そんな時、ぼくは次のようにアドバイスします。
「どんな庭に」の前に「なんのために」を考えてください。
その庭に何を期待するのか、どういう役割を持たせたいのかを明確にしないと、ついつい構成物(植物や資材)にばかり意識が行ってしまって 、行き当たりばったりに散財するばかりで成果が上がらないということを繰り返してしまいます。
次にこう話します。
絵ではなくシーンで考えてください。
庭へのイマジネーションを素材や色合いや構図による風景描写にとどめることなく、そこに人がいて、どんな気分で何をして過ごすのかを思い描くことによってのみ庭の価値は発生します。
これは家事も同じことですよね。「なんのために」と考え、願うシーンを想像しながらやれば、食事の支度、後片付け、掃除洗濯、何でもかんでも暮らしを整えるための積極的かつ具体的行動になりますから、当然理想の暮らしが実現してゆきます。そういう意識を失ったら片っ端から愚痴のタネになり、動くほどに暮らしぶりは荒れてゆくばかり。
ぼくはこれまで、庭は美しいのに室内は散らかり放題ということには一度も遭遇したことがありません。どちらも同じひとつのこと、「幸せに暮らしたい」という思いの、そのシーンの想像力によるものなのでしょう。

セミが何のために鳴いているかはご存知ですよね。
他の生物にも見られるように、鳴くのはオスだけです。
激しい蝉時雨は、長い地下生活の末に翼を得た彼らが
最後の一週間に命を燃やす叫び声、
男たちの挽歌なのであります。
今日は港南台店にいます。