庭を考えることというのは、そのご家族のことを考えるということです。
ご要望がウッドデッキであっても、目隠しであっても、花壇や植木であっても、ぼくが考えることはそのお宅のご家族が、どのように暮らし、これからどうやってさらなる快適さや幸福感を実現してゆくのかということ。そのために必要な庭、外構、植物はどういうものなのかを考えます。
そうやって仕事を積み重ねながら、当然のことながら、ものすごく多様な家族のカタチ、暮らし方、生き方に遭遇してきました。
ぼくがかかわる人たちは「庭」に意識が行く人たちですから、たぶん世の中的には優れている、良質な暮らしを実現している人たちです。
そういう人たちの暮らしぶりや言葉から見つけた、幸せになるためのヒントやコツを「幸せへの扉」としてご紹介しています。昨日の「これを楽しむものに如かず」は38番目の扉で、できれば100まで、扉を並べたいと思っています。
「幸せへの扉」を書くうちにひとつハッキリいてきたことは、ご主人よりも奥様から教えられることの方が圧倒的に多い、ということです。
庭の打合せが奥様主導で行われることが多いというのもありますが、それだけじゃなくて、奥様の方が、というか女性の方が、我々男よりもはるかに「幸せ」に対して積極的であり、またそのための知恵も持ち、努力もしている、ということに気づきました。
いつもはぼくの日課になっている愛犬ノアの散歩を、ぼくの都合がつかない日に妻が行ってくれました。そして帰ってきた妻が「散歩してるとさあ、奥さんたちはみんなにこやかでとってもいい感じなんだけど、ご主人方ってみんな無愛想だよね。よっぽど嫌なことがあったのか、人生に疲れ切っちゃったような顔してる人ばっかりで、こっちが挨拶すると一応は返してはくれるけど、ニコニコしている人はまず居ない。あなたは愛想良くしてるでしょうね」と。
ぼくは大丈夫。そのにこやかな奥様たちとお話しするのが楽しみで散歩していますので、いつもとびきりにこやかです。公園で遊ぶ子どもたちにもノア共々大人気だし、近所では「キタムラのお散歩バッグを持ったノアちゃんのおとうさん」として有名なのです。
でも、そういわれると、確かに散歩しているご主人方は一様に無表情です。犬を連れていてもいなくても、奥樣方はにこやかです。
社交性?それとも持っている幸福感が圧倒的に違うのでしょうか。
ご主人方は仕事で笑顔をつくりすぎて、家に帰ったらもう疲れて表情筋が動かなくなっているのかもしれません。でももしその人が「男にとって笑顔は仕事の一環。家に帰ってまで笑っていられるか」そう思っているとしたら、その人の未来は暗いでしょうねえ。
ぼくがいろんなご夫婦とお会いしてきた結論としては「家にひとりで居るときでも笑顔、トイレの中でも笑顔」の人が、明るい未来を実現できる人です。人と会っているときだけ口角を上げるなどというケチくさいことでは、とうていいい仕事をすることはできないし、家族を大きな幸せへと導くことはできないのです。例えばノーベル賞学者や、一流企業のトップを思い浮かべてください。帰宅してブスッとしているイメージの人はいないでしょ。トイレでもニヤニヤしながら何か考えている、そういうタイプばかりです。
中年になって、仕事も無理しなくてもそこそここなせるようになって、出世の上限も見えてきて、ガード下の焼き鳥屋で夢よりも愚痴を熱く語る。そういう人の人生後半の頼みの綱は、奥様。
その奥樣方はそのことを本能的に嗅ぎ分けています。「うちの主人は私を幸せにしてくれるかしら」と。 そしてどうも無理っぽいなあと思い、仕方なしに「じゃあ自分の幸せは自分の力で」と、いつも笑顔を絶やさず、へそくりも怠らず、子どもに夢を託し、友人を大切にし、趣味を持ち、美容と健康に気を配り、ご主人の尻を叩いたり頭をなでなでしたりしながら、毎日仕事に送り出しているのです。つまり、亭主への幻滅が、奥樣方を真剣に幸福追求、幸福の実現へと駆り立てているのです。だからみんなにこやかで会話が楽しい。頭の中に愚痴と弱音しか入っていないご主人方は、すれ違う人に笑顔を向けることすらできなくなっている。
男のぼくが、男に対してちょっと悲観的すぎますかね。いやいや、これはきっと大きくは外れていませんよ。
ふたりそろっていっつも笑顔というご夫婦にお会いすると(うちのお客様には多い)、すばらしいなあと思います。人生において、それ以上に優れたことはないとすら思っています。
相性の善し悪しもありますしもともとの性格もありますが、長く夫婦をやっていて、それ以上に大事なのは前向きに幸せになろうと努力する姿勢です。いくら相性が良くても、そんなのはせいぜい5年です。そこから先はふたりの能力の問題。持続力、企画力、開発力、探究心、自己変革、気力、体力、人間性によって、築き上げてゆく世界なのです。相性じゃなくて能力。
夫婦が笑顔でいられるというのは、お互いがそのことをわかっている証拠です。だから最上級の幸せをつかむ人たちなのです。
長い長ーい前振りでした。今日から新シリーズ、尾崎さんちを始めます。
尾崎さんご夫婦が、まさに前振りの「笑顔の夫婦」。特に奥様の笑顔は最高です。それこそいつお会いしても、ひとりっきりのときにでも笑顔の人なのです。もう顔が笑顔のままになっていますから、怒っているときも笑顔のままかもしれません。
うちのノアはそういう人が大好きで、尾崎さんちの奥様に会うたびに大興奮、瞬時にしてひっくり返ってウレションまみれになっています。
そんな奥様からのご依頼は「旗竿地で家の存在が道路からわからない」ということと、もうひとつ「門扉がないのでエントランスに面したリビングでくつろげない」というものでした。
プランに際して、ぼくはひとつのことを思いました。
「このご夫婦はとてもいい感じに暮らしを組み立てているので、あまり劇的なリフォームではなく、極力控えめに、現在のいい感じの日常に外構と庭が歩調を合わす程度の提案にしよう」と。
劇的じゃなくて、控えめビフォー・アフターです。
できあがってみると、それが正解だったと思えました。人生の先輩でもあり、お手本としてお付き合いさせていただきたいご夫婦に、ほんの少しのお手伝いができたかな、という仕事です。
この場所に、控えめに、極力少ない変更で、便利さと快適さと楽しさを生み出す提案。
明日ご覧いただきます。
今夜、台風が妻の実家の姫路上空を通過するようです。ゆっくりの雨台風、一晩で600ミリ降るそうですので、まったく被害無しとはいかないでしょう。山歩きをしているときに100ミリの雨で沢が増水して身動き取れなくなって呆然としたことがありました。600ミリの雨っていったら、もう空からの津波みたいな量です。
この夏訪れた、揖保川上流域の人たちが心配です。どうか、ひどいことになりませんように。
ご要望がウッドデッキであっても、目隠しであっても、花壇や植木であっても、ぼくが考えることはそのお宅のご家族が、どのように暮らし、これからどうやってさらなる快適さや幸福感を実現してゆくのかということ。そのために必要な庭、外構、植物はどういうものなのかを考えます。
そうやって仕事を積み重ねながら、当然のことながら、ものすごく多様な家族のカタチ、暮らし方、生き方に遭遇してきました。
ぼくがかかわる人たちは「庭」に意識が行く人たちですから、たぶん世の中的には優れている、良質な暮らしを実現している人たちです。
そういう人たちの暮らしぶりや言葉から見つけた、幸せになるためのヒントやコツを「幸せへの扉」としてご紹介しています。昨日の「これを楽しむものに如かず」は38番目の扉で、できれば100まで、扉を並べたいと思っています。
「幸せへの扉」を書くうちにひとつハッキリいてきたことは、ご主人よりも奥様から教えられることの方が圧倒的に多い、ということです。
庭の打合せが奥様主導で行われることが多いというのもありますが、それだけじゃなくて、奥様の方が、というか女性の方が、我々男よりもはるかに「幸せ」に対して積極的であり、またそのための知恵も持ち、努力もしている、ということに気づきました。
いつもはぼくの日課になっている愛犬ノアの散歩を、ぼくの都合がつかない日に妻が行ってくれました。そして帰ってきた妻が「散歩してるとさあ、奥さんたちはみんなにこやかでとってもいい感じなんだけど、ご主人方ってみんな無愛想だよね。よっぽど嫌なことがあったのか、人生に疲れ切っちゃったような顔してる人ばっかりで、こっちが挨拶すると一応は返してはくれるけど、ニコニコしている人はまず居ない。あなたは愛想良くしてるでしょうね」と。
ぼくは大丈夫。そのにこやかな奥様たちとお話しするのが楽しみで散歩していますので、いつもとびきりにこやかです。公園で遊ぶ子どもたちにもノア共々大人気だし、近所では「キタムラのお散歩バッグを持ったノアちゃんのおとうさん」として有名なのです。
でも、そういわれると、確かに散歩しているご主人方は一様に無表情です。犬を連れていてもいなくても、奥樣方はにこやかです。
社交性?それとも持っている幸福感が圧倒的に違うのでしょうか。
ご主人方は仕事で笑顔をつくりすぎて、家に帰ったらもう疲れて表情筋が動かなくなっているのかもしれません。でももしその人が「男にとって笑顔は仕事の一環。家に帰ってまで笑っていられるか」そう思っているとしたら、その人の未来は暗いでしょうねえ。
ぼくがいろんなご夫婦とお会いしてきた結論としては「家にひとりで居るときでも笑顔、トイレの中でも笑顔」の人が、明るい未来を実現できる人です。人と会っているときだけ口角を上げるなどというケチくさいことでは、とうていいい仕事をすることはできないし、家族を大きな幸せへと導くことはできないのです。例えばノーベル賞学者や、一流企業のトップを思い浮かべてください。帰宅してブスッとしているイメージの人はいないでしょ。トイレでもニヤニヤしながら何か考えている、そういうタイプばかりです。
中年になって、仕事も無理しなくてもそこそここなせるようになって、出世の上限も見えてきて、ガード下の焼き鳥屋で夢よりも愚痴を熱く語る。そういう人の人生後半の頼みの綱は、奥様。
その奥樣方はそのことを本能的に嗅ぎ分けています。「うちの主人は私を幸せにしてくれるかしら」と。 そしてどうも無理っぽいなあと思い、仕方なしに「じゃあ自分の幸せは自分の力で」と、いつも笑顔を絶やさず、へそくりも怠らず、子どもに夢を託し、友人を大切にし、趣味を持ち、美容と健康に気を配り、ご主人の尻を叩いたり頭をなでなでしたりしながら、毎日仕事に送り出しているのです。つまり、亭主への幻滅が、奥樣方を真剣に幸福追求、幸福の実現へと駆り立てているのです。だからみんなにこやかで会話が楽しい。頭の中に愚痴と弱音しか入っていないご主人方は、すれ違う人に笑顔を向けることすらできなくなっている。
男のぼくが、男に対してちょっと悲観的すぎますかね。いやいや、これはきっと大きくは外れていませんよ。
ふたりそろっていっつも笑顔というご夫婦にお会いすると(うちのお客様には多い)、すばらしいなあと思います。人生において、それ以上に優れたことはないとすら思っています。
相性の善し悪しもありますしもともとの性格もありますが、長く夫婦をやっていて、それ以上に大事なのは前向きに幸せになろうと努力する姿勢です。いくら相性が良くても、そんなのはせいぜい5年です。そこから先はふたりの能力の問題。持続力、企画力、開発力、探究心、自己変革、気力、体力、人間性によって、築き上げてゆく世界なのです。相性じゃなくて能力。
夫婦が笑顔でいられるというのは、お互いがそのことをわかっている証拠です。だから最上級の幸せをつかむ人たちなのです。
長い長ーい前振りでした。今日から新シリーズ、尾崎さんちを始めます。
尾崎さんご夫婦が、まさに前振りの「笑顔の夫婦」。特に奥様の笑顔は最高です。それこそいつお会いしても、ひとりっきりのときにでも笑顔の人なのです。もう顔が笑顔のままになっていますから、怒っているときも笑顔のままかもしれません。
うちのノアはそういう人が大好きで、尾崎さんちの奥様に会うたびに大興奮、瞬時にしてひっくり返ってウレションまみれになっています。
そんな奥様からのご依頼は「旗竿地で家の存在が道路からわからない」ということと、もうひとつ「門扉がないのでエントランスに面したリビングでくつろげない」というものでした。
プランに際して、ぼくはひとつのことを思いました。
「このご夫婦はとてもいい感じに暮らしを組み立てているので、あまり劇的なリフォームではなく、極力控えめに、現在のいい感じの日常に外構と庭が歩調を合わす程度の提案にしよう」と。
劇的じゃなくて、控えめビフォー・アフターです。
できあがってみると、それが正解だったと思えました。人生の先輩でもあり、お手本としてお付き合いさせていただきたいご夫婦に、ほんの少しのお手伝いができたかな、という仕事です。
Before
クルマの後ろ、突き当たって右側に階段があります。
登り切って踊り場があり、
左に折れると、リビングの窓に面して玄関までの通路があります。
クルマの後ろ、突き当たって右側に階段があります。
登り切って踊り場があり、
左に折れると、リビングの窓に面して玄関までの通路があります。
この場所に、控えめに、極力少ない変更で、便利さと快適さと楽しさを生み出す提案。
明日ご覧いただきます。
今夜、台風が妻の実家の姫路上空を通過するようです。ゆっくりの雨台風、一晩で600ミリ降るそうですので、まったく被害無しとはいかないでしょう。山歩きをしているときに100ミリの雨で沢が増水して身動き取れなくなって呆然としたことがありました。600ミリの雨っていったら、もう空からの津波みたいな量です。
この夏訪れた、揖保川上流域の人たちが心配です。どうか、ひどいことになりませんように。