の叫びですよね。土砂降りのように、ザーッと降る虫の声に包まれると、何とも言えない荘厳な気持ちになります。
ちなみに、9月に入ってもまだまだコクワガタは捕れますので、コナラの木にトラップしかけておいて採集ついでに虫の声シャワーを浴びるのも楽しいと思いますよ。
あの大音量のマツムシの声、小さい子は一生覚えてるんじゃないかなあ。とても大きな宝物になる気がします。





 

穏やかでにこやかな躍動感( 尾崎邸 2)

繰り返される日常に変化を求める人と、変化を嫌う人がいます。
変化を求める人は精神が躍動している人で、変化を嫌う人は生命エネルギーが枯渇している状態です。
周囲の人を観察してください。あなたがいいなあと思い憧れを感じる人は、常に変化しようとしていますよね。たとえ90才のおばあちゃんでも、変化を望む姿勢で日々を送っているはずです。
なぜそう言い切れるのかというと、それが命の営みであり、宇宙の法則だからです。

はい、今日の前振りは短めで。
では、尾崎さんちのプランをご覧いただきましょう。最初にご提案した A と B です。



Plan A
尾崎様邸 A
尾崎様邸 A-1
 尾崎様邸 A-2


旗竿型宅地のため、道路から家の存在がわからないということと、門扉がないために玄関アプローチに面しているリビングでくつろげないという2点を改善しつつ、ガーデニングと、庭で過ごすことというふたつの楽しみを加えたリフォームプランです。

まったく同じ考えで仕立てを変えたのが、次の Plan B です。



Plan B
尾崎様邸 B
尾崎様邸 B-1
尾崎様邸 B-2



同じ狙いを持って設計しても、素材や仕立て方で、このようにまったく違う見栄えになります。

この2プランをもとに検討していただいた結果、B をベースにし、さらに奥様の中に膨らんできたイマジネーションを加味してできあがった Plan C を明日ご覧いただきます。


「日常に変化を求める人の精神は躍動している」、奥様の精神は躍動していました。ですからこの2プランを観て、そのどちらかを選ぶよりも、これに刺激されたことで浮かんできたさらなるアイデアに、自らがときめき始めたのでした。
これ!すばらしい!
いつもニコニコしていて、前のめりにならず、ふんぞり返らず、ホンワカしながら真っすぐな姿勢でいる奥様の、これが真骨頂。柔らかい人の精神が躍動すると、柔らかいパワーが発揮されます。穏やかなまま、穏やかな変化を望んでそれにときめく。
この感じ、奥様のこの感じ、世の中のいろんなタイプの人がいる中で、ぼくは奥様のタイプが最も確実に幸せな人生を歩むと思っています。

エントロピー増大の法則に抗って、乱れることよりも速い速度で構築してゆくこと、死滅してゆく細胞よりも大量に細胞分裂してゆくこと、それが生命維持なのです。つまり、維持とは、変化させないことではなくて、変化し続けることなのです。
このことは、庭を楽しんでいる人は、みーんな知っています。このことは、庭が教えてくれる最も基本的で大切なことなのです。
尾崎さんご一家が以前お住まいだった家は、庭が広くて、そこで庭を楽しみまくっていたそうです。
奥様から感じる穏やかなパワー、にこやかな躍動感は、そんな暮らしで培われたものなのかもしれません。





台風が行って、空は秋になりました。鱗雲に白い半月。今日は早めに帰宅して、その流れる雲を眺めながら、庭でブログをやってます。
夏の暑さで花数が少なくなった庭、芝生とゴーヤがやたらに元気です。
さあてと、あと何回芝刈りできるかなあ。

そうそう、そろそろ暑さは和らぎましたから、芝生に肥料をあげても大丈夫ですよ。芝ドクターを縦に撒いて、次は横に撒いて、均等にばらまいたら、葉についた肥料の粉を洗い流すように、タップリと散水してください。
2週間後にもう一度、また2週間後に・・・、11月いっぱい繰り返しましょう。そして芝生は、十分な栄養を溜め込んで冬の休眠期に入ります。
寝る前に食べると太るでしょ、芝生も同じ。休眠期は根が力を蓄える時期なのです。

何にも咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ。

よく食べて、よく眠った芝生は、春、盛大に芽吹きますよ。





 
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