2017年10月

花水木

花水木というポエティックな名の由来は次の通り。



花の季節に負けず劣らず
紅葉と実が美しい。

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ミズキ科の中でひときわ大きな花が目立つので花水木。では水木とは?それは春の芽吹きの頃に大量の水分を吸い上げる性質から来たものと言われています。



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花水木に限らずいわゆる雑木類の落葉樹は、その生息地を観察すると、木の根と長年降り積もった落ち葉によって土壌はスポンジ状態で グジュグジュに湿っているものです。その湿気で微生物が旺盛になり、ミミズが増えて土が肥え、草が茂って花が咲き、昆虫が集まり、それを追う小動物が集まり、活気ある森となっています。



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対して針葉樹の森はどうでしょう。例えばヒノキとアカマツの富士の樹海などはシーンとしていて、ぼくはその静寂が清々しくて好きな場所なんですが、多くの人は薄気味悪さを感じ、入ったら出られなくなる云々と。実際歩いてみるとその因縁もわかる気がするのですが。
つまりはたくさんの命がひしめく場所を、昆虫や動物たちと同じように人も好み、生物が少なく精霊が多く住むように思える領域には恐怖や畏怖を感じる、ということなのでしょう。



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落葉樹の人気者は、ハナミズキ、シャラ、アオダモ、カエデ、カツラ、ジューンベリーなど。庭木に落葉樹が好まれるのは、季節ごとに変化し、たくさんの他の生物集う賑やかな世界を欲するためと思われます。
管理としては、春から秋まで存分に土を湿らせてください。それと周辺にたくさんの種類の草花を育てて、土を元気にしてください。これからの季節は葉がないので水分はさほど必要ありません。ただし、根っこは春に向けて成長し続けますから肥料の鋤き込みを怠りなきように。微生物のための堆肥も。



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冬来りなば・・・・。
春の風景を思い描きながら過ごす長くて静かな時間も、庭の楽しみのひとつです。
昨日は木枯らしが吹き、庭用の防寒着と、テーブルには電気ストーブを出しました。






時間よ 時間よ 時間よ
僕はどうなってしまうのか
自分の可能性を探しているうちに
うまく見つけられないままに冬が来て
木の葉は茶色に 空は灰色になっちまった  

友よ 希望を見失ってはいけない
もしも希望が失せたとしても平気なふりをしろ
よく見れば草木の背は伸びているじゃないか
救世軍の音楽隊が近づいているのが聞こえるだろ
雪は消えるし 春は必ずやってくるのだから

 


ボクサー、旧友、そしてこの冬の散歩道、ポール・サイモンの曲は冬を連想させるものが多い。でもそれらは木枯らしに凍えるというものではなく、陽だまりや、雪解けや、いつも微かな温もりを漂わせている。きっと彼は冬の人で、いつも春を待ちわびていたのだろうと思う。
この曲の原題は A Hazy Shade of Winter 、冬の陽炎。
何十回も経験して来た冬の到来ごときで気が落ち込まぬように、入り口からさっそくこんなクリシェはそぐわないが、冬来りなば春遠からじ。とにかく心身が冬モードにシフトするまでは、心して、暖かくして。



 

庭のつれづれ

自然樹形は放任によって育まれる。

環境を整えたら、あとは目をかけつつ手をかけないのがコツ。毎日水を与えていては根が伸びず、むやみにいじくるといびつな形になってしまいます。
お母様方、ことに男子には。



素直に伸びた姿の美しさたるや。
 
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庭を嗜む人々は概ねこのことを承知のご様子で、皆さんとても賢く子育てをされています。
問題なのは、大きな男子をどう扱うか。男子も年季が入ってくると余計な枝葉が目立つようになりまして、そのまま放置しては見栄えが損なわれ、いやいや見栄えばかりではなくやがては病や衰弱へもつながりますので、時々は刃を用いて樹形を整えることが肝要。できるだけその木の持ち味を損なわぬよう注意しながら、バッサリと、スッキリと、剪定作業を行いましょう。



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手順は次の通りです。

絡まり枝、逆さ枝、枯れ枝を付け根から除去する。
周囲の迷惑とならないように、総体をスケールダウンする。
根の周辺を掘り灌木や草花を植えるなどして、根っこと土を活性化させる。
石灰硫黄合剤を噴霧して防虫をしておく。
寒肥を埋め、冬季間に根が発育するように仕向ける。



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 おっと、話が庭木のことになってしまいました。人間です、人間。人間の大きな男子についての手順は次の通りです。

プレッシャーをかける。
尻を叩いて送り出す。
帰ってきたら存分にねぎらう。
笑顔と感謝の言葉で一日を締めくくる。

この内の、どれがかけても男子の樹形は乱れてしまいます。
それともうひとつ大切なことは、あなたが美しき支配者(支えて配る者)であること。支える力が不十分であると感じる場合は、その補填として美しさに磨きをかけてください。現状はどうであれあなたにその意志さえあれば、男は、いやさオスは、ミジンコやゾウリムシからクジラに至るまでの地球上の全オスは、あなたにかしづく理由を得るのです。女子たちよ、お笑いになるかもしれませぬが、男とは、悲しいまでに紛れもなくオスなのです。



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付け加えます。
男子諸君、ねぎらいも笑顔も感謝もなく、加えて美しくあることも放棄した者に支配されてはいけない。芥川版「桃太郎」の最後に登場する復讐に執念を燃やす鬼たちのように、腹腹時計を準備すべし。闘争か、逃走か、何れにしても、その支配からの卒業を目論むのだ。




 

晩秋の庭は浪漫的







今年はどうも空が思うようにいかない。それは梅雨からだ。またもや空梅雨かと思えば、明けて夏が来たらしとしとと降り続いた。短い夏が終わり秋となれば、ぱっとした、葡萄棚の下でジンギスカンの煙を上げたいというような日が来ぬままで、随分と遅くになって台風が立て続くという有様。お楽しみの皇帝ダリアもあちこちで折れて倒れている始末だ。
コスモスが終わり巷から花が消えてしまった。と思いきや、雨に打たれる薔薇の花が住宅地のあちらこちらに。僕は傘の内よりその花を見上げながら、不意に肩を揺さぶられたような感慨に打たれて「ヴィヨンの妻だ」と呟き、何人かの女神のことを思った。



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なぜ、初めからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ。

女には、幸福も不幸もないものです。

そうなのお、それじゃあ男の人はどうなの。

男には不幸だけがあるんです。いつも恐怖と戦ってばかりいるのです。

わからないわ、私には。でもいつまでも私、こんな生活を続けていきとうございますわ。

僕はねえ、キザなようですけど、死にたくてしょうがないんですよ。生まれた時から死ぬことばかり考えていたんだ。それでいてなかなか死ねない。変な怖い神様みたいなものが、僕の死ぬのを引き止めるのです。

お仕事がおありですから。

仕事なんてものは何でもないんですよ。傑作も駄作もありやしません。人が良いといえば良くなるし、悪いと言えば悪くなるんです。ちょうど、吐く息と吸う息みたいなもんなんです。
恐ろしいのはねえ、この世の中のどこかに、神がいるということなんです。いるんでしょうねえ。

えっ。

いるんでしょうねえ。

私には、わかりませんわ。

そう。



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いやあ、また僕の悪口を書いている、エピキュリアンの偽貴族だってさ。こいつは当たっていない。「神に怯えるエピキュリアン」とでも書いたらいいのに。
さっちゃん、ご覧、ここには僕のことを人非人なんて書いていますよ。違うよねえ僕は。今だから言うけれども、去年の暮れにね、この店からお金を持って出たのは、さっちゃんと坊やにあのお金で久しぶりにいいお正月をさせたかったからです。人非人ではないから、あんなこともしでかすのです。

・・・・人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ。
生きていさえすれば、いいのよ。



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太宰さん、太宰さん、あながた描く男のどうしようもない駄目っぷりには愛想がつきます。アル中で、金にだらしなく、病的なナルシストの女好きで、ついにはみっとも悪い盗みまでとは。同性からすると許せない、天性の恥知らずな愛嬌を使って女性を渡り歩くやり口にも、ほとほと。
ただし、女性の魅力を描かせたらあなたは天下一品ですね。その見事さが僕自身の駄目男ぶりを贖罪してくれるようで、頭を下げるしかなくて。まったく、ひとりくらいはあなたのような作家がいてもよかろうと、神様が思われたのでしょう。
それとですね、あなたが去って幾星霜、この物語を読んだ昭和の作詞家、山川啓介が、僕や多くの男が懐く鬱憤とも逡巡ともつかぬ感情に決着をつける、見事な作品に仕立て上げてくれましたよ。僕は数年前よりその曲に、繰り返し繰り返しエネルギーを充填してもらっています。だからあなたに感謝します。
恋することはあらゆる矛盾を消し去ります。作詞家もまたヴィヨンの妻が軽やかに決心をする際の、雨に打たれる薔薇の微笑みに恋をしたのだろうと思います。僕と同じようにね。



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太宰が彼に冠したヴィヨンとは、ジャンヌ・ダークが火あぶりにされた年にパリに生まれた、無頼と放浪の詩人。やはり社会的には問題多き男なれど、後にはフランス文学の父と讃えられている。
そのフランソア・ヴィヨンの詩を添えます。


逆説のバラッド

世に飢えている時ほどの安心はなく 優しくしてくる者は敵ばかり
食い物はまぐさの如きなり
見張りは居眠りばかりし 寛大な者は無信心で
確かなのは臆病さだけ
信仰は異端の心に宿り 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

女が産気づくのは風呂桶の中
名声は罪人の背後にあり 殴られた後ほど笑いたくなる
借金を踏み倒す奴ほど評判が良く 本当の愛はおべっかの中
出会いは常に不運の始まり
嘘ほど誠実なものはなく 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

世に休息は不安の内にもたらされ 「ちぇ」と言っては面目を保つ
偽金の他に自慢の種はなく 健康体は水ぶくれ
高望みをすれば卑怯者となる
思案にはいつも怒りが付きまとわる
心から優しい女は尻軽で 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ

本当のことを言おう 女と寝るのは病気の時だけだ
芝居の中に真実はなく 騎士気取りは総じて臆病者だ
旋律はどれも嫌な音ばかりだし 頼り甲斐のあるのは女たらしだけ



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ヴィヨンの最期は誰も知らない。行きずりの女と心中したか、人知れずのたれ死んだというのがおおかたの見解だ。古今、エピキュリアンの末路とは、そういうものなのかも知れない。
荒野に向かう道より他に見えるものはなし。我も行く、心の命ずるままに。
フランソア・ヴィヨンに、太宰治に、山川啓介に、僕が知るヴィヨンの妻たちの人生に、感謝を込めて。



本年7月に幕を下ろした山川啓介氏の、
常にロマンに満ちて前向きに光り輝いている
膨大なるきら星の作品群の中から、
僕が思う、今夜の話にふさわしいと思う
ほんの数行を。




ありがとう。
僕もまた、
不器用であっても、異端であっても、
微塵も悔いなく、
と。
今日も渾身で、僕が思う理想の庭を思い描くことができます。





今日は「港南台店」にいます。
  




 

冤罪・推定無罪

恥ずかしながら、ブタクサとセイタカアワダチソウを同じ草の別称だと思っていました。これはぼくだけでなく、数年前にはそう解説している文章がいくらでもあったし、現在でもブタクサの画像検索をすると出てくるのはほとんどがセイタカなので、地方によってとか、学会の見解としてとか、そういう何らかの推移があったのかもしれません。



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秋の花粉症の原因として最初に挙げられるのがブタクサ。ところがぼくはその姿を見たことがないのです。結構植物に意識が行く暮らしをしているぼくがそうなわけですから、たぶん相当に個体数が少ない種なのではないかと思われます。一方セイタカは、ススキと覇を競いながら今頃のどの風景にも咲いています。



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セイタカは虫媒花。虫によって受粉が行われるため花粉を風に舞わすことはなく、つまりは花粉症の原因にはなりません。対してブタクサは風媒花。



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ぼくは常々、コマーシャルで杉が煙のように花粉を飛ばす映像を見た途端にグズグズしだして鼻をかみ「あなたはいいわよね、鈍感で」と赤鼻の不機嫌顔になる女房に、「それって自己暗示でしょ」と「花粉症 気のせい説」を唱えてきました。この秋の花粉症も、想像するに、いかにも花粉を撒き散らしそうに揺れているセイタカとブタクサとを混同した、思い込みから発症しているのではないかと。



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花粉症は花粉が引き金になるが、本当の原因は汚染された空気にある、というのはこの頃の統一見解となっています。加えて花粉症薬の大半を占めるレセプターブロックの抗ヒスタミン薬を使い続けると、アレルゲンに対してより敏感な体質になってしまうということも。
病は気から。気を先に病んだばかりに重症化してしまわないように、ご注意ご注意。



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花粉症の皆様、気を落ち着けて、勘違いによる自己催眠に陥ることなかれ。
晩秋の風にそよいでいるセイタカはブタクサではなく、加えてブタクサはとても少ない植物。セイタカは冤罪で、ブタクサは推定無罪です。



これがブタクサ

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病気は気の病、元気は気が元、活気は気を活かすことから。いい気を取り入れて、プラシーボでもマジナイでも自己催眠でも何でもいいので、気力の充実を最優先にして過ごしましょう。
そうそう、ところで庭はどんなでしょう。住む人の気の状態は、そのまま庭に出ますんでね。ススキが原になっていませんように。





今日は「港南台店」にいます。



 

庭のつれづれ

木偶の坊という才能。

コスモスが終わり、巷にめっきり花が少なくなりました。
仕事途中でもしかしたらと思い、金沢文庫の称名寺へ行ってみましたが、やはり花らしき花は見当たらずに、カメラ片手にぼとぼと。でも花じゃないんですけど一枚だけ面白いのが撮れたので、一応満足して仕事に戻ったのでした。



何を思うかこふたり。

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10分ほどこのままでした。
見つめ合う恋か、
はたまた双方共に木偶の坊なのか。
それを飽きずに見つめていたぼくは、
やれやれ、まごうことなく木偶の坊。

 

その道すがら、「宮沢賢治だったら、この写真で隠喩に富んだ短編を書けるんだろうなあ」などと思いまして、当人曰くの木偶の坊だったが故になかなか苦労が多い人生でしたが、それは実のところ、だからこその感受性と表現力を生んだわけでして。もしも賢治が才走る夏目漱石のようなタイプだったら、あるいは女性には器用だった太宰のようなナルシストだったとしたらと思うと。では漱石と太宰が木偶の坊だったらどうでしょう。やはり、あのような文学世界を生み出すことはなかったわけです。
ぼくはといえば、才走ることもなく、ナルシストでもなく、概ね木偶の坊の類なわけで、しかしこの写真から短編を仕上げる能力はないわけでして。
でも時どきマジで思うんですけど、庭を思い描くことに関しては、間違いなくぼくは彼らよりも長けているなあと。
自分にしかできないこと(誰にでもできそうでいて、そこまで熱心にする人はいないというような意味で)、何でもいいんですけど、例えば鍋を磨くことや、毎朝徹底的に落ち葉掃きをするとか、般若心経般若心経と法華経と理趣経をそらんじることができるとか。たったひとつだけでいいからそういうものがあれば、どんな権威とでも胸を張って相対することができるし、満島ひかりとも、シシド・カフカとも、水原希子とだってまっすぐに見つめ合うことができるのだと思うのです。
もっとも、何のとりえも自信もなかった若い時分のは、何人かの女性と見つめ合ったものでしたが。
定めし恋は盲目なり。盲目は自信に匹敵するなり。故に、自信を失いかけたら目を瞑って飛ぶなり。



自分を高い壁の向こうに放り投げてみるのだ。そこはお花畑かもしれないし、あるいは断崖絶壁かもしれないが、それでも投げ入れるのだ。それが自己変革ということだ。
加藤諦三



というわけで、木偶の坊なりに、今日も自己変革に挑むことといたします。 
あ、恋じゃなくて、仕事の方ですけど。
飛びます、飛びます。 






 

Metaphor





やや落ち込みつつも、これもまたいつものことであるというような心持ちの時期がある。大げさに言うなら人生とはまあこんなものであると、達観のような、諦めのような。しかしそれはまるっきりの諦めとは違っていて、彼がその時期にその位置にいることは、彼なりにしてみれば一応は前向きなことなのである。ただそのスタンのままだとどうにも世の中との整合が得られないために、常態的にやや落ち込んで過ごしているといった次第だ。



コスモスもそろそろ終わり。
また来年。


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その晩のこと、熟する前のトマトを持って三毛猫がやってきた。一悶着あって、猫は這々の体で逃げ帰った。
次の晩、灰色のカッコウがやってきて、またもや悶着して去っていった。
次の晩は子狸が、その次の晩は病んだ幼子を連れた野鼠が。



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人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に。明治生まれの哲学者、森信三の言葉である。
まだうだつが上がらない彼にもそれは起こったのだ。ただ、やってきたのが人ではなく獣たちだったのは、彼が生来備えていた深い情と裏腹の、どこか人嫌いな、臆病なタチだったからかもしれない。彼はいつもリスやイタチや夜鷹を友として、イーハトーブに暮らしているのだ。



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三毛猫は彼に「甘ちゃん、ひたすらに修練を積むんだよ」と告げにきた。灰色のカッコウは「シンプルに、清廉に、鳥たちのように喉から血が出るまで反復しなさい」と諭し、狸の子は「恐れずに励めば自ずと問題点が浮き上がってくるでしょう」と予言し、子連れの野鼠は「懸命に生きる者は、その懸命さによってすでに世の役に立っているのです」と、フランクル理論にも通ずる真理を彼に知らしめた。



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ある日突然思いもよらぬ出来事として、随分と長く才能を封じていた重い蓋が、あっけなくぱかっと開く瞬間がある。
彼は四種の小動物の来訪者によってその時を得てからというもの、感動を与えることの感動を知ったに違いなかろう。



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小学生の時分にこの物語を読んだ記憶はある。ただ、その粗筋すら忘れていて、さだまさしの曲と区別がつかなくなっていたほどだから、まだほとんどぼーっとすることで日がなを送っていた少年には意味を持たないことだったのだろう。それが今読み返すと、脳内に、全くもって新たな世界として展開されたのだ。
ただ、前述の解釈がいかにも表面的なものであることは、読んでいる最中からそう思っていた。一行ごとにそんな香りが詰まっている。だから習い性に従って三度読んでみたが、今のところはここ止まりだ。



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噛めば噛むほどのスルメのように、読めば読むほどの聖書や、読んだことはないがイスラムのクルアーンや、日本に伝わるアマテラスの物語のように、一年後に、五年後に、余命の幸運に恵まれたとすれば十年後に、二十年後にも読み返したいのだ。この隠喩に満ちた物語を書いた、内気にして不器用で、静かに頑固な銀河の彼方からの神の遣いが、果たして何を思いながらカサカサとペンを走らせていたのかを、その夜の彼の心情の間近にまでにじり寄って、手土産の酒を、セロにお似合いのオンザロックで舐めながら言葉を交わしてみたいのだ。言葉少なに一言二言であることは想像できるが、それでもその一言二言が、もしかしたら、星降る草むらから乗車した車両の別珍のベンチシートで、少年ジョバンニが、隣に行儀よく腰掛けているカンパネルラと天空に交わした「約束の地」を指し示すのではないかと。



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賢治さん、賢治さん、ゴーシュもまたきっとあなたですよね。あの時の、アンコールに突き出されてインドの虎狩りを弾いた時の感情が、こんちくしょうだったのか、あるいは静かな炎を上げる薪のようなものだったのかと。生意気な三毛猫がからかい気味に所望したロマチック・シューマン(ロマン派のシューマン)のトロメライ(トロイメライ)を、あなたのセロが奏でる日は訪れたのでしょうか、と、一言二言を。





 

ガーデンセラピー 146

『快楽を追う』

爬虫類脳(扁桃体)と人間脳(前頭葉)とをつなぐパイプラインである A10神経に流れるドーパミン(快楽を発生させる神経伝達物質)の水たまりに、ぽこっと湧いてくる泡のようにセロトニン(幸せホルモン)が発生するそうな。



植物に知性はありやなしや。
ある、どころか知性に満ちているのです。


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幸福感は快楽から生まれる。



知性とは学力ではなく、
周囲を察知し、そのルールに馴染みつつ
見事に自分の花を咲かせること。


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ただし、爬虫類脳に振り回されて快楽を暴走させないために、くれぐれも思考は前頭葉を通過させるようにしましょうね。



か細い花が群生して支え合うこともまた、
知性の共鳴なり。
気高き者同士による共存共栄の姿なり。
健全な生態系の肝心要なり。


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快楽主義には知性が必須です。





知性、知性、知性、慢性的に不足気味。絞り出せばいいものか、はたまたどこかに売っているのやら。






 

庭のつれづれ

秋には秋の暮らし方。

稲刈りが済み、晩秋が始まりました。
それにしても、いやはや季節の進みが早すぎて・・・これは加齢によるものなのか、あるいは地球の公転が早まっていることに誰も気づいていないのかもしれない、などと思考による無駄な抵抗を試みてはあきらめる。つまるところ、いかにすればいち日が途方もなく長かった、あの少年時代の自分に戻れるのかと、これまた無駄とも思える抵抗に入るのです。



短かった夏の影響か
根の張りが弱かったようで、
台風で倒れた稲をよく見かけました。

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水に浸りさえしなければ
米の味と収量に影響はないそうですが、
稲刈り作業は大変だったことでしょう。

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新米の季節到来。

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冬眠に備える動物たちに倣って
存分に食べておきましょうね。

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野沢菜で、焼き鮭で、卵かけご飯で。 


若さとは、思考的には世界が未知であること。身体的には代謝が盛んであること。されば、四方八方の事象への好奇心を煽って、血流を高めて暮らすといたしましょう。
季節を少し先回りするイメージで、しっかりと厚着をして。寒さに縮こまっていると毛細血管が減少してしまうそうなので(全身の血管の9割は目に見えないほど微細な毛細血管)。という年寄りじみた戦術を使ってでも、それぞれの季節を飽き飽きするほど長く感じ取っていたい。ん、待てよ、アインシュタインは「恋をしていると時の経つのを速く感じる。それが相対性理論である」と言っていた。好奇心を煽ることは恋をすることなので・・・。無駄な抵抗はやめて、恋する仕事に専念します。
こうなりゃヤケだ。突っ走って、突っ走って、突っ走って、月日を追い抜いてやる。






 

選挙と芥川龍之介

選挙特番の放送開始10秒で、いつも決まって「やっぱりね」と「なんてこった」が混在する衝撃波に打ちのめされるこの感じ。一発逆転の場面で勢い込んで打席に立ったものの三球三振に終わって、とぼとぼとベンチに戻る選手の後ろ姿を見るようながっかり感と、そもそも何で野球なんか見てんだよと自分に突っ込む感じと。
ぼくごときが政治について云々するつもりもないわけですが、でも今回は、ある感慨があったので書き留めておこうと思います。 


短かった夏、
散歩道のハスがとても元気で、
ずいぶんと楽しませていただきました。

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お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっとも見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶらとお歩きになり始めました。自分ばかりが地獄から抜け出そうとするカンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、浅ましく思い召されたのでございましょう。



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10秒を過ぎて即座にテレビを消し、その後の10秒間で浮かんだのが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。 そして次には「羅生門」の修羅の世界が三船敏郎主演で駆け巡り、庭に出て腰掛けたら今度は「杜子春」が、いきなり記憶の棚の奥の方から飛び出してきて、もはや居並ぶ特殊公務員たちの泣き笑いなど雨音に溶けて消えてゆきました。そんなことよりも(ちゃんと投票には行きましたので、こんな言い方もお許しください)、それどころではなく、思考はわが人生の局面にシフトして「今日を、明日を、いかに過ごすべきか」となった次第です。



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「もしもお前が黙っていたなら・・・」と鉄冠子は急に厳か顔になって、じっと杜子春を見つめました。
「もしもお前が黙っていたなら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。お前はもう仙人になりたいという望みも持っていまい。大金持ちになることは、もとより愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら良いと思うか」
「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」
杜子春の声には、今までにない晴れ晴れとした調子がこもっていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遭わないから」
 鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急にまた足を止めて杜子春の方を振り返ると、「おお、幸いにして今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を庭ごとお前にやるから早速行って住まうが好い。今頃は丁度家の周りに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快げに付け加えました。



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続いて、「蜘蛛の糸」のエンディングです。

しかし極楽の蓮池は、少しもそんなことには頓着致しません。その玉のような白い花は、お釈迦様のお足元のまわりに、ゆらゆら蕚(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽も、もう午に近くになったのでございましょう。



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台風は午近くには行ってしまって(現在、静岡県上空)、その後は何事もなかったように、静かな日常が再開されることでございましょう。
では、今日も、脅されても打たれても頑なに沈黙を通した杜子春の心境で、極楽浄土の庭を思い描きます。最後の最後に、愛情を伝える一言を発する、その時までは。





 

雨の日は雨音に打たれて過ごす

閑かさや、岩にしみ入る・・・のように、静寂を感じさせる音がある。潮騒、風、雨、野鳥の声、虫の音。



こうも降り続くと
雨好きのぼくもさすがに。
この台風が天空をかき混ぜて
秋雨前線を一掃してくれることに期待。

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雨の日は庭の書斎に腰掛けて、ゴージャスな雨音に打たれながら、さて頁をめくるかパソコンを叩くか。いやいやこのまま目を閉じてうたた寝に入るとしよう。



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その寝入り端にやってくる一瞬か数分か定かではない、懐かしいような真新しいような、恋のようでもあり変のようでもあり、至福と堕落が危うく二層に分離しているアイスカフェオレにストローを入れる時みたいな、あの特別な時間を期待して。



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The Sound of Silence という摩訶不思議なタイトルの曲が流れる映画を、エスカレーターの導入からバスの後部座席のエンディングまでを超早回しで再生するような、あのシネマティークな時間に呑み込まれたくて。



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雨の日と月曜日は憂鬱になりがちだというあなた、庭の一部に屋根があるならそこに出て、ないなら窓辺に椅子を移動して、男子ならベン(ダスティン・ホフマン)に、女子ならエレーン(キャサリン・ロス)になった気分で雨音に打たれるというのはいかがでしょう。そんな日曜日も悪くないのでは。









今日は「港南台店」にいます。





 

巷はプロフェッショナルが溢れている。

孫のお宮参りで金沢八景のスタジオアリスに召集がかかりました。
ぐずったりそっぽを向いたりする生後一ヶ月を相手に展開される、あの手この手のカメラマンの技に魅了されました。撮影時間は気づけば3時間。その間、主役の美空よりもぼくたち親族の方が笑わされっぱなしで、それも含めて、見事なもんだなあと感心。



降ったり晴れたりしながら深まってゆく。

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そこから徒歩で行ける、頼朝の頃から続くという神社へ移動し、今度は巫女さんの舞の儀式にうっとりと見入りました。美空は撮影で頑張りすぎた反動か、泣きっぱなしでしたが。



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その後は食事会。婿さんの知り合いだという寿司屋さんで見事な料理と美味しいお酒をいただきまして、久しぶりに上質なサービスに浸りっぱなしのいち日となりました。美空はさすがに疲れたようで熟睡。



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サービスとは技術の提供にとどまらず、相手に幸福をもたらすこと。



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カメラマン、巫女さん、料理人の見事な仕事っぷりに、ぼくもかく有りたしと新たな意欲が湧くのを感じつつほろ酔って、こんな経験をさせてくれた娘夫婦と孫に、感謝感謝でございました。



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次はお食い初めだそうで、その次は誕生日会、七五三とお楽しみが続くシステムにのってお爺さんを楽しませていただきます。



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ありがたやありがたや。





今日は「港南台店」にいます。








 
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